あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

【告知】5月3日、憲法集会へいかふ

2006-04-28 10:55:24 | 日記
お知らせです。参加状況がよくわかりませぬので、かなり不安になってきました。

5月3日は憲法記念日。今、憲法を巡る状況はとってもシビアです。
今年は各地で、例年よりもさらに気持ちのこもった憲法関連のイベントが行われると思います。

ここでは東京での集会のお知らせ。
最近流行中(私だけ)の、デモに混ざって旋風を巻き起こすサウンドカーを出しますよ!
皆さんもぜひご参加ください。人数は多ければ多いほど、街じゅうにアピールすることができるのです。

憲法集会は5月3日13:30開会、日比谷公会堂にて。
ジャン・ユンカーマン監督も来たり、Qちゃんサンバとやらも披露されるらしいです。
チラシはこちら。
パレードは集会後に行われます。
当日は相当混雑すると思われます(たぶん)。

お問合せは私・西村まで。

「ぼくを葬(おく)る」

2006-04-28 01:09:26 | 映画
ぼくを葬(おく)る
と、いう映画を昨日(26日)観ました。

観た直後はあまりいい気分はせず、帰宅してから「お口直し」に金八先生のビデオを観て号泣していました。

一晩経って、一応感想を書いておこうと思いました。

余命3ヶ月を宣告された青年が、迷いながらも残りの人生を選んでいく、という物語です。

この映画を観て、結局人の死というのはとりわけドラマティックなものでも、英雄的なものでもないのだと思いました。人の死なんて、人それぞれです。
そしたらこの映画の意味はいったい何なのだろう…? そんなことを言いたかったのかな?と思い、よくわからなくなったわけです。
しかもこの映画に寄せられている、「著名人?」らの感想がとってもイマイチに感じられたのもあり、何となく雰囲気だけの映画なのかなあ、とも思ったわけでした。

いや、しかし今はもう少し奥行きを感じています。
主人公のロマンは一人で死ぬことを選びながらも、「子」を遺し、財産を遺す。
最終的には人生を楽しみながら、彼自身の人生の中で死を迎えるのですが、ただ死んでいくのではなくて、死の準備をきちんとしたのでした。

私の母は47歳のときにガンで亡くなりました。
しかし母は、治療を試み、病院で亡くなりました。
母が亡くなったとき、父は「お母さんの死が、医学の進歩の助けになったと思えば少しは報われる」というようなことを話し、慰めだと思いつつも少し気が楽になったのを覚えています。
ちなみに映画の主人公は治療を一切拒みました。

人の「死」に何らかの意味を求めがちです。それがあたかも生きた証であるかのように。
確かに大切な人が亡くなるのは本当につらいので、「なぜ死んだのだ」といつまでも問いたくなります。
また、私もたまにですが、早く死が訪れることへの恐怖を感じることもあります(早死にする根拠は特にありませんけど。いとこがガンで26で亡くなったとか、身内にガンが多いからとかいう理由だけです)。
しかしやはり、意味があるのは死に至るまでの生そのものだと思います。
死に意味があるのではなくて、死の原因や背景に意味があるのだと思います。

こんなこと、以前にもこの日記に書いた記憶があります。前は靖国神社を訪れたときの感想でした。繰り返してしまった。

しかしここまで書いて思ったのですが、死へ意味を与えることと、死をいかに迎えるかとは別の話です。死を迎えるのは生きているうちしかできませんから、それもやはりどう生きたか、の一部なのでしょうか。

あまり映画の感想にはなりませんでした。そして少し独り言っぽくなってしまった。

グアム移転 と イラクの死体

2006-04-26 01:17:34 | 日記
沖縄にいる米軍の海兵隊部隊をグアムへ移転する計画がありますが、その移転費用の59%(=約7064億円)を日本が負担する、との案で日米政府(額賀&ラムズフェルド)が合意したそうです。

