あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

ココシリ

2006-06-29 01:03:01 | 映画
日比谷で「ココシリ」という映画を観ました。
映画を観られる生活って、本当にありがたい。

「ココシリ」と呼ばれるチベットに広がる広大な原野で、チベットカモシカの密猟者たちを追う「マウンテン・パトロール隊」の隊員たち。
彼らは無償で(自費で)、命をかけて密漁グループを追跡します。
厳しい自然を前に、次々と仲間が倒れていく。
そして時には密猟者たちに殺される者も。


中国の映画は、私は魅かれるものが多いです。
この映画も、ものすごく広い荒野、美しい星空など、規模が違うな…という印象です。

パトロール隊のリータイは、「守るべきもの」のため、最後まで密猟者の追跡をやめません。
最後、密猟者に問われます。「人間よりもカモシカが大事なのか?」 リータイは「うるさい」と一蹴。

しかし密漁者とともに行動する毛皮加工の職人らは、砂漠化による貧困から農業を離れた人々。

結局密漁という商売を成り立たせるのは、チベットカモシカの毛皮を買う欧米企業です。

それにしても登場する俳優さんがみんなカッコよかった…
なんだか身のない感想になってしまいました。

母たちの村

2006-06-28 01:25:14 | 映画
岩波ホールで「母たちの村」を観ました。

アフリカのある村を舞台にした、女性らの勇気ある行動をはつらつと描いています。
女性の性器を切除する「割礼」という風習。
自らも割礼を受け、2人を死産、帝王切開で1人だけ子どもを産むことができた主人公のコレが「こんな伝統はやめよう」と立ち上がる話。

作品のホームページには、

伝統を頑なに守ろうとする者、新たな未来を切り開こうとする者。本作は、小さな村で起こる、2つの価値観の衝突を通じて、アフリカの社会が抱える問題を浮き彫りにすると共に、「尊重しあい、勇気を持って生きること」の大切さを我々に教えてくれる。

とあります。


衛生上の必要性から性器を切除する場合もありますが、アフリカなどで今も広く残っている「割礼」は、主に宗教上(あるいは風習として)の理由からだそうです。
しかしものすごい苦痛を伴い、しかも時に命を危険にさらす「割礼」は、今では社会問題になっているとか。
日本でも「ドキュメント 女子割礼」(内海夏子、集英社新書)が2003年に出されていました。
この本はまったく知らなかったので、ぜひ手に入れようと思います。

この映画は、アフリカ人によって作られた映画。
私は最近では「ホテル・ルワンダ」や「ナイロビの蜂」に衝撃を受けましたが、より当事者に近い者による映画は更なる説得力がありました。

先日観た「マンダレイ」では、主人公グレースが、「奴隷」であった黒人たちに「授業」をする場面があります。
グレースは結局破綻しますが、例えば「割礼」なんて風習はとんでもねえと外部の人間(たいていは「先進国」の人間)が思っても、それを外から一方的に物言う、または「指導」することはできません。

「国際社会から見放された」と言ったホテル・ルワンダ。
富める国からの施しの影で巨大な不正が蔓延していたナイロビの蜂。
挫折した白人がいたマンダレイ。
自ら立ち上がった母たちの村。

…思い込みで価値観の押し付けはできませんが、結局は関心を持たない理由にはなりません。
映画のHPにもあった、「尊重しあい」の意味が問われるところ。
ムニャムニャ。

これらの映画は、エンディングの歌がものすごく明るいのが印象的でした。
「母たちの村」はそれほど明るい曲調ではありませんが、女性への賛歌のような、前向きにさせる歌でした。

靖国神社へ90人

2006-06-26 02:48:46 | 映画
25日(日)は、靖国神社へ行きました。
つたないものではありますが、私は案内役として。
山梨の病院職員の方々に依頼されたもので、ナント90人も。さすがに一度には無理なので、午前・午後と半分ずつに分かれて回りました。

