あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

洛陽会…八路軍同窓会…に参加して。よかった!

2005-10-27 02:45:17 | レポート
26日から27日にかけて、洛陽会の河口湖温泉大会に参加しました。
洛陽会とは、中国・洛陽から日本へ帰国した元・八路軍の方々でつくる同窓会のようなものです。
八路軍とは、ウィキペディアによると、「旧日本陸軍にとって八路軍は大敵であった。民衆に根ざした八路軍は兵站の確保も容易であり、神出鬼没のゲリラ戦で大いに日本軍を悩ませた。また、抗日戦線を戦う過程で華北を中心に民衆に根ざした八路軍(=人民解放軍)はその後の中国革命戦争(国共内戦)において国民党軍よりも大衆の支持を集めたとされ、中華人民共和国設立に貢献した」とあります。
八路軍には「三大規律八項注意」という内部規律があり、これによりかなり統制が利いており、だからこそ民衆の支持を得られたようです。
温泉に浸かりながらかつてを懐かしみ、近況を話し合いました。

部外者の私が突如混ざって大丈夫だろうかと不安でしたが、皆さんはとても温かく迎えてくださいました。
参加者は私以外に9人(私が帰ってから2人ほど追加)。男性3人、女性6人です。
無知な私は、「軍」と言うならば当然男だらけだろうと思っていたので女性の多さに驚きました。

洛陽会は、かつては数十人単位で集まっていましたが、最近は高齢化のためになかなか集まることはできません。
けれど私がお会いした方々は、足が…、腰が…、なんて言いながら、お世辞でなくとても元気そうに見えました。
「お若いですね」と言ったら、「青春時代に返ってしまうからよ」と言っていました。20代の青春真っ只中すべてを、戦争に奪われた方々です。

彼らの話は止まりません。我も我もと、会話が続きます。
私は時に会話に割り込みながら、それでも質問にはとても丁寧に答えてくれました。
以下、雑多なまとまりですが、少しだけ?綴ります。

          ~・・~・・~・・~

八路軍に加わった経緯はさまざまですが、多くが敗戦後にソ連の捕虜となり、ソ連が引き揚げた後にそのまま八路軍の管轄下に置かれた、というものです。また、勤めていた病院がそのまま八路軍に接収された、という人もいます。前者は捕虜扱いですが、後者は従業員扱い、といった違いもあるようです。
そしてそのまま国民党・蒋介石との戦争に動員されていきますが、彼らのほとんどが医療部隊でした。
その間、家族とは離れ離れです。帰国後再会できた人もいますが、帰国できないまま栄養失調などで父やほとんどのきょうだいを亡くしたという人もいました。

前線にいた人は、次々とくる患者の治療にとても忙しかったそうです。
部隊について各所を転々とするのですが、そのときに一般住民の家を借りることがあります。
八路軍の「三大規律」は、民衆の糸一筋、針一本でも奪ってはならないというものです。民家を借りても、家には上がりません。土間を借り、あるときはそのまま、あるときは戸板を借りてわらを敷いた上に寝ます。

ある人は、戦時下では日本軍の下でも八路軍の下でも自分の意志などなかった、と言います。またある人は、八路軍の規律性・思想などに共感する人もいます。ある人は、新中国の成立に私たちも寄与した、と言います。
当然いろんな感じ方があります。部隊によって雰囲気が違った面もあるようです。

そして彼らは、仕事の合間を見ていろいろな学習も受けたそうです。中国の歴史、マルクス思想、等々です。
おもしろかったのは、ある人の次のことばです。
「中国共産党の『教育』によって私たちが洗脳された、なんて言う(日本)人もいるけど、私たちだって馬鹿じゃないからね、時が経っていろいろ学んで考えれば、かつて日本軍がやった侵略がいかに間違っていたか自分で自覚できるようになるのよ」

…などなど、尽きません。
他にも具体的な仕事の話、患者の話、死にジラミの話、冬季における死体の処理の話、敗戦前の日本兵とのやり取りの話など、いろいろ教えてもらいました。

