ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ポール・マッカートニー (Paul McCartney)

2006年05月31日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト52


 ちょっとした勢いで、ポール・マッカートニーのベスト・アルバム『夢の翼 ~ヒッツ&ヒストリー(Wingspan)』を買ってみました。
 ビートルズ解散以降のポールのヒット・ナンバー19曲と、ポール自身がセレクトした22曲の、2枚組CDです。
 ビートルズ時代を含めて、ポールの作品は今までに何度も何度も繰り返して聴いてきたので、多少飽きがきたかもしれないと思っていたのに、こうして年月をおいて聴き返してみると、やっぱりカッコよく聴こえます。改めて、ポールの曲は素晴らしいものばかりだということを再認識しました。


     
     『夢の翼 ~ヒッツ&ヒストリー』
     (Wingspan Paul McCartney Hits And History)


     




 言うまでもないことですが、ポールは本当に優れたメロディー・メイカーですね。彼の書くメロディー・ラインは、起伏に富んでいて、非常に美しいものばかりです。
 そしてポールの作品には、聴き手が思わずハッとさせられるような、効果的な「仕掛け」が多いですね。曲の中にシャレっ気と遊び心にあふれているのがよく分かります。サービス精神旺盛なポールのことですから、リスナーを思い切り楽しませようとしてくれていることの表れなのかもしれません。


     


 ぼくは、ポールの作曲能力は、20世紀に現れたポピュラー音楽界の数多い作曲者の中でも10指に入るんではなかろうか、なんて勝手に思っているのです。
 バラードには、品の良いほどよい甘さと、センチメンタルなムードが湛えられています。 
 ハードな曲では、R&RやR&Bをルーツとしているのがよく分かるノリの良さがあります。
 アコースティックなフォーク調の曲では、ほんのりとした温かみがあります。
 また、曲にクラシカルな味付けを施すこともしばしばです。
 そして、これだけ多様な曲を書いても、「ポールの色」が損なわれることはありません。


     


 ベーシストとしては、メロディックなベース・ランニングとノリのいいプレイには定評のあるところだし、ベース以外にも、ギター、ドラムス、ピアノなどをこなして、マルチ・プレーヤーぶりを発揮しています。
 また、ヴォーカリストとしても超一流ですね。
 甘いバラードからヘヴィなハード・ロック、ブルージーなナンバーまで幅広く歌い上げています。とくにぼくが好きなのは、ビートルズ時代の「オー!ダーリン」です。この曲の物凄いシャウトで、ぼくは「ヴォーカリスト・ポール」のファンになってしまったんです。


     


 成功を手中に収めても、それに固執して保守的になってしまうことはなく、いつも新しいスタイル、新しいツールを積極的に取り入れようとしてみる貪欲さも伺えます。好奇心が旺盛で、つねにクリエイティヴなのでしょうね。


 ポールの作品の根底には、聴き手を明るく、ハッピーにさせる何かがいつも流れているような気がします。聴いているうちに、部屋がポカポカと暖かくなってくるような錯覚に陥るほどです。


     


 ぼくの好きなポールの作品は、ビートルズ時代は別にすると、
 「あの娘におせっかい」、「レット・ミー・ロール・イット」、「グッドナイト・トゥナイト」、「バンド・オン・ザ・ラン」、「ジェット」、「ハイ・ハイ・ハイ」、「ヴィーナス&マース~ロックショウ」、「メイビー・アイム・アメイズド」・・・、きりがないですね。(^^;)


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ユーライア・ヒープ (Uriah Heep)

2006年05月24日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト51


 ユーライア・ヒープ。
 1969年のデビュー以来、今年で実働38年目(!)。未だに現役でハード・ロックを追求し続けている長寿バンドです。
 解散の危機は何度もあったようですが、唯一のオリジナル・メンバーであるミック・ボックス(g)が、必死でバンドを維持し続けて今に至っています。
 永遠の不良はストーンズだけじゃない、って感じですね。


     


 レッド・ツェッペリンとディープ・パープルがブリティッシュ・ハード・ロックの双璧として君臨していた頃、それに続く位置にいたバンドが、ブラック・サバスや、ユーライア・ヒープでした。
 ぼくは、ハード・ロック・バンド特有のハッタリの多い言動があまり好きではなかったので、それらをやや敬遠していたんです。でも、そのうちクィーンやエアロスミスなどの新興バンドのレコードをよく聴くようになってからハード・ロックに対する「聴かず嫌い」がだんだん消えてゆきました。


 その頃、仲の良かった地元のレコード店の店員さんたちが作っていたロック・バンドが、このユーライア・ヒープの曲をレパートリーにしていたんですが、これがぼくがユーライア・ヒープを聴き始めたきっかけになったんじゃなかったかなあ。リアル・タイムで聴いたわけではなかったのですが、このユーライア・ヒープというバンド、ぼくにとってはけっこう衝撃的でした。
 最初に聴いた曲が「七月の朝」。この1曲でいっぺんにヒープにマイってしまった感じです。10分30秒以上の大作なんですが、メロディー、構成、アレンジの全てがカッコ良く感じられたんです。
 なかでも間奏のオルガン・ソロが好きで、それをコピーして、レコードに合わせて弾いて遊んでいましたね。


     


 ユーライア・ヒープの特徴は、まず曲がメロディアスなことでしょうか。ヨーロッパのバンド特有の暗くて重々しい曲調のものが多いのですが、メロディーは親しみやすい曲が多いのです。構成もドラマティックでカッコ良い。そしてクラシカルな雰囲気の重厚なコーラスと、ヴォーカリストのデヴィッド・バイロンのハイ・トーン・ヴォイス。そしてケン・ヘンズレーの弾くハモンド・オルガンを前面に押し出したヘヴィなサウンド、といったところです。
 ただ、変わっているというか、ユニークなのは、ハード・ロック・バンドでありながらギター・ソロがあまりないところでしょう。逆に言うと、オルガンがサウンドの重要な柱だったということが言えるのでしょうね。


     


 ぼくの思い入れが強いのは、デビューから、ヴォーカリストのデヴィッド・バイロンが脱退した1976年までのユーライア・ヒープです。この頃のメンバー、バイロン(vo)、ミック・ボックス(g)、ケン・ヘンズレー(keyb,g)、ゲイリー・セイン(b)、リー・カースレイク(drs)のラインナップが、自分の中でのヒープのベスト・メンバーです。
 この頃のユーライア・ヒープの曲でぼくが好きなのは、
 「ジプシー」「レイン」「安息の日々」「魔法使い」「スウィート・ロレイン」「連帯」「サンライズ」「幻想への回帰」などです。
 ライヴで聴くことのできる「ロックン・ロール・メドレー」も、とてもカッコ良いものでした。
 初期のヒープはブラック・マジック(黒魔術)のイメージを積極的に曲に持ち込んでいたので、タイトルには「魔法」とか「悪魔」などの文字が目立ちますね。