ちなみに靖国神社とセットに、「女たちの戦争と平和資料館」へも見学するというコースだったようです。対照的な2つの資料館を見て、参加者が何を考えたかとても興味があります。
靖国神社にはもちろん家族が祀られているなど、一般の参拝者もいます。
そうした方々の思いに配慮しつつ、しかしこの靖国と日本政府の本当の狙いは何かを考えることが、この靖国見学の目的です。

45人を一度に案内するのも不安なので、友人のTいろーくんにヘルプをお願いしました。誘導や私の説明への補足など、とても助かりました。

私が必ず案内するポイントは、主に以下のものです。

まず前半は境内を案内します。
1.日清戦争の戦利品である、清国から持ってきた狛犬
2.日本陸軍の父と言われ、靖国神社の前身である東京招魂社設立を提案した大村益次郎像
3.富国徴兵保険会社(現・フコク生命)が贈った大灯篭
4.靖国神社には、天皇方の戦死者や国策によって動員された一部民間人が祀られていますが、それ以外の戦争での死者すべての霊を祀っているという鎮霊社(ただし神様にはなれず、ただその霊を鎮めているのみ)
5.靖国神社に祀られる約246万6000人の名簿が「神」になる儀式を行った「招魂斎庭」跡地
6.東京裁判でA級戦犯の無実を主張したパール判事像

そいで後半は資料館「遊就館」。ここは私には細かくは案内しきれませんが、ポイントはいくつかあります。
まずは靖国が61年前までの戦争をいかに描いているか。
必見は、戦死者が神になる儀式である「招魂式」の再現。
そして数々の遺影の中にまぎれる東条英機の写真と、「法務死」という記述。

見所は他にもたくさんあります。
大事なのは、見学者自身がこれらをどう見るか、という意識と視点。
小泉首相が今年も夏に参拝するとかどうとか。それに対して近隣アジア諸国からはまたもら非難の声があがっています。
もちろんアジア諸国がなぜそこまで怒るかということに思いを馳せつつも、その前に国内問題として考える必要があると思います。
外国から言われるからどうこうではなく、私たちがあの戦争をどう見るか。

「英霊にこたえる会」が境内で配っていた公式参拝を求める資材。


なんと中身はばんそうこうが2つ。



靖国神社を2回も案内するのはさすがに体力を消耗し、とても疲れました。心地よい疲れではありますけど。
そのあと、Tいろーくんに便乗し、映画を続けて2本観ました。
リトル・ランナー」 と
マンダレイ」。

リトル・ランナーは安心して、しかも笑って観られるとてもおもしろい映画でした。さわやかー。
マンダレイは私にとって、かなりよい映画でした。告発が鮮明というか。エンディングで観客を逃さないというか。(今のところ)私の10本の指に入りそうです。


次は秋の臨時国会

2006-06-25 02:10:46 | 日記
日記書きをさぼっているうちに、私が勤める日本平和委員会の定期全国大会が終了しました。

それは置いておくとして、小泉首相最後の国会も終わりました。憲法改定のための国民投票法案や教育基本法改定案、共謀罪法案などはひとまず継続審議。終盤ギリギリには防衛庁→防衛省に格上げする法案も提出された。しかし予算がからむ医療改定案は通されたようです。

その合間にはイラクから陸上自衛隊の撤退が決定。
いよいよ平穏なイラク到来か?なんてものではなくて、航空自衛隊の活動が拡大されます。
テレビでは、陸自がサマワでマスコミPRしている場面しか見られませんが、その影で空自は給油活動を拡大。今まで空自は陸自の人員や物資輸送が主な仕事だったのが、陸自がいなくなったらさらに米軍への支援活動が中心的な任務になるのでしょうか。

