昨日書いた日記「女たちの戦争と平和資料館―共感と怒り」に、コメントをいただきました。
本来なら私もコメント欄で答えるべきかもしれませんが、けっこうな分量になりそうだったのと、私なりに思うふしもたくさんあるので本日の日記にさせていただきます。
いただいたコメントの主な中身は、「慰安婦」問題や南京大虐殺は本当に真実なのか、証拠が不十分ではないか、ということだと思います。
以下、(勝手に)引用させていただくことをお許しください。(お気を悪くされたらごめんなさい。)
「慰安婦の心情を思いやる気持ちがあるのなら、冤罪を着せられている元日本兵たちの心情も思いやってほしいものです」
「検証もなしに事実として宣伝され、一人歩きしていくことの方がよほど恐ろしいとは思いませんか」
「何を信じるかは個人の自由ですから」
「ただ、よく調べもせずにイメージだけで一方的に断罪するような態度は控えた方がよろしいと思いますよ」
つまり、「被害者」とされる当人の証言しかないのに、それを事実として認められるのか、元日本兵に失礼ではないか、といったところでしょうか。
私は、「被害者」の証言がいかに重要であるか、と強く言いたい。
私は中学・高校生のころから、日本人の戦争被害者、つまり空襲体験者や被爆者の体験を聞く機会がたびたびありました。
実にさまざまな体験があります。
一つの爆弾により、家族をすべて失った人、友人を亡くした人、半身不随になった人、自分だけ生き残ったことに苦しむ人、…。いずれも真実です。
私は慣れ親しんだ日本語でその証言を聞いたことにより、自分に理解できる言葉で、戦争という巨大な暴力が一個人に何をもたらすのかを学んできました。
こうした話を聞いたことが、私が戦争や平和の問題に関心を持ち出したきっかけです。
その後、それまで日本語で聞いてきた戦争の記憶が、実は中国語や韓国語でも語られているのだと気づきました。
通訳を介さなければ理解できない言葉で、彼らは日本の戦争被害者と同じように、自身や家族が傷つけられた経験を話すのです。
けれどその場合の「被害者」に対し、「加害者」は日本人です。
一個人としては同じ戦争の「被害者」であっても、構造的には侵略された者とした者という関係がここにはあります。
日本は先の戦争に関して、良くも悪くも「被害者」意識の方が強く存在します。
東京裁判で、天皇の戦争責任が免責されたことも一つの要因なのでしょうか。
よく日本と比較されるのが、ドイツにおける戦争責任の追及の仕方です。かつてのナチス・ドイツを鋭く断罪し、時効もないために60年以上経てもなお、戦争犯罪人として起訴されることもあるとか。
日本は、こうした徹底した戦争責任の追及はしてきませんでした。
しかし良くも悪くも、と言ったのは、日本では一個人の戦争体験(被害)を記録することで、戦争が人類と共存できないということを学んできたということです。
確か去年あたりに聞いた、あるドイツの平和活動家の言葉が印象的でした。
日本では、戦争の被害を記録することを平和運動の一つにすえていることを学んだ、と(いうような感じだった気がする。たぶん)。
もちろんそのドイツ人は、そうした日本のやり方について積極的に捉えていたと思うのですが、そうした感想は少し新鮮でした。ドイツでは自国民の被害体験についてどれほど語られているのかよく知りませんが。
だからつまり、日本ではあまり真剣に耳を傾けられなかったアジア諸国の「被害者」の証言は、日本国内の戦争体験証言よりも信頼されにくいのかな、という気はしています。
しかも日本政府自体が、積極的にその事実を記録しないばかりか、「証拠がない」ことを理由に「だからその事実はない」のだと決める態度なのです(それは言いすぎかな? 「証拠がないから事実はない」と主張する人に、与党議員も同調している、と言うべきなのかな?)。
しかし、「従軍慰安婦」問題や南京虐殺、等々について、決して「被害者」当人の証言だけがその証拠として挙げられるわけではありません。
たとえば当時現場にいた外国人の証言、「慰安所」設置を請け負っていた会社の書類、軍人自身の日記、軍通達などの書類、等々が残っています。
ただし公式書類の存在はきわめて少ないのも事実です。それはもちろん、旧日本軍が敗戦時、証拠隠滅のために多くの書類を焼却したためです。
このことで今、証拠不十分だからと言って事実はなかったとするならば、日本軍の行為が功を奏したということでしょうか。
そして実際に手を下した元兵士の証言もいくつもあります。
もちろん「自分は慰安所など見たこともない」「強姦なんてとんでもない」と話す方もいます。