          ~・・~・・~・・~

今回参加された方の中に、日本平和委員会を知る方も多くいました。
帰国後、今から50年近くも前になりますが、当時の新橋の事務所に何度か行ったことがあると言う人がいました。「まだあったのね!」と、何度も言われてしまいました。かなり驚いていました。平和委員会の歴史を実感。
また、平和委員会なんて聞いたことないがどんな団体なの?と、少しいかがわしそうに言っていた方も、「今度地域で『あたらしい憲法のはなし』で憲法を学習するのよ」と話していました。「あたらしい憲法の話」とは、日本国憲法制定直後に当時の文部省が出したテキストですが、これを当時の表紙の絵もそのままに復刻版を出しているのは、まさに我が日本平和委員会です。「そのテキスト、きっとうちで出しているものですよ!」と伝えましたが、なんとも身近でうれしく思いました。

          ~・・~・・~・・~

ついつい、ものすごく長い文章になってしまいました。
幹事のIさんは「今年が最後かも」と言っていましたが、実は皆さんは次回開催を望んでいる様子。来年も参加させてもらおうと思いました。

先頭の写真は、宿泊した温泉旅館前での記念撮影。
こちらは、なんだかドサクサ紛れにいただいてしまったたくさんのお土産。

八路軍同窓会

2005-10-26 02:56:12 | 日記
明日は休みを取って山梨へ行きます。
山梨県都留市は私の第二の故郷ですが、明日は都留をすり抜けて河口湖へ行きます。
久しぶりの河口湖なので楽しみです。

温泉のある豪華旅館に泊まるため。
河口湖なら紅葉も見ごろかもしれません。

しかし真の目的はレジャーではなく、元八路軍兵士の温泉大会(同窓会)に参加するためです。
もちろん私は八路軍のメンバーではありません。
8月に日本平和委員会が主催した中国ピースツアーに参加された、山梨在住の元八路軍の方が今回の同窓会の幹事で、ツアーでお知り合いになったのを頼りにお邪魔させてもらうことにしたのです。

私は八路軍に少なくない日本人が従軍していたことを、あまり知りませんでした。
ツアー中に八路軍の規律何カ条というものを見せてもらったり、帰国した元八路軍兵士らがたまに会っていることなどを教えてもらいました。
私が頼りにするその方は、戦後少年兵として医療従事などをしたそうです。
高齢化が著しく、今回が最後の同窓会になるかもしれないと聞き、私はこの歴史に少しでも触れたい思いで混ぜていただくことにしました。

自分の興味でいきなりお邪魔させていただくのでどんな話が聞けるのかもわかりませんが、人に触れるだけでも有意義なのではないかなと密やかな期待をしています。

写真は、8月の中国ツアーで訪れた中国軍縮協会の人々と八路軍のバッジを見ている様子。

本多勝一を読む

2005-10-25 02:41:03 | 日記
本多勝一の「日本語の作文技術」を友人に薦められたのをきっかけに、他の書もいくつか読んでみました。

恥ずかしながら、本多勝一を読んだのはこの友人に薦められた一冊が初めてです。
学生時代、どこのどなたのご推薦かわかりませんが、大学生になったら読むべし!の100冊のリストがありました。そこにどんな本が入っていたかほとんど覚えていませんが、マルクスの「資本論」は入っていた記憶があります。
そしてそこに本多勝一の著書の何か、さしあたり「中国の旅」辺りかな?…がもし入っていなかったとすれば、私はなんとしてもねじ込むべきだ、と思います。
もちろん今読んでも充分に勉強になりますが、学生時代にこそたくさん読んでおけば、学生生活に更なる深みを持たせられたな、という気がしています。

「日本語の作文技術」は、私も新聞を作っている者ですので、大いに参考になりました。
英文法と日本文法との間に根本的な違い、例えば主語の有無などの違いがあることを指摘していますが、確かになるほど、翻訳のときに生ずる違和感は、ここに原因(の一つ)があったのかとスッキリした気分です。
他に読点のつけ方、段落のつけ方などの法則を整理しています。
ちなみにブログやメールでは、私はそれ専用の独特の書き方になってしまうと思っています(特に段落は)。

納得させられたのは、ジャーナリストの姿勢についてです。基本的に「中立」などありえないと言います。
「…ときにはジャーナリストという職業についた最初から無意識のうちに、またときには意識的に、さらにときには懐柔によって、権力側のPRマンに堕する危険です。…懐柔は決して、あからさまな買収や饗応に限りません。…こわいのは「無難な道」をとること、「大過なく」つとめることによって、悪気はなくとも、結果的に権力に迎合している場合です」(「職業としてのジャーナリスト」より)
多くの人に読まれ、大方信用されている新聞は大経営のものですが、そのもとで「支配される」「殺される」側に立って記事を書くことがいかに困難であるかも指摘しています。
しかしやはり根幹は「どんな視点に立つか」にこそあります。

