あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

ある被爆者の死に際して

2011-02-27 23:22:27 | 日記
土曜の夜は、お通夜に行きました。

東京在住の被爆者で、藤平典(とうへい・のり)さんという方。

もう80歳超の高齢ではありましたが、
死因は胆のうがんでした。
原爆が影響していないとは言えない。

被爆者は戦争体験者が次々と亡くなっていきます。
当然のことなんだけど、でも私が話を聞いて平和運動を頑張りたいと
思わせてくれた多くの人が亡くなるのに接するのは悲しいことだ。

そして、どんな思いで亡くなっただろうと不安にもなります。
なぜなら核兵器廃絶が悲願であった被爆者たちだから。
こんな核兵器まみれの危機まみれの中で…。

と思いつつ、決意新たにせよと、自分に言い聞かせています。

以下、あるMLに流した文面で少し恥ずかしいんだけど、
自分も忘れないよう記録します。


07年と08年の厚労省前での座り込み行動の際、
被爆者の皆さんがたたかいながら生きる姿に大変励まされ、
また多くのことを学びました。
これほど自分が感激していてよいのか、と思うほどでした。
自分のためにこの活動をやっているのでは、
それでよいのか…なんて感じたのです。

でも座り込みの最後の集会で藤平さんがおっしゃった言葉に、
単純にも「これでいいのかな」と思うことができました。

座り込み行動当時、緊急ブログを立ち上げていたのですが、
そこに綴った藤平さんの言葉を読み返しました。
 ↓
【何より若い人たちに…】
http://yaplog.jp/hibakusya/archive/136
「今回の行動はマスコミも注目し、成果を生んだ。
 何より、若い人たちに私たちの願いを引き継ぐことができた。
 これからも、再びヒバクシャをつくらないための運動を続けていきたい」


また、その直後の「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」立ち上げに際して
藤平さんに少しインタビューをしました(=写真)。

励ましてもらう、教えてもらう、、、そんなことばかりですが、
それによって私も力を得てきたと思います。
藤平さんのメッセージを自分自身に刻み、継いでいきたいと思います。

ケーキ2回と羊羹

2011-02-27 23:08:35 | 日記


土曜は大学時代の友人2人に久しぶりに会い、
ご飯を食べてずっとしゃべりまくっていました。

八王子の隠れ家的なパスタ屋。
赤カブのスープが忘れられない。

3人目の子どもがおなかにいる友人と
結婚3年目(かな?)の友人。

私も含め皆、同じ大学の人と結婚した。
すばらしき、嗚呼、都留文科大学!
我々だけでなく、学内の結婚率が高いことを再確認。

いろんな価値観があって、
自分の価値観はこれでいい、と互いが感じられる時間でした。
そして私の活動や考え方も、一定理解してもらえる。

大学時代ももちろん仲が良かったんだけど、
環境が変わってさらにおもしろい関係になれる。
こういうのって、「宝」と言っていいんだなーと思います。


しゃべりは止まらず、ケーキを2回食べました。

私は帰宅してから羊羹も食べた。ちょっとだけど。


写真はあまおうという、豪華イチゴ。
これはずっと前、9条スプーンを売ってるスプーンおばさん(と勝手に影で呼んでる)が
差し入れてくれたもの。
すげーうまかった。

[高江ヘリパッド]県民同士が闘う不条理

2011-02-25 10:45:02 | レポート
高江の現場に来る作業員や警備員は、
その日雇われた人も多い。

ブカブカの制服を着たあどけない顔が腕を組み、
住民と対峙させられる光景は本当に悲しくなる。

==

沖縄タイムス 2011年02月25日社説
[高江ヘリパッド]県民同士が闘う不条理

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-02-25_14834/

 「国民同士が戦争をしているのではと思った」。昨年暮れ、東村高江のヘリコプター着陸帯移設をめぐる訴訟の口頭弁論で、酒井良介裁判長が漏らしたコメントだ。そんな闘いがいま高江で激しさを増している。

 「エー、オトー、シナサリーンドー(おぃ、おじさん、懲らしめてやるぞ)」

 反対派住民らによると、沖縄防衛局が雇った若い土木作業員が乱暴な言葉遣いで迫ってきた。23日6時すぎ、まだ辺りは暗い。ダンプカーなど作業車両20台余りが道幅の狭い道路片側を占拠した。

 ヘリパッド建設予定地までの通用路(約3キロ)に敷き詰める砂利を運び入れようとするが、反対派が出入り口をふさいでいるためトラックで搬入できない。作業員は砂利を袋詰めにして、道のないやぶの中をバケツリレーで運び入れようとした。

