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ブログって何? 2023年4月より兵庫県高等学校演劇研究会東播支部へ移動。高校演劇の情報の配信、記録も。

校内公演『ホット・チョコレート』

2018-03-07 22:13:49 | お芝居演劇
 学年末、教科会議と学年会議の間にある一覧表作成日にドンピシャで設定した校内公演。いつも稽古で使わせてもらっている会議室を劇場に見立て、先生やクラスのお友達を招いての公演です。チラシやチケットまで作って雰囲気は本公演みたい。チケットノルマ4枚で、お世話になっている人をお呼びしました。

 実はこの公演を企画したのにはある意図があったのです。上演を重ねなければ上手くはなれないから。稽古で正しく緊張できれば、こんな大がかりなことはしなくていいはず。全国に上がってくるような演劇部なら、これは普段の稽古場で自然に出来ること。ただし、そうではない多くの演劇部にとって、稽古できちんと緊張したり集中するというのは難しいんじゃないかなって思うのです。いつものメンバー、いつもの稽古場。人がいたりいなかったり。誰かが遅刻したり乗り気じゃなかったり。県立伊丹でもそういう問題が有りました。

 本当はお芝居を大事に、嘘から出来上がっている高度な遊びをやり遂げるってルールを本気で守ればいいだけのこと。でもそれが難しいのは、お芝居のルールより自分の心や体の都合を優先させてしまうからだと思うのです。それじゃいいものなんて出来るわけ無いのですけど。コンクールの時に体験した、稽古をすればするほど下手になるなんて泥沼は、全てここが原因。上演という緊張感はやはり、それじゃダメなんじゃないってことを無言で教えてくれるのです。

 上演の結果はどうだったかって? みんな正しく緊張して、脱がなきゃ行けない靴を履いたまま登場したり、気持ちをマックスまで持って行けなかった悔しさに涙が止まらなかったり。でも終わった後にやり遂げた満面の笑顔になれたのは本当によかった。やってみるもんだよなって思ったごのいでした。

 そしてもう一つの上演成果は、お客様から頂いたアンケート。演劇部に宝物が一つ増えた気分です。なにせ演技エリアを360度囲むように置かれた客席で1時間付き合ってくださった皆さんです。思ったこと、感じたことをストレートに返してくださいました。僕も、部員たちも嬉しくなって何度も読み返します。本当に幸せな公演でした。

 当日来てくださったある先生から頂いたアンケートを紹介します。

「友達を思い、大声を出し怒るキッコを見て、こんな人間関係を(県高の)生徒みんなに味わってほしい。生の心と心の触れあいがあれば、きっと豊かな人生になる…と。そう思いました。」と。

 高校生が演じた未熟な舞台を見たことで、ご自分が接していらっしゃる生徒たちのことを思い、どうなればその生徒たちの人生が豊かになるかなんて思いをはせる化学変化を起こしてくださっている。小さな演劇の、大きな可能性を教えていただいたように感じました。

 どうです?みなさん。校内公演、やってみませんか?