私は自分では、被支配者の立場で新聞を書いているつもりです。
しかしこれも「つもり」だけではなく、この世にどんな視点があるのか、もっと探していかなくては、と思っています。
日本にも、私なんかよりももっと生きづらさを感じている人は大勢いるかもしれません。ましてや海外にはもっといるでしょう。
そうした人々に、私がここで生きていることで何らかの影響を与えていることもありえます。

「中国の旅」という著作は、とてもためになりました。
日本の侵略による中国人被害者の記録がたくさん載っています。すごく丁寧な描写、文章です。
ある真実があるとして、それをどの視点に立つかによって、そこから引き出すべき教訓が生み出されるのだと思いました。

ちなみに私が「平和運動」誌最新号に書いた中国ピースツアーレポートは、本多勝一さんに影響されています。読みたてなもので…。しかも題名も大いに参考にさせていただいています。

本多勝一さんの最近の本も読んでみたいと思います。

辺野古の船長、東京に現る

2005-10-24 01:52:03 | 日記
8月後半に行った中国ピースツアーのレポートを、金曜にようやく書き上げました。11月の平和運動誌(日本平和委員会発行の月刊誌)のための原稿です。
長い道のりでありました…。
月曜に校正が残っていますが、心の足かせが一つ取れた気分。
しかも、中国で出会った忘れられない人々についての記録がそれなりにできたと思います。

そいで金曜は21日、すなわち10・21という記念日でした。
何の記念日かと言うと、ベトナム戦争に反対する国際反戦行動が起きた日で、これを機に毎年この日には各地で何らかの平和のイベントが取り組まれているのです。
今年も、私が住む東京で学習会がありました。中心テーマは、米軍基地の再編強化反対とイラク派兵撤退を求めることです。

そこへは、沖縄県名護市から具志堅徹さんも発言しに来ていました。
具志堅さんは、名護市辺野古(へのこ)沖に新たな米軍基地を作らせないために、毎日その海岸で座り込みを続ける運動の中心的な人です。
日本平和委員会が呼びかけたカンパで買った、「平和丸」という船の船長でもあります。平和丸は、実際に海上で基地建設をしようとする業者や防衛庁などと直接交渉するために大いに役立ちました。

私はレポート作りのために寝不足だったのですが、集会後に具志堅さんと懇談会(呑み会)があるというので眠気を飛ばして付いて行きました。

名護市では、来年1月辺りに市長選挙があります。
アル中とも目される現・岸本市長の引退(本人は初めは出たがっていましたが)から、今度こそ基地を作らせない市長を選べるかどうか、という選挙です。
実は新基地はいらないという点では民意ははっきりしているのですが、しかし選挙結果や政治にはストレートに反映されてきませんでした。
そして岸本市長の、思いつきとしか思えないような辺野古へのさまざまな基地建設受け入れ案に、市民も翻弄されています。

これ、すべて米軍をめぐる問題です。
沖縄に基地を置く米軍は、イラク戦争にも飛び立っています。その米軍は、沖縄だけでなく本土において自衛隊と一緒に訓練をしています。

しかもこの米軍を財政面で支えるのは日本のわたしたちの税金。
なんでまた、米軍の機能強化のための費用を私たちが支払わなくてはならないのか。あーびっくらこいた。

厚木の空母艦載機を岩国へ

2005-10-19 04:03:34 | 日記
本日(18日)は平和新聞入稿日であり、あまり余裕がありませんでした。
しかし本日午後3時からの日本被爆者団体協議会(日本被団協)主催の「核兵器も戦争もない世界をめざして 10・18大集会」に参加したかったので、速やかに仕事を片付けて出かけようと意気込んでいました。広島の青年(たぶん)が被爆60年目の今年を記念して作ったTシャツを着て気合を入れました。

が、結論を言えば行けませんでした。
情けなや。がっくし。
というわけで、写真は怒って脱ぎ捨てたTシャツ。Tシャツ自体は素晴らしいデザインです。

行けなったのは、平和新聞の記事作りに異様に時間をかけてしまったためです。
本日作った記事は、米海軍厚木基地(神奈川)の空母艦載機部隊を、米海兵隊岩国基地(山口)へ移転する問題についてです。

