ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

なんのために音楽をするのか

2016年01月06日 | 価値観
【Live Information】


 音楽を生活の糧とすることがいかに難しいのか、想像することは容易だと思います。
 収入面だけでなく、来年も仕事が待ってくれている保証などないのだから。
 
 
 では、ぼくのように、地方で演奏を続けているミュージシャンが「専業ミュージシャンではないから長年活動を続けていくのは簡単」かというと、そうだとは言い切れないんですね。
 気がつけば、あれだけ大勢いた先輩たちの顔を見る機会はどんどんなくなり、いまやほとんどが自分より下の世代です。
 また、後輩たちの中にも、いつのまにか演奏から遠ざかった者が少なからずいます。


 なぜ音楽から離れたのか、これについてはいろんな理由があるでしょう。
 環境が変わった、もともとそう好きではなかった、ほかにもっと好きなことがある、忙しい、年齢的にきつい、演奏はやめたが聴くのは好き、人間関係、経済的に、健康面の不安、これ以上うまくなれないから諦めた、などなど。。。


 ぼくは、途中体調を崩して4年ほど全く音楽から離れていましたが、それ以外はかなり演奏の機会に恵まれていたほうだと思います。とくにここ3~4年は、平均して月10回はステージに立たせてもらっています。
 ありがたいし、幸せなことです。


 一昨年前くらいから、自分の技量がもう頭打ちかもしれないという気がしていて、いまは基礎から勉強しなおしているのですが、それがきっかけとなって、自分が実は何をしたかったのか、今後どうしたいのか、何のために音楽をやっていたのか、こういうことも見直さざるを得なくなっています。見直す必要に迫られた時が来たということなんでしょうね。
 そして、今はまだまだ自分の考え方が変わっていっている最中です。


 大事なのは「音楽をすること」だとずっと思っていましたが(もちろん好きだからこそ30年以上も演奏が続けられたんだと思う)、それ以上に、実は「自分が評価されることの方が大事」だと思ってきたんだな、というのがわかってきたんです。
 よく「自分のことは自分が一番わかっている」なんてことを言ったりしますが、自分の気持ちなのに自分がそれを認めてなかったんですね。


 自分が評価されるのが大事、というのは、「うまいと言われたい」「あの人いいよね、と言われたい」「下手と思われたらどうしよう」ということで、それがいろんなところに出ていたんじゃないかなあ。
 すぐアドバイスめいたことを言ってしまうのも、知っていることを語ってしまうのも、話している相手への「愛」ではなく、いわば「ただ自分が『助言してやっている』『指導する』立場にいたいだけ」だったんです(全てがそうではないと思いますが。。。)


 だから自分と違う意見の人や、波長の合わない人を「責めて」自分を安心させようとしたり(それをさも音楽的な話をしているかのように言っていた、ということもいま自覚できた)、「上から」言ったりして、人より上の立場に立とうとしていただけだったような気がします。つまり、そういう立場の人だという評価を得たいだけだったんですね。


 では演奏が、音楽が好きではなかったのか、というと、それはやはり「好き」だと即答できます。
 だからこそ、せっかく長年ステージに立たせてもらっているのだから、自分のやりたい方向を自分できちんと認識して、今後も音楽をやって行こうと思います。
 自分はどうしたいのか、どうなりたいのか。
 出ているライブの本数を誇りたいのか。有名な人との共演経験を誇りたいのか。地元では「顔」だと思われたいのか。


 他人からの評価を気にしたり、他人の考え方を陰で批判する(あるいは他人をほめる)自分は、音楽をやりたいんじゃなくて、「音楽に詳しい、あるいは音楽に深く関わっている自分アピール」をしたいだけだから、そこには当然真摯に音楽と向き合った音は出てこないような気がします。



 自分は、やはり、良い音を出し、良い音楽を奏でる方向に行きたいです。
 「ほめる」ことも含めて、他人が気になるということは、自分に自信がないからだと思います。いままではそこに自信に満ちたような仮面を付けてきたのですが、自信のない自分も自分なのだから、そこを自分で認めるところから再出発しようと思います。




 年頭、ということもあるけれど、何かの時に初心に返るために、以上のことをここに記しておこうと思います。
 




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コメント (2)
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