令和7年7月22日(火)
小松市小松天満宮②
<社殿>

能順は加賀藩の重臣であり、
俳諧を通して
芭蕉と面識のある俳人。
能順の指導も受けていた
生駒万子の仲介で、
この”小松天満宮”で
句を奉納したいと
依頼している。
芭蕉が小松に立ち戻ったのは
”小松天満宮”で、
その生駒万子に会うため。
<芭蕉句碑と説明>

しかし、
翌日、
芭蕉の”小松天満宮”で
初めての別当能順との面談で、
能順の句を褒めた
芭蕉の言辞に、
二人の間に齟齬が生じる。
そのため、
そのため、
芭蕉がわざわざ
山中温泉から
立ち戻ってまで望んだ、
”小松天満宮”での連歌の会
での句の奉納は
なされなかったという。
古い伝統の権威と
古い伝統の権威と
新しい波の力のぶつかり合いは、
古今東西、
変わることがない。
<芭蕉句碑>

境内に建つ芭蕉の句碑は、
小松天満宮での句ではなく、
源意庵で芭蕉が始めて
披露した句が刻まれている。
句は、
「あかあかと
日はつれなくも
秋の風」 。
<実践倫理:朝起き会発祥の地碑>