    
 『対自核』(1971年)        『悪魔と魔法使い』(1972年)


    
 『魔の饗宴』(1972年)      『ユーライア・ヒープ・ライヴ』(1973年)



 ユーライア・ヒープはメンバー・チェンジがとてもひんぱんです。
 1980年にサウンドの一方の柱であるケン・ヘンズレー(keyb,g)が脱退してからは長い低迷期に入り、一時はバンドは解散状態になったこともありましたが、ただひとり残っていたオリジナル・メンバーのミック・ボックス(g)がバンドを維持させるために奮闘を続け、1980年代後半にはついにメジャー・シーンへの復活を果たします。
 その後はメンバーも固定していて、サウンド的にも円熟したハード・ロックを演奏し続けています。


     
     現在のユーライア・ヒープ


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クリエイション (Creation)

2006年05月11日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト50(日本篇その14)


 去る4月1日に、元カーナビーツのドラムス兼ヴォーカリストのアイ高野が亡くなりました。
 ぼくは、グループサウンズ時代の高野氏のことは記憶にありません。むしろ、藤竜也や草刈正雄らが出演していたテレビ番組「プロハンター」の主題歌「ロンリー・ハート」を歌っていたことのほうが馴染み深いです。
 この「ロンリー・ハート」を担当していたグループが、1970年代の日本のロック・シーンに君臨していた「クリエイション」です。


     


 まだまだマイナーな存在だった70年代の日本のロック・シーンをリードし続けたバンドのひとつが「クリエイション」でした。
 とくに竹田和夫のギター・プレイは、ジェフ・ベックやジミー・ペイジらのハード・ロック・ギタリストを信奉するぼくの周りのギター小僧たちにも一目置かれるものでした。洋楽のギタリストと並んで、竹田和夫のギターをコピーしていた友人も何人もいました。
 当時の日本のロック・ギタリストと言えば、春日博文や森園勝敏、山本恭司、成毛滋、高中正義などが有名でしたが、竹田和夫はブルースを基盤にした切れ味鋭いハードなプレイで、その中でもひときわ存在感を醸し出していました。
 ちなみにクリエイションは、サディスティック・ミカ・バンドなどと並ぶ、積極的に世界進出を企図した日本のロック・ミュージシャンの先駆的存在でもありますが、彼らがオーストラリアでツアーを行った際、竹田氏のプレイに驚嘆した聴衆は、竹田氏に「FLASH」のニックネームを奉ったほどです。


     


 クリエイションの曲は英語で歌われる正統的なロックが多いのですが、のちにはメンバーにサックス奏者を入れたりして積極的に新境地の開拓に挑み、シティ・ポップやファンク、フュージョンなどの要素をも巧みに取り込んだ曲も作っています。
 当時流行っていたAOR路線をうまく取り込んだのが、彼らの代表曲のひとつでもある「トーキョー・サリー」や、大ヒットした「ロンリー・ハート」などです。
 また、郷ひろみなどが出演していたTBS系のTV番組「ムー一族」の主題歌「暗闇のレオ」や、人気プロレスラー、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンクの兄弟(ザ・ファンクス)が入場のテーマ曲として使っていた「スピニング・トー・ホールド」などはフュージョン色が濃いものでした。
 「スピニング・トー・ホールド」を聴くと、ブッチャーの繰り出す反則技で血まみれになりながら、最後は逆転勝利を収めるファンク兄弟の熱いファイトを思い出します。


     


 クリエイションが本領を発揮するのは、やはりブルースを基盤にしたハード・ロックにおいてでしょう。
 それらの曲は印象的なギター・リフを持ったものが多く、ブリティッシュ・ブルース・ロックの影響が強く感じられます。そのロック・スピリットがいかに強烈だったかは、彼らの音楽性を気に入った、あのクリームのプロデュサーでマウンテンのベーシストだったフェリックス・パパラルディが自ら加入を希望したということでも窺い知ることができますよね。


     
     F・パパラルディ(左)と竹田和夫


 クリエイションの曲の中でぼくが好きなのは、マイナー調のバラードとハード・ロックを巧くミックスした「フィーリン・ブルー」、場面展開のドラマティックな「ロンリー・ナイト」、怒涛のハード・ロックにアレンジした「タバコ・ロード」、シティ・ポップとヘヴィ・ロックを組み合わせた「トーキョー・サリー」、クリームやマウンテンにもひけを取らないハード・ロック「シークレット・パワー」などです。
 今聴くと、70年代ロックのアナログな雰囲気に満ちていますが、それでも当時の勢いとか、ロックにかけるガッツみたいなものを感じますね。
 良質のハード・ロック・アルバムも何枚か作っていますが、全裸の子供を使ったジャケット写真にはまったくタマゲましたね。


       
      『クリエイション』        『ピュア・エレクトリック・ソウル』
 


 メンバーの入れ替わりが激しかったクリエイションは1984年に解散しました。
 竹田和夫はその後もブルースをベースにしたロックを追求し続けていて、現在はロサンゼルスで活動を続けています。
 竹田和夫は今年1月にはニュー・アルバム「MOCHA」をリリース。また6月から7月にかけては来日し、栃原優二(Bass)、相良宗男(Drums)のメンバーでツアーを行う予定になっています。


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オリヴィア・ニュートン・ジョン (Olivia Newton-John)

2006年05月05日 | ミュージシャン

 
 今日は朝からオリヴィア・ニュートン・ジョンを聴いています。 
 爽やかな5月の朝に合う音楽をかけたかったので、オリヴィアの初期ベスト・アルバム(『アーリー・オリヴィア』)をCD棚から引っ張り出してきたんです。
 透明感のあるきれいな歌声が、澄んだ空気に気持ちいい。
 かつて朝の情報番組で流れていた『カントリー・ロード』が大ヒットしたこともあって、ぼくには「オリヴィアの歌には朝が似合う」というイメージがあるんです。
 オリヴィアは清楚な雰囲気に満ちた美貌の持ち主でもあり、ぼくはウットリしたものでした。
 彼女は、ぼくの子供時代のアイドルだったんです。
  

          


 1966年にイギリスでデビューしたオリヴィア・ニュートン・ジョンの長い歌手生活の中でよく知られているのは、ジョン・トラボルタと共演した映画『グリース』、ELOと共演した『ザナドゥ』、ダンス・ミュージックを大胆に取り入れた『フィジカル』などですが、ぼくが一番好きなのはアメリカでのデビュー(1971年)から『グリース』(1977年)以前までのオリヴィアです。
 初期はカントリー・フレイバーあふれる歌を歌っていたオリヴィアには、どこか土の香りのする、ナチュラルな雰囲気がありました。オーストラリア育ちで、動物好きということも、そのイメージに拍車をかけたのだと思います。
 デビュー当初は、ボブ・ディランの『イフ・ノット・フォー・ユー』やジョージ・ハリスンの『美しき人生』、クリス・クリストファースン作でジャニス・ジョプリンが歌った『ミー・アンド・ボビー・マギー』など、カントリー・アンド・ウェスタンにポップ・ロックをミックスしたような明るい曲が多かったような気がします。