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トライトライトライ

2018-02-11 22:11:10 | お芝居演劇
 アイフェス。春期に向け『ホット・チョコレート』の稽古進行中。既成台本に取り組むのは県立伊丹高校演劇部としては初めての試み。「既成をするなら、自分たちの作品としてしっかりやりきる覚悟や準備が必要」って講評はよく聞く話。そうなのです、よくできた台本だからといって、そのまま何の挑戦もなく漫然と舞台に上げるわけにはいかないわけで…。ましてや再出発を誓った僕たちにとっては、課題を見つけてトライアンドエラーしてみるのは必然なわけで…。
 そこで今日は稽古場にこんなセットを組んでみた。横幅3間、奥行き2間半のエリアを区切り、周囲を囲むように客席を設置。キッコの部屋はその真ん中に。正面からだけではなく360度あらゆる方向から舞台をのぞき見られるようにしてみた。ベッドに寝転んでも、座卓に集まっても、向かい合った二人の会話でも、常に360度あらゆる方向から、呼吸さえ伝わるような距離で見つめられる。小さな嘘でもすぐばれる。そんな舞台を作った。
 しばらく稽古場を離れた昼下がり。僕が戻るとまるで彼女らはミーティングをするかのように演じていた。キッコの部屋に紛れ込んだかのような一瞬の錯覚を覚えた。面白いかも…。それはドールハウスの中に広がるリアルな調度品を眺めた時の気持ちに似ていた。
 まだ薄ら寒い稽古場に新鮮な空気が満ちてきた。自己完結とお約束のやりとりが、役者同士のコミュニケーションにちょっとだけシフトし始めた。散漫な空間に満ちるエネルギーレベルがある濃度を超えると、そこに継続しいて燃え続ける世界が始まるのだと思った。
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インフル欠場中

2018-02-03 20:56:59 | お芝居演劇
 アイフェス・春期の稽古進行中。演出初体験のコスモは結構こだわり派。セリフも満足に覚えてない役者に対して結構注文する。一つ一つのダメ出しは外してないし、本人も演出に対して前向き。ここは大変よろしい。任せてみようかなって気になる点。でもちょっと早いかなとか、もっと繰り返し役者にやらせてみる方がセリフ入るんじゃね?って面も。ヒントを出す。するとやり方変えていく柔軟性もなにげに心強い。いい感じの稽古場。
 ただし現在稽古の進行にブレーキをかけているのがインフル旋風。1年生のあるクラスなど10人近くの出席停止。まぁ、そんなクラスに暮らしながら生き延びているぷうかって奴もいるのだが、まつな、テン、ちゅらはきちっと感染出停中。メインの二人がどちらかインフルになると、稽古できる場面が無くなるわけで。
 いつもの連絡白板には「うがい、マスク」の指令が出ております。週末は土曜お休み、日曜一日稽古。マスク外して一日同じ稽古場で過ごす宿命だけに、お芝居とインフルは切っても切れない間柄なのでございます。ウチは関係ないけど2月の公演(尼崎市民演劇祭、春秋座etc)はホント、命がけですぞ。
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2018県高演劇部の初詣

2018-01-07 21:07:48 | お芝居演劇
 イマイチお天気の悪かった3日の初詣が延期となり、予備日は7日。この日は元からオーディションの予定。そこで朝イチオーディションをやった後、みんなで中山寺まで初詣。しばらくいってなかったイヌマキの木にもみんなでお参り。なんだか木にまとわりついて遊んでますな。

 当日なんと、レンジがインフル欠場でバランスがイマイチ確かめられないオーディションとなったが、そこは知った顔ぶれ。無理してうつしまくるとテロリスト扱いになるのでしゃーなしでキャスティング。その場指名されたキャストで、短いシーンを演じるわけだが、名前が呼ばれるごとに稽古場がざわざわする。隠してても漂う緊張感。いっぱい間違いが起きる。でも面白いし刺激的。これもオーディションの醍醐味。点数や偏差値ではなく、自分の身一つが評価され、何かが決まっていく期待と不安。経験した人なら分かるはず。
 これからの3か月を決める重要な局面。役者にとって役をもらうということは、死んでもやり遂げるぐらいの覚悟が必要ってことなんっすよ。遊びだからこそルールは大切、ココは譲れぬ大原則。時々抜けねばならぬビトンに日程を見せて確認。キャストに入れることにした。分かってるよな、ビト~ン。やり切れよ。

 メンバーの希望を優先させてやりたいって気持ち、もちろんあるんです。ところが今回はいつもとちょっとみんなの雰囲気が違う。どうやら決めかねてる感じ。理由は様々。自信がない、欠点食らった、3つ挙げるだけのイメージがわかない、プレッシャーに打ち勝つ覚悟とのせめぎ合い。でも謙虚と無謀のハザマにこそ、可能性があるのです。ま、失敗することだってあるんだけど、勇気は必要なわけで…。特に僕らがやってるのは舞台。奇跡を呼び込む心意気を忘れちゃいかんわけで…。

