あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

侵略。国内問題として

2005-11-23 04:24:28 | 日記
日本平和大会in神奈川が、いよいよ始まります。
24日から国際シンポ、開会総会は25日です。

米軍再編強化のたくらみが、日本全土を覆おうとする中での平和大会。参加者はいかほどかな…?
この危機感を、まだ広げきれていない気がしています。


前々回の日記に書きました「加害証言」を続ける金子さんの記録について、感想の続報を綴ろうと思います。
といっても、思いつきですが。

これまで「日本の侵略を反省し」と口では言っていても、その実態を具体的にはあまり知りませんでした。
そのことの衝撃からも思い至ったのは、かつての日本の侵略について論じるのは、基本的に国内問題なのでは、ということです。

というのは、決して中国などからの批判に耳を貸さないとか、そうした批判が内政干渉に当たるとか言っているのではありません。
中国などにどうこう言われるまでもなく、かつてこの国の政治とこの国の構成員がおこなったことについてきちんと総括するのは、その国が当然にもつべき責務だという意味です。

基本的に国内問題、というのは、「靖国問題」も同じです。
アジア諸国からどうこう言われるから靖国は問題なのだ、という指摘のみでは、この問題を矮小化するだけです。

もちろんアジア諸国からのいろんな指摘は考慮すべきだとは思います。歴史認識の共有化の試みは重要です。
日本の侵略が60年のあいだ、特に政治の世界でなおざりにされてきたからこそ、今のこんな事態になっているのだとは思いますけど。

私が侵略の姿を垣間見たことによる衝撃は、この事実を知ることが私の責務だと知ったからかもしれません。
つまりそうした政治を引きついでしまった現代ヤングの私が、かつての侵略の総括の任をも負っている。のかもしれない…。

眠気のためか、いつになく支離滅裂な文になってきた。
高橋哲哉の「戦後責任論」を、改めて読んでみたくなりました。


写真は高知で買った「文旦の実り」ジュース。
いまだ開けていません。おいしそう。

国民大集会で青帽子集団

2005-11-20 04:19:37 | 日記
明治公園での、「憲法改悪反対・大増税は許さない! 11・19大集会」へ行きました。
仕事もたまっているのであまり行く気はなかったのですが、しかし用事があったのと写真でも撮ろうと思い、出かけました。

行ってみて、人の多さにびっくり。
全国津々浦々から、相当位置付けて取り組まれたんだなという気がします。
3万人を超える参加のようです。

集会でいろんな発言がありましたが、ほとんど聞いていなかったのでよくわかりません。
でも各地から来た友人やお世話になった方々と再会し、楽しいひと時を過ごしました。

たくさんの人が座っている中に、青い可愛らしい帽子の大集団がありました。
私はてっきり、なぜかどこかの保育園児がそろって参加しているのかと思いきや、それは新潟の方々でした。
去年の新潟での地震の後、私も年末に取材へ出かけたのですが、気丈にしながらも今後について呆然としている様子が印象的でした。
被害がひどかった、長岡の方もたくさん来ているようです。なんだかジーン。
新潟の方々が歩く様子。

長野の方がピースなバッジを売っていました。
やや高いが、木の感じがよい。
が、せっかく買ったのに、その直後に安全ピンのみ残して本体だけどこかへ落ちてしまいました。
もったいない。あーくやしい。最近こんなことが多いです。

憲法のパッチワークも目を引きました。


その後、私は早々と切り上げて美容院へ行きました。平和大会に気合を入れるため。
銀座近くで、アンデスな集団がステキな演奏をしていました。

都内各所で出没する方々だとは思うのですが、ナマ演奏はすばらしい。
思わずCDを衝動買いしてしまいました。
その後、職場でCDを流しながら仕事をしましたが、気分がよいです。

侵略の形を知る分科会…熊谷伸一郎さんの話

2005-11-18 04:21:31 | 日記
熊谷伸一郎さんという方の本を読んでいます。

ドナタ?かと言うと。
著書にあるプロフィールによると、1976年、横浜生まれ。編集者・ライター。月刊『自然と人間』編集長。季刊『中帰連』編集長。…

私は今年の8月に中国へ行く際、改めて日本の侵略について学ぼうと思い、「中帰連」という雑誌のバックナンバーをいくつか手に入れ読みました。
中国を侵略した日本兵が敗戦後中国の戦犯管理所に入れられ、そこでの人道的扱いの下で「人間性」を取り戻し、多くが釈放。彼らが帰国の後に結成した組織が中帰連です。
高齢化のため中央の組織自体は解散しましたが、これを「受け継ぐ会」と雑誌だけは若い人の手によって続けられています。

熊谷さんは、その雑誌の編集長を担っています。

来週から始まる日本平和大会IN神奈川の青年分科会で、この方をお呼びします。
(もう1つの青年分科会のメイン講師は、前に紹介した内藤功さんです)

分科会テーマは「戦争の傷を直視し、語り継ぐ~日本はアジアで何をしてきたか」です。
加害者である日本兵、被害者である中国民衆、それぞれの証言映像を見、そして熊谷さんの話と、中国からの留学生の話を交えます。

熊谷さんは、最近2つの本を出しています。
「なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史」(岩波ブックレット)、
「金子さんの戦争 中国戦線の現実」(リトルモア)。

私は、涙なしには読めませんでした。

私は平和運動をしてきて、「日本のかつての侵略戦争を反省し、二度と起こさないよう」という思いは強く持っているつもりです。
しかし、実際には私自身がかつての侵略を反省するものではありません。生まれる前のことですので。