          


 1970年代中頃には、ソフトでメロウな良質のポップスをたくさん歌っていますが、ナチュラルで透明感のある美しい歌声は、この時期の曲にとてもよく似合っているような気がします。
 とくに『そよ風の誘惑』は、タイトル通りやわらかな風かそっと吹き抜けていくような気持ちよさに満ちた名曲だと思います。
 少しせつなくて、より澄み切ったアコースティックなバラードの『愛の告白』も忘れることができません。


 ジョン・デンヴァー作の『カントリー・ロード』も、よくギターを弾きながら歌ったし、『ジョリーン』や『レット・ミー・ビー・ゼア』は深夜放送でよくオン・エアされていたような記憶があります。いずれも、オリヴィアのレパートリーの中では大好きで、よく聴いた曲です。
 当時は、洋楽女性シンガー・ファンの中では「オリヴィア・ニュートン・ジョン派」と「リンダ・ロンシュタット派」の二大勢力があり、雑誌などでもそのふたりを対比させる形で紹介している記事が多かったようです。
 ぼくは、最初はもちろん「オリヴィア派」だったのですが、どことなく悪女っぽくて、愛らしいタヌキ顔のリンダのこともすぐ好きになりました(もちろん歌も含めて、です)。
 今になって思いますが、われながら節操がないですねえ。。。(;^ω^)


          


 オリヴィアの祖父はノーベル賞を受賞したドイツの物理学者、マックス・ボーンであることはよく知られていますが、彼女が歌手活動のほかに動物愛護や環境問題などにも大きな関心を寄せているのは、こうしたことも無関係ではないのかもしれません。
 アメリカでは、社会問題にも積極的に発言する大スターは珍しくありませんが、オリヴィアのそうした姿勢も、まだコドモだったぼくの目には眩しく映りました。
 1992年には乳ガンの手術を受けてファンを心配させましたが、1994年には見事にカムバック。
 2000年のシドニー・オリンピック開会式で「Dare to Dream」を歌うなど、以後も着実に歌手として活動しているようです。
 年齢を重ねても、とても魅力的なオリヴィア。
 まだまだ彼女の歌を待っているファンも多いようですね。
 もちろん、ぼくもそのうちの一人です。


【2022.8.10追記】 2022年8月8日、オリヴィア・ニュートン=ジョンは、がんのため73歳で死去しました。

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ブライアン・ブロンバーグ (Brian Bromberg)

2006年04月24日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト48(海外篇その35)


 ベースを弾いていると、時々「好きなベーシストは?」なんていう質問を受けます。
 実は、以前は「好きなベーシスト」ってなかなかいなかったので、この質問の返事には、わりと困っていたのです。
 とくにジャズをやっていると、ロック系ベーシストの名(ジャック・ブルースやピート・セテラ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ポール・マッカートニー、ティム・ボガートなんかは好きです)を挙げると意外そうな顔をされたり、「ポール・チェンバースとかレイ・ブラウンなんかは好きじゃないんですか?」なんて重ねて訊かれることも多かったのです。チェンバースにしろ、ブラウンにしろ、偉大なベーシストには違いありません。でも、お手本になるベーシストと、好きなベーシストは、微妙に違っていたりするんですね。
 今では、好きなベーシストというと、ジャコ・パストリアス、ゲイリー・ピーコック、ロン・カーター、ミロスラフ・ヴィトウス、金澤英明、北川潔、そして、ブライアン・ブロンバーグなどの名前を挙げることができます。

 
 ベース弾きのはしくれとしては、見聞を広めるために、バックで鳴っているベースの音に集中してCDを聴いたり、時々はベーシストのリーダー・アルバムを聴いたりしています。
 そういう時に一番興味を抱くのは、そのベーシストの作り出す音楽ぼくの好みかどうか、というところです。
 対象がどの楽器でも言えることだと思いますが、例えば、演奏者がいくらうまくても、その音楽が心に響かないことがあるし、逆にとつとつとした語り口だけれども、とても味のある良い演奏になっている場合があります。
 ブライアン・ブロンバーグは、テクニックも凄いし、作り出す音楽もカッコいい。つまり、「うまくて、良い」のです。


 ブライアンは、ウッド・ベース、ピッコロ・ベース(ウッド・ベースのチューニングを高く設定したもの)、エレクトリック・ベース、エレクトリック・フレットレス・ベースなど、あらゆるベースを流暢に弾きこなします。
 アコースティック・ジャズ、エレクトリック・ベースを使った8ビート・16ビート系音楽、ウッド・ベースを使った8ビート・16ビート系音楽と、さまざまな音楽に取り組んでいます。


      『ウッド』 (2000年)   

      『ポートレイト・オブ・ジャコ』 (2002年)


 ブライアンの弾くウッド・ベ-ス、凄いです。凄すぎます。
 ブライアンのリーダー作の帯にこんなコピーが書かれています。「私はこのアルバムを聴いて三日間、ひざを抱えてしまいました(某ベーシスト)」
 このコピー通りでした。
 スピード感充分に弾きまくるブライアンのウッド・ベースは、カミソリのような切れ味、とでも言ったらいいのでしょうか。音がグイグイとうねりながら押し寄せてくるようです。そのうえそのフレーズの歌いまくること。強引な速弾きだけで押し通しているわけではないんです。


 エレクトリック・ベースを弾かせると、これまた超人的。まるで右手の指だけで10本あるんじゃないか、左手は人の倍速く動くよう生まれついているんじゃないか、と思えるほどです。スラップ、タッピングなど、特殊奏法も自由自在。
 ベースだけを多重録音して曲に仕上げる、なんてこともやっています。「ポートレイト・オブ・ジャコ」の中に収められている「スラング」という曲がそれです。強烈なグルーヴに乗って、華麗かつ驚異的なテクニックで音を積み重ねています。でも、決して無機質ではないのです。とにかく凄くてカッコいい。


     
     『ダウンライト・アップライト』(2006年)


 ブライアン・ブロンバーグは、テクニックと音楽性のバランスが見事に取れているスーパー・ベーシストなのです。
 ベースを好きな人には、ブライアンの世界もぜひお薦めしたいです。
 そういえば、5月に大阪ブルー・ノート(10~11日)と名古屋ブルー・ノート(12~13日)、6月にはブルー・ノート東京(11~14日)でライブがあるんですね。メンバーは、ジェフ・ローバー(Keyb)、デイヴ・ウェックル(Drs)、ゲイリー・ミーク(sax)です。
 うーむ、これは食指の動くイベントだなぁ~


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キャロル・キング (Carole King)

2006年04月08日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト46(海外篇その33)


