ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

4年ぶりの・・・

2010年12月07日 | 自分のライブで
 
 ふと気づくと、サイドバー上のカウンターが30万を超えている!
 覗いてくださっている皆様に改めてお礼申し上げます。
 記事の更新頻度もヨタヨタになってしまったこのブログですが、常に毎日結構な数のアクセスが記録されていて、本当に恐縮の極みです(^^;)。
 このままヨタヨタと書き続ける所存ですので、今後とも生温かく見守ってやってくださいませ。


 閑話休題


 演奏活動をしている人ならだいたいがそうでしょうけど、ぼくも自分の演奏をMDに録りためています。たいていメンバー、場所、そして年月日などのクレジットを記録しているのですが、いま棚を見てみると、2007年以降のものがない。ステージから遠ざかってもう4年になっていたんですね・・・。
 

 5年前に体調を崩しました。
 病名を告げられる直前は、演奏後ほとんど必ず頭痛と吐き気に襲われ、帰りの運転もままならないありさま。やっとのことで家にたどり着くものの、そのまま玄関に倒れこんだまま身動きできなかったり、吐いたり。
 通院しても事態は好転せず、それでも弾き続けてはいましたが、この頃はもう10分間弾き続けられるかどうかが限界でした。最終的に当時のドクターからは、「ストレスは大敵。楽器を弾くのは休みなさい」と言われてしまいました。


 衰えることが恐ろしかったので、ベースを弾くことを止めるという選択肢はぼくの中にはなかったのですが、あまりのしんどさにとうとうドクターの言う通り楽器を置いてしまいました。たしかにこれでムリな演奏活動から逃れられたかに思ったのですが、逆にそれまでの「弾き続けなければ」という張りつめた気持ちまでがプツンと切れてしまったんです。同時に立ち直る体力も気力も失せてしまい、楽器はホコリをかぶるがままになっていました。


 たまにベースに触ってみてはいたのですが、練習を止めてしまったせいで指は動かないし、グルーヴ感は無くなっている。それどころか「アイデアやイマジネーションが湧いてこない状態」に陥ってしまっていたのです。
 指の動きは練習で回復できるけれど、鈍った感性はどう取り戻したらいいのだろう・・・。好調の時と比べるとその当時の自分の音は情けないほど貧弱で、自分の衰えを目の前に突きつけられた気がしたものでした。みじめでした。
 ただただ辛く、「こんな音はチャージを払ってくださっているお客さんには聴かせられない。もう潮時かもしれない」との思いから、人前で演奏することはあきらめるに至りました。
 そのうえ、支えだったボスである有末佳弘さんの死。涙も出ないくらいの衝撃でした。その痛みはいまだ引きずっているほど大きいものです。この精神的打撃でとうとう楽器に触れることすらやめてしまいました。お通夜の席で、有末さんの奥様に「MINAGIさん、必ずまた演奏してくださいね」と声をかけてもらったのに、ぼくは弱々しく笑うことしかできませんでした。


 決して音楽を嫌いになったわけではなかったのですが、ここ数年は、感覚がすっかり鈍ってしまったというか、音をじっくり聴きこむことにすら消耗を余儀なくされる状態だったんです。何を聴いても何も響いてこない、心が枯渇した状態、とでもいうのか、それとも、音楽を聴くこと自体が苦痛、というか・・・(不思議とキング・クリムゾンだけは聴けた)。音楽だけでなく、DVDを観ることも本を読むこともしんどい状態でした。今になって思い返すと、細々と綴るこの拙ブログだけが気持ちのはけ口でした。
 ところが今年の春頃に、どういうわけか再びピアノに触ってみようという気になりました。あくまでイタズラ弾きとして気楽に遊んでいたんですが、それが結果的に良かったのかな。


