あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

桃と核兵器廃絶の国民平和大行進

2005-07-28 20:37:59 | 日記
今年は、第二次世界大戦のさなかに日本に原爆が投下されてから60年目です。

8月に広島、長崎両市で開催する原水爆禁止世界大会は、日本各地はじめ海外からも10カ国以上の代表者が集まるそうです。
いったい何語を勉強したらよいのやら。
なんつって言いながら、結局どこの言葉も勉強していません。

この貴重な機会に、核兵器廃絶をアピールして核政策に固執する日本やアメリカ政府に圧力をかけるとともに、私たち自身も、核兵器がなぜあってはならないのかを被爆者の体験を知ることによって身に刻みたいと思います。

都合の合う、特に若い人には、ぜひ8月に広島、長崎を訪れてほしいと思います。
原水爆禁止世界大会をはじめ、そこここでいろんな企画が行われるようです。私は世界大会の企画運営や取材に携わりますが、ここを軸に町を歩き回りたいと思います。

8月の原水爆禁止世界大会とともに、もう一つ歴史と力のある運動が、国民平和大行進です。
毎年5月に東京を出発し、3カ月かけて広島へと核兵器廃絶をアピールしながら歩きとおします。通しで歩く人、各地で合流する人などとにかく大勢歩きます。東京→広島だけでなく、北海道から沖縄まで、文字通り日本列島をトコトコトコトコ歩いているのです。

岡山県平和委員会のNさんが、東京→広島をずっと歩き続けています。
毎日見たことや思ったことをメール日記としてつづっているのですが、実におもしろいです。

「世論」がどこにあるのか、私たちは普段なかなか実感することができません。
数字で出る世論調査の結果は、質問項目や解答項目によって誘導されがちです。
世の人びとの意思がどこにあるか、一人の人間が知りうる範囲には限界があります。

平和行進は、この世論を実感できる貴重な機会です。
3カ月もの間、歩く道を用意する各地の人びとの奮闘、歩いていて出会う道端の人びとの反応、各地の首長あいさつで見える地方行政の意思、…。
毎日のメール日記では、アラマーこんなところにもこんな人が、なんていう様子がよくわかって感動します。


そんなNさんが、地元岡山に入ったときに桃!!を送ってくださいました(写真。もっといっぱいありましたが、すでに皆の胃の中へ)。
桃ってなんでこんなにかわゆいの? しかもうまくて幸せな気分になれる。
ありがとうございます。Nさん!

またまた靖国神社へ

2005-07-26 20:51:46 | 日記
8月が近づくにつれ、いよいよ忙しくなってきました。
実際の仕事も忙しいのですが、雰囲気自体が忙しく、なんだか知らないけど気持ちばかり焦ります。

さてそんな中、先日の日曜日、またもや靖国神社へ行きました。
同居人とその友人たちが靖国神社を見たいということだったのですが、新宿平和委員会のベテランガイドさんの都合が合わなかったために私が簡単なご案内をすることになりました。

同居人は東京に住んで8年、その友人は生まれてからずっと東京住まい、にもかかわらず靖国神社へ行くのは初めてだったそうです。
身近にある戦争施設。
私たちが住むすぐそばに戦跡や戦争施設が意外にたくさん残っているものですが、身近すぎるためか逆になかなか行かないものです。
靖国はかなり大きな施設ですが、過去のもの、現在のものを含めて、チェックしていきたいと思いました。

ふと、突然によみがえる記憶。
今思い出しましたが、そういえば中学生のころだったか夏休みの自由研究で、身近な遺跡を訪ね歩いた(正確には父に車でまわってもらった)ことがあります。
弥生時代の遺跡から近代の戦争の傷跡まで、単に近くにある史跡をまわった程度ですが、身近に過去を学ぶための資料がこんなにあるんだなあーと感心した記憶があります。
懐かしい。

