10月26日付 読売新聞編集手帳
テレビドラマで巡査役の大滝秀治さん(86)が登校児童に横断歩道を渡らせた。
俳優は十人が十人、
そういう場面では子供たちを優しく誘導する。
大滝さんはまるで物でも扱うように高圧的に移動させた。
ドラマを見た本職の警察官が感心したと、
脚本家の倉本聰さんが自著に書いていた。
警察官いわく、
「作り物ではない警察官の、日常の優しさだ。
こうでなければ人の命は守れない」
と。
その人が現れるや、
画面に陰翳(いんえい)が刻まれる。
比類のない存在感は精魂込めた役づくりの賜物(たまもの)だろう。
大滝さんが今年の文化功労者に選ばれた。
「こんな顔で、こんな声でしょ。
若い頃から電車で女学生の前にうっかり立とうものなら、
席を譲られて、
ボクはたいへん不名誉なね、
屈辱感を味わいまして…」。
あるインタビューで回想している。
その顔が、
その声がいまは、
舞台、映画の観客やテレビの視聴者を物語の世界に引き込み、
魅了してやまない。
「君は俳優に向かない。
やめると決心するのも才能だ」。
昔、
所属する劇団民芸の重鎮でもあった名優、
滝沢修から転職を勧められたという。
人生とは分からないものである。