あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

うちに帰れない

2011-09-21 18:51:26 | 日記
明日から北海道出張。
しかし台風で飛行機が飛ぶか心配だなーと思っていたら、まずは今日家に帰れないことが判明した。

先ほど駅へ行ったらほとんどの電車が動かず、仕方なく職場へ帰ってきた。
まいったなー。

震災の日は無理やり帰ろうとして大変な目にあったので、今回はどうしようか迷うところであります。

そして実家の愛知県豊橋市でも、豊川流域の住民に避難指示が出たらしい。
実家も姉宅も豊川から離れているから大丈夫と思うけど…。

ところで駅の入り口とコンビニには、壊れたビニール傘が山盛りに積まれていた。

さようなら原発

2011-09-19 23:20:44 | 日記
さようなら原発 の集会に相棒と参加した。


とっても小さな明治公園に、5万人目標というふれこみでどうなることかと思いましたが…。

遅刻気味で千駄ヶ谷駅に着くとホームから大混雑。
1つしかない改札へなかなかたどりつけず、しかも暑い。
ある年配(と見える)女性は「嵐のコンサートをやってもこんなに混まないよ!」なんて警官に文句を言っていたが、真偽はわからない。
でも震災の日の帰宅時よりはよほどマシでした。

会場手前の広場へ行くと、平和委員会やら全国からのお知り合いやらに会いました。
混んではいるけど、集会の様子は見たいと思って近づき、眺めることができました。

が、音がよく聞こえない。
スピーカーに力を注がなかったな、というのがありあり。
俳優の山本太郎がコールのようなことをしていたようですが、よく聞こえませんでした。
公園をほんの少し離れるとまったく聞こえないし。
ありゃ残念だ。

集会後は制服向上委員会が出演したようですが、我々は会場を出てしまいました。
これも残念。ちょぴっと見たかったんだけど。

主催者発表は6万人。
マスコミや政府は、これを重くというか、正しくとらえてほしい。

沖縄の奇跡

2011-09-18 23:06:16 | 日記
ずいぶんたってしまったが、沖縄に行ったとき偶然の出会いが重なってびっくりした。



沖縄市である青年と打ち合わせをした後、おみやげがほしいわたくしのために、嘉手納の道の駅へ連れて行ってもらった。

屋上から嘉手納基地を見ていたら、赤嶺しぇ~けんさんという沖縄出身の衆議院議員がいた。
嘉手納にあやしいドームのようなものができたので、嘉手納町議の案内で視察に来ているとのこと。

で、便乗して道の駅の2階にある、嘉手納基地について学べるスペースを見学していた。

帰ろうとしたら、東村高江の伊佐夫妻がいた。
すげー偶然!
キューバ祭りか何かが行われるらしく、やってきたとのこと。

そいで「そばが食べたい」というわたくしのために、車を走らせてどこかのそば屋へ。
するとそこには、同じく東村高江の比嘉まーてぃー一家が。

3グループも、偶然にも出会ってしまった!

興奮しているのは私くらいで、同行していた沖縄の友人たちはそれほどでもなかった。
沖縄って狭いんだね。

知らない人は上記の名前を見ても、何が何だかでしょうが…。

畑田重夫さん、米寿

2011-09-09 20:01:23 | 日記
9月5日は、畑田重夫さんの米寿を祝う集まりがありました。

畑田さんって、国際政治学者で、日本平和委員会の代表理事ですねん。

「健康と命にまさる大義なし!」
「金を残す人生は下 仕事を残す人生は中 人を残す人生こそ上」
など数々の名言を発してこられました。

特にこの2つ目のことば、まさに名言です。
わたくしの「好きな言葉」にも連ねさせていただいております。

ホテルを会場に、記念の基調講演とシンポ、そしてレセプションが行われました。
400人近く来ていた、とのうわさ。
畑田さんは「政治の劣化」「マスコミの劣化」を指摘すると同時に、平和をつくるため頑張ろう、自分も健康で長生きして頑張るよ、と話してました。(すごい割愛)

そうそうたる面々が参加されていましたが、
その中には、元官房長官の野中広務氏も!