 ダンプから道路脇に投げ降ろされた砂利袋の上に反対派が座り込む。十数人の反対派に対し、防衛局職員と作業員らは100人近くいた。

 怒声、罵声(ばせい)、悲鳴の中で砂利袋の奪い合いが繰り広げられる。現場に駆け付けた警察はその混乱を見かねて、双方を引き離す。

 そんな危ない小競り合いが何日も続いている。

 23日の「早朝の強襲」を受け、反対派はやぶに茂るヤンバル竹や木々を針金などで結び合わせバリアーを張った。さながらジャングル戦で敵の侵攻を阻止するワナを仕掛けているようだ。

 「国民同士の戦争」。政治の不条理そのものだ。

 闘争小屋で警戒する女性=那覇市=は、顔見知りになった若い作業員もいるという。「戦争につながるんだよ。なんでこんな仕事するの」と聞くと、若者は「職がないから仕方ない」と返したという。

 2度反対決議をした高江区は政府に歯向かえないとあきらめ、条件闘争に入った。

 見返りは、パイン畑を野生のイノシシの食害から守る猪垣を求めた。ほかは公民館改築、墓地・公園整備、防音装置など。

 被害防止策は住宅や学校上空を飛ばない、夜間の飛行禁止、騒音測定の実施と対策、区・村・防衛局の通報・連絡ルートを確立するなどだ。

 日本は米軍の運用に口出ししない。そう知りつつ区は苦渋の選択に追い込まれる。

 浦〓永仁区長は「(ヘリパッドは)いまも嫌だ。負担軽減のしわ寄せはごめんだが、果てしない闘いはできない」と苦悶(くもん)する。

 北部訓練場の返還予定地内のヘリパッド6基を高江集落の近くに移設する。訓練場内には既存のヘリパッドは十数基もある。なぜ移設が必要なのか説明がない。

 さらに言えば米海兵隊の沖縄駐留の理由さえ説明せず、乱暴な公共工事で米軍基地建設を進めるやり方はあまりにも非民主的だ。

 米軍普天間飛行場の県外移転要求は沖縄の民意だ。ヘリパッドの強行建設は、政府が県民同士を闘わせているようにも映る。

 公共性と必要性に疑義がある工事は即刻やめるべきだ。

※(注=〓はへんが「山」でつくりが「竒」)

ピースエッグで再認識

2011-02-22 21:04:29 | 日記
2月11~13日は、私が所属する平和委員会主催のピースエッグでした。
毎年やっていますが、今年は8年ぶりの東京開催。

私はこれが仕事ですが、たくさんの青年がボランティアとなり、
企画を成功させてくれます。

よく考えれば、このことだけでかなりすごいことだと思う。
みんな手弁当で、一つの企画を作り上げるのだから。
学生やら社会人やらが一緒になり、
全国から来る100人以上の青年を迎えるのだ。

結果的に、本当によいものになりました。
平和の問題に、青年が主体的に向き合う。
全国の青年同士がつながり合う。
3日間、「平和」をとことん考え、学び、しゃべる。
…など、エッグ本来の目的を満たすことができました。


平和運動は人間の運動だなあと常々感じています。
人間の営みを考える(考えざるを得ない)運動というか。
だから運動は常に個々人の主体性がないとできないし、
主体性を取り戻すことそのものが、平和運動だと思っています。

言葉だけだと抽象的ですが、その実現のためあれやこれや悩みます。
もはや32歳のあたくしが、10代から20代前半の若い人とどう企画をつくるか。
もちろん「成長」それ自体は本人にしか獲得できないこと。
でも若い人がなるべくのびのびと活動でき、
前向きになれる環境を整えることが私の仕事かなとも思っています。

今までは私も同じような目線でヒーコラしていましたが、
多少達観することの大事さに気付いたり、
環境を整えること自体に喜びを感じられるようにもなってきました。


今回、最終的にはものすごい感動を呼んだ東京エッグでした。
若い中枢メンバーが号泣し、
「ありがとう」を繰り返していたのだ。

実は私、ちょっと自信がなかったんだけども。
役割をどこまで分担できるのかと気遣うあまり、
若メンバーに自信を失わせてはいないか、とか。
人間的な信頼関係を築けているだろうか、とか。

でも私があれこれ心配していたのとは関係なく、
若メンバーは自分で考えて動いていたのだ
(私自身も一定の役割を果たしたという自負は持ちつつ)。
彼らの感動は、彼ら自身が引き出したことだなーと感じました。

そして私もとても感動したのだ。
たった3日間だけど、だからかもしれないけど、
他人を思いやろうとする努力がみんなすごいんだよ。

そして感想文を読んでは目頭を熱くしております。


平和委員会的には課題はどっさりです。
それはこれからの私の仕事です。

とにかく、エッグの意義の大きさと、
人と人が結び合ったときの可能性の大きさを
再認識したのでありました。