令和7年7月24日(木)
小松市那谷寺②
詳細は寺伝。
それによれば、
養老元年(717)、
泰澄法師が、
越前国江沼郡に
千手観音を安置したのが
始まりとされる。
その後寛和2年(986)、
花山法皇が行幸の折り
岩窟で輝く観音三十三身の姿
を感じ、
求る観音霊場三十三カ所は
すべてこの山に凝縮されるとし、
西国三十三観音の
西国三十三観音の
一番「那智」と
三十三番「谷汲」の山号から
一字ずつを取り、
「自主山厳屋寺」から
「那谷寺」へと改名する。
<三重塔>

南北朝時代に、
戦乱に巻き込まれ荒廃する。
近世に入って
近世に入って
加賀藩藩主前田利常が再建。
この時の大工は、
気多大社拝殿を建てたのと
同じ山上善右衛門である。
<那谷寺の奇岩幽仙境>


前田利常は、
江沼郡の大半を支藩の
大聖寺藩に分置したが、
この那谷寺がある那谷村付近は
自身の隠居領としたため、
その死後も加賀藩領となる。
(後に領地交換で大聖寺藩領に)
<芭蕉翁塚>

芭蕉は、
分かりやすく、的確に
奥の細道に著し、
大津の石山寺の奇岩を
引き合いに出し、
句を編む。
<芭蕉句碑>


私は
石山寺の山門近くに
下宿したことがあるので、
本当に縁深き先人
という感触が更に増幅。
<大津市の石山寺の奇岩>

~つづく。