記事にすると大した量はないのですが、本質を簡潔にえがくのは困難なことです。
日本平和委員会は特に安保や基地問題に長けている(はず)なのですが、しかし私は実は不得意です。というより、不勉強です。事務局で働いているのに面目ないお話ですが。
というわけで今回改めてこの問題を勉強しなおしました。

今回記事で扱ったのは厚木基地機能の岩国への移転ですが、これは在日米軍の話です。
現在米軍は、自らの再編・強化を地球規模で進めています。在日米軍基地は、米軍にとって最重要ポイントの一つです。
日本の米軍基地は、自衛隊との共同使用がすでに多くの場所で進んでいます。首都東京や沖縄をはじめ、そこここに巨大な面積を占める米軍基地どうしの機能を互いに移動させたりまた自衛隊機能も移動させるなどして、よりスリムに、スムーズに出撃・訓練できるように組みなおしているのです。
スリムにと言っても米軍にとってスリムだという話で、周辺住民にとってはたまったものではありません。米軍の訓練による爆音、墜落、犯罪などの被害は拡大するばかりなのです。
しかも米軍機能の移転なのに、その移転費用を負担するのは日本政府(思いやり予算)です。

米軍基地が住宅密集地のど真ん中にあり、住民の暮らしを直接脅かすようなところは、アメリカ本国はじめ他国にはないそうです。もちろん日本の周辺住民は黙っておらず、自治体首長や議会、住民が一緒になって基地強化に反対しています。
びっくりするのは、こうした住民生活にとって重要な基地の問題が、日米政府の密談によってのみ進められると、政府自身が考えていることです。しかし実際は、住民の力によって、一度合意された基地強化計画や基地建設を止められるのも事実です。

日米安保って、本当にひどい条約だと思いました。
日本政府はアメリカに何も言えないのではなくて、ある意志をもって何も言わないのです。

チッチとサリーの話

2005-10-18 00:38:03 | 日記
締め切りが過ぎまくっている仕事を抱えつつ、気が重い日々を過ごしつつ、しかし今夜はよそ事をしてしまいました。

「小さな恋のものがたり」(みつはしちかこ著)という、大昔から(何十年前から)続いているマンガがあるのですが、その1・2巻を手に入れました。
それでつい、読んでしまいました。

私は中学入学と同時にマンガ断ちを宣言し、それからはたまに借りて読むことはあっても自ら買うことはありませんでした。それが約1年前、旅先で出会ったことをきっかけに、「これならいいだろう!」と自分にお許しを下し、この「小さな恋のものがたり」を集め出したのです。ただし必ず古本で買うことを条件に(なんとなく)。
この作品は題名どおり、チッチとサリーの恋愛を中心にした話です。

サリーを追いかけまくっているチッチが実際に側にいたら、私にとってとても腹立たしい存在だとも思うのですが、マンガのお話だと思って読むととてもほほえましく思います。
巻を重ねると、登場人物たちがだんだん擦れてしまったようにも読めるのですが、最初のころは実に初々しく新鮮で楽しいです。無我夢中の恋、これもいいものではないか、と思ったりします。

たとえば…
そよ風や
草花や
小鳥なンかを
愛するように
人を
愛することが
できるのなら…

恋はいつでも
たのしくって
平和なものでしょうに

どうして?
人を愛することだけが
こんなにも
苦しくって
心乱れるものなのでしょう?


とか、こんなむずかゆい詩がところどころに盛り込まれ、楽しいです。
しかも、前の読者が引いたと思われる蛍光ペンラインが、この詩につけられているのです。
きっと前の読者の心に響いたのだなと思うと、妙にうれしくなります。

なんつって現実逃避しましたが、仕事がまったく片付きません。

平和新聞の発送作業

2005-10-17 02:00:41 | 日記
ピースエッグが終わり一息ついたと思ったら、つきすぎて気が抜けて発熱してしまいました。子どものようでお恥ずかしいのですが、よい機会だと思ってしっかり休ませていただきました。
そんな金土。日曜の本日は取材のために少し頑張って出かけたのですが、二日寝たきりだったので筋肉が衰えていました。筋肉はものすごい速さで衰え行きます…。

13日(木)は、毎月恒例の沖縄連帯13日行動をしました。
JR大塚駅にて、同僚のF氏作成のチラシをまきながら署名を集めました。
せちがらい世の中にあって、しかしチラシの受け取りがよい大塚駅。現金なものですが、目に見える反応があるとこちらのやる気も出てきます。
署名をしてくれたある女性は、大塚近くの病院の職員でした。全日本民医連(全日本民主医療機関連合会)加盟の病院で、職場の派遣で辺野古へも行ったことがあるそうです。民医連はその綱領で「人類の生命と健康を破壊する戦争政策に反対する」とするように、平和問題に積極的に取り組んでいます。
私の友人にも、民医連加盟の医療機関に勤める人が多くいますが、なかなかすごい機関だなあと改めて思います。現場はいろいろ大変なこともあるとは思いますが、医療機関として平和施策に取り組むとは立派なもんです。説得力あるし。

13日行動の後、大塚駅のすぐ近くにある東京平和委員会の事務所へ行って、平和新聞の発送作業の手伝いをしました。東京平和委員会では(おそらく)約1,000部を発送しているのですが、一部ずつ4つ折にして帯でくるみ、郵便番号順に並べます。これを毎月3回やっています。
地域の平和委員会では、こうした地道な作業がずっと続けられています。
平和新聞を読むことも平和運動の一つです。そのためには、新聞を読者に届けなくてはなりません。新聞を届けるという、地味だけど平和委員会活動の根幹となる活動。
日本平和委員会から発送する分は業者にまかせているので、私たちの手作業はありません。
私はごくたまにですが地域での発送作業の手伝いをさせてもらうことで、こうした活動を支えている方々に深い敬意を抱くのです。

楽しい倉敷の一日

2005-10-12 01:27:31 | 日記
ピースエッグが終わりました。

エッグ最終日の翌日、前回の日記で書いたとおり倉敷へ行きました(写真)。
念願の大原美術館は二度目でしたが、やはりよいところでした。大好きなマティスも見ることができ、充実感を得ました。
お昼にはカリーうどん(辛め)をいただき、おやつにはアイスぜんざいをいただきました。
おもちゃ博物館や目覚し時計博物館を訪れ、骨董品屋さん(というよりガラクタ屋)にも入りまくりました。
キャメラおじさんが妙に多いことに驚きつつ、ぶらぶらぶらぶら歩きました。
非常に楽しい休日を過ごしました。

ピースエッグ総括は、ぼちぼちと気合を入れてやらねばと思います。「平和のタマゴ」を対象にするこの企画ですが、私は今回改めてこの企画の意義を認識しました。
亀の歩みを続ける私の仕事ぶりですが、めげずにとにかく学んだことを記していこうと思います。

今夜は倉敷

2005-10-10 23:03:04 | 日記
2泊3日のピースエッグが本日終わりました。
今日は備前市から友人の車に乗っけてもらって移動し、今日は倉敷に泊まっています。明日は代休をもらってしまいました。倉敷の町で遊んでから帰る予定です。

感想文をきちんと読んでいないので、まだこのエッグが多くの参加者にとってどんなものであったかはわかりません。けれど一部から聞いた中では、「自分のペースで参加できることが本当によかった」、というようなことを言っていました。
自分のできる範囲で、時には無理をしながら、ときには休みながら、自分の力を伸ばしながらできる平和運動をたくさんの人とやっていきたいです。このペースを維持しながら多くの人と取り組めたら、かなり大きな力になるのでは、という気がしています。

準備を通してつらいなと思うこともありましたが、現地のメンバーの仕事ぶりに感心しながら、自分自身が何をすべきか、また来年に向けてすべきことを考えています。

ピピピピースエッグ。明日から岡山。

2005-10-05 02:27:51 | 日記
今週土曜日・8日から、岡山県備前市でピースエッグ2005inおかやまを開催します。

いよいよ始まるのですが、現在は最後の最後の詰め詰めの段階です。ピースエッグは、毎年いろんな地域で開催している2泊3日の青年対象の企画なのですが、この数日前になって参加申し込みがドドドと来るのは相変わらずです。モー…締め切りを徹底できないのもこちらの力不足ですが、てんてこ舞いです。
現地岡山の青年実行委員も連日徹夜での準備ですが、きっとその分参加者に、そして自分たちに力となって返ってくるだろうと期待しています。何はともあれ本番が楽しみです。

というわけで、私は明日からピースエッグの準備のために岡山へ出張です。


先日生まれたての赤ちゃんを訪ねたときに撮ってもらった写真をもらいました。写真で見ると、赤ちゃんの小ささを改めて実感します。こんなちっちゃいのが、いつかこんなにでっかく…と思うと、やはり興奮せざるをえません。