 先月半ばには何年ぶりかで楽器の弦を張り替えてみたんです。
 ウッドベース弦はお店に在庫がなかったので、アコースティック・ギター、エレキ・ギター、エレキ・ベースの弦を買いました。
 張り替えると弾いてみたくなるのが人情。それまで何度も自分の衰えた音を聴いては辛い思いをしていたはずだったのに、懲りずにオソルオソル弾いてみると・・・、なんと、どう説明したらいいのか、つまり「生きた音」が出たんです。知らず知らずのうちに、ピアノを弾くことで感覚を取り戻していたのかなぁ。


 その数日後、なんの偶然か「有末佳弘3周忌追悼ライヴ」のお誘いのハガキが届きました。
 少し迷いましたが、「(筋力の衰えがひどいためウッドベースはまだムリだから)一応エレキ・ベースは持っていこう。しんどかったらおとなしくしておこう」と決めて、出席の返事をさせて頂いたんです。


 そして迎えた12月4日。場所は神戸市中央区にあるライヴハウス「ホリーズ」。
 企画は、ベーシストの宗川信さんと、有末さんの生徒さんで、今は姫路を拠点に関西方面で活躍している名定澄子(pf)さん。ホスト・バンドには三浦敦子(pf)、宗川信(b)、鈴木久美子(sax)、高野正明(drs)の各氏。みな有末さんとゆかりのあるミュージシャンです。

     
     ライヴ・ハウス「ホリーズ」の外観。


 神戸ルミナリエで賑わっている週末ということで、駐車場確保のために早めの神戸着。昼間は久しぶりに三宮センター街や元町通り周辺などをブラブラしましたが、さすがにカップル率高し!(T_T)(羨) あとはブーツの女性と、オシャレな40~50代の女性が目につきました。


     
     久々のJR三宮駅。

     
     賑わう元町通り。

     
     クリスマスの雰囲気満々の南京町。

     
     北野坂。有名なジャズの老舗ライヴ・ハウス「ソネ」があります。


 5時半頃「ホリーズ」に入り、6時にステージ開始です。
 ホスト・バンドの演奏のあとは、食事タイム。しばしの歓談のあと、ジャム・セッションが始まりました。
 ぼくはうわべは平然としてましたが、昼間人混みの中を長時間うろついていたせいで(ストレスからだと思うけど)頭痛が起こり、テンションは下がりっぱなしでした。おまけに久しぶりに人前で弾くかもしれないという緊張から、少し震えていたかもしれません。
 そんな時に名定さんが声をかけてくれました。「MINAGIさん、弾きませんか」


 ぼくはついにステージに戻りました。
 4年ぶりでした。
 有末さんの奥様は涙ぐんで喜んでくださいました。 
 下に貼ったのは、その時の演奏です。曲は、マット・デニス作の名バラードで、有末さんのお気に入りのひとつである「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」。
 三浦さん、高野さんともに、関西で活躍している実力派ミュージシャンです。4年ぶりの演奏がこういう素晴らしいミュージシャンとの共演、もったいないくらいです。




※イヤホン、またはヘッドホンを繋ぐと鮮明に聴けますよ



 そして、この12月4日は、有末さんの命日でした。



     
     ワタクシです(b)

     
     高野正明(drs)

     
     三浦敦子(pf)

     
     神谷友紀(vo)




 ベースはまだまだ不安定ですが、語りたいことが楽器からこぼれ出してきているようです。
 イマジネーションが枯れてしまっていたかつての自分からは想像もできません。
 今の時点の自分のすべては出せました。今はそれだけで満足です。
 ここまで戻れたんだなぁ。長かった。


 本格的な復帰に向けての、小さいけれど重い一歩が踏み出せた、と信じたいです。


 文字通り命がけで難病と闘っている大分在住の友人が、夢だったライヴ・ハウスの経営をもうすぐ実現させそうです。
 「オープンしたら弾きに来てください」、そう言って頂きました。
 ベースを持って、必ず行くつもりです。
 ミュージシャンは、お呼びがかかればそこがイラクだろうと北朝鮮だろうと、喜んで行かせて頂くのです。



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コメント (10)
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