 ってことで、ちょっと、いや、そこそこ意外で挑戦的なキャスティング。イケてます。そういえば最近、役者たちを華麗に裏切ってなかったよなって、反省も込めて決めた。中山寺にお参り後、境内でお年玉をもらいつつのキャスト発表。「せえのぉで~」で開けた瞬間の悲鳴やため息。それでこそオーディション。目撃者として立ち会ってくれたのはシーナとねねみぃありがとね(ついでに遅刻ことのんも)
 ココからが一人一人の仕事。春期・アイフェス・単独公演の演目はあの『ホット・チョコレート』 県高演劇部でやるとこうなるんだって舞台、全員で創るつもり。見逃せませんわよ。
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17阪神大会参戦記

2017-11-12 22:26:53 | お芝居演劇
 ゲネ(直前日曜日)上演時間、63分。タイムオーバー
 最終通し(その4日後、木曜日)上演時間66分。さらにタイムオーバー

 有り得ない現実に震えた。こんなことは初めてだった。いつもなら稽古を積み重ねることで流れがスムーズになり、完成度と共にタイムは短くなる。僕の予測では最終通しが58分。公演日には56ページ56分のいつものペースに追いつくはずだった。稽古をすればするほど下手になる? 有りえない現実に突き当たった。何とかなるはずという目論見は見事に崩壊していた。

 なんとなくプロジェクトX失敗バージョンのような書き出しだが、実話である。原因を一言でいえば、頑張りすぎの力み過ぎ。軽やかなパス回しで相手につなぐはずのセリフや動きを、もたもたと自分の手元でこねくり回す。いつからこんな芸風になったのかしら。自分のチームの現状を改めて突き付けられ、僕は腹をくくった。

 「もう一度、こいつらとやり直そう」

 上手くいって成功しても、行かなくて失敗しても、意味のある成功、意味のある失敗にしようって宣言。あまりのプレッシャーに、認知症か?って大ボケを繰り返す作者&メインキャストであるコスモの冷却。位置決めにも積極介入し、技術的失敗を防ぐ。「位置決めやることリスト」とか、「大会期間中の行動計画表」も白血球的介入で製作し配布。僕がこれだけ直前に動くということは、チーム力が低下しているってことなのだ。一人一人は精一杯。彼女らを責めるつもりは毛頭ない。責めて解決できる問題ではないのだ。要するに

 「県立伊丹の稽古は、半分死んでいた」ってことだ。

 どう、この自覚。意味あるでしょ?いやいや、意味ないって言い張る意味が分からないって出来事。講評で頂いた「少し背伸びした世界を描こうと頑張っていたけどやりきれなかったって印象」ってのが現実。ショッキングな出来事だが、僕は全然凹んでない。なんでかって? 現役が誰も凹んでないから。意味ある敗北。彼女らはこの言葉をきちんと受け止めてくれている。意味あるようにしようとしている。そこなのだ。

 答は絶対に目に見える形で出て来る。そこに言い訳する気なんて毛頭ない。不思議にぶれてない自分たちのこと、信じてみようと思っている。
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平成参戦記2017

2017-08-18 22:57:01 | お芝居演劇
 今年の平成演劇教育委員会は演技演出検定。どちらかというと裏方技能検定の方が得意?な我々にとっては鬼門な年。努力はすれど報われないみたいな記憶が多々。だって阪神のみんなが面白んだもん。それはそれで頼もしいことですけれど。