 ロック一辺倒だった頃には分からなかったキャロル・キングの音楽の味が年々心地よく感じられる。


 10代~20代の頃は、シンガー・ソング・ライターの存在に対してはどちらかといえば地味な印象しか持てなかった。派手なギター・ソロとか強烈なビート、あるいはメンバーのスター性や演奏力などを前面に押し出してくるロック・バンドの方が華やかだったし、直情的で、なにより単純にカッコよく見えたからだ。


 ミュージシャンの個性とか、いろんな種類の音楽の味の違いなどが分かってくるようになると、「渋さ」や「濃さ」、「苦さ」、「暗さ」なども音楽には欠かせない味わいであることに気づくようになり、またそれらと「甘さ」や「親しみやすさ」をブレンドすることで、音楽というものはいっそうさまざまな表情を見せてくれる、ということをも知るようになった。そしてこういうことが感じられるようになった時が、カーペンターズとか、カーリー・サイモンとか、キャロル・キングなどの音楽の楽しさを再認識できるようになった時でもあった。


     


 いったんキャロル・キングの音楽の魅力に取り付かれると、それはもう離れ難いものになる。
 穏やかで温もりのあるソウルフルな歌声。自然なグルーヴ感。それらに加えて、自身の私的なできごとや想いをつづった歌詞が彼女の音楽をより身近に感じさせてくれる。
 シンプルだが練り込んだ感じのするアレンジ、味のあるバックの演奏もいい感じで、とても好きだ。
 そしてなにより素晴らしいのが、キャロルの作曲能力である。
 彼女の書く曲にはアメリカン・ポップスのエッセンスがぎっしりと詰まっている、といっていいと思う。
 キャロルの音楽のルーツは、やはりジャズやソウルやゴスペルなどの黒人音楽だろう。そしてそれらを極めて自然に咀嚼し、そのうえでラテンやポップスやファンクなど、さまざまな味付けをしながらも、流行に流されることなく「キャロル・キングの作風」をしっかりと保っている。もちろん「自身の個性や作風を保つ」ことはなにもキャロルに限ったことではなくて、偉大なミュージシャンは皆そうだろうと思う。


 キャロル・キングは、16歳で結婚した最初の夫君、ジェリー・ゴフィンとの共作で、1960年から63年頃にかけて20曲あまりの全米トップ40を世に送り出している。「ロコモーション」(リトル・エヴァ)、「アップ・オン・ザ・ルーフ」(ドリフターズ)、「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」(シュレルズ)などが有名だろう。
 その後、ビートルズ旋風によってビート・バンドがポピュラー音楽シーンの主流となったが、キャロルはこれに流されることなく自身の音楽を追求し続け、1970年代に入ると、あの名作「つづれおり」を発表、ジェームス・テイラーやローラ・ニーロなどと並んでシンガー・ソング・ライターの草分け的存在となる。
 1970年11月に発表したアルバム「つづれおり」は、302週(約5年10ヶ月!)にわたってチャート・イン、15週連続全米1位の大ヒットとなり、現在までに実に2300万枚のセールスを記録している。
 レッド・ツェッペリンは、名盤「4」のみ全米1位を逃しているが、それはキャロルの「つづれおり」をどうしても抜くことができなかったからだという。
 キャロルはこのアルバムの大ヒットで、1971年のグラミー賞を4部門で獲得している。


     


 キャロルが楽曲を提供したのは、ゴフィンとの共作も含め、リトル・エヴァ、ドリフターズ、ライチャス・ブラザーズ、エヴァリー・ブラザーズ、シフォンズ、シュレルズ、モンキーズ、ブラッド・スウェット&ティアーズなど多岐にわたっており、そのほかカーペンターズやジェームス・テイラー、アレサ・フランクリン、ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラック、ロッド・スチュワート、最近ではデビー・ギブソンなどもキャロルの曲を取り上げている。いかにキャロルの曲が幅広く受け入れられていたか、これだけでも分かろうというものだ。


 キャロルの曲を聴いているとなごむ。ホッとする感じだ。そして軽やかさが心地よい。また、バラードではしみじみと泣ける気がする。
 ぼくの好きなキャロル・キングの曲は、
 「ナチュラル・ウーマン」「ソー・ファー・アウェイ」「アップ・オン・ザ・ルーフ」「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」「小さな愛の願い」「ブラザー、ブラザー」「イッツ・トゥー・レイト」、そして「きみの友だち」などである。


 キャロルは1980年代以降はやや低迷していた(それでも発表した作品には佳曲が多いと思う)が、1990年にはロックの殿堂入りを果たしている。
 1999年には映画「ユー・ガット・メール」の主題歌「エニワン・アット・オール」がヒット。2002年には8年ぶりにアルバム(「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド」)も発表している。
 今年の2月で64歳になったキャロルだが、これからもまだ素敵な曲を歌い続けてほしいと思う。できれば来日なんかもしてくれたりすると嬉しいのだが。


     


 そういえばキャロルって、角度によればちょっと「大竹しのぶ」っぽく見えたりするね。シンガーとして活動している娘さんたち(ルイーズ・ゴフィンとシェリー・ゴフィン)にもキャロルの面影が色濃く出ている。
 ところで、ニール・セダカの大ヒット曲の「オー・キャロル」、これはキャロル・キングのことを歌ったものだとは知らなかった。ふたりは高校時代にドゥー・ワップ・グループをやっていたことが縁で、付き合っていたことがあったんだそうである。


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ローリング・ストーンズ (Rolling Stones)

2006年03月13日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト45(海外篇その32)


 1960年代の日本の洋楽ファンの中には、「ビートルズ派」と「ストーンズ派」の二大勢力があったようです。
 どちらも黒人音楽をルーツとしていることに変わりはないのですが、今聴き比べてみると、やっぱり全くカラーが違うんですね。当時の洋楽ファンが両派に分かれていたのも当然といえば当然なのかも。
 ぼくが洋楽を聴き始めた頃は、人気のあるバンドもたくさん存在していて、ファンが「ビートルズ派」と「ストーンズ派」に分かれる、なんてことはもうありませんでしたが、ぼくは言うなれば「ビートルズ派」でした。同じく黒人音楽をルーツにしていても、ビートルズの方がはるかにポップで洗練されていたように感じてたんです。
 ぼくがストーンズを聴くようになったのは、なんと20歳台も半ばを過ぎてからでした。われながらおかしいくらい異様に遅い「ストーンズ・デビュー」です。


     


 ロック・ミュージックを反体制の象徴のひとつとするなら、ストーンズなどはまさにその旗手と言えるでしょう。だからこそ怒れる若者たち、鬱積した心を抱える若者たちがストーンズを大きく支持した、とも言えるのかもしれませんね。
 「セックス、ドラッグ、ロックンロールがあればいい」、とはジャニス・ジョプリンが言ったとされている言葉ですが、まさしくこれはストーンズにも当てはまる言葉です。(歌詞にもキワドイものが多いですよね)
 ストーンズのことをよく「永遠の不良」なんて言いますが、ワルいことをするだけではただの「悪党」。「不良」はカッコよくなくちゃいけない。ストーンズからは見事な「不良の美学」みたいなものを感じます。だいたい60歳過ぎてもアツくロックし続けることって、ある意味最高に不良ですもんね。ぼくだって60歳過ぎてもベースをがむしゃらに引き続ける不良爺さんになりたいです。