今住んでいる場所の近くに何かそうした跡がないか、調べてみようと思います。


さて靖国神社の話に戻ります。
平和新聞7月5日号に、靖国神社の実態は「天皇を中心とする軍事施設」と書きました。
今では、英霊の影を求めてではなく、ここの実態を知り、批判的に学ぶために訪れる人も多くいます。
先日訪れたときには、「9条守れ」などのバッヂを身に付けた見学者もちらほらといました。

帰りがけ、軍服を身にまとった人(初老の男性)が、警察官に職務質問を受けてるのを見ました。
銃のレプリカを持ち歩き、ふらふらと。
靖国神社ではコスプレをした人が歩いているのは珍しくはありませんが、なんにしろコスプレで職務質問はちょっと恥ずかしい。
その人は「何が悪い」と立ち向かっていましたが。

もちろん何を着ようと自由ですが、銃を持ち戦闘服を着て街中を歩く姿は、異様で危険な雰囲気をかもします。
ただの自己満足のコスプレと片付ければそれまでですが、それほどまでに再び銃を手にして人殺しをしたいというのでしょうか。

靖国を訪れるのはそうした極端な人ばかりではありませんが、しかし靖国自体が根本的にはかつての軍国主義、侵略戦争を肯定する施設であるために、軍国主義者たちの拠点になっています。
ここを首相はじめ政治家が参拝することは、とても大きな意味を持つと思います。

「大いなる休暇」

2005-07-23 03:07:01 | 映画
通常、映画は1,800円です。
シネスイッチ銀座は、金曜の最終上映が女性のみなんと900円。

というわけで、銀座では今日が最終上映の、「大いなる休暇」を見に行きました。
金曜でしかも最終上映のためかとても混んでいて、立ち見が出るほどでした。私も前から2列目と、なかなか苦しい席でしたが首のつらさを忘れるほど楽しく見入ってしまいました。

「大いなる休暇」は、カナダの偏狭の島を舞台にした、医者を島に住まわせるために120人の島民全員でお医者様を「だます」という物語です。

かなり笑いました。
笑いのある物語はよいです。
先日見た「ラヴェンダーの咲く庭で」も、実に切ない物語でしたが途中はところどころに笑いがあり、とてもさわやかな気持ちになれました。

笑いとともに、仲間っていいねえ、と思いました。
夫婦もいい。ちょっとした正義感もよかった。
単純に見たら、とても爽快な物語だと思います。

そして映画館で、他のお客もいっしょになって笑うという雰囲気そのものも、私は好きです。

あちゃーー

2005-07-22 01:23:16 | 日記
またやってしまいました。
頑張って書いた日記を、誤って消してしもうたよ…

本日の内容は、沖縄県金武町での集会のお話のはずでした。
今日はもうふて寝しようかな…

関係ないけど東京タワーの写真だけ載せることにします。
職場近くから撮影。
最近の東京タワーは、シックな色合いにまとめています。
季節によって、光り方が変わるのです。

あーあぁー

「未だ癒えぬ傷」…平頂山事件など

2005-07-21 02:53:33 | 映画
新聞づくりが完了しました。ほっと一息。
さて友人と電話をしていて、ハッとひらめきました。言葉の使い方ですが。
ときが過ぎるのを待つのではなく、ときを過ごしたい。
これです。私の最近の欲求は。わっかるっかなー?

以上は、それほど重要でない事柄でした。

先日、「未だ癒えぬ傷」というビデオを見ました。
これは1932年に日本軍が中国・撫順の平頂山で起こした平頂山事件という虐殺における、数少ない生存者の証言を元にしたドキュメンタリーです。

30分にも満たないビデオですが、その中身はあまりに衝撃的でした。
証言している揚宝山さんは80歳を超えますが、家族のことや事件を思い出すたびに涙が止まりません。少しのきっかけですぐに家族を思い出し、涙がこぼれるのです。
はらはらと涙を流すその姿が、実に痛々しいのです。