 今年の県立伊丹チームにはそれ以上に心配事があった。いまいちチームワークがしっくり来ないのだ。部員数は1年5人、2年5人とやや少なめ。結束するにはいい人数。ただし相変わらず男子部員の影が無い。顧問は少年の気持ちを失わずなんて息巻いているが、ちょっと野蛮なくらいの兵隊がいないと暴れるにしても心もとないのだ。おまけにちょこっとはびこる個人主義。いやいや、決してワガママとまでは言いません。日常生活をおくる上では常識的な範囲。でもね、舞台はそれでできるのかしらってちぐはぐは感じるもの。敏感な先輩方が駆けつけてくれてのミーティングを経て、「これじゃヤバいかも…」って空気が産まれ始めたのはいい知らせなのだ。

 「劇団員同士が固い結束で結ばれていない限り、いい作品は産まれない。」

 その昔、どっかの全国大会で頑固者の審査員が講評で吐いた一言。全面的に信じているわけではないが、ふんわりした現役同士の結束を見る限り、ここは一発チーム作りからやり直してみるかって気持ちになっていた。

 エントリーしたのはBB検定(小品発表部門)とダンス士(基礎練習的ダンス部門)。BB検定は合宿で2チームに別れ、勝利した演出家が部員全員を使って再構成。目標である2級を目指す作戦。上演してみて感じたことはイマイチちっこいよなってこと。稽古場では十分に感じた迫力が物足りない。爆弾的演出のビトンが幕切れ付近で暴れ始めると盛り返したものの、前半の物足りなさを解消できずの3級。ビデオを観た現役の感想もそんなもん。要するに力不足。

 もう一部門であるダンス士は、努力のかいもあり楽しそう。細かく見れば動きが遅れたり流れたりがあるものの、納得の2級。先輩方が達成した準1級に及ばなかったのも分かるといえば分かるし、もうちょっと見てよねって気持ちもある。ま、それでも結果は結果。受け入れて跳ね返すぐらいの勢いがないと明日は無いのだ。

 週明け月曜日には反省会。日常生活で良しとされることと、舞台の上で良しとされることはちょっとだけ違うって話を確認する。非常識になれという意味ではない。劇的な作品を産み出すチームとはどんなチームか。みんなで再確認する作業は始まったばかりなのである。
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70回生引退公演『光の行方』

2017-06-17 22:19:43 | お芝居演劇
 デビューは2年前の6月県伊祭『いつものところで』作:おじょー。ねねみぃはおじょとのダブルキャストに破れて図書館の先客役。シーナはなるはと、ちゃっぷはしーちゃんとダブルキャストで共に敗退。ことのんに関しては音響に配属されたものの、先輩が余裕なくゲネで音源CDが完成せず、訳も分からぬままに正座という悲惨なデビューだった。

 それから2年=730日。こうしてクラブの中心として、今までの部活人生をカーテンコールで語っている。楽しかったことは山盛り、しんどかったことも、逃げちゃったことも、悔しかったことも。一つ一つ思い出して語ればとても間に合わない3分間のカーテンコール。僕は本編とは別な作品を見せてもらったような気がした。たまたま文化祭公演に付き合っていただいたお客さんに、彼女らの800日に共感してくださいっていうのは失礼だとは知りつつも、逆にこれはこれで見てやってくださいって思うわけで。申し訳ありません。

 部活を続けた者だけに許される最後の瞬間。移ろいゆくものを美しいと感じるのは、僕だけではないはずです。お疲れ様。ほんでもってありがとう。70回生、引退です。
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AM3年進研、道具製作日からの~

2017-06-03 21:57:19 | お芝居演劇
 文化祭まで2週間。セリフはそれなりに。シーンはゆるゆるでって現状。お芝居にとってゆるゆるはもとより、それなりにってのはあまり意味ない。だってお客さんの前で上演するんだもん、お互い納得するレベルははるか上。ここからが勝負なわけね。

