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ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

竹田の子守唄

2010年05月01日 | 名曲


 
 5連休ですね~(^^)
 天気も良いようだし、リフレッシュせねば!
 とりあえず今日は朝から
 洗車→給油→散髪→病院→レンタルCDショップ→プリンターのインク調達→昼ご飯の買い出し
 と動き回り、昼からは「夜の大捜査線」を観ておりました。1967年の名作刑事ドラマですね。


 いや~、この1ヵ月はよくツブれずに働いた!(よく働いたのはこの1ヵ月だけじゃないけど・・・)
 なんとか頑張れているのはすべて周りで支えてくれている人たちのおかげです。職場の「天敵」もいなくなったし・・・(^^;) まあ、天敵はどこにでも一人はいるもんなんですけどね。
 天敵に対抗するには、うまく受け流すすべを身につけるか、相手よりも自分が大きくなるか、でしょうか。同レベルで張り合っても腹立たしさが増すばかり、ましてや相手が変わるなどということはありえませんから。ま、「アホは相手にしない」、これにつきまるかな。ここ数年でこのことがようやく体で分かってきたような気がします(自分が一番のアホだったりして・・・)。


 閑話休題


 最近、「翼をください」にハマッていた時期がありまして。
 去年だったかな、川村カオリさんが亡くなったのは。彼女がブレイクしたのが「翼をください」のカヴァーだったんですよね、たしか。それでオリジナルの『赤い鳥』ヴァージョンを聴いて、改めて「いいなぁ~~」と思ってたんですよ。
 『赤い鳥』は村上"ポンタ"秀一氏(ドラムス)や大村憲司氏(ギター)も加わっていたことで知られるグループで、、のちに『ハイ・ファイ・セット』と『紙ふうせん』に分かれましたが、どちらも美しい歌声を聴かせてくれましたよね。
 さて、その赤い鳥版「翼をください」のシングル・レコードにカップリングされていたのが「竹田の子守唄」なんですね。
 
 
 もともとは、『赤い鳥』がメジャー・デビューする前の1969年に発表したシングル「お父帰れや」のB面に収められていました。
 そもそもは、奈良の被差別を描いた住井すゑさんの小説「橋のない川」が舞台上演されることになり、その際に尾上和彦氏が音楽監督を依頼されたことに始まります。尾上氏は、内に伝承されてきた曲をモチーフにすることを思いつき、京都市伏見区の竹田地区を訪れて一人の老婆からある曲を聴かされました。これを採譜したものがベースになって、徐々に広く歌われるようになったようです。当時ははっきりしたタイトルはなかったらしいのですが、竹田地区で取材したことから、「竹田の子守唄」という題に落ち着いたそうですね。
 解放同盟竹田深草支部の合唱団がこの曲をレパートリーに入れていて、それを聴いた関西フォーク界の面々が自分たちでも歌い始め、さらにそれを聴いた『赤い鳥』のリーダー・後藤悦治郎氏がレコーディングしたことで一気に世間に浸透したようです。
 高石ともや氏、森山良子氏、加藤登紀子氏など、フォーク界の大御所がこぞってとりあげていたことでも知られていますね。


 いわゆる「子守唄」には二通りあるらしいです。
 ひとつは、泣いている赤ん坊をあやしたり、寝かしつけたりする時に歌われるもの。もうひとつは、「子守りをしている人」が歌うもの。これは「守り子唄」と言われ、厳密には子守唄とは区別されるものです。後者(守り子唄)はあきらかに労働歌の一種だと思われますね。
 「竹田の子守唄」は「守り子唄」です。あやしている赤子が泣きやんでくれないので、子守り奉公をしている子が困り果てて歌っているわけですね。


 曲の内容は、今や広く知られていますが、いわゆる「問題」に関わるものだとされていて、放送禁止指定(これ自体別に国からの強制ではなく、いわば局による自主規制の色合いが濃いみたいです)こそされていませんでしてたが、実質的には、「がらみでオン・エア不可。解放同盟の見解では、唄の作られた理由や背景などをよく理解してくれればオン・エア可、しかし実際には理解は不可能なので」オン・エアはNOとされているそうです。
 差別を教えることで差別を知ることになり、それがさらに差別を生む、という意見がありますが、ぼくはその考えには疑問を持っています。過去を振り返って過ちを正し、より良い未来を作っていくことが歴史を学ぶ意義のひとつだと思っているので、タブーに触れることは、無知が生む忌まわしい出来事を防ぐことに繋がるんじゃないかな、と思うのですが。。。


 後藤悦治郎氏は、「竹田の子守唄」が大分県竹田市に伝播するものだと思っていたそうです(ただし大分の竹田の読みは『たけた』)。ぼくの周りの歌い手さんもそう勘違いしている人がわりといますね。
 また曲の背景を知ったテレビ局が、あとであわてて自主規制に走った、という話も聞きました。


 

 
 『赤い鳥』は、1969年の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでグランプリを受賞しました。この時、一緒にコンテストに参加していた財津和夫氏や、小田和正氏などが、この曲を聞いたとたん「負けた」と白旗を掲げた、というのは有名な話ですね。
 1971年には「翼をください」との両面シングルとして再発され、ミリオン・セラーとなりました。
 とにかく平山泰代さんと新居(現姓山本)潤子さんのダブル・ヴォーカルは素晴らしすぎます。美しいとか、きれいだとか、そんな言葉では表せきれないですよね。どこか霊的というか、音楽の神様が舞い降りてきているというか・・・。とにかく日本ポピュラー音楽界の宝のひとつであることには違いないと思います。
 
 
 「歌」には政治的、社会的問題を取り込むことのできる大きな器があると思うのです。その力を利用することには異議は唱えませんが、歌に込められたものを意図的にミス・リードして、自分の都合の良いことだけを拡大流布することには絶対反対です。
 この「竹田の子守唄」の持つバックボーンも、ただ単にタブー視するだけではなくて、少なくとも正しい知識を取り込むきっかけにはしたいものだと思います。
 音楽は原子力や火薬などと同じく、有効に利用すれば素晴らしい力を発揮できるものだと思うのです。


 「竹田の子守唄」も何度も演奏したことがありますが、一番印象に残っているのが故・有末佳弘さんとデュオで行った演奏です。
 ある日、スタジオで簡単なCメロ譜(メロディーとコードだけが書かれた楽譜)を渡され、「ちょっと演ってみよか」ってな調子で演奏した音源が残っているので、下に貼っておきますね。興味のある方はぜひどうぞ(^^)。
 アレンジは有末さん。リハモナイズ(コードの再編)を施し、たっぷりソロのスペースも取っています。
 前半のダークな感覚と、後半の一筋の光が差し込むような感覚の対比がとても印象的だと思います。正真正銘のワン・テイク目なので、途中に指示を出す有末さんの声が入っています。
 
 
 
[歌 詞]


竹田の子守唄 
  ■歌・演奏
    赤い鳥
  ■シングル・リリース

    1971年2月5日
  ■作詞・作曲
    不詳(日本民謡)
  ■チャート最高位
    1971年オリコン週間チャート22位


「竹田の子守唄」 赤い鳥
「竹田の子守唄」 有末佳弘(piano)、皆木秀樹(bass)
 
 
 
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コメント (12)
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