一般民衆3000人を殺りくしたというこの事件は、日本軍もさすがに当時の国際法に違反することを自覚しており、自らの罪を隠すために徹底的に村人を殺し尽くし、村自体を燃やし尽くしました。
事件の生き残りとわかると抹殺される危険さえあったため、家族でただ一人生き残った揚さんは身を明かすこともできず、身寄りもないままたった一枚の衣服で数年を過ごさざるを得ませんでした。「犬よりひどい食事」だったと言います。

以前、海南友子さん監督の「苦い涙の大地から」という映画を見ました。
これは日本軍が敗戦直後、自身の罪を隠すため、自ら開発した細菌兵器を中国に遺棄。これが60年を経てなお中国住民を襲い続けているという、なんとも悲惨なドキュメンタリーです。
政治的な意味だけでなく物理的な意味で、戦争がまだ終わっていなかった、ということを感じました。

60年前に日本が起こした戦争を私たちが今学ぶというのは、次の戦争を起こさないようにすること。
とともに、いまだ解決されない、いまだ人々を攻撃し続ける過去の戦争を一刻も早く終息させ、次々と生まれる戦争被害者に補償の手立てを打つこと。
二つの意味があると思います。

日本軍が中国でいかに戦争を行ったか、いかに人を殺したか、については、「加害」の証言者として少なからぬ人々が記録を残しています。

八月末、私は日本平和委員会主催のピースツアースタッフとして中国へ行きます。
そのための多少の学習のため、季刊「中帰連」のバックナンバーをいくつか手に入れました。
元・中国帰還者連絡会の方々が、自分たちが中国で犯した罪について綴られる文も多く掲載されています。
あまりに具体的な人殺し(虐殺と言うべきかもしれません)の模様は、読んでいてくらくらと気分が悪くなります。

私の知らない時代の出来事ですが、私は彼らが犯した罪を憎みたい。
それとともに、やはり自らの罪を激白する彼らには敬意を表さざるを得ない。
そして被害に遭ってきた中国(他、被侵略地)の人々に、私はいかに接せられるだろうか。
具体的なところとして、現在起きている諸裁判について、もう少し学ぶ必要があると感じました。

趣味募集

2005-07-18 23:39:48 | 日記
さぼりましたなあ。
毎日書きたいブログ。じゃが…。
なんだか、ぼーっと疲れた1週間でありました。

タイトルにあるとおり、最近趣味がほしいと思うことがよくあります。
趣味、それは没頭できるもの。

同居人に、「没頭できるものがほしい…」とつぶやいたところ、「もうあるじゃん」と言われました。
ま、まさか…。
「仕事に没頭してるじゃん」

言われてしまった。
私は仕事に没頭しているのではなくて、ただ仕事に時間がかかってしまうだけ。
もっとスマートに、機敏にこなすことができれば、きっとそんなふうには見えないはず。

「趣味」…専門家としてではなく、楽しみとしてする事柄。
「没頭」…物事に熱中すること。その事に精神をつぎこむこと。はまりこむこと。
(「広辞苑」第三版より)

何かないかなーと、考えなくては見つからないなんてさびしいことです。ましてや、人に何か私に趣味を…なんてなおおかしいことです。

読書、それは趣味というより生きるうえで必要なこと、というイメージ。それに趣味と言えるほどには没頭してはいないような。
映画、これも好きだけどせいぜい月に2、3回見に行くだけ。時間が合えば、というばかり。
スピッツ、もうファンクラブもやめたしコンサートも行ってないし…。

今のところ、趣味はと聞かれたら「絵を描いたり見たりすること」と願望も込めて答えますが、実際はなかなかできていません。
ごくたまに展示を見に行ったり、ごくたまにどこかへ出かけたときにスケッチをしたり。
思えば昔はよく描いたものでした。
大学に入った辺りから、あまり描かなくなりましたが、それでも美術部の部屋を自由に使うことができたので思い立ったときにはふらりと立ち寄り、絵の具を広げて描いていました。
いちばん描いたと思うのは中学生のころ。部活にも入っていましたが、家でも勉強の合間に休憩がてら自分の足やら手やらを描きました。そしてイラストもよく描いていた。透明水彩のおもしろさを感じたのもこのころ。
今、絵の具を広げる場所がないから、とかなんとか言いながら描いていませんが、でも昔は勉強机も絵描き机もすべて一緒だったなあ…。