カーーーッ!
誰のお金じゃい!
誰の軍隊じゃーー!
と思ってしまいます。

本日(25日)付けの読売新聞を読むと、当初米軍が要求していた額よりは下がったので妥協案としてはいいんじゃない? とか、今まで沖縄に負担が集中していたのだから、今回は日本全体である程度負担を負ってもいいんじゃない? とかいうようなことを言っています。
一部マスコミは、まるで沖縄の負担を軽くするために米軍に「出て行っていただくのだ」というような書き方をしますが、決して米軍はそんなに思いやりを持ってはいません(どちらかと言うと日本政府の方が「思いやり」を持っている)。グアム移転は、米軍の地球戦略を遂行するための再編強化計画の一部です。
しかも沖縄の軽減負担とか言いながら、今回支出するお金は沖縄県民も払った税金の一部です。読売新聞にびっくり。


ここで一句。
でなくて、昨晩、数年前の自分のメモを発見しました。防備録としてここに残そうと思います。
ネット上でイラクの人々の死体を見たときの感想です。ヒロシマ・ナガサキの被爆者の写真を見るときにも抱く感想です。
戦争は、これを訓練する基地がなければできません。そして基地や訓練を保障する土地やお金がなくてはできません。土地もお金も提供している日本の罪は重いと思うんだけどなあ。


「元・人間」。

坂本金八は、ヒトが「人間」になることについて語っていた。
これに基づけば
イラクで無残な姿にさらされる虐殺の跡―死体の数々は、元・人間なのだろう。
映像はまともに見ることはできない。胸にむかつきがこみ上げる。
しかし彼らは元は人間だった。何かモノのように、シンボルのように映し出される彼らは人間であった。
物語としての事件、物語としての戦争の中で生きていたのではなく、彼ら一人ひとりに物語があったのだ。
もはやこれ以上は見つめつづけられない死体たち。しかし元・人間の彼らを見つめ、彼らの人生に思いをはせずにいられようか。
こみ上げるむかつきにいら立ちをおぼえながら。


写真はアヒルデモ。

「三池 終わらない炭鉱の物語」

2006-04-25 00:32:41 | 映画
先々週の土曜、映画「三池 終わらない炭鉱の物語」(熊谷博子監督)を見ました。
タ・ダで。
マガジン9条」という、9条について考える素材をたくさん提供してくれるホームページがありますが、そこでのプレゼントに応募したら見事当たったのでした。

この映画は、三池争議をめぐる人々の証言を中心に構成されたドキュメンタリーです。
三池争議と言っても、私のような20代の“若い”世代にはあまり知られていません。私は、かつて三池炭鉱でものすごい争議があったのだ、ということくらいは聞いていましたが、詳しいことは知りません。だいたい「争議」という言葉すら、今はあまり聞きません。

三池争議とは、かなり大規模かつ歴史ある三池炭鉱の労働者が、雇用主である「三井」に対して労働条件の改善を求めた闘争です。全国からの応援もたくさんあり、歴史的な大争議になりました。

荒木栄の「地底のうた」という、ものすごい名曲があります。
三池炭鉱の労働者たちの熱い思いをつづった歌です。

映画は、労働組合で真っ向からたたかった人、第二組合を作った人、資本家、三代で働き続ける女性、事故で一酸化中毒になった夫を看続ける女性、等々いろんな立場の人が登場します。
組合の先頭に立ち、資本家に毅然と立ち向かった人はものすごいと思います。
しかしおもしろかった(と言ってよいかはわかりませんが)のは、「向坂教室が悪かった」と言う女性のことばです。つまり学問上の労使闘争の構図を、我々に対し駒のように当てはめたのだ、と言うのです。
実際、労組を作ってたたかい続けるのは大変なことです。資本の側はいろんな策を練り、自主退職や第二組合を利用します。第二組合ができ、労働者同士がいがみ合う場面も生まれてきます。そもそも生活のためにたたかってきた彼らの中には、何のためのたたかいなのかが見えなくなったりもします。

