山口仙二さんが亡くなった。
大手新聞も、それぞれ1面と社会面で報じている。
私にとってとても偉大な人だが、多くの人にとってもそうなのだと実感した。
長崎で被爆した山口さんは、被爆者運動、反核運動、平和運動のリーダーと言ってよいと思う。叫びにも近い山口さんの訴えは、胸にぐさっと刺さる。そして自分は何をしたらよいだろうと考えずにはいられない。
写真は2005年8月9日、原水爆禁止世界大会閉会総会でスピーチされた山口さんの記事(平和新聞2005年8月25日付)。カメラを構えながら、涙で目の前がにじんで困ったのをよく覚えている。
「核兵器はいらない」という被爆者の皆さんの願いが私自身の願いにもなったと思えるのは、山口さんをはじめとする被爆者の皆さんのすさまじい叫びに触れてきたからだ。
悲報に触れ、胸が張り裂けそうになった。でも「思いを継いでがんばる」としか言いようがない。
体調を崩され、これ以降はほとんど表舞台に出てはみえなかった。実は05年より後に、ごく短い挨拶に触れた気がするのだが、その記録が見当たらない。短い中に凝縮された、絶叫のような訴えだった(と思う)。
大手新聞も、それぞれ1面と社会面で報じている。
私にとってとても偉大な人だが、多くの人にとってもそうなのだと実感した。
長崎で被爆した山口さんは、被爆者運動、反核運動、平和運動のリーダーと言ってよいと思う。叫びにも近い山口さんの訴えは、胸にぐさっと刺さる。そして自分は何をしたらよいだろうと考えずにはいられない。
写真は2005年8月9日、原水爆禁止世界大会閉会総会でスピーチされた山口さんの記事(平和新聞2005年8月25日付)。カメラを構えながら、涙で目の前がにじんで困ったのをよく覚えている。
「核兵器はいらない」という被爆者の皆さんの願いが私自身の願いにもなったと思えるのは、山口さんをはじめとする被爆者の皆さんのすさまじい叫びに触れてきたからだ。
悲報に触れ、胸が張り裂けそうになった。でも「思いを継いでがんばる」としか言いようがない。
体調を崩され、これ以降はほとんど表舞台に出てはみえなかった。実は05年より後に、ごく短い挨拶に触れた気がするのだが、その記録が見当たらない。短い中に凝縮された、絶叫のような訴えだった(と思う)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます