あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

555

2005-06-30 00:54:30 | 日記
久々に、仕事をやりきれません。
悲しくてやりきれないのではなくて、仕事を終えられないという意味です。
仕事の順番を間違えているのかとも思ってしまいます。
ノロノロ。

日記も書ききらんので、どうでもいいことになります。

コンビニエンスストアにあるものは薬まみれで、体に毒でしょうよ。
つらいときほどジャンキーな食べ物がほしくなります。
でも今日は、毒は毒でもまだましだと信じたいサラダを買いました。

サラダスパゲティと豆おかきを買ったら、合計金額555YENでした。
オオ、ぞろ目。
しかも500円玉、50円玉、5円玉がきちんとそろっていて、ぴっちりスマートに払ってやりました。

昨日深夜、靖国神社で買ったビデオ「私たちは忘れない―感謝と祈りと誇りを―」(企画・制作=日本会議・英霊にこたえる会)50分を見ました。
内容(思想)は置いておいても、作品としてもあまりおもしろいものではありませんでした。別におもしろさを求めて見たわけではありませんが。
60年前に青年、または少年少女であったと思しき人々が、軍歌集会(的なところ)に集って全員総立ちで日の丸を振って軍歌を懐かしそうに歌う光景は、見ていて本当に悲しくなります。無邪気さすら感じられる。その無邪気さも一つの罪に近いものではあると思いますが、それをさらに利用しようとするところが憎たらしいです。

靖国神社の滝

2005-06-27 10:21:56 | 日記
昨日(日曜)は、靖国神社へ行ってきました。

靖国神社には滝はありません。
昨日の靖国の滝は、私の頭でした。
元来、私は汗かきなのですが(特に頭)、昨日は今年の汗初めといってよいほどに大粒の汗をたくさん流しました。
新宿平和委員会のHさんのガイドでまずは神社の外にある戦跡めぐりから始めたのですが、麦わら帽子をかぶったHさんは涼やかな顔で、傍らで私だけ汗が吹き出ていました。

昨日の靖国神社訪問は、おととしに山梨の仲間と、同じくHさんのガイドで訪れて以来でした。
小泉首相のかたくなな参拝の継続と、中国や韓国からの批判、これに対する日本国内の反発など、おととしとはまた違った情勢です。しかし日本国内の反発と言っても、最近のいくつかの世論調査を見ると、首相の靖国参拝は慎重に、とか、中止を、といった声が多数のようです。

昨日の靖国訪問は、平和新聞の取材が主な目的でしたので、詳しくは7月5日号をお楽しみに(ちょっと自信なかったりも…。いや、ウソ)。

詳細はまだ述べられませんが、でもびっくりしたこと1つだけ。
昨日は天気のよい日曜ということもあってか(?)、軍服を着た人がちらほらいました。
その中で、おじいちゃんがそういう格好をしているのはまだわかる。
でも許せないのは、子どもにそうした格好をさせている親です。
見たところ30~40代前半の夫婦(でも母親のTシャツには日の丸と日章旗)と、10歳くらいの子、5歳くらいの子、3歳くらいの子。
親と3歳くらいの子は現代の普通の格好、10歳くらいの子は日の丸を持ち、白い開襟シャツ(戦前の小学生をイメージしたような)、5歳くらいの子は日本の歩兵が来ていたようなカーキ色の軍服。

Hさん言うところ、その親は首相に靖国参拝決行を求める署名だったかなんだったかを集めていたのを見たことがあるらしいです。

Hさんとも話していたのですが、親は何を考えているんだろう、自分の子どもを戦争に行かせて死んでもいいと思っているんだろうか、…。

まるでコスプレのようです。
いや、ただのコスプレならまだ「愚かだなあ」で済むかもしれませんが(済ませたくはないけど)、意図的だったら許しがたい話です。
お恥ずかしい。
もし私に子どもができたら、あんな親子関係は築くまいと痛感してしまいました。

明日は靖国神社へ

2005-06-26 02:58:26 | 日記
明日(今日)は、靖国神社へ行きます。

最近の政府のかたくなな参拝の強行、アジアからの反発、そして日本での世論調査の結果(慎重に、またはやめるべきが多数)、…と注目される靖国ですが、平和新聞でも靖国問題を明らかにしようと特集を組むことにしました。
そのための取材に出かけます。

日本平和委員会にも、「靖国神社がどんな問題を抱えるのか見学をしたいが、よいガイドを紹介してもらえないか」との問い合わせがときどき来ます。
そのときに紹介をするのが、新宿平和委員会のHさんです。
明日はそのHさんによるマンツーマンガイドで、じっくりと見学してきます。

Hさん、急なお願いにもかかわらずそしてかなりお忙しいところお引き受けいただいて、本当にありがとうございます。

今晩は、明日の取材に向け徹夜で事前学習です。
といっても本を読むだけなのですが、ひとまず高橋哲哉さんの「靖国神社」(ちくま新書)と田中伸尚さんの「靖国の戦後史」(岩波新書)だけはきちんと整理していきたいと思います。

実は田中さんの本はかなり前に、高橋さんの本も先日さらりと読んだのですが、口に出して議論してみるとほとんど見についていなかったことが判明。
学習不足を指摘され情けなさを感じつつも、気を取り直して明日に臨もうと思います。
そろそろ眠いのですが、まだ終わらないため起きてやらねばなるまい。

ミニトマトはすくすくと育っています。

今夜はさらに、豆盆栽の種を植えました。友人の結婚式の二次会でいただいたもの。何が出てくるのかは不明。楽しみだなあー。

戦争を迎える警報サイレン実験

2005-06-24 01:54:07 | 日記
本日は、沖縄慰霊の日です。
学生時代、沖縄出身の友人に「今日は何の日?」と聞かれすぐには答えられませんでした。沖縄では多くの学校が休みになると聞き、驚いた記憶があります。

60年前の戦争の記憶がいまだ生々しいのですが、そんな中、次なる戦争の準備ともいえる事態は着々と進んでいます。

最新の「平和新聞」6月25日号で少し触れていることですが、埼玉県日高市で6月16日、国民保護法に基づく警報サイレン実験がありました。

国民保護法とは、有事法制とセットで整備されつつある法律。戦時においても国民の身と財産は守りますから、という口実でつくったものです。でもその実態は、日ごろから住民の避難訓練などをして、住民を戦争に順応させる内容です。
サイレンは「武力攻撃事態」があった場合に住民に知らせることが目的とされ、実験では1時間で10種類のサイレン音が流されました。
これは全国初の実験で、総務省など政府関係者らがバスで乗り付けて実施、市助役、消防団員や70人が参加しました。(平和新聞参考)

サイレン実験は、日高市が勝手にやったものではありません。
もともとこのサイレンは、「有事」の際に通信衛星を経由して都道府県・市町村の防災無線を自動的に立ち上げ、住民に警報伝達することを目的にした国の政策で、システム開発には2億円以上がかかるそうです。
今回の実験を経て、どのサイレン音にするか検討した上で今年中に結論を出すとのこと。
10種類の音の中には、戦時中の空襲警報を思わせるサイレンもあったそうです。

こうした実験が行われていることを、多くの人が知りません。
多くの日本の人々はじめ政府自身も、近々日本で戦争があるとは想定していません。戦争はするものではなくて回避する対象であるはずなのに、なぜか迎える準備だけは進め、血税を投入します。

ふと、去年読んだ「となり町戦争」(三崎亜記、集英社)を思い出しました。
戦争なんてまさか、という気持ちを持ちながらも、静かに戦争が進行していきます。
この物語自体が静かに、淡々と進むのですが、妙なリアリティがあり恐ろしく感じました。

姉夫婦、くる。

2005-06-24 01:02:12 | 日記
昨晩は姉夫婦がうちに泊まりました。

姉たちは昨年末に入籍、そして3月に身内とごく親しい友人を呼んでの結婚お披露目食事会をしたばかりの、一応「新婚ほかほか」のカップルです。

10日間エジプトに旅行をした帰りの、東京1泊でした。

今日は私も仕事を夕方まで休み、一緒に東京観光をしました。
巣鴨でそばを食べ、佃煮を買い、とげぬき地蔵をお参りし、福引を引き…。
その後はなぜか東京タワーへ。私は(安全な)高いところが大好きなので、少し興奮しました。
ろう人形館にはジョージ・W・ブッシュ現大統領までいて、驚きました。

まだ姉の相方さんとはいまいち打ち解けることができず緊張もしましたが、でもエジプト帰りで2人とも疲れているだろうのに泊まってもらい、うれしかったです。
ひとまず姉の相方は置いておくとして、姉との関係も、幼いころはわだかまりもあったのですが、だんだんと父の噂をしつつ楽しく過ごせるようになりました。
それぞれが独立して生活を異にすることで、また年も重ねたことで、互いを思いやる心が生まれてきたのかもしれません。逃げも混ざっているのかもしれませんが。

家族とは、本当はもっと気楽に接したいのですが、どうしてもどう接したらよいかを考えすぎてしまうきらいがあります。
でも、今は、家族ということのみが理由になる、「無条件の愛」というものを感じています。
これから私も含め西村一家がどんな道を歩むかはわかりませんが、互いに一生見捨てないんじゃないかな、という気はしています。いや、今までも決して見捨てはしなかった。特に父は。
私は今までもこれからも見捨てられることはないと、確信しています。このように私にもわかる形で愛情を注いでくれた父や姉、そして母には本当に感謝しています。
ただただ注がれるばかりの存在だった私も、とにかく家族だけは一生大切にできる人間になりたいものです。

写真は東京タワー内。もうちっと迫力がほしいとこでした(安全とわかっている限り)。

辺野古Night in 東京・代々木

2005-06-22 03:08:01 | 映画
昨晩は、お待ちかねの「映画&写真&講演で辺野古Night」企画をやりました。
日本平和委員会&東京平和委員会青年協議会&ステッピングアウト平和委員会主催。東京は代々木オリンピックセンターにて。

辺野古とは沖縄県名護市にある海の町で、米軍の新しい基地を海上につくろうと日本政府が画策中なのですが、地元や日本各地の人々がここに毎日集まり建設させないよう座り込みを続けています。
海上に基地を建設するために、まず政府はボーリング(掘削)調査をしなくてはならないのですが、その調査をするために何箇所かにパイプを組み立ててやぐらを立てるなどの工事をする必要があります。その工事を、辺野古では1年以上にわたって止めています。

会場の廊下では、この辺野古での運動を撮影した写真家、浅見裕子さんの写真パネル~美ら海・辺野古10ヶ月~を並べました。
浅見さんの写真は、色が濃い。
鮮やかなのですが、とにかく色が濃い。
辺野古のたたかいが、情熱的に伝わってくる写真です。
被写体であるオバー・オジーたちの一本一本のしわがくっきりと映し出され、その人間の歴史を思わずにはいられません。
海を見つめる人々、海の上でカヌーに乗る人々、やぐらの上の人々。
そしてまぶしいほどの海の色。

浅見さんの写真パネルは無料で貸し出し中です。
各地の皆さん、ぜひご利用あれ。

そして先々週辺野古へ行った、若き写真家・郡山総一郎さんの講演。
郡山さんが辺野古を訪れたとき、ちょうど米海兵隊の水陸両用車が沈没するという大事故がありました。
郡山さんは、そのときの様子をすかさずカメラに。
事故後カヌーで現場にやってきた米海兵隊が、沈んだ車両をまったく引き揚げる様子もなく、しかし搭載されていた正体不明の赤い箱だけは取り出して行った様子を生々しく話しました。
その赤い箱の正体は、今もって謎…。

その後、昨日の企画メインの映画上映。
ドキュメンタリー映画「Marines Go Home~辺野古・梅香里・矢臼別」。
北海道AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会)が企画、監督は藤本幸久さんの、135分の映画です。

この1年プラスその前の8年にわたるたたかいで、基地建設を止めている沖縄県辺野古。
半世紀以上、米軍の射爆場として利用され、その間に騒音被害とともに米軍の事故によって住民に死者も出した韓国の梅香里(メヒャンニ)。実はここ、2004年に騒音被害訴訟で住民が勝訴し、韓米政府は05年8月までに閉鎖することを合意しています。
北海道矢臼別は、自衛隊の矢臼別演習場がある広大な原野。数年前から、沖縄の米海兵隊も演習に利用しています。この演習場のど真ん中に、なんと住んでいる人がいる。川瀬氾二さん。自ら開拓したその土地が好きだからという、実直な理由でそこに住み続けて半世紀以上。自分がそこに住み続けられる保障が、実は日本国憲法にしっかり明記されていたと、憲法の意味を訴え続けます。

私たちのような若い世代には、基地に反対するということ自体が戦闘的で、危険を伴った激しい運動のように聞こえるかもしれません。
でも、映画に写っていた人々はまさに平和的で、人間味にあふれている。
住み慣れた土地に安心して住むという、人間として当然保障されてしかるべき自分の願いを、自分の手で守り続ける人々です。そしてその願いを壊すものが、戦争であったりそのための訓練であれば、それに反対をし、なおさら自分の夢を守る努力をします。
そして決して暴力はなく、住み続けること、座り続けること、そして裁判で、対抗してきました。

川瀬さんは朴訥(ぼくとつ)な印象。
ぼそぼそと話しながら、「パウエルは、戦争の責任をどうとるつもりなんだろうね」と言ったりする。
憲法前文や九条が書かれた、川瀬さんの家(か宿舎かな?)の姿も圧巻でした。

梅香里のチョン・マンギュさんは、去年の佐世保で開いた日本平和大会に来てもらったときは、ずっとニコニコしていました。見るからに優しそうなのですが、この人も実はものすごい経験をしています。
映画にはチョンさんのワイフも登場。
毎日毎日、米軍の射撃音が鳴り響き、「誤射」によっていつ自分の身に危険が及ぶかもしれないという恐怖と隣り合わせで暮らす人々の日常生活が、垣間見ることができました。
梅香里を出て安心して暮らしたいという、チョンさんのワイフ。
米軍の誤射によって殺された住民のことを、落とされた米軍の薬きょうを広げながら怒りをにじませて語るチョンさんの姿は印象的でした。

辺野古は、たくさんの人が登場しました。
まさに現在進行形のたたかいが、克明に映し出されていました。
基地建設を止めているのは、まさにこの人たちだ、と思いました。
海上のやぐらを何とかして建設しようと、政府機関の那覇防衛施設局と業者が暴力交じりでそこに座り込んでいる人たちをどかそうとします。海上の座り込みとは、ウェットスーツを着てやぐらにしがみつき、作業を食い止めるものです。施設局が手を挙げてきたとき、無理やり体をつかんで引き摺り下ろそうとするとき、座り込みの人たちはそれでも非暴力でじっとしがみつく。非暴力を貫くことの信念と辛抱強さが、胸を突きました。

沖縄に移住して4年目の、20歳の富田晋くんが、オバーやオジーに学んだこと。
やぐらに座り続ける平良悦美さんの思い。「私たちがこうして止めているのは、時間稼ぎに過ぎない、でもそうしている間に基地建設反対の世論は大きくなり、いまや日本中から応援がきている…」。
名護の住民の具志堅徹さんが、基地建設に反対する原点。母親、祖母のすさまじい戦争の記憶。親子で互いの胸を刺しあう苦しみ、生き残った者の苦しみ。

などなど、貴重な証言と映像満載でした。

みんな、本当に「スゴイ」人なんだけど、人間くささを感じます。
基地建設や演習に反対する運動の最前線に立つ人々の、苦しみや誇り。
決して英雄扱いをしてはいけないな、と思いました。
だれもが迷いながら、でも怒りと誇りを胸に、そこに立っているのだろうと思います。

魅力的な人間がたくさん写ったこの映画、いろんなところで上映してほしいと思います。

今日のミニトマト。葉っぱが続々と。そして緑が濃くなっています。

生命の息吹

2005-06-19 15:17:07 | 日記
最近、ミニトマトを育て始めました。
私は団地育ちで、畑いじりをしたことがありません。
小学生の頃にイチゴと綿をベランダで育てた記憶がありますが、ともに鉢に植わったままいつの間にやらカラカラに枯れ果てていました。イチゴは青白い実ができて、うれしかったけどぜんぜん甘くありませんでした。

昨年末に友人にもらったミニトマトの種をいつか植えようと時期を狙っていましたが、いよいよ夏が近づき、仕事もひと段落したのでいよいよ植えてみました。
今度こそ育て上げるという誓いのもとに。

数日たってもまったく土の盛り上がりが見えず、「またダメだったの…」と少々不安に思っていましたが、先週ちょっこりと出た芽から始まり、

現在にょきにょきと芽が出まくっています。
毎日その姿を確認するたびに、興奮しまくっています。
現在の姿は、まるでさつきとメイが、深夜に庭でトトロと一緒にお祈り(踊り)をして木の実から芽を出したときの、まさにその最初の芽が出た瞬間の畑の姿。
わかるかなー?

毎日ほれぼれと眺めていますが、自分で何かを育てるというのは本当にうれしいことです。
別のウェブ日記で栽培を始めたことを書いたら、友人たちもいろいろ育てていることがわかり、感心しています。
過去にミニトマトを育てた経験がある人は、買うよりも手間もお金もかかるかもしれないが、でも毎朝もぎたてのトマトをいただく喜びはひとしお、と言っていました。実に楽しみです。

私は末っ子で下の年齢の子の面倒を見た経験もなく、庭いじりの経験もなく、ペットも亀以外は育てた経験がありません。
人と植物、動物はそれぞれ育て方は違いますが、命への愛情というとかなり大げさですが、でも自分以外の何かを手塩にかけてみる、という経験は貴重だと思います。

生命の息吹を肌で感じているせいか、先日、たくさんの犬をがんばって育てている夢を見ました。
いろんな種類の犬がいて、なぜか何かのシンポジウムの最中にどかどかと犬を引き連れて平和について語りあっているという場面でした。

ミニトマトをプランターに植え替えたら、シソやバジルも始めてみようと思います。

九条の会がいっぱい

2005-06-16 21:57:53 | 日記
職場で残業しながら、ついついいろんなホームページをのぞいてしまいました。

本日夢中になってしまったのは、各地の、あるいは各分野の「九条の会」です。
去年6月に、著名な9人が「あらためて憲法九条を輝かせ、改憲のくわだてを阻み、一人ひとりがあらゆる努力を始めよう」とのアピールを出した「九条の会」。

この呼びかけに応じ、この1年の間に本当に細かな単位で、あちこちに「九条の会」が作られています。
その中には、とても質の高いホームページをつくっている会も多くあります。
各地の「会」をすべてカバーするのは大変な困難ですが、ホームページを持っている会のみを一覧表にまとめたグループ(リボンプロジェクト)もありました。

私も生まれ故郷、愛知県東三河にも。
私の第二のふるさと、山梨にも。

ヤングなサイトも。北海道青年9条の会や、長野にも。
青年の九条の会は各地にできつつあるらしいので、なんとかして情報を集められないかと思っています。

他にも、「美術・九条の会」や「スポーツ9条の会」、「映画人九条の会」、「図書館9条の会」、「旅de九条の会」などは、個人的に興奮します。

資料として、「マガジン9条」や「9love」(クラブ)などなど、読んでる方も多いと思うのですが、できばえに感心してしまいます。

ホームページまたはブログをもっていない会もたくさんあり、地域や専門性、趣味をもとにした会がここそこにあるようです。
しかもそれぞれ、必ず「アピール」を出しています。
危機感と希望とが織り交ざりつつ、人に広げるときには言葉や歌、踊りなどなどいろんな試みがされています。

