令和5年8月1日(火)
清水市: 清 見 寺
二度目の参拝!
二度目の参拝!
奈良時代の創建。
鎌倉時代に禅寺として復興し、
足利尊氏や今川義元の帰依を
受けて繁栄。
<本殿>
また、
その頃、徳川家康は今川氏に人質
としてあったが、
当寺の住職太原雪斎に師事し、
当寺で勉強していた。
家康手習いの間も残っている。
この地は、交通の要衝であり、
武田氏による駿河侵攻の際には、
今川氏真が本陣を構えたものの、
薩埵峠の戦いによる家臣の相次ぐ離反、
武田方への内通により戦わずして
駿府城に撤退。
江戸時代には徳川氏の庇護を
江戸時代には徳川氏の庇護を
受けた他、東海道の目の前にある
ことから、朝鮮通信使や
琉球使の接待をここで行う。
<五百羅漢石像碑と五百羅漢石像群>
広島県福山市鞆町にある福禅寺、
岡山県瀬戸内市牛窓町にある本蓮寺
と共に朝鮮通信使遺跡として
国の史跡に指定されている。
また、
庭園も国の名勝に指定されている。
<見事な庭園>
駿河湾を望む風光明媚な高台に
あることから、室町時代には雪舟が、
明治時代には夏目漱石や高山樗牛、
島崎藤村が訪れている。
<高山樗牛碑>
~つづく。