ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ダンス・パーティー

2008年11月05日 | ネタをたずねて三千里
          ♪ダンスパーティー
 

 今日、ひさびさにダンス・パーティーのお誘いがありました。まだ体調が万全でないぼくにはちょっとムリなので丁重にお断りさせて頂きました。しかし※十年前というと、秋の声を聞く頃からはダンス・パーティーの数が増えてきた記憶があります。ぼくの学生時代はどこもそんな状態だったようです。ぼくの記憶でも、ダンパはとくに11~12月に集中してたみたい。今は、ぼくの周りではそれほどでもないみたいですけどね。


 高校2年の時に社会人のジャズ・オーケストラに加入して半年ほどたった頃でしょうか。秋も深まりつつあったその頃に、当市の国際ホテルで催された大掛かりなダンス・パーティーがありました。当市のジャズ好きの店が十何軒も集まって主催していたもので、400人級のホールがギッシリ満員になるという、当市でも一、二を争う賑やかなパーティーだったんです。そのパーティーのバンドに呼ばれたのが好奇心満々な17歳のこナマイキな若僧ベーシスト(註…MINAGI)を抱えたC.H.オーケストラでした。


 ディスコからジルバからロックンロールなど、ソシアルなものよりポピュラー・ダンスに重きを置いたパーティーで、参加者も主催のお店のお客さんが主体の、ちょっとカジュアルな雰囲気で、お店(クラブとかラウンジなど)の女の子もたくさん来るという情報を耳にしたぼくは、ガゼン張り切るのみだったのでした~


 バンドからは黒のダブルのジャケットとグレーのスラックスというユニフォームが支給されていました。本番当日は土曜日だったにもかかわらず(当時土曜は半日授業でした)、朝からそのダブルのジャケットを着込み、慣れないネクタイなんかして、ハード・ケースに入ったエレクトリック・ベースを抱えて電車に乗り込みます。なんのためらいもなく学校をサボッたわけですね(^^;)。ジャケットの内ポケットにはカッコつけて煙草を忍ばせて・・・(汗)。ぼくにとっては初のダンス・パーティーですから、耳にすること目にすることすべてが興味シンシンなんですよ~


 演奏は3セットだったと思います。バンドが休憩中は別のチェンジ・バンドが代わって演奏するってわけです。
 ぼくらが休憩中、ぼくらのバンマスがやってきて、ある美人のおねいさんに「こいつと踊ってやってくれないか」と紹介してくれたんです。ニッコリ笑ってOKしてくれたお姉さん(クラブのホステスさんだった)、最初に踊ったのがなななんとチークだったんですよ。満足にステップも踏めず、ダンスにまるっきり慣れていないぼくにいきなり艶かしいチークですと!文字通り頬と頬をくっつけるダンスですからふたりが密着しないと格好にならないわけなんです。ところがお姉さんはシルクかなにかのサテン織りという、抱き合うと体のラインがモロに感じられる薄手のドレスを着てたもんですから、緊張して舞い上がっていたぼくの腰が引けちゃって・・・・。このナサケナイ踊りがぼくのダンス・デビュー(というほどたいしたものじゃないけれど)だったのでした。


     
     こんな感じのサテンのドレスでした~♡


 この時の演奏、何を弾いたかよく覚えてないんですが、チークにメロメロになって、彼女にいいところを見せてやろう、と力が入りすぎたような気がします。
 バンドは「メイナード・ファーガスン」と「カウント・ベイシー」の熱心なフォロワーだったため、その2バンドの曲を主に演奏したんじゃなかったかな。あとは映画音楽とか、踊れる4ビートとか。これが学校以外で人前で演奏した始めてのことなのかもしれません。
 

 あ、チーク・ダンスをしてくれたお姉さんからは電話番号をGetしましたよ。昼間は教育関係の出版社に勤めている、というので、学校サボッて電車に乗ってはお昼ご飯を一緒に食べるためにいそいそとそのお姉さんのところへ当分通ったような記憶があります。よくバチが当たらなかったな~(^^;)


 なんていうダンス・パーティーの楽しい思い出でした。
 その後もたくさんダンス・パーティーに演奏者として参加しましたが、お客さんとお近づきになったのは「チークの君」くらいなものでした。むしろホテルや会場のスタッフの女の子やMCさんと仲良くなったことのほうが多いですね。同業者、という共通項があったから打ち解けやすかったんでしょうね。


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コメント (6)
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