 今日は3年生が午前中進研模試。学校行事なもので逃げようもなく甘んじて受け入れる。残る下級生で道具製作。桜の咲き誇る公園が舞台の作品。文化祭っぽく模造紙ドロップで今年は切り抜けるプラン。袖に届かぬバトンを物干しざおで延長しつつ、上下それぞれ2間弱の桜を描く。
 中心となるのはもちろん道具チーフのコスモ。描画力は半端ない。ただしキャンバスは舞台装置。一人で描くのではなく、下級生にも仕事を割り振る。チームで作るのがお芝居。だからこその難しさがあり、だからこその楽しみがあるのだ。

 明日も3年進研後半戦。午前中を充実できるかどうかはチーフの肩にかかってる。頼むぞコスモ。
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17新入生歓迎公演『仄かにうるむ』

2017-04-20 22:52:22 | お芝居演劇
 宣伝、告知、授業立ち上げ自己紹介の一部としてPRしてきた新入生歓迎公演が4/20(木)、県立伊丹高校緑創館2Fホールで行われた。来てくれた1年生諸君、ありがとね。この日は朝一番で晶役の3年シーナが通学途中トラックとぶつかったという身の毛もよだつ通報が入ったのだが、自転車が走行不能になっただけで本人は無傷。1時間目途中には「ゴメンナサイ」と駆けつけた。誰か一人いないだけでも上演できないのはホントの話。上演日に事故るなど、ふ~みん先輩からリアルお説教をしてもらわないといけない出来事だった。

 新歓公演の企画はこうだ。1996年から10年刻みに描かれる3つのシーンのうち、時間の関係上1つだけを上演するというもの。当日校務員の方々に古いテーブルの脚だった角材を切断して作ってもらったサイコロを、伊丹市在住、観に来た1年生O君に投げてもらい、出た目の数で上演するシーンを決めるという部員たちにとってもドキドキ企画。選ばれたのは2016年最後の場面。動揺したやまなのセリフがぼろってたのはまぁよしといよう。
エンディングとカーテンコールを入れ込んで上演は無事終わった。

 写真は上演後の交流会。食料からお菓子が配布され、舞台装置を間近で見ながら来てくれた1年生から感想をもらいました。思ってた以上に本格的だという本気度は伝わったみたい。ただし、ここに身を置く覚悟を決めるかどうかは彼ら、彼女らの気持ち次第。黙って待つことにしましょう。無理して続けられるものじゃないしね。
 17:00解散であとは現役だけでばらして円陣。短い上演とはいえみんな結構緊張したし疲れたみたい。これにて『仄か…』は最終公演。素敵な教室セットも、明日にはバラします。舞台に未練は残さない!

 ってことで県高演劇部は6月文化祭に向け本格シフト。舞台に自分の居場所を作りたい人はお早めに入部宣言を。お待ちしております。
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『仄かにうるむ』の旅立ち様々

2017-03-31 21:15:05 | お芝居演劇
「このお話のどこがいいか、分かりません」

 台本決定会議でのエピソード。自分の台本が選ばれなかった悔しさもあったのか、1年ビトンは涙ぐみながらそう言い放った。この言葉は、これで書くのは3本目となる2年ちゃっぷの心を深くえぐった。自分の創りだす世界に誇りは持っていても、誰かからストレートに批評されるとそんな誇りなんて埃みたいに簡単に吹き飛ばされる。高校生なんてみんなそう。特に仲間から、後輩からってのはきつかったハズ。僕たちおっさんだって結構危ない。台本決定はしたものの、みんなを納得させる作品に出来るかどうか、ちゃっぷのプレッシャーは想像を絶する。

 じゃ、ビトンはいけないことを言っちゃったの?に対しては、そんなことねえよってのが僕の意見。ただし「みんなで選んだんだから、私なりに面白くしてみせます」ってのがお芝居の絶対のルール。その上で、また次にバトればいい。思いはぶつけてしまったものの、みんなを納得させる演技が出来るかどうか、ビトンのプレッシャーも想像を絶する。