そういえば先日、親戚が空自隊員としてイラクへ派遣されるという人と話をする機会がありました。
米軍の作戦において重要な支援活動をしている空自であれば、現地で標的にもなります。本人は「行きたくない」ともらしていたとか。けれど私が話したその家族自身は冷淡なものでした。「行ってらっしゃい」という気持ち。
私が「イラク戦争開戦のときはあれほど反対運動が盛り上がり、そして今も民間人が虐殺されているとの報道があるけど、その戦争に参加することへの(正確には親戚を送り出すことへの)ジレンマのようなものはないの?」と聞きました。すると「ない」、「イラク戦争に反対するなら、自分が人間の盾としてでもイラクへ行けば」と言われました。ちょっと脈絡がなかったのと、無責任な発言に思えたのでまたもやカチンときてしまいました(少し)。でももっとお話をしてみたいと思いました。
けれど無事に帰ってくることを願います。

ジェンダーから見た戦時性暴力

2006-06-12 23:20:35 | 日記
数回前の日記『「被害者」の証言を聞くこと』へのコメントが、またもや蓄積されています。
時間のある方、ぜひご覧あれ~。

続報的になるかもしれません。
上記の日記で紹介した「女たちの戦争と平和資料館」が出している「女性国際戦犯法廷から『女たちの戦争と平和資料館』へ 戦時性暴力をなぜ記録するのか」という本を読みました。

その前に前提。私は身体的に女性であり、それを自認してます。

私は、「従軍慰安婦」、戦時性暴力の問題は、もっぱら「戦争という異常事態が引き起こす問題」という視点から見つめていました。
これをジェンダー的視点から取り組む人がいることは認識していましたが、私のスタンスとしてはジェンダー的視点から見ることはあえて避けていました。なんとなく、戦争被害としての課題がぼやけてしまう気がしていたのです。

けれどこの本を読み、少し認識を改めました。
ジェンダー偏向の本質が、こうした戦時下でこそ凝縮して最悪の形で現れるのではないか、と思い始めています。

「まえがき」の一部を引用して紹介します。
「『慰安婦』問題の未解決は、依然として世界の武力紛争の下で、あるいは米軍基地下で繰り返されている女性への暴力と無関係ではなく、『慰安婦』問題の解決は戦時性暴力の根絶という課題と密接に結び合っており、それは日常・非日常を問わず、女性たちが置かれているジェンダー偏向に基づく男女不平等社会を変えていく闘いにも通低するものである」

今、日本の実社会では「モテ」という言葉がはやったり、何かと男女で色分けされたり、等々、ジェンダーの露骨な再構築のような現象がいろんなところで見られます。
旬報社が出す雑誌「ポリティーク」の3月20日号では、「ジェンダーフリーバックラッシュと改憲」という論文も載っており、とりわけ今のジェンダーを強調することが改憲とリンクしている、と指摘しています。

私は学生時代、「就職難に泣き寝入りしない女子学生の会」や「女子学生セミナー」なるものを友人と学内に作り、活動したりしました。

男性からすると、まるで自分が糾弾されるのではという恐怖感からか、こうした女性の活動を「コワイ」と見る人も少なからずいました。
ジェンダーだけでなく生物学的な性・セックスの問題についても、男女がともに議論するのを男性の方が躊躇することが多いようです。
まー実際、こういう話は少し照れるのですが、一緒にワイワイ話し、互いの認識を交流させるのはおもしろいものです。

実は私はセックスやらジェンダーやら、密かにゆるぎない(?)関心を持っています。
でもこの問題について、男性とともに取り組めないジレンマもあり、日常的には発言しません。

ジェンダーの問題と言えばつい男vs女の構図に見られがちで(特に男性から見ると)、被害者としての女性が自らの人権回復のために何か言っている、というイメージが強いようです。
女性への抑圧は、民主主義社会そのものへの抑圧である、と口では言ってみてもなかなか実感として持ちにくいのでしょうか。
男性とともにこの問題について考え、取り組めたらどんなにか心強く、おもしろいだろう…と思います。