 ローリング・ストーンズのデビューは1963年。バンド名は、彼らの尊敬するシカゴ・ブルースの大御所、マディ・ウォーターズの名曲、「Rolling Stone」に因んだものである、というのは有名な話ですね。ヴェンチャーズなどと並ぶ、世界でも有数の長命ロック・バンドでもあります。1989年には「ロックの殿堂入り」も果たしました。
 2003年には、あの「不良の中の不良」、ミック・ジャガーが「ナイト」の称号を受けました。時代は変わったんですね~。ロックやってる、というだけで不良扱いされた時代があった、というのがウソみたいです。


     


 1991年にベースのビル・ワイマンが脱退、今ではミック・ジャガー(vo)、キース・リチャーズ(g)、ロン・ウッド(g)、チャーリー・ワッツ(drs)の4人編成(ベースのサポートにダリル・ジョーンズ)となっています。
 チャーリーは、ジャズ・ドラマーとしても活動していますね。


     
     ビル・ワイマン在籍時のローリング・ストーンズ


 ストーンズはリズム&ブルースの影響を非常に強く受けていて、黒人音楽をリスペクトし、黒人になりきって演奏しようとさえしているのはよく知られていますよね。
 そして、ソウル、東洋音楽、サイケデリック、グラム・ロック、ディスコ、ニューウェイヴなどなど、その時々の流行をうまく取り込みながら、一貫してリズム&ブルースをベースにしたロックンロールを演奏し続けています。ストーンズの音楽って、耳だけで聴くものじゃない。体感するものなんですよね。
 ステージでのパフォーマンスもカッコいい! 単なるロック・バンドではなくて、ストーンズはすぐれたエンターテイナーなのです。
 昨年8月には、8年ぶりにアルバム「A Bigger Bang」を発表して、健在ぶりを示してくれました。


     
     Rolling Stones 「A Bigger Bang」


 ぼくの、ストーンズの愛聴曲は、
 「ホンキー・トンク・ウィメン」、「ブラウン・シュガー」、「ダイスをころがせ」、「悲しみのアンジー」、ほかには「アンダーカヴァー」だとか、「スタート・ミー・アップ」、「サティスファクション」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「愚か者の涙」などなど、ほんとにキリがありません。
 「アンジー」はよくフォーク・ギターで弾いて遊んでました。


 そのローリング・ストーンズがやって来ますね。
 3年ぶり5度目の来日公演です。麻薬常習の前歴などのために、彼らの来日は1990年まで日本政府から許可されなかったことを思うと、隔世の感があります。
 今回は、3月22日の東京ドームを皮切りに、4ヶ所・5公演。初登場の名古屋では、5万5千円のゴールデン・サークル席が発売当日に完売したそうです。
 このブログをご覧になっている方の中にもこのライヴに行かれる方が何人かいらっしゃるようです。ウラヤマシイ!ぜひぜひたっぷり「ローリング」してきてくださいね。
 ぼくも一度はストーンズのライヴに行ってみたいんですけどね。。。


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チープ・トリック (Cheap Trick)

2006年02月03日 | ミュージシャン


 『チープ・トリック』。
 このバンド、今年がデビューしてから30年目です。いつの間にか、大ベテラン・バンドの仲間入りをしてたんですね。


 ロビン・ザンダー(vo,g)とトム・ピーターソン(b)のふたりはとってもハンサム。
 対照的なのが、ギターのリック・ニールセンと、ドラムスのバーニー・カルロスです。
 キャップがトレードマークのリックはいつもおどけた表情だし、バーニーときたら、まるで雑貨屋のオヤジのような容貌。
 ハンサムふたりと、ユニークなふたりの対比が、とってもユーモラスなのです。
 しかし一見ヤサ男に見えるロビンですが、彼のヴォーカルは実にワイルドで、かつセクシー。ギターのリックやベースのトムのプレイの確かさには定評があるところですし、ドラムスのバーニーはタイトでずっしりと重いリズムを叩き出します。4人とも、実力のあるプレイヤーなのです。


     


 『チープ・トリック』は、まず日本で人気に火がついたバンドです。つまり、『クイーン』などと同じパターンなんですね。日本から逆輸入されたライヴ・アルバム(ライヴ・アット・武道館)が本国のアメリカでも評判となって、人気バンドにのしあがったわけです。
 これは、日本のロック・ファンの感性の確かさを物語る例としてよく引き合いに出される話でもあります。われわれロック・ファンとしても、ちょっとハナが高いですね。


 1970年代後半にデビューした時は、そのユニークな容貌から、いわゆる「ニュー・ウェイヴ・バンド」のひとつに見られていたこともあったようです。
 しかし『チープ・トリック』の音楽の本質は、あくまでロックン・ロールをベースにしたハードでポップなロックだと言えるでしょう。彼らの作り出す曲は、野性味がありながら、とても親しみやすくてメロディアスなのです。これが彼らの大きな特徴なんですね。
 ぼくが『チープ・トリック』を好きになったきっかけの曲は「甘い罠(I Want You To Want Me)」です。この曲の持つポップな面は、今も変わらず彼らの作品の中に生きています。


 1980年にトム・ピーターソンが脱退してからは低迷期に入り、『チープ・トリック』の明るいニュースを聞くこともなくなりました。正直もう「過去のバンド」と思ったこともありました。しかし、1987年にトムがバンドに復帰した後は、「永遠の愛の炎(The Flame)」が全米1位を獲得する大ヒットを記録し、劇的なカムバックを遂げました。
 その後も相変わらず質の良い、親しみやすいハード・ポップを発表し続けているようです。


     


 ちなみに、ぼくの愛聴曲は、前述の「甘い罠」のほか、「カリフォルニア・マン」、「サレンダー」、「サヨナラ・グッバイ」、「永遠の愛の炎」などなど、といったところです。そして最も好きなアルバムは、「天国の罠」です。


 2003年にはアルバム「スペシャル・ワン」を発表、来日公演も行った『チープ・トリック』です。ドラマーのバーニー・カルロスが病気のため一時療養していましたが、今は復帰しているようです。
 聞くところによると、今年の3月には、オープニング・アクトとして、エアロスミスのツアーに同行するそうです。デビュー30年目を迎えてさらに元気な『チープ・トリック』、早く新しい彼らの音を聴いてみたいものですね。

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オアシス (Oasis)

