10月に開催する「ピースエッグ2005inおかやま」(10月8-10日)の準備のために、ただいま岡山に来ております。
岡山から、沖縄の旅レポート開始ー。
●5月15日(日)普天間。
沖縄の旅は2泊3日、普天間基地、名護市辺野古、下地島などをめぐります。本土からはツアーを組んでの参加です。
羽田空港に着いたら、学生時代を過ごした山梨からも、知り合いの若い病院職員、Sさんが来ていました。ますます旅が楽しいものになるぞ、との期待が膨らみます。
昼ごろ、那覇へ到着。
あちい。
と言うよりも、蒸す。
沖縄は現在梅雨です。
飛行機を降り、携帯電話に電源を入れて早々、都留文科大学時代からの仲間で沖縄在住のUくんから電話がありました。絶妙のタイミングで驚きましたが、とてもうれしい。
彼もこれから行われる普天間基地行動に参加したかったのだが、仕事が入って行けなくなった、でも父が参加するよ、とのこと。エールをもらいました。
バスに乗り、宜野湾市にある普天間基地へ向かいました。
この沖縄の旅の大きな目的の一つ、「普天間基地撤去、基地の県内移設に反対する県民大行動」に参加します。
普天間基地は宜野湾市のど真ん中に居座る米軍基地ですが、96年4月に日米両政府の間で、5~7年以内の返還が合意されています。しかし、返還のめどはまったく立っていません。
返還の条件に、代替施設として名護市辺野古沖への海上基地建設が挙げられましたが、辺野古ではこれに反対し、毎日座り込みで基地建設のための工事を止めています。
日米政府は、普天間基地の移転のめどを立てられないことを理由にずるずると返還を先送りにしていますが、住民は一刻も早く基地をなくしてほしいと切に願っています。
普天間基地の早期返還を求める包囲行動は、95年に始まり今回が4回目です。
去年5月の包囲行動では正面から掲げることのなかった「基地の辺野古移設反対」は、一向に返還が進展しない中、去年8月に起きた沖縄国際大学(宜野湾市)への米軍ヘリ墜落事故、そして辺野古でのたたかいを受け、今回は共通スローガンとして打ち出しました。
そうして迎えた今回の包囲行動は、過去最多の23,850人で実現しました。
普天間基地を人の手で一周させるためには17,000人、そして目標が20,000人でしたから、本当に大きな数です。
これだけの数がいれば、腕をゆるめながら基地をゆうに囲めるのです。
目立ったのは親子の姿です。宜野湾市内から、家族で歩いて来たという人も多くいました。いわゆる団体に所属していないような、普通の一市民も大勢いました。
地元のオバーが1人でトコトコとやってきて、さりげなくまぎれこんで一緒に手をつなぐ姿は、小さいんだけど大きい、そんはふうに見えました。
美しい。
場所を海浜公園に移し、県民大会へ。
7,500人が参加し、会場で呼びかけたカンパには130万円余りが寄せられました。すごい額!
宜野湾市の伊波洋一市長をはじめ、国会議員や労組、市民団体の代表などが次々と発言しました。
伊波市長は、「普天間基地返還アクションプログラム」というものを策定し、返還と跡地利用について計画を練っています。住民の代表として、返還が命にかかわる大事業として切実な思いを話しました。
民主党の岡田代表も普天間返還に協力する立場なのですが、彼が発言をすると会場から「憲法はどうするんだ!」といったヤジが飛びました。改憲を高らかにうたい、自国の軍隊を持つべきだと主張する彼らは、軍隊がもたらすもの、基地を抱える住民の苦しみが本当にわかっているのか疑問です。
辺野古からも数人が発言しました。
もうどこにも基地はいらない、ということを、お互いに確認しあう、よい大会でした。
大会後、私はツアーから離れて1人辺野古へ。
名護市からのマイクロバスに乗せてもらい、ゆらゆらと辺野古へと向かいました。
(つづく)