むしゃくしゃしたときなど、絵を描くことですっきりすればよいとも思いますが、最近はただむしゃくしゃを自分の中でごろごろさせて、膨らんだりしぼんだりさせているばかりです。
都留にいたころ、地元のある市会議員が、忙しい中でもいろんな趣味を持っているからこの仕事を続けているよ、というようなことを話していました。

いや、よくよく考えたら、やはり私の趣味になりうるのは絵しかないかもしれません。
ちなみに、月に一度だけ「平和新聞」に間違い探しを描いていますが、これは間違い探し用の絵が求められるとは言え、私にとってはとても楽しい仕事です。本来は。

時間の使い方に、もっと積極的になるということでしょうか。
生活を、しゃきしゃきと送るということかもしれません。
疲れたらのらりくらりと過ごすことがどうしても多いのですが、別の過ごし方をすれば疲れ方も違うかもしれません。初めは奮起する必要もあるかもしれませんが。

しかし、家で絵を描く分にはそうでもありませんが、東京は何かとお金がかかります。
趣味を持とうと思うと、お金がかかることばかり思いつきます。
ふらりと外へ出てもスモックばかりだし、あちいし。
休みができたら、近場で過ごすよりも電車に乗って山のあるところへ出かけた方がきっと楽しい。

ゆとりがないと趣味も持てない、とも思ったけど、ゆとりを持つために趣味を持つのかもしんないです。

写真は、すくすくと育つ豆盆栽。
しかしその正体はいまだベールに包まれる。何者なのだろうか…。
職場でも何か育ててみようかと思い始めた今日この頃。これも趣味の一つなのかな。

湧き上がりまくる息吹

2005-07-11 19:55:58 | 日記
土曜は兵庫、日曜は岡山へ行きました。仕事ですけど。
兵庫では青年九条の会「プロジェクト・アーティクル9」主催のライブイベントへ。
いろんなジャンルの歌を聞けたのもよかったし、憲法講座もまとまっていておもしろく聞き入りました。
すてきな空間でした。

神戸のお風呂(クアハウス。カプセルホテル付き。かなり気持ちよかったです)に泊まり、岡山に行き、そして昨晩東京に帰ったら、ミニ盆栽が笑っちゃうほど育っていました。
ミニトマトもだいぶ窮屈そうだったので、いよいよプランターに植え替えました。
これにより、昨日は興奮した一夜でした。

ひとまずこの興奮のみを記録します。
仕事の合間のため適当な文章です。私にしかわからない興奮をつづっています。

もう一つの七夕…天の川は見えず

2005-07-08 02:30:44 | 日記
今日は待ちに待った、「もう一つの七夕 戦後60年盧溝橋事件68周年記念」の企画がありました。
待ちに待ったというのは言いすぎです。

私は司会をやりました。
文京シビックホールという会場だったのですが、私は勘違いして別のもっと古くて狭い会場を想定しており、そのため今日の司会は気楽にフランクにやろうと思っていたら、実際の会場はバブル期に建てたと思われる非常に大きくきれいな会場で、「あぁ、ここのことだったのね…」と少し気持ちが引き締まりました。
特に会場によって司会のやり方が変わるわけでもないのですが、多少立ち方が変わったかもしれません。

韓国舞踊、二胡演奏は、ナマでは初めて見ました。
舞台脇からしか見られなかったのが残念ですが、すごくよかったです。
踊りは元気でかわいらしく、衣装もステキでした。
二胡は実にきれいな音色。しかも演奏してくださった張さんは、たぶんいい人(イメージ)。少しだけ接した感触では、気さくそうな人でもっと話したかったです。
みんな、いい文化をもってるね~と感心してしまいました。
こういうのは本当に楽しいです。

