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ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

父の日

2012年06月18日 | Weblog~雑記
                   ♪ひとつ上の姉の七五三。父と姉とぼく。
                    この直後、300円(当時としては高価!)のオモチャが欲しくて駄々をこねるもワガママが通じる父親ではなく、
                    あえなく涙した記憶があります(^^;)



6月18日はポール・マッカートニーの70歳の誕生日! Happy Birthday, Paul!
ポールはロッカーとして一生を終える(であろう)最初の世代なんですね(不慮の事故死や病死は除いて)。
ぼくが若い頃は50歳以上の中年・老年ロッカーなんて想像もできなかったけれど、今ではポールやエリック・クラプトン、ミック・ジャガー、ロジャー・ダルトリー、ジェフ・ベック、ロッド・スチュアートなどなど、ヤンチャな爺様(^^;)がたくさんです。
ぼくも死ぬまでやりたいように生きてゆきたいです。


そしてこの日(6月第3日曜)は父の日でもあります。
世界中で統一されていると思いきや、国によって父の日は違うんですね。
数日前からなぜか亡き父を思い出すこと多くなっていたので、今日はその話を書き留めておきたいと思います。


ぼくの父は20年以上も前に50歳台で亡くなりました。
父の仕事は法律関係で、事務所を構えてそれなりに仕事をしていたようです。表面的には法曹関係の端くれということで社会的信用もありましたが、どうやら思うように好き放題生きたようです。
酒飲みで(しかも飲まれるタイプ・・・汗)、気ままで強情で頑固な損得勘定のできない義理人情を重んじる古いタイプで、良くないところは遺産としてありがたく受け継いでいます(^^;)
ただ、ぼくもそれなりに人生経験を重ねて来た今では、なんというか、尊敬しています。


事務所開業当時はまったくお客がこなかったけれど、仕事ぶりが認められて次第に繁盛、ぼくがまだ幼稚園に行っていたころは事務員さんが5~6人もいて、よく遊んでもらっていた記憶があります。それがなんでこんなに没落、いやいやビンボー事務所に?、などという、ムスコでもなければ聞けないようなシツレイきわまりない質問に、
「あのな~、とーさんの友達がな、『助けてくれ』っていうから連帯保証人になんたんじゃ。そしたらそいつの借金を肩代わりしないといけないハメになってな~ハッハッハ(月給2~3万の時代に7ケタ肩代わりして貯金がスッカラカンになったそうです・・・) なんでかって?だって助けてくれって言ってきたから。。。」
ハッハッハじゃねえよ、オヤジ。。。法律屋が「連帯保証人」になっただって??? いくら困ってるからっていって、人が良すぎやろ~ でもまあそういうところ、キライじゃないです。


ぼくは、わが家はそんなに裕福ではないことを自覚していました。こどもごころにも「もうちょっとお小遣いが欲しいな~」と思っていたのですが、ある時父に「なんでウチはビンボーなん?もっとお客さんから料金を貰ったらいいのに」と尋ねたことがあります。その時の答えが「うちにはいろいろ事情があって困っている人がたくさん来るだろう?そんな人からお金は取れないよ」。
自分が恥ずかしくなった一瞬でした。


お酒が好きで、酔い方はハッキリ言ってロクなもんじゃなかったけど、父の知人がこんなことを教えてくれました。
「君のお父さんは飲むのが本当に好きで、飲めるとなったらいろんなところへ行っていた。羽振りの良い時代は、ある時は高級なお店かと思えば、つぎは、いわゆる『』と言われているところの中のこぎたないお店。どこへでも行っていた。でも、飲む相手やお店に序列を付けたことはなかったよ」
息子としては、酔ってクダを巻かれることはイヤだったんだけどな~。でもさすが柔道も剣道も有段だけあって、一度竹刀を持った酔った父にバットを持って飛びかかっていったことがあったけど、あっさり負けました(^^;)


ひとつ違いの姉が小学校に入学した時に学習机を買って貰ったんです。ところが、「机を買う時は姉弟一緒に買ってやる」と言った父の言葉を覚えていたぼくは怒り心頭に達し(^^;)、即座に家出を決行(←ちなみにこの短気なとこも父譲りです)。
近くの公園などをウロウロしていたんですが、当然行くところもなく、お腹もすくし、あたりは真っ暗で不安になるしで、とりあえずノコノコ家へ帰ったんですね。でも玄関を入る勇気がないもんだから、裏口の壁にもたれて所在なさげにしていたら、父が出てきてすごい剣幕で裏の物置きに引っ張って行かれ、柱にロープで縛りつけられました。
強情にふくれっ面しているぼくに父は、「なんでこんな遅くまで外をほっつき歩いていた!!!」と怒鳴りつけます。ぼくは、「お姉ちゃんに机を買う時はぼくも一緒に、と約束したのに」と言いながら、なぜか悔しくてたまらなくなって、途中から大泣きしたことを覚えています。
ぼくの言い分を聞いた父は、黙ってロープをほどいてくれました。
翌日幼稚園から帰ったら、新しいぼくの机がありました。
このことは一生忘れないでしょう。


父の葬儀後、母(父の再婚相手です)から「実は、あなたたちにもうひとり姉がいる」と打ち明けられてビックリ!嫌悪感を抱くより「ふ~ん、オヤジもなかなか・・・」と思ってしまったのですが、事情を聞いてさらに「ふ~ん・・・」
「ずっと昔、妊娠中に婚約者に逃げられた女性の面倒を見て、出産後は自分の子でもないのに認知までしていた。理由は、その女性が困っているから、ということだけ」「その女性は今は別な方と結婚していてうちとは没交渉だけど、その子にも当然遺産の相続権はあるから、もし急にうちに遺産の件で来た時に驚かせてはいけないから今言っとくわ」
ほんとに損も得も関係ないんだな、オヤジは。でもその生き方、キライではないです(^^)


晩年は深酒がたたって体はボロボロ。仕事も気が向かないとしなかった。
法律の世界で今の資格を取った時の成績が中国五県の上位5位、というのがひそかな自慢で、のちに「君のお父さんの仕事ぶりは、お父さんの職種の中ではトップクラスだった。あれだけ仕事のできる人はいなかった」とある方に教えていただきました。
仕事ができることをひけらかすようなことは一度だってなかったけれど、誇り高い人なのは知ってたよ。家ではチャランポランな姿しか見えてなかったけど、父ちゃん。すごい!(^^)


いつも、「同じ年齢の時の父はどうだっただろう」なんてことを思うんですが、一度として「オヤジを超えた!」と思えたことはないです。
規格外れの父でしたが、やっぱりその存在は、ぼくにとっては大きいですね。
欠点は見事に受け継いでしまっていますが、男としてカッコイイところ、これをなんとか受け継ぐことができるように、なれるかな。。。


やっぱりオヤジはぼくの誇りです。





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コメント (2)
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