 物語は20年前、1996年のとある教室から始まる。ちょうど阪神大震災の翌年。ルーズソックスとかタマゴッチの時代。放課後の教室でお彼岸に行われる「黎明祭」の灯籠に願い事を書いている二人のエピソード。放課後意味なくだべっているのが幸せって二人。でも「大好きな私の教室、来年は違う誰かの教室…。そんなもの見たくない」まるで全てをリセットしてここにいた証を清算するように「友達やめよう」って言い放ち出ていく晶。残された景はあっけに取られ、苛立ち、怒りに任せ机に文字を刻む。「愛とはインスタントである 6y晶」 何故?は観客の中に、次のシーンから答えやヒントを探す気持ちを残す。

 次は10年後、2006年の世界。JR宝塚線脱線事故の翌年。同じ教室同じ季節。3人の女子高生が物理がどうのとか熱力学がどうのとかわめいてる。それだけ覗き見するだけで観客は楽しかったりするのだが、付き合ってもいない男の子と毎年「黎明祭」にだけ一緒に行ってる燈子にある転機が訪れていることが判明する。別の女の子の存在。いつまでも続く気がしていた居心地のいい曖昧な関係は、第三者の介入でいとも簡単になかったことになるかもしれない。周りが気遣うほどに自分が惨めになりそうで、結局答えは出さぬまま「黎明祭には亡くなった人が遊びに来るらしい」とかわ~きゃ~言いながら3人は消えていく。

 最後のシーンは2016年。放課後苦手な数学と一人で格闘しているふうのもとへ、下校指導の先生がやってくる。これが一つ目のシーンで見捨てられた景。あれから20年。つまり37歳。生きにくそうにもがいているふうにアドバイスをしているつもりが、彼女からヒントをもらう。「平穏からは何も生まれない。だから幸せになれない」 自分の生きにくさを金平糖のトゲにたとえるふうの手からやさしく金平糖を奪い取った景は、口に含んで金平糖を成仏させてあげる。ふうの心のとげとげは少しだけ溶け、穏やかになった。

 全てが終わる。移り変わる。自分の大好きな居場所は、やがて別の誰かの場所になる。抗っても抗えない。だから今が大切だって頭では分かっているんだけど、その幸せさえ手のひらをすり抜けて流れ去っていく気がして焦りばかりが積み重なる。100年経てば、こんな気持ちにはならないんだろうけど…。ラストシーンはきっと100年後の世界。大好きだった場所にみんな戻ってくる。しんどかったあの日も、なんもかんも無かったみたいに。「おはよう」って合言葉でもう一度。


 本さえ書かなければ、オーディションにさえエントリーしければ、芝居にさえ関わらなければ、こんな苦労とは無縁なわけだが、意地とプライドがあるから自分らしく生きていけるわけで、あ~逃げれねえって蟻地獄。でもね、稽古を積み重ねれば、幕が上がれば、音が鳴り明かりが入れば、そして客席から反応があり、幕が下りれば全ては報われるわけっすよ。
 このお話のすごいところは見る人ごとに違う思いを掻き立てれらること。もちろん「このお話のどこがいいか、分かりません」って人も出るわけだけど。

 こんなエピソード。春期発表会の舞台はちょうど3/31。まさに年度末。この日転勤するある先生は客席で涙を流しながら僕たちのお芝居を観ていてくれたそうです。職員室の机を整理し、苦楽を共にした部活のメンバーに別れを告げ、校舎を後にしたその先生がこのお芝居を観て何を感じて涙を流していたのだろう。想像するしかありません。想像って楽しいです。私の机、私の教室、私のクラブ。明日から違う誰かの机、違う誰かの教室、違う誰かのクラブ…。そんなもの見たくない。

 お芝居なんて全部嘘です。でも、観る人の人生は全部本物です。嘘を演じることで、観る人の本物を呼び起こすことが出来れば、お芝居は限りなくリアルになれるのだと思うのです。

 いいお芝居だったし、いい演技だったよね。僕はいま、そんなこと思っています。
 (なげえよ…6y俺)
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