本来的に対立しているのは、資本対労働者であることは間違いないとは思いますが、これは不鮮明になりがちだし、結局目の前の暮らしを維持できなくなることもままあります。暮らしのためのたたかいが、長い目で見れば働く者の権利向上に結びつくとしても、明日の暮らしを脅かすものであればたたかいを続けることは困難を極めます。
当然、明日の暮らしを脅かすことは当初からわかっているとは思うし、それでも続ける人は多くいるからこそ少しずつ暮らしは改善されてきました。たたかい続けた人は暮らしが裕福だったから続けたのではなく、かなり厳しい中にあったと思います。
しかしそれでも、その人生を選んだのだ、ということだと思いました。

この映画を材料に、学び合い考え合えたらよいと思います。
これと併せて観たいのは、「ドレイ工場」(1967年、山本薩夫監督、前田吟主演)という映画です。
私は学生時代に観て、とても勉強になったのと、感激したのを覚えています。

「Little Birdsリトルバーズ ―イラク 戦火の家族たち―」

2006-04-17 00:36:14 | 映画
先週1週間は、緊張の取材をはさみつつも、あまり残業せずにゆったり過ごしてみました。たっぷり睡眠を毎日とると、気分がよいです。
そいで映画も見ました。
1つは「いつか読書する日」。田中裕子や岸部一徳が出演しています。
かなりグッとくる映画でした。照れますので多くは語りませんが、なかなかに重層的な映画でした。音楽(池辺晋一郎)もかなりよかったです。(私の)5本の指に入ります。(残り4本のうち1つは中国の「故郷の香り」)
お勧めしたいよい映画はたくさんありますが、(私の)5本の指に数えられる映画は、優れているとかどうというのは別に、より私に沿った映画だということなのかもしれません。
そこに共通する(私の勝手な)キーワードは、「誠実(誠意)って何かねぇ…」(本編のせりふではありません)。

少し意味不明の日記になってしまいました。
以上とは別に、お勧めしたい映画を紹介します。

「Little Birdsリトルバーズ ―イラク 戦火の家族たち―」(マクザム、102分+特典、5985円)(綿井健陽監督)です。

いろんな場所で上映会もされていますが、最近DVD(特典付)も発売されました。ぜひいろんな人と一度見て、感想を出し合ってみてほしいです。
平和新聞に紹介文を書くために、私は家の小さなパソコン画面で見ました。

私は綿井さんとは面識はまったくありませんが、なんとなく「この人はいい人だ!」と思っています。すごく勝手に。しかも「いい人」ってよくわからん表現ですけど。
なぜそう思ったかと言うと、1つはブログがおもしろいこと。
もう1つは、綿井さんが出演されたNHKの「課外授業 ようこそ先輩」を見て。
クラス全員にビデオカメラを持たせ、「幸せ」をテーマに撮らせるのですが、転校を前にしたある生徒の映像を見て、綿井さんはホロリとするのです。
ビデオジャーナリストとして、イラク戦争など厳しい現場に足を運んでいる綿井さんですが、この人が撮りたいものは本質的には「生(せい)」というか、暮らし・営みの尊さ、というようなものなのだろうと感じたのでした。そいで、私も単純なのですが、感激したのでありました。

そんな綿井さんがイラクの人々を丁寧に追ったドキュメンタリー。
平和新聞4月15日号に書いた映画紹介文に加筆したものです。

↓↓
本作品は、ビデオジャーナリストの綿井健陽氏が、戦火の中で生きるイラクの家族を追い続けたドキュメンタリーである。
3月20日のイラク開戦直前、イラク人は綿井氏のカメラに投げかける。「日本は広島・長崎を経験している。日本は好きだ。しかしなぜアメリカを支持するのか?」「なぜ急にイラクへの気持ちを変えたのか?」なぜ。
空爆開始から5日後、イラク人の疑問は怒りに変わる。綿井氏は空爆直後の現場に遭遇し、そこにいたイラク人に当時の様子を取材しようとする。しかし答えは「ノーアンサー」。「(殺したのは)お前らとブッシュだ。お前らとブッシュは一緒にイラクを破壊している」。

4月9日バグダッド陥落。町に米軍車両が乗り入れ、「悲しい制圧」が始まる。町では、ブッシュ像を倒そうとする者、それを遠巻きに静かに見つめる者。綿井氏は米兵に「何しに来たのか」と尋ねる。「イラク人を助けに来た」。綿井氏はさらに「これ以上殺さないでくれ」と訴える。「(殺したのは)わざとじゃない」「いろんな意見があるんだ」若い米兵たちは自信なさげに答え、その場を足早に立ち去っていった。
この場面を画面で見る私たちは、混乱に陥る。誰が何のために戦争を起こしたのだったか…?

