9月29日付 読売新聞編集手帳
『五輪書』を入社試験に出題したところ、
「オリンピックの本」と答えた青年がいた――
と劇評家の戸板康二さんが随筆に書いている(岩波現代文庫『歌舞伎ちょっといい話』)
“剣聖”も泉下でずっこけそうなご時世だが、
そうがっかりなさることもない。
大関昇進を伝える日本相撲協会の使者に、
関脇・琴奨菊関(27)は宮本武蔵の兵法書から
〈万理一空(ばんりいっくう)〉
の一語を借りて決意の口上を述べた。
『兵法三十五箇条』にある。
〈全身全霊〉(白鵬)や
〈力戦奮闘〉(琴光喜)など、
過去の大関昇進時に用いられた四字熟語よりも深遠にして難解である。
武蔵いわく
〈万理一空の所、
書(かき)あらはしがたく候(そうら)へば、
おのづから御工夫なさるべきものなり〉。
自分で考えよ、と。
心身の鍛錬と、
技の工夫と、
すべての筋道(理)をたどり尽くし、
無我(空)というただ一つの境地に至れ…。
わが、
なけなしの知恵で相撲道にあてはめれば、
そういった意味にでもなろうか。
右手と左手で相手のまわしをがっちりつかみ、
激しく揺さぶりながら寄っていく。
土俵上の“二刀流”とも言うべき「がぶり寄り」の前途に、
幸多かれ。