2006年01月28日 | ミュージシャン


 小4の時にビートルズを聴いてショックを受けて以来、ロックに浸って大きくなったぼくにとって、オアシスの音楽は違和感がなく、すんなり受け入れることができるものです。


 オアシスは、ノエルとリアムのギャラガー兄弟を中心としたバンドです。
 兄のノエルはギタリストで、ほとんどの曲を書いています。弟のリアムはヴォーカリスト。兄弟そろってビートルズ・フリークなのはよく知られた話です。
 このふたりの仲の悪さは有名で、そのためバンドは何度も解散の危機にさらされました。
 そのうえステージをすっぽかしたり、暴力沙汰を起こしたり、暴言でバッシングされたりと、数々のスキャンダラスな出来事でマスコミを賑わせ続けてきました。
 ファンをやきもきさせ続けている「お騒がせバンド」と言ってもいいでしょうね。


     
      ノエル・ギャラガー(g,vo)


 しかし彼らの生み出す音楽は、不思議な魅力に満ちています。
 独特の暗さと重さを持っていますが、そのシンプルなのに印象的なメロディーは、聴いているぼくをある種の快感の渦の中に導いてくれます。
 ノイジーだけれども、グルーヴィーで分かりやすいギターはツボをしっかり心得ていて、ギターだけを聴いていても心地良い。
 力強くて攻撃的なヴォーカルは、どこかジョン・レノンを彷彿とさせます。
 ミディアムの、似たようなテンポの曲が多いのですが、それさえも一種の快感です。
 アレンジを聴いていると、やはりビートルズの大きな影響が感じられますね。


     
      リアム・ギャラガー(vo)


 多様化したポピュラー音楽の中にあって、ギター中心のサウンドを作り続けているオアシスは、正統派のロック・バンドと言えるでしょう。
 「誰からも束縛されたくない」という奔放な姿勢を保ち続けているからでしょうか、どこかパンクっぽさをも醸し出しているオアシスですが、そのパンクなフィーリングと、ノエルの書く曲のポップでちょっとサイケデリックな部分とがうまく溶け合っていますね。


 ぼくのオアシスの愛聴曲は、「シガレッツ・アンド・アルコール」「サム・マイト・セイ」「オール・アラウンド・ザ・ワールド」、そしてもちろん「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」などなど、です。


     


 相変わらず高い人気を誇っているオアシス、昨年(2005年)は6枚目のアルバム「Don't Believe The Truth」がヒット、健在ぶりを示してくれました。
 願わくはトラブルメイカーぶりもほどほどにして、バンドを維持し続けて貰いたいものです。
 そういえば、現在はあのリンゴ・スターの長男のザック・スターキーがサポート・ドラマーを務めているんですね。知らなかったな~




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クリーム (Cream)

2006年01月21日 | ミュージシャン


 元ベイ・シティ・ローラーズのイアン・ミッチェルが結成した「ロゼッタ・ストーン」というグループがありました。
 当時人気絶頂だったベイ・シティ・ローラーズ関連のバンドということでメディアの耳目を集めて華々しく登場し、デビュー曲は当時ひんぱんにラジオでオンエアされていました。
 すぐに消えてしまったバンドだったけれど、デビュー曲のメロディーだけは妙に耳に残ったままでした。その曲のタイトルは『サンシャイン・ラヴ』。いわずと知れた「クリーム」の名曲です。
 ぼくは「クリーム」という名のグループを、ロゼッタ・ストーンの登場で初めて知ったんです。


 1960年代のロックは、熱気と大きな可能性をはらんでいましたが、その時代を体現するグループのひとつが、「クリーム」です。
 「クリーム」は、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーという、それぞれが一国一城の主とでも言うべき三人によって結成された、ロック史上初のスーパー・グループです。


       
     左からエリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー


 ヒット曲産出の手段としてのレコーディングとツアーをこなすのがそれまでのロック・バンドのあり方でしたが、クリームはライヴでの即興演奏をも重視していたグループです。そのあたりの方法論は、ロックというよりも、むしろジャズに限りなく近いと思います。各々のプレイそのものに創造性を見出そうとしているのですが、これは抜きん出た技量を持つこの三人だからこそできたことなのでしょうね。


 だからといって、彼らはスタジオ録音をないがしろにしている訳ではありません。レコーディングの場合、そのスタンスを踏まえながら、「クリーム」ならではの音楽観をしっかり構築しています。
 ブルースに大きく影響されている「クリーム」ですが、スタジオ録音のアルバムを聴くと、それだけにこだわらず、曲のメロディーや構成にも重きを置いているようです。『ホワイト・ルーム』や『バッヂ』などの名曲を聴くと、「クリーム」のポップな側面がよく見えます。


     


 ライヴ・アルバムを聴くと、彼らの演奏は非常にワイルドで、攻撃的なのがわかりますね。自由で、創造性に満ちたインタープレイが存分に展開されています。スリリングなバトルとでも言ったらいいのでしょうか。ギター・トリオというシンプルな編成がより自由度を高めているとも言えるでしょう。そのタフな演奏は、このトリオがハード・ロックのルーツのひとつであることを示しています。
 『クリームの素晴らしき世界』に収録されている『クロスロード』や、『グッバイ・クリーム』の中の『アイム・ソー・グラッド』などは聴いているだけで背筋がゾクゾクしてきますね。


 若々しくてブルージーなエリック・クラプトンのギター、縦横無尽のジャック・ブルースのベース・ライン、ジャジーで幅広い音楽性の垣間見えるジンジャー・ベイカーのドラム、どれをとっても聴き飽きることはないのです。
 そして、ヴォーカリストとしてのジャック・ブルースの、張りとツヤのあるパワフルなヴォーカルもぼくは結構好きなんです。


     


 ぼくの「クリーム」の愛聴曲は、
『クロスロード』、『ホワイト・ルーム』、『スーラバー』、『アイム・ソー・グラッド』、『ストレンジ・ブリュー』などでしょうか。
 アルバムの一番のお気に入りは、『クリームの素晴らしき世界』です。


 昨年5月には実に37年ぶりに再結成し、そのニュースは世界中のロック・ファンを喜ばせましたね。ジャック・ブルースは2003年夏頃から体調を崩し、一時はニュースも途絶えてファンを心配させていましたが、見事に復活をとげました。
 できれば日本にも来て欲しいのですが、それは叶わぬ願いなのかな。いずれにせよ、まだまだ元気にプレイし続けて貰いたいものですね。


     
     2005年5月の再結成ライヴ


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スティーヴィー・ワンダー (Stevie Wonder)

2006年01月13日 | ミュージシャン


 ここのところ、スティーヴィー・ワンダーのCDを棚から取り出すことが多いです。
 改めてじっくりスティーヴィーの曲を聴いてみると、「なんて温かみに溢れているんだろう」と思わずにはいられません。
 そしてその温かみは、彼の内面から自然ににじみ出てくる「愛」なのではないか、という気がします。
 まさに、スティーヴィーによる「ソウル・ミュージック」です。