サマワに駐留する自衛隊は、イラク人の血とは無縁のごとく、のんき顔で日本のマスコミへPRを続ける。まるで道化のようにも見える。日本のマスコミは自衛隊の食事に気をとられ、バグダッドやその他の虐殺現場には興味をもてないのだろうか。

虐殺は続いている。日本にいる私たちには、その様子を知ることは難しい。こうしたジャーナリストの活動が、切実に必要なのだ。病院で家族を看るイラク人は叫ぶ「撮れ。これを撮れ。これがアメリカのやることか。サダムと一緒じゃないか」

米兵が投下したクラスター爆弾の破片が右目に刺さったままの少女は、最後に語った。「人間として見てほしい」「私にとっての戦争はまだ終わっていません」「私たちは自分たちの暮らしを取り戻し守り続けていきたい」

カメラに向かったイラク人の怒りは、これを観る私たち自身に対するものではないか。この作品を見てもなお、「民主主義国家」による戦争が避けられないこともあると、言える人がいるだろうか。

↓↓
DVD付録の冊子に、綿井さんは「簡単には泣かないでほしい」と書いています。
しかしやはり私は少し泣いてしまいました。綿井さんが米兵に「何のための戦争か」と尋ね、若い米兵が「答えたくないな」とにじり去る場面。「人間の盾」にも参加した若い女性が「病院で死んでいく子どもたちを見よ」と詰め寄り、若い米兵は目をそらすしかできない場面。
イラク人がカメラに怒りをぶつける場面。
それでも、カメラに向かって静かに語る場面。などなど。


写真は今日ガイドをした靖国神社近くの川。

V字型滑走路案? 命の誕生と破壊

2006-04-08 01:23:52 | 日記
大学時代からの友人に、ベイビーが産まれました。うれしくて仕方ありません。
それとともに、子どもをおなかに宿し、見事産み上げた彼女を尊敬もします。
知り合いが子どもを産むたびに、言いようのない感動をおぼえます。ジーン。

そんな今日(7日)の夜でした。

が。しかああーーし。
「なぜ?」としか思えないあまりに理不尽な出来事も起こりました。
生命の奇跡に触れたその後、この生命を壊すような話。
直接にも壊すし、間接にも壊します。

沖縄県名護市辺野古(へのこ)への米軍新基地建設をめぐり、滑走路を2本建設するという政府からの新たな案に、島袋名護市長は合意をしました。
住宅地の上空を飛ばないですむようにというのを口実に、これまでの政府案にあった滑走路を少しずらし、さらに離陸用と着陸用とをわけようと1本増やして2本で作るV字型滑走路案で合意というのです。

結局、普天間からの移設と言いつつ、やはり巨大基地建設につながるのでしょうか。

新基地建設に反対して、辺野古で座り続けるオジーやオバーはどう思っているでしょうか。
ワジワジーとして、眠れない夜を過ごしているのでは、と心配です。
私の顔をくしゃくしゃに撫で撫でしてくれた、あのオジーはどんな気持ちでいるのだろう。