畑田さんとは同じ旧制中学の出身で、平和新聞で対談をしていただいたこともあります。
野中さんは小選挙区導入など数々の「非道」をやってきましたが、憲法9条維持、海外派兵反対、ではゆるぎない思いがあるようです。
それは畑田さんと同じく、軍隊体験に根付いているよう。

それにしても野中さん、祝辞を述べたのですが、さすが国会議員をやっただけのことはあるけど、話がおもしろかった。
うまいねん。ユーモアあるし。
畑田さんが昔、都知事に立候補したときの思い出も織り交ぜたりして(当時、自民党の対立候補はもちろんいました)。

ちなみに王貞治氏から祝電も届いていました。

石巻と友人たち

2011-09-09 19:34:53 | 日記

石巻での活動を終え、ずいぶん経ってしまった。
実働5日間、すべて墓地の清掃でした。

途方もなかった…。
懸命に片付けるのですが、
何となく墓荒らしのような気持にもなってきます。
でもすれ違った檀家と思われる方から
「ありがとう」と言われ、少しほっとしました。

感謝の言葉を期待しているわけでは決してありませんが、
現地の人から「騒がしい」と思われるのはさすがに嫌ですから。

そしてピースボートや共産党の人たちと同じ現場となり、
ほんの少し交流もできてよい経験でした。

これが


こうなった。


放射線量が高いのでは、との指摘もあったのですが
実際に高数値として表れるデータは調べきれませんでした。
いずれにしろ、化学物質や腐敗物等、有害なものが浮遊しているのには変わりありません。
また東京の放射線量が(場所によって)高いことにも表れているように、
石巻もどういう状況かは、はかりしれません。

ボランティアを募集して送りだす側としては、知識と装備を整えることにもっと力を注ぐべきだな、と感じました。
これからの予定は未定ですが。

あと、政治や行政として担うべきことをきちんと指摘し続けることですな。
お墓の掃除など、人手によるしかありませんが、これに税金を出して自衛隊の人たちにやってもらったら効率もすごくよいのでは、と思います。


さらに石巻の帰り、仙台で大学時代の友人2人と会いました。
あー楽しかった!
友だちってええもんやねえ。

【9/8】原発と原子力軍艦と安保を考える 学習会

2011-09-06 14:48:52 | 告知
直前になってしまった!
が、とっても貴重な学習会のお知らせです。


【9・8日米安保条約調印60年】 学習のつどい
原発と原子力軍艦と安保を考える ~米政府解禁文書でその実態に迫る

◆講演・新原昭治さん(国際問題研究者、日本平和委員会理事)

 日本をアメリカとの軍事同盟にくみこみ、沖縄を米占領下に置き続けた、サンフランシスコ講和条約、旧日米安保条約調印から、今年9月8日で60 年になります。それは戦後日本に何をもたらしたのでしょうか?
 いま大問題になっている原子力発電推進の根っこにも、日本を日米安保体制の下に引き留め「核基地」化する政策があった―米政府解禁文書の調査で 核密約や米兵への裁判権放棄密約など、日米安保体制の暗部を明らかにしてきた新原昭治さんが、原発推進のねらいや横須賀に配備されている原子力空 母の恐るべき危険性を、新たな資料で明らかにします。

◆特別報告・沖縄からの訴え
「19歳の青年の命を奪った米軍属を裁けない―不平等な日米地位協定の改定を」
◆サンフランシスコ条約、旧安保条約調印時のレッドパージ体験者、米兵犯罪被害者、横須賀の市民などの訴えも予定

■とき:9月8日(木)午後6時30分開会
■ところ:港勤労福祉会館(JR田町駅西口徒歩5分、地下鉄浅草線・三田線三田駅A7出口徒歩1分)
■資料代:500円

【主催】日本平和委員会
http://j-peace.org/