     


 スティーヴィーと言えば、ぼくにとっては、あの「ウィ・アー・ザ・ワールド」の中での歌声が強く印象に残っています。とくに、ブルース・スプリングスティーンとの掛け合いは名唱だと思いました。聴いていると心地よい快感と感動が背筋を走りぬけてゆくんです。
 ぼくがスティーヴィーの音楽に最初に触れたのは、ベック・ボガート&アピスのレコードで聴いた「迷信」だったはずです。
 でもその時は、それ以上聴いてみようという気にはなれませんでした。当時のぼくは、ほぼロック一辺倒だったし、いわゆる「ソウル・ミュージック」の持つ濃い黒っぽさにはまだ馴染めなかったんだと思います。
 でも、「ウィ・アー・ザ・ワールド」がきっかけとなって、ぼくはスティーヴィーにより親しみを覚えることになるのでした。


 ステージでのレパートリーにスティーヴィーの作品を加えるヴォーカリストも多いようで、オリジナルを聴くより先に、渡された譜面によってスティーヴィーの曲を知ることもしばしばでした。
 それは、裏を返すと、スティーヴィーの曲が広く愛されているということの証明にもなるのではないでしょうか。そういうところからも、ぼくはスティーヴィーの「偉大さ」を感じ取るようになったんです。


     


 非常にグルーヴィーなリズム、彼自身が歌と化したようなソウルフルな歌声がとても気持ち良い。
 ボーカルのほか、ピアノ、ハーモニカ、ドラムなどをこなすマルチ・プレーヤーとしても知られていますね。
 メロディー・メイカーとして超一流なのも多くの人が認めているところでしょう。絶妙な転調の使用、独特の感覚に基づくコード・ワークやヴォイシングには、真似のできない素晴らしいセンスが感じられます。
 とりわけ一番ぼくが心地よく感じるのは、スティーヴィーの曲の持つカラフルな感覚です。メロディーを聴いていると、次々にいろんな「色を体感」できる気がするのです。


 「サンシャイン」
 「マイ・シェリー・アモール」
 「オーヴァージョイド」 
 「心の愛」
 「愛するデューク」・・・
 お気に入りの曲を書き始めると、これもちょっとキリがありません。


     


 スティーヴィーは、先頃、愛娘を伴って来日しました。
 その愛娘が誕生した時、スティーヴィーは「イズント・シー・ラヴリー」という曲を書いています。日本語タイトルは「可愛いアイシャ」。そのアイシャ・ワンダー、現在はシンガーとして活動しており、父のスティーヴィーとステージを共にすることもままあるそうです。


 ワンダー親子には、これからもさらに「愛のこもった作品」を生み出して欲しいですね。



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ボン・ジョヴィ (Bon Jovi)

2006年01月04日 | ミュージシャン


 今年4月に、ボン・ジョヴィが来日しますね。
 8日の東京ドームを皮切りに、18日の札幌まで6公演が予定されています。
 会場は東京、大阪、名古屋、札幌の各ドーム。楽しみにしている方も多いことでしょう。


 1984年にデビューして今年で22年目。もうそんなになるのか・・・。
 彼らのデビュー・シングルは、「夜明けのランナウェイ」。
ドラマ 1980年代のテレビ界は大映テレビ制作のドラマが一世を風靡しました。その作品のひとつ『乳姉妹』の主題歌となったのが、麻倉未稀が歌う「夜明けのランナウェイ」のカヴァーでした。
 当時はアメリカでも一部でしか知られていなかったらしいのですが、この曲によって耳の肥えた日本のファンの支持を受け、折からのヘヴィ・メタル・ロック・ブームに後押しされて、人気に火がついたんでしたね。


     


 メンバーは、
 ジョン・ボン・ジョヴィ(vocal, guitar)
 リッチー・サンボラ(guitar)
 アレック・ジョン・サッチ(bass)、
 ティコ・トーレス(drums)、
 デヴィッド・ブライアン(keyboard)
 の5人でしたが、ベースのアレックは1994年に脱退し、以後はサポート・メンバーを加えて活動しています。


 ジョンとリッチーのソング・ライティング・チームによって生み出される曲は、メロディアスで、エネルギッシュで、たいへん劇的です。
 とはいえ、決してハード・ロック一辺倒ではなく、ポップス、フォーク、ブルースなど、いろいろなジャンルの要素を内包しているように思えます。
 親しみやすいメロディーと確かな演奏力に加え、アイドル並みのルックスを持っていることも
ハード・ロック・ファンにとどまらず広く支持されている理由のひとつではないでしょうか。


     
      最新アルバム「ハヴ・ア・ナイス・デイ」(2005年)


 昨年発表した9枚目のアルバム『ハヴ・ア・ナイス・デイ』も大ヒット、健在ぶりを示してくれました。
 いまやベテランいっても差し支えないキャリアを持つグループなのですが、現状に安住することなく、常に次のステップを目指してアグレッシヴに活動を続けるその姿勢があるからこそ、いつまでも若々しさを保つことができているのでしょうね。


 大ブレイクして生活が変わったことでメンバー全員がガールフレンドや夫人との別れを余儀なくされましたが、そういう精神的苦痛を乗り越えたこと、自分たちの持つ強い信念に基づいて前身し続けていること、解散の危機を克服していつも最高の音を聴かせてくれることなど、彼らの姿勢にも大きな共感を覚えます。


     


 「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」「ランナウェイ」などが、ぼくが昔から変わらず聴き続けている曲です。
 その他にも「イッツ・マイ・ライフ」「オールウェイズ」「禁じられた愛」などなど、名曲が目白押しですね。


     
      ベスト・アルバム「クロスロード」


 近年、ジョンは俳優としても活動の場を広げており、「U-571」「ペイ・フォワード」「アリー・myラブ」などの話題作にも出演しています。
 メンバーそれぞれもソロ・ワークをこなしているようです。
 活動の幅を広げ、それを自分たちのプラスにし、さらに『ボン・ジョヴィ』としてスケール・アップして長く活動を続けて欲しいものですね。


     




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シカゴ (Chicago)

2005年12月26日 | ミュージシャン


 シカゴは、ビートルズと並ぶ、ぼくのお気に入りグループです。
 A.O.R.路線、というか、オトナのポップ・ロック・グループとしてのシカゴも悪くはないのですが、ぼくが一貫して最も好きなのは、「ブラス・ロック・グループ」と言われていた頃のシカゴです。
 アルバムで言うと、デビュー作からサード・アルバムにかけて、くらい。


 高校生の頃、町の図書館に併設されていたミュージック・ライブラリーで、「栄光のシカゴ」という、日本編集のベスト・アルバムを聴いたのがシカゴとの出会いでした。
 当時、すでにベテラン・バンドだったシカゴでしたが、ぼくはそれまで聴いたことがなかったので、興味本位でなんとなく聴いてみたのです。


