貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

恵まれし大津の弟子達に!

2022-02-16 16:30:01 | 日記
令和4年2月16日(水)
 そして、その後の芭蕉の足跡。
8月15日、膳所義仲寺の無名庵に在庵。
      月見の句会を持つ。
9月13日、後の月見のため、
     堅田に行くが、
     風邪を引いて滞在となる。
9月25日、堅田より、無名庵に戻る。
     その後、伊賀上野へ。
 12月末日、大津に来て、
乙州の新宅に滞在し、越年する。
元禄四年(1691)1月上旬、
  江戸に行く乙州のための餞別俳席。
  伊賀上野へ。
6月10日、京都の凡兆宅より乙州宅へ。
  13日、京都の凡兆宅へ戻る。
  25日、京都から大津に移り、
      無名庵に滞在。
7月3日、『猿蓑』
    (『幻住庵記』収集)出版。
8月15日、新築された無名庵で、
    月見の俳席 
  16日、堅田の成秀宅で、
    月見の会。
9月中旬、京都へ出る。
  23日、無名庵へ帰る。
  26日、桃隣とともに、
     江戸に向かう。
元禄七年(1694)5月17日、
  伊賀上野を経て、
  大津乙州宅に一泊する。
5月18日、膳所へ移り、
  21日まで曲水宅に滞在。
  22日 膳所をたち、
    京都嵯峨野の落柿舎へ。
6月15日 用途から、無名庵へ。
    7月5日まで滞在。
10月12日 大坂、南御堂前の
  花屋仁右衛門の貸座敷で死去。
  遺骸は舟に乗せて、
  その夜のうちに淀川を伏見まで運ぶ。
10月13日、昼過ぎ頃、
膳所の義仲寺に入り、

翌日夜に、境内にある木曾義仲公の塚の
      隣に埋葬。
芭蕉の墓

木曾義仲公の塚
 逝去の日まで、本当に精力的に歩き、
大津を中心に京都等往復、月見の宴や
俳句会と弟子達と過ごしている。
 弟子にも恵まれたなあ、というのが実感!