私も感心ばかりしている場合ではないのですが、本当に刺激されます。


「四日間の奇蹟」から、自分への関心

2005-06-16 02:36:08 | 映画
残業するか、映画を見るか。
映画を見るには、明日以降の残業(徹夜)を「覚悟」しなくてはなりません。
しかし今日は水曜日。映画1000円デーです。
「覚悟」を決め、レイトショーを探して「四日間の奇蹟」を見ました。

吉岡秀隆や石田ゆり子が主演している映画で、タイトルどおり「四日間の奇蹟」が起きている間にそれぞれが自分の存在や価値を見直す、という話です。

私はあまりファンタジー的な奇蹟ものは好きではなく、そしてご都合主義的なものも好きではなく、そして何となく優等生的な登場人物ばかりであまり深みを感じられず、そして演出のせいか気に障る演技もたまにあったりして、…
と、ケチをつけてしまえばキリがないのですが、でも大きく言えば優しい物語でした。作品としてはあまり好きな演出ではありませんでしたが、内容自体はよかったと思います。

一つだけ挙げれば、「自分の価値を認めてもいいんじゃない?」
というセリフが胸を打ちました。お恥ずかしいので多くは語りませぬが。
これがまさにこの映画の主題だったのだと思います。

生きていること自体の価値や、持っている独特の能力や影響力といった価値、…。
自分のこととなると、急に認めづらくなったりします。多くの人もそうかもしれません。
私は物事に立ち向かうときは前向きでいるつもりなのですが、自分自身のことになると急に否定的というか自信をなくします。
最近は大人になったので昔ほどではありませんが。
結局、悩みどころは自分の未熟さではなく、自分が成長しようと努力するときに出会う困難を打ち破るうえでの葛藤だと思うようになりました。
つまらない仕事しかできないな、と思ってガックリすることもしばしばですが、よい仕事をしたいと望むならいろんな方法で精進していくしかないのです。ちなみにこれはあくまで自分に対する激励。

本当はもっと別な部分に自分の情けなさをよく感じるのですが、それはより内向き日記に綴りながら、自分と向き合って克服していこうと思います。
ただあまり理想的な自分像を目指すよりも、もっと他者に対して親身になれる人間になりたいと思います。
なかなかこうなろうと思ってなれるものではありませんが。

結局映画を見て、自分のことばかりに関心を寄せてしまいました。
西田敏行はよかった。


比べるものではないですが、吉岡秀隆さんがみつお役で出演していた「男はつらいよ」に勝る映画はなかなかありませんなー。
シリーズの強みもあるかもしれませんが、やはり「寅さん」は相当な傑作でした。
思えば渥美清の死を知ったのは、高校3年生の夏、原水爆禁止世界大会の帰りでした。愛知の高校生と貸切バスで広島から名古屋に到着したとき、速報を新聞社が配っていたと記憶しています。たぶん。
大会の感動に浸っているところに、悲しみの衝撃でした。
あれから9年も経つのか…

13日行動…戦争は仕方なくはなくもなくもな…

2005-06-15 02:18:23 | 日記
昨夜は懸命に夜なべして書いた日記が、更新したと思ったらなぜか忽然と消えてしまいました。やり切れずふてねをしましたが、怒りのあまり寝付けませんでした。
気を取り直し、昨日の出来事を書き直します。
しかしもうだいぶ忘れっちまいましたけど。

去年の8月13日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に、同市内にある米軍普天間基地のヘリが墜落、炎上するという大事件がありました。
かねてより宜野湾市は普天間基地撤去を主張していましたが、これを機にさらに基地撤去、そして県内移設にも反対する声が一段と強まりました。

日本平和委員会は、この沖縄の実態を本土にも伝えるために、この事件以来毎月13日に沖縄連帯の宣伝をしています。

そして昨日13日。夕方6時半から、JR山手線の大塚駅前で宣伝をしました。
マイクで話したり、チラシを配ったり。前々回の日記でお知らせした、来週20日の映画上映企画の宣伝も兼ねました。