…。
本題と少しそれてきました。

「戦時性暴力をなぜ記録するのか」の感想に戻ります。
本文にはいろんな人の文章が掲載されています。

「軍事主義と性差別主義と家父長制はお互いにつながり、補完しあい、増幅しあっている」との指摘もあります。
また、「こうしたジェンダーの再生産構造は、その根をたどれば日本社会の天皇制を中心とする家父長的ナショナリズムとも結びついているといえましょう」との指摘も。

こうして指摘されると、「ウーン、確かにそうかもねーー」なんて思えてきたりもしますが、イメージで決め付けてもいけないので、
本当に(特に日本の)ジェンダーが天皇を中心とする家父長的ナショナリズムと結びついているのか、
そもそも天皇と家父長制とナショナリズムがどれほど結びつき、市民社会に影響を及ぼしているのか、
そしてそれらがいかに戦争と結びついているのか、
とっても興味のあるテーマです。

写真は、姉が飼っているハムスターの高木さん(太っているかららしい)。

六・九行動―平和を伝える子ができた

2006-06-08 02:59:24 | 日記
6日(火)昼、上野公園の入り口での「六・九行動」に参加しました。

六・九行動とは、毎月6か9の日に行われる、核兵器をなくすために署名を集めるなどする宣伝行動のことです。
原爆が落とされた1945年8月6日、9日から61年が経ちますが、世界には現在2万発を超える核兵器が存在するそうです。
日本政府にも、国際社会で核兵器廃絶のために本気のイニシアチブをとってもらうために署名を集めるなどして迫っています。

この六・九行動、全国各地(どころか外国のどこかでもきっと)で数十年にわたり、毎月開催されています。

ほいで今回、私も上野での行動に参加しました。
「すみやかな核兵器廃絶のために」という署名用紙をチラシとして配りつつ、署名を呼びかけました。そして慣れないながらもマイクを持ち、道行く人になぜ核兵器廃絶が必要なのかを訴えました。


実は先の土日、「P魂s(ピーソウルズ)」という平和サークルの合宿に参加し、ある被爆者の方の話を聞きました。
21歳のときに広島で被爆をされた方で、現在は東京に住み、保険会社で現役で働いています。はつらつとした美しく、かわいらしい方でした。

その方の話を少し紹介します。

===

学生時代は被服廠へ動員された。布に針を通すのがたいへんで、手が痛くなった。
体操の時間はなぎなたに代わり、教練で行進をさせられた。
1945年8月、21歳だった。「建物疎開」の作業をしていた。朝、空襲警報が解除になり、作業を再開したら「ピカッ」と光った。

一瞬、苦しくて苦しくて、「これが死か」と思った。
目が覚めたら瓦礫の山。
助けを求める女性の声に振り向いたら、赤身の肌が露出した顔の人。救急袋を探し、やけどの薬を塗ろうとしたが体液ばかり出て塗れないので包帯をしてあげた。

少しでも安全な場所へと避難を始めた。行く道は死体の山。すまないと思いながらも、死体をまたぎながら急いだ。

一瞬の出来事で、生と死が分かれた。

けいれんしながら死ぬ人。顔が赤紫に腫れている人。
死体を焼くにおいが、風向きによってはまともに流れてきた。

広島を離れたいと思った。東京のおじ、おばを訪ね、東京で就職し、結婚した。
結婚する前に、自分は被爆者であると夫に打ち明けたが、夫は「体と心があればいい」と、受け入れてくれた。理解ある夫に出会え、幸せだった。
しかし子どもを持つことは断念した。75年は草木も生えないと言われた被爆地。子にはこんな目に遭わせたくないと思った。

50年、被爆当時のことを思い出すのもつらかった。生き地獄だった。
生き残ったことが恥ずかしい、後ろめたいと思っていた。
そのころは国のために死ぬことがいいことだと言われていたし、自分だけが生き残り、亡くなった人に申し訳ないという思いもあった。
生きることだけでも精一杯だった。

しかし被爆50年目、どうしてもと頼まれ、初めて中学3年生を相手に被爆体験を話した。
半年後、私の話を聞いた生徒から、はがきが届いた。沖縄へ行って学んだこと、被爆証言に対する感想などがつづられていた。