日中友好協会が企画したビデオ・証言三部作を編集して10分にまとめたもの。
これは、日本人がかつての戦争で犯した加害の事実を、実際に手を下した人が自ら証言するものです。
以前にも見たことがあったのですが、これが戦争の姿なのだろうと知ることができるビデオです。
中国人をむごい方法で殺した経験を、苦しみながら吐露する元兵士の気持ちは計り知れません。
そしてその苦しみながら証言する姿を見ていると、その人によって殺されたアジアの人々を想像せずにはいられません。
それぞれの人の気持ちを、私が別の言葉で語ることはとてもできませんが、戦争と言うのは殺す人がいて殺される人がいる、ただただその構図に集約されるものだということを学べます。

教育現場からは、東京歴史教育者協議会の方が発言。
過去の戦争を正当化しようとする歴史教科書の採択を巡り、まさに今が正念場なのだと痛感しました。
教育現場は、想像以上にひどいようです。
そして東京の動向が、また全国に波及するという恐れもあるようです。
しかし、この問題は世間ではあまり知られていないようにも感じます。

小森陽一さんは、相変わらずパワフルでした。
内容ももちろん学ぶことが多いのですが、その話し方も学びたいです。
身振り手振りを豊かに、おもしろ小話をはさみつつ、問題点をびしり。
やりますなあ。
たぶん、私の性質上、小森さんのような語り方はできませんが、情熱は伝わるような語りはしたいです。

詳しい内容は、おそらくどこかで公開されるでしょう(どうかな?)。

今日は、もちろん七夕そのものの日でもあります。
例年この日は曇りが多く、天の川は滅多に見ることができません。
そして今日も。
私は生まれてこの方、天の川を七夕に見たことはありません。
季節外れに、どこかの田舎に行ったときに偶然見ることができたのが2、3回。
織姫とひこ星が年に一回唯一会えるというこの7月7日、雲に隠れて一体何を…。

企画の後、同じ世代の仲間たちと韓国料理を食べに行きました。
8月に若者だけで中国スタディーツアーをするメンバーの打ち合わせを兼ねていました。着々と予定を立てているようでした。
私も8月に、日本平和委員会主催のピースツアーで中国へ行きます。
瀋陽、ハルピン、北京の旅。
勉強をしようと思っていくつか本も手に入れたのですが、なかなか進めていません。
今日はスタディーツアーの打ち合わせを見て刺激されたので、頑張って学習を再開したいと思いました。

被爆者の「勇姿」

2005-07-07 03:16:05 | 日記
今朝、都内在住のヒロシマ被爆者のOさんとお話をしました。
目的は取材だったのですが、本当によい出会いでした。
と言っても私はOさんのことを一方的には以前から知っていたのですが、でも直接お話しし、その人柄をより深く知ることができました。

被爆当時の様子、友人のこと、核兵器廃絶運動の広がり、…いろんなお話を伺いました。
友人のことを話したとき、Oさんが涙ぐむ場面がありました。
私も思わずもらい泣き。

そして現在の運動の広がりの話。
若者に対するOさんの思いを率直に、そして一言ひとことかみ締めるように、確認するように話していました。
そこでは私だけ思わず涙。
運動の広がりを、まさにこのとき実感したのだ、という話でした。

もちろんオイオイと泣くわけにもいかず、ぐっとガマンして気合で涙を飲み込むようにこらえるのですが、若者の話のときは目頭から少し涙がはみ出てしまいました。
私は取材でお話を聞いているので、本来は泣いてなんていてはならないのだとも思います。
しかも対面しているので涙を見せてはいけないとは思うのですけど、でもどんなにこらえてもチョロリと涙がはみ出てしまうことがあります。