ふと見やれば、じっとこちらを見る青年が一人。
チラシを渡してみました。

そして青年は見つめ続ける。私たちの宣伝のもようを。

知らない人に声をかけるのは勇気がいることがですが、名刺を片手に声をかけました。
「沖縄の問題に関心があるんですか?」
「高校の修学旅行で沖縄に行きました。そのときは基地について学ばなかったけど」

米軍基地についてどう思っているのかを聞きました。
「問題は沖縄に米軍が集中していることで、本土に分散させるべきだと思う。米軍基地をなくすわけにはいかない。北朝鮮から日本を守るものがなくなってしまうから。北朝鮮は6カ国協議にも出てこないしよくわからない国だ。北朝鮮がもつ核兵器の弾頭は、日本や韓国を向いているらしい」

在日米軍基地の7割が集中している沖縄では、米軍による事件・事故が多発し、米軍の無法が日常化しているそうです。そしてすでに「沖縄の負担軽減」のために米軍演習の本土移転などがされていますが、実態は沖縄でやっていた訓練よりもいっそう激しい訓練が行われています。米軍基地を抱える地域は、米軍による生活の破壊を知っているからこそ、本土でも更なる基地強化には自治体を挙げて反対運動に取り組んでいます。
そして基地はその周辺住民の日常生活を脅かすというだけでなく、本来の目的が戦争で合理的に人間を殺すための訓練をする場所だということが、その存在自体が許されない大きな理由です。
北朝鮮の核兵器の向きの真偽はわかりませんが、それを理由にこちらが軍事脅威を掲げて立ち向かうことの合理性はありません。

「イラクとかイランとかも危険な国。独裁政権で。そういう国に対しては強行的に向かわねば…」と青年。

フセインは捕まりましたが、アメリカはイラクへの攻撃をやめていません。米軍や「テロリスト」の攻撃で犠牲になっているのは、子どもや女性を含む一般民衆です。あの光景を見たら、やむを得ない犠牲というのはありえないんだということを痛感します。

「戦争が仕方ないとは思わないけど、ムニャムニャ…」と青年。

「東北アジア共同の家」や「東北アジア地域会議」構想、関係近隣国共同の歴史教科書づくりなど、懸案問題の解決とその先の共同の提案や試みは、民間を中心に始まりつつあります。民間、政府が協力しながら研究して、武力を背景としない政治の仕方をとことん探る努力とその姿勢を見せることが、今は大事だと思います。

「話し合いできる環境づくりを追求するしかないですよねー。ムニャムニャ…」と青年。
オー。ワタシモソウオモイマース。と私(本当は普通に言いました)。

よければ20日の企画に来て、この続きの話をしませんか、と尋ねたところ、少しイマイチな反応。
「いや、(特に宣伝に興味があったわけでなく)友だちを待ってるだけなんですけど」
と言われ、てっきり米軍基地問題に興味津々だと思っていたので少し恥ずかしい気もしましたが、でもこれだけ会話に付き合ってくれた彼は本当にステキな青年だな、と思いました。

問題意識はいろいろに持っているのでしょうが、それをぶつける場も気力もなく過ぎるのが大方です。
私たちがこうして街頭に出て勇気をもって声をかければ(ただ待っているだけでも)、話したい人は応じてくれるし、気が向いた人も応じてくれるし、話はしなくとも視野には入ってくるしで、たくさんの人と互いの認識を近づける一助になっています。


そして大塚での宣伝後、にんたまというサークル内の合唱部にお邪魔をしました。
沖縄・辺野古から帰ったばかりのBRIっぺが、辺野古で基地建設に反対するたくさんの人々とのふれあいの感想を報告。
「自分の命も他人の命も大切にしなければと訴える辺野古の人たちが、基地建設を止めるためには私は命をかける、と言う。生き方、命の重みについて考えさせられた」とBRIっぺ。

その後、20日に歌う「島ん人ぬ宝」を混声四部合唱で練習。
私もソプラノで混ざってみました。合唱はいいですなー。

写真は合唱の練習風景。

昨日頑張って書いた日記を再び一から書きましたが、どうにも記憶があいまいでした。