自分の子どもはつくらなかったが、平和を伝える子ができた、と思った。
伝えることの大切さを知り、これが私の仕事なのだと思った。

自分の身代わりに死んだ人がたくさんいる。
私は生かされたのだと思う。神様が、私に何かしろと言っているのだと思っている。

今は、私が話すことで平和を伝えてくれる子どもができたことに感謝している。

私も変わってきた。日々勉強し、九条や教育の大切さを知った。

===

この方は現在、地元の被爆者の会の活動や、また地域の「九条の会」の代表もされています。
80歳を超えますが、さすが保険会社の現役職員、足腰が強く、階段をスタスタと上り下りします。
「話すことも勉強」と、謙虚に努力される姿が印象的でした。


写真は六・九行動で署名に応じる修学旅行生。彼らは初めは署名しようとしなかったのだが、少し話をしたら応じてくれた。そうしたやり取りがとても楽しい。

「ナイロビの蜂」

2006-06-01 01:39:44 | 映画
前回前々回に関する日記は、コメント欄で続きます。

少し日が経ってしまいましたが、「ナイロビの蜂」を観ました。

イギリスの外交官であるジャスティンは、妻テッサの死因の真相を探る中で、製薬会社とイギリス政府官僚との癒着の実態が見えてきます。
そこには貧困に生きるアフリカの人々を使った薬物実験や、大国による「援助」の名の下で送られる薬品が本当に人々を助けているのかどうかなど、観る者にわかりやすい構図で告発しています。

私にとっては登場人物のめまぐるしさに少しついて行けない面もあったり、物語の展開に少し疑問を持ったりもしましたが、でもアフリカで起きている問題にいかに無知であるかを知らされる、よい映画でした。

ホテル・ルワンダ」は全国各地で上映されていますが、どこでもかなりの動員数を数えているようです。

この映画は今年の初めに観たと思いますが、かなりの衝撃でした。
アフリカの姿があまり見えない日本ですが、「私たちが本当に困っていたとき、国際社会は何の手も差し伸べなかった」という叫びが聞こえてくるようです。
ODAだとか武装自衛隊が乗り込むなどの「支援」をこういう場合に持ち出されるのかもしれません。
しかし何にしろ、実態を知らないままでは何の「支援」もできません。
しかも「ナイロビの蜂」では、大国によるおこがましい「支援」や、その下で利権を貪る企業やそれと癒着する国家権力の姿を垣間見ました。

私は「DAYS JAPAN」という「広河隆一責任編集◎世界を視るフォトジャーナリズム月刊誌」を購読しています。
「人々の意思が戦争を止める日が必ず来る」という信念の下に、写真の持つ力を最大限に生かした雑誌です。大手メディアが視聴率やスポンサーばかりを気にして報道できないような、権力の暴走を告発するニュースや個の視点に立ったニュースなど満載です。こまごまといろんな地域の写真と記事が掲載されていますが、私が知らない問題も非常に多く、とても勉強になります。

そいで手元にある最新の6月号には、シエラレオネの記事が掲載されていました。
内戦が続いたシエラレオネ共和国では、統一革命戦線(RUF)の兵士が恐怖をあおるために市民の手足を切り落とすという戦術をとったそうです。手足を切られた被害者は2万人にのぼり、死者は7万5千人に達するそうです。
記事には手を切られた男性(31歳)が、7歳の息子にシャツのボタンを留めてもらう場面の写真が掲載されています。

ナイロビはケニアの首都だったか。
ルワンダってどこだっけ?
シエラレオネなんてほとんど聞いたこともない…。

地図を見てみました(=図)。
わずかに塗りつぶしましたが、左からシエラレオネ、ルワンダ、ケニアです。
改めて地図を見ると、エジプト、南アフリカ、コートジボワールくらいしか自信を持って指し示すことができません。
でも国名だけは、聞いたことのあるものは多いのです。
ニュースとしてしか聞いていなかったのか…と思います。