だからこそ、「加害者」側からの証言・証拠とともに、「被害者」の証言に静かに耳を傾けることが重要だと思うのです。
証言者は、朝鮮や台湾、中国や東南アジア、太平洋地域、そしてオランダにまで及びます。公式書類には残っていない「慰安所」は、部隊誌や元兵士らの証言により、広大なアジア地域、そして日本にもあったことが示されています。
これほど広大な規模で、かつ深刻な中身を示されている問題であれば、一事件としてあったかなかったかの論争は論外として、組織的(軍・国家ぐるみ)な行為であったと言えるのではないかと私は思います。
…
いや、初めのコメントに対し真正面から答えきれていないかもしれません。
文章ばかり長くなっています。
私は、この問題を明らかにするのは歴史学の仕事だと思います(これ以上追及しない、という意味ではありません)。
歴史学を担う者でも何でもない私が言うのもおこがましいかもしれませんが、歴史学の仕事は、さまざまな証拠に基づいて事実を明らかにし、これを後世に生かすことだと思います。たぶん。
そして明らかになった事実に対し、どう向き合い、どう対処するかは政治の課題であったり、私たち市民の課題であると思います。
否定派の意見も聞いたか、と問われました。
私がこの問題に関して読んできたものは、学者やジャーナリストで言うと笠原十九司、吉見義明、藤原彰、山田朗、吉田裕、家永三郎、本田勝一、等々です。他にさまざまな論文や、「被害者」「加害者」の証言にも触れてきました。
そしていわゆる「否定派」の意見で私が触れてきたのは、小林よしのりや泰邦彦、加藤典洋(否定派に入れちゃうかな?)や「諸君!」などの雑誌でしょうか。
まだ読むべきものはたくさんあるかもしれません。
しかし「否定派」の主張にありがちなのは、「証拠がないから事実はない」というもの。この主張こそが、事実に基づかないものだと思います。
事件そのものの存在の「否定派」「肯定派」、下手すると「右翼」対「左翼」なんて構図を持ち出す人もいたりしますが、それこそ不毛です。
これからさらに「被害者」が減ります。
被害者が増えるよりは良いことですが、しかし問題を清算しないままに、「被害者」の思いに多くの人が一度も共感することなしに本人がいなくなることが、私はとても不安です。
写真は、以前に入った沖縄料理店。命どぅ宝の文字が。
本来なら私もコメント欄で答えるべきかもしれませんが、けっこうな分量になりそうだったのと、私なりに思うふしもたくさんあるので本日の日記にさせていただきます。
いただいたコメントの主な中身は、「慰安婦」問題や南京大虐殺は本当に真実なのか、証拠が不十分ではないか、ということだと思います。
以下、(勝手に)引用させていただくことをお許しください。(お気を悪くされたらごめんなさい。)
「慰安婦の心情を思いやる気持ちがあるのなら、冤罪を着せられている元日本兵たちの心情も思いやってほしいものです」
「検証もなしに事実として宣伝され、一人歩きしていくことの方がよほど恐ろしいとは思いませんか」
「何を信じるかは個人の自由ですから」
「ただ、よく調べもせずにイメージだけで一方的に断罪するような態度は控えた方がよろしいと思いますよ」
つまり、「被害者」とされる当人の証言しかないのに、それを事実として認められるのか、元日本兵に失礼ではないか、といったところでしょうか。
私は、「被害者」の証言がいかに重要であるか、と強く言いたい。
私は中学・高校生のころから、日本人の戦争被害者、つまり空襲体験者や被爆者の体験を聞く機会がたびたびありました。
実にさまざまな体験があります。
一つの爆弾により、家族をすべて失った人、友人を亡くした人、半身不随になった人、自分だけ生き残ったことに苦しむ人、…。いずれも真実です。
私は慣れ親しんだ日本語でその証言を聞いたことにより、自分に理解できる言葉で、戦争という巨大な暴力が一個人に何をもたらすのかを学んできました。
こうした話を聞いたことが、私が戦争や平和の問題に関心を持ち出したきっかけです。
その後、それまで日本語で聞いてきた戦争の記憶が、実は中国語や韓国語でも語られているのだと気づきました。
通訳を介さなければ理解できない言葉で、彼らは日本の戦争被害者と同じように、自身や家族が傷つけられた経験を話すのです。
けれどその場合の「被害者」に対し、「加害者」は日本人です。
一個人としては同じ戦争の「被害者」であっても、構造的には侵略された者とした者という関係がここにはあります。
日本は先の戦争に関して、良くも悪くも「被害者」意識の方が強く存在します。