     
     『栄光のシカゴ』


 「栄光のシカゴ」は、デビュー作から3作目までの代表曲をピック・アップしたアルバムです。
 荒々しく迫ってくるブラス・セクションがとてもカッコ良く感じられました。
 単なる伴奏ではなく、ブラスそのものを生かそうという意識がはっきりしているので、サウンド全体におけるブラス・セクションの比重は非常に大きいものになっています。
 ブルージーでワイルドなギター、よくドライヴするベース、ジャジーでテクニカルなドラムスもとても好きです。
 気に入ったらとことんまで聴き倒すぼくです。「栄光のシカゴ」、すぐ買いに行きました。
 当時かなり売れたんでしょうね、中古レコード店にも在庫が何枚かあったのですぐ手に入れて、毎日のように聴き入っておりました。


 このグループの、あのロゴも好きでしたね~
 ジーンズ・ショップで買った真っ白なTシャツに、自分でシカゴのロゴを書いたりしました。
 プリントなんて、どうやっていいか分からなかったですからね。ショップの店員さんに尋ねると、「油性サインペンで大丈夫」だと言うので、自分で書いたんです。結構自分でも気に入ったものができましたよ。


     
       『シカゴの軌跡』(1969年)
 
 
     
       『シカゴと23の誓い』(1970年)


     
       『シカゴⅢ』(1971年)


 政治的な発言も積極的に行っている社会派グループであるというのはよく知られています。しかし当時のぼくは、それがどういうことか分かるのには、まだまだ子供でした。
 

 それにしても、今や、当時のシカゴのような、ゴリゴリの「ブラス・ロック」、見かけなくなったなぁ・・・。
 そんなバンド、また出てこないかな。
 ファンク系ではブラス・セクション入りのバンドは普通に見かけるんですけれど。
 いっそのこと自分がボスになってグループを作っちゃおうかな・・・
 

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ヨー・ヨー・マ (Yo-Yo Ma)

2005年12月16日 | ミュージシャン


 何年か前に、友人に借りて一本のビデオを見ました。
 現代ジャズ・トランペッターの最高峰のひとりであるウィントン・マーサリスが、子供たちの前でジャズのレクチャーをするという衛星放送の番組を録画したものです。
 例えがとてもわかりやすく、とても面白いレクチャーでした。そのうえ、マーサリスをはじめ、一流プレーヤーの演奏をふんだんに見ることができたのですが、そこにゲストとして招かれていたのが、ヨーヨー・マだったのです。


 ヨーヨー・マの演奏を聴いたのはその時が初めてだったのですが、その音色にはホレボレしてしまいました。
 ジャズのフォーマットにはあまり慣れてないようだったので、方法論の異なる「ジャズ」というカテゴリーの中ではいくら天下のヨーヨー・マでも戸惑うだろう、と興味本位で見ていたら、いやその演奏の素晴らしいこと!
 デューク・エリントンの「ムード・インディゴ」という曲をセッションしていたんですが、なんて楽しそうに演奏するんでしょう!こんなに楽しそうに演奏する人の音が楽しくないはずがありません。まるで、曲に「命を吹き込んでいる」かのようでした。


 その後、ふとしたことでヨーヨー・マに関して書かれたブログの記事を読みました。
 【Yo Yo Maのバッハ】
 【元気がでるYo Yo Ma!】
 それに啓発されて、ヨーヨー・マのCDを2枚買ってきたというわけです。


     
      『The Best Of Yo-Yo Ma』


     
      『Cantabile  ~The Best Of Yo-Yo Ma~』



 たくさん出ているアルバムの中から、まずはぼくの好きなビバルディの『四季』より「冬」、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』、同じくバッハの『無伴奏チェロ組曲第1番』なども入っているベスト・アルバムを選びました。


 これが世界のトップ・チェリストの音色なんですね。
 ふくよかで、温かくて、とっても細やか。そして、チェロでいろんな情景を見せてくれるんです。
 聴いているこちらが素直に謙虚になることができるような、そんな音だと思います。でも、決して肩肘張った、尊大な音楽ではないんですよね。とても親しみやすいです。


     


 クラシック畑ばかりではなくて、ジャズ、映画音楽、タンゴ、民族音楽など、さまざまな分野の音楽とも積極的にコラボレートしているようです。名を成しても開拓者精神を持ち続けているその姿勢にも敬服します。


 せっかくヨーヨー・マの音楽に出会えたのだから、もっとじっくり聴いて、もうちょっと近づいてみようっと。



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沢田 研二

2005年12月12日 | ミュージシャン


 沢田研二。通称ジュリー。
 タイガース(阪神じゃなくて、もちろんグループ・サウンズのほうです)時代のことはほとんど記憶にないのですが、『勝手にしやがれ』で再び大ブレイクしてからの彼の人気はすごいものでした。
 出すレコードというレコードは片っ端からヒットしていたし、テレビの歌番組で見ない日はなかったですし、もちろん賞レースの常連でもありました。
 でも、今の10代の人たちの中には、彼が「ジュリー」と呼ばれて大騒ぎされていた存在だったことを知らない人も多いみたいです。
 ちなみに、「ジュリー」というニックネームは、彼がジュリー・アンドリュースの大ファンだったことから付けられたものだそうです。


     


 ちょっとチープで、ちょっとイキで、ちょっとキザな「歌手・ジュリー」を演じているようで、カッコ良かったな~。
 右手の人差し指を高々とうげて、「一等賞~~」とアピールする姿、学校でマネするヤツもいました。
 1970年代後半の彼のメイクやファッションは、グラム・ロックっぽかったりしましたね。
 少し鼻にかかったような甘い声にシビレた女性ファン、それはもうもの凄い数だったことでしょう。


 モテる男というのは同性からあまり支持されないものなんですが、沢田研二には男性ファンも多かったんじゃないかな。
 ぼくも、彼には全く反感を覚えなかったです。というより、密かにちょっとばかり憧れてもいました。


     


 俳優としても活発に活動していましたね。シリアスな役から、コミカルな役まで幅広くこなしていました。
 ぼくは「男はつらいよ」シリーズの第30作、「花も嵐も寅次郎」がわりと好きなんですが、そこでは、田中裕子に恋する気弱な青年を好演してました。
 ちなみにこの作品が、このふたりの出会いだったらしいですね。


     

     

     

 実は、ぼくは、タイガース解散から『勝手にしやがれ』を出すまでの間の沢田研二が一番好きなんです。
 また、大野克夫とのコンビで生み出した作品も好きです。大野克夫の書く曲が、沢田研二の独特の甘い声にピッタリ合っているんですよね。
 名曲『時の過ぎゆくままに』や、『追憶』『許されない愛』『カサブランカ・ダンディ』『憎みきれないろくでなし』などなどがぼくの愛聴曲です。


 「スター」という言葉の持つ煌びやかなイメージがこれほどピッタリくる人も少ないんじゃないでしょうか。

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