今日、額賀長官が4日に続き再び島袋市長を呼び出した、との報を受け、私たちはまた防衛庁前へ行きました(=写真)。
日本政府はいったいどこを向いているのか。
なぜ米軍基地のことでここまで振り回されなくてはいけないのか。
緊急の行動だったので、今日は私たち日本平和委員会事務局の4人しかいません(先日の行動には他の団体などからもっと大勢が駆けつけていました)。
たった4人で、横断幕を持ち、拡声器で話をしても、額賀長官や島袋市長に声は聞こえないと思います。
でもちょうど帰宅していく防衛庁職員は、決して私たちに声はかけませんが、明らかにチラチラとこちらを見て、気にしている様子です。
誇りを持って仕事をしたい、というのは誰しもの願いだと思いますが、職員の皆さんにもじっくり考えてほしいと思いました。

V字型案って、一体何なのさ!とも思いますが、いちいち落胆はしません。
こういうときに抱くべきは、怒りだと思います。そして私は怒り心頭。
まるで住民の安全を守るために提示した案かのように見せていますが、そんな数メートルやら数度やら移動したからって、根本的には何も変わりません。
そこに来るのはアメリカ軍の巨大基地。
基地というのは、人殺しの訓練場。
そして沖縄(だけでなく日本中)に駐留する米軍が、イラクの住民を殺し続けている。

明日は、稲嶺沖縄県知事が東京へやってくるそうです。県知事は、今日新たに提示されたV字型案には合意していません。
そして13、14日には、米軍再編の日米「最終合意」を目指すようです。
日本政府は、名護市長との合意というお土産をもって臨むのでしょう。

住民不在の政治とは、こういうことを言うのだと思います。米軍が近くに来ることに、誰が歓迎しているのでしょう。政治へのあきらめは、こういうことから生まれるのだと思います。
プンスカ。

そしてちなみに、民主党の新代表は小沢一郎さんに決まったようです。
タカ派と言われる小沢さんが民主党に入ったとき、小沢さんが変わったのではなく、民主党が小沢さんの党になったのだ、との指摘もありました。
まさに見える形で、小沢路線民主党が出来上がったのかと思います。

明日は名古屋に出張だー!
手羽先を食べてスタミナをつけます。

額賀長官、名護市長を呼び出す

2006-04-05 02:05:11 | 日記
春まっさかりで、東京の気候はとても暖かでした。しかし職場である日本平和委員会事務所は異様な寒さ。このビルを何とかしてほしいです。

本日(4日)夜、市ヶ谷にある防衛庁前へ行ってきました。
額賀防衛庁長官と沖縄県名護市の島袋市長が協議をする、とのことだったので、市長への激励(?)をするために出かけたのでした。

何の話かと言うと。
沖縄県宜野湾市にある米軍普天間基地を、名護市に「移転」するとの名目で巨大な海上基地を作ってしまおうとの計画の話。
地元住民は新基地建設に対しては基本的に多くが反対、島袋市長は条件付きで一応の受け入れは示したものの、基地の建設場所・飛行ルートを巡ってかなりもめているところでした。
名護市と政府との調整が付かぬまま、防衛庁幹部なんかは「名護市側がいたずらに交渉を先延ばししようとするなら、われわれも決心せざるを得ない」とか何とか言ったとか。

で、今日の午前中の報道で、額賀さんが名護市長を呼び出した、との報道があり、「協議・調整」をはかるとのことだったのでした。

別の噂では、小泉首相が名護市長と金武町長を首相官邸に呼び出した、なんて話もありましたが、どうやらそれは誤りで、額賀さんが防衛庁に呼び出しただけのようです。
沖縄から東京に、その日のうちに呼び出せちゃうなんて…。スゴイ。なんて思いつつ。

実際に何を「協議」したのかはまだよくわかりません。
名護市市長も、まさか東京に呼び出されてそのまま政府案を受け入れて沖縄にのこのこと帰れるはずもありません。
額賀さんは、一応の「協議」したというアリバイを作りつつ、それでも名護市が政府微調整案を受け入れないならば、「強行」しようという気なのかもしれません。
信じられないことに、自治体が言うことを聞かない場合、政府は「代執行」やら何やらの方法で強行することがありうるのです。

そんな横暴でとても強い権力をもった政府を前にして、「どうせ反対してもだめだ」「政府が決めた、首長も受け入れてしまった、もうどうしようもない」というような、あきらめにも似たやるせなさを、多くの人が持っています。