東京裁判で、天皇の戦争責任が免責されたことも一つの要因なのでしょうか。
よく日本と比較されるのが、ドイツにおける戦争責任の追及の仕方です。かつてのナチス・ドイツを鋭く断罪し、時効もないために60年以上経てもなお、戦争犯罪人として起訴されることもあるとか。
日本は、こうした徹底した戦争責任の追及はしてきませんでした。
しかし良くも悪くも、と言ったのは、日本では一個人の戦争体験(被害)を記録することで、戦争が人類と共存できないということを学んできたということです。
確か去年あたりに聞いた、あるドイツの平和活動家の言葉が印象的でした。
日本では、戦争の被害を記録することを平和運動の一つにすえていることを学んだ、と(いうような感じだった気がする。たぶん)。
もちろんそのドイツ人は、そうした日本のやり方について積極的に捉えていたと思うのですが、そうした感想は少し新鮮でした。ドイツでは自国民の被害体験についてどれほど語られているのかよく知りませんが。
だからつまり、日本ではあまり真剣に耳を傾けられなかったアジア諸国の「被害者」の証言は、日本国内の戦争体験証言よりも信頼されにくいのかな、という気はしています。
しかも日本政府自体が、積極的にその事実を記録しないばかりか、「証拠がない」ことを理由に「だからその事実はない」のだと決める態度なのです(それは言いすぎかな? 「証拠がないから事実はない」と主張する人に、与党議員も同調している、と言うべきなのかな?)。
しかし、「従軍慰安婦」問題や南京虐殺、等々について、決して「被害者」当人の証言だけがその証拠として挙げられるわけではありません。
たとえば当時現場にいた外国人の証言、「慰安所」設置を請け負っていた会社の書類、軍人自身の日記、軍通達などの書類、等々が残っています。
ただし公式書類の存在はきわめて少ないのも事実です。それはもちろん、旧日本軍が敗戦時、証拠隠滅のために多くの書類を焼却したためです。
このことで今、証拠不十分だからと言って事実はなかったとするならば、日本軍の行為が功を奏したということでしょうか。
そして実際に手を下した元兵士の証言もいくつもあります。
もちろん「自分は慰安所など見たこともない」「強姦なんてとんでもない」と話す方もいます。
だからこそ、「加害者」側からの証言・証拠とともに、「被害者」の証言に静かに耳を傾けることが重要だと思うのです。
証言者は、朝鮮や台湾、中国や東南アジア、太平洋地域、そしてオランダにまで及びます。公式書類には残っていない「慰安所」は、部隊誌や元兵士らの証言により、広大なアジア地域、そして日本にもあったことが示されています。
これほど広大な規模で、かつ深刻な中身を示されている問題であれば、一事件としてあったかなかったかの論争は論外として、組織的(軍・国家ぐるみ)な行為であったと言えるのではないかと私は思います。
…
いや、初めのコメントに対し真正面から答えきれていないかもしれません。
文章ばかり長くなっています。
私は、この問題を明らかにするのは歴史学の仕事だと思います(これ以上追及しない、という意味ではありません)。
歴史学を担う者でも何でもない私が言うのもおこがましいかもしれませんが、歴史学の仕事は、さまざまな証拠に基づいて事実を明らかにし、これを後世に生かすことだと思います。たぶん。
そして明らかになった事実に対し、どう向き合い、どう対処するかは政治の課題であったり、私たち市民の課題であると思います。
否定派の意見も聞いたか、と問われました。
私がこの問題に関して読んできたものは、学者やジャーナリストで言うと笠原十九司、吉見義明、藤原彰、山田朗、吉田裕、家永三郎、本田勝一、等々です。他にさまざまな論文や、「被害者」「加害者」の証言にも触れてきました。
そしていわゆる「否定派」の意見で私が触れてきたのは、小林よしのりや泰邦彦、加藤典洋(否定派に入れちゃうかな?)や「諸君!」などの雑誌でしょうか。
まだ読むべきものはたくさんあるかもしれません。
しかし「否定派」の主張にありがちなのは、「証拠がないから事実はない」というもの。この主張こそが、事実に基づかないものだと思います。
事件そのものの存在の「否定派」「肯定派」、下手すると「右翼」対「左翼」なんて構図を持ち出す人もいたりしますが、それこそ不毛です。
これからさらに「被害者」が減ります。
被害者が増えるよりは良いことですが、しかし問題を清算しないままに、「被害者」の思いに多くの人が一度も共感することなしに本人がいなくなることが、私はとても不安です。
写真は、以前に入った沖縄料理店。命どぅ宝の文字が。