私は人前では涙は見せまいと思いますが、一人のときはすぐに泣きます。
たいていは感動したとき。
ごく最近では、NHKスペシャルの「僕らは玉砕しなかった・少年少女たちのサイパン戦」を見たときでした。
信じられないような壮絶な体験の証言が続きました。

他に「取材」中に泣いてしまったのが、やはり「被爆者」のお話を聞いたときです。

去年8月の原水爆禁止世界大会の長崎集会。
被爆者の山口仙二さんのお話でした。
被爆当時の「全身焼けただれた死体、黒焦げの死体、眼球が飛び出した顔、首のちぎれた胴体、腹が裂け、内臓が流れ出した死体、腕や足を引きちぎられた死体、水の中に折り重なった大きく膨れ上がった死体の群れ…」。そしてこの現実を知ろうとせず核政策を推進するアメリカ政府、それを支える小泉政権の動向を見ていると「はらわたが煮えたぎる思い」になる。核兵器のない世界をつくるため、「被爆者は、そして私も、生きて、生きて、生き続けるでしょう」。

今年3月の静岡での3・1ビキニデー集会。
被爆者の小西悟さんのお話。
「私たち被爆者には、被爆70年はありません」。私たちの思いを受け継いでほしい、「バトンを引き継いでください」。

お二人とも、本当に壮絶な訴えでした。
悲壮感さえうかがえました。
それぞれ大きな会場でのお話でしたが、周りからもすすり泣く音が聞こえました。
私は写真を撮らなくてはならなかったので「ファインダーがにじむよ…」と、焦りました。
聞いてしばらくしても、言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡り、涙がじわりとあふれてたいへんでした。


たいへんな経験を、言葉を選びながらなんとか伝えようとしてくださる姿、60年も抱えてきた傷の痛み、しかしこれを繰り返すまいと、かつて原爆を落とした人間・国に対してではなく現在核政策を推進する者たちへ向けた怒り。
痛みと苦しみと怒りと愛情が混在しているように思います。
でも決して憎しみは見せません。
一人ひとりの被爆者の方が、どんな苦しみの中で感情を整理してきたか推し量ることはできません。

でも彼らの姿は、まさに「勇姿」だと思いました。

そして私も、初めて被爆体験を聞いたのは中学生のころだったと思いますが、多くの方々の話を聞く経験を重ねる中で、感動が深くなってきました。
話を聞くことで、私自身も成長し、自分の心に響かせることができるようになってきたのだと思います。


写真はわさわさと育ち続けるミニトマト。

【企画ご案内】もう一つの七夕

2005-07-05 00:20:06 | 日記

雨が続きます。
おとといせっかく洗った靴と草履は、昨日のうちには乾かず、今日もベランダに干して(置いて)おいたら、雨の水が入ってびじょびじょでした。二度洗い。

企画のお知らせです。ぜひぜひこぞってお越しください 。

「もう一つの七夕 戦後60年盧溝橋事件68周年記念」

1937年7月7日は、盧溝橋事件が起きた日です。
戦後60年目の7月7日に開催する企画では、日本の侵略戦争の事実を踏まえ、中学校の歴史、公民教科書など日本の右傾化を検証しながら、いま日本国憲法九条をまもりいかす意義を考えます。

《プログラム》
★韓国舞踊、二胡演奏
★侵略戦争の実態を語るビデオ上映
★教育現場からの発言
★小森陽一さん(東京大学教授、九条の会事務局長)の講演「憲法九条・教科書採択と歴史認識

【日時】7月7日午後6時30分~(開場午後6時)
【場所】文京シビックセンター・小ホール(東京都文京区)
【交通】後楽園駅徒歩1分、春日駅徒歩1分、水道橋駅徒歩8分
【参加費】1,000円
【主催】日中友好協会、日朝協会、日本平和委員会、 日中友好協会東京都連合会、日朝協会東京都連合会、東京平和委員会
【協賛】東京都歴史教育者協議会