しかしそんなの、やはり怒りを感じます。
怒る自分でありたい、とも思います。
先日のパレードでも流れた曲の中に、いやなことは「やだ!」と言おうというメッセージが込められたものがありました。

そういえば。
3日付けの「沖縄タイムス」に、ある人(だれだったかなー。麻生太郎さんだったかなー)が話していました。
名護の岸本前市長の市民葬に出て、その後に記者に答えたもののようです。
大要としては、「名護市は、振興策をタダで受け取ってんなよ」というような。
つまり名護市は国の支援を受けておいて、基地を受け入れないなんて言ってていいの、よく考えなさいよ、というような。

政府の人間ほど、地方自治感覚がなくなっていくのでしょうか。
先日の名護市長選挙に基地反対を掲げて立候補した我喜屋さん(惜しくも落選しましたが)は、「そもそも振興策と基地受け入れは別問題。自治体への援助は基地受け入れにかかわらず国の責務」といったことを話していました。


今日はなんだか思いつきのまま文章を書いてしまいました。
写真は防衛庁前にて。

結婚と楽しいパレード

2006-04-03 00:54:28 | 日記
新年度が始まりました。就職してから4年目に突入するということです。
私は節目ごとに(ごく)簡単な振り返りと目標を立てるのですが、年度初めのこの節目にも立ててみました(密やかに)。

年度末の3月はまたもやバタバタと通り過ぎました。割愛して…。

エイプリルフールは、同僚のウソみたいな結婚お披露目会でした。
手作りの、楽しい会でした。
毎日席を隣りにしている人のことなので照れるのですが、なんだかとてもお似合いです。とっても楽しそうです。
そんな2人の人柄のおかげで、会に呼ばれた私たちもまた楽しいひと時を過ごせました。2人に結ばれて、再会をできたり新たな出会いをできたり。あー楽しかった!
おかげで、夜7時からのお披露目会でしたが、そのまま夜を明かすことに。

そしてわずかに1時間程度の睡眠をとった後、前回の日記でお知らせした、NoBaseのパレードに参加しました。「基地返せ!市民の行進神奈川県実行委員会」が主催するものです。
パレードは12時からですが、事前準備のお手伝いをするために眠く思い体に鞭打ち、がんばって出かけました。

戦争に反対する、というのは多くの人が共感する思いです。
けれど忘れられがちなのが、戦争を「平時」から準備していることに対して声をあげることです。
今回のパレードは、米軍基地を沖縄についで多く抱える神奈川から、数日かけて毎日東京へ向かって歩くというピースパレードの一環でした。
せっかく日曜・東京で行う企画なので、友人に協力してもらい、若い人も楽しく参加できるようにと、「サウンドカー」を用意して臨みました。

いろんな団体や友人知人に声をかけたのですが、何せ時間もなく、個人の力では限界があります。どれほどの人が来てくれるか不安でしたが、まずまずの集まりでした。

と言っても10数人。
で・も!
うれしかったのは、大学の後輩が友人を連れて参加してくれたこと。飛び上がって喜んでしまいました。
あと、同僚の結婚お披露目会で久しぶりに再会した方が、友人や弟・妹を連れて参加してくれたこと。
かなり興奮しました。泣けるほどにうれしいです。
もちろん普段から付き合っている仲間も参加しました。
こうした平和のためのパレードがいろんな人を結びつける、ステキなことです。

当日のキャンセルが10人以上。ガーン。
仕方ないけど、みんなが参加してくれたらもうちっと形になれたなあーと思ったりもしました。
しかし来たい、と思った人がこれほどいるということです。
参加できなかったみんなの思いに押されつつ、またもやサウンドカーで楽しい時間を過ごしました。


お次は5月3日・日本国憲法施行の日に集会がありますが、そこでまたサウンドカーを出して町中にアピールしたいと画策しています。まだ妄想。

面倒だったので、パレードの写真は撮りませんでした(非難アリ)。
で、写真は最近大好きなもずく&アボガド&納豆。