ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

自分の中の尾崎豊

2005年07月27日 | ミュージシャン




 尾崎豊にはコアなファンが多いというイメージがあります。
 「彼らの人生の一部は『尾崎』である」、と言っていいかもしれないくらいです。
 だから、とくに深く聴き込んだ訳でもないぼくが「尾崎」について語るのは、なんだか申し訳ないような気もするのです。
       

 ただ、ぼくの中の「尾崎」は、ぼくにとってどのようなものかを話すことはできます。ここのところ「尾崎」話が続いて申し訳ないけれど、先日のライブで触発されたところもあって、今日は少しそのあたりを書いてみることにします。


☆正直、最初尾崎を聴いた時は、とても重かった。しかし、重いということは自分の内部を突かれているような気がしたからでもあったことに、かなり後で気づきました。重いと同時に、無意識に大きな共感を覚えていたのでしょう、きっと。


☆尾崎豊は、「鶴の恩返し」の鶴だと思っています。鶴が自分の羽をむしって機を織ったように、尾崎は自分自身をえぐり出して、自分の作品にしている、と。


     


☆白状しますが、かつてカラオケで「I Love You」を歌っていた時、不意に涙がこぼれて止まらなくなったことがあります。


☆激しい歌詞の曲もありますが、決して世間に背を向けているわけではないのですよね。


☆自分の内臓までさらけだして、もがき、のた打ち回っているような、そんな想いを感じます。


☆メッセージには「啓蒙」と「代弁」があると思いますが、尾崎は明らかに後者です。それも、「代弁者」であろうとしているのではなくて、自分をさらけだして大勢と痛みを分かち合ったからこそ圧倒的な支持を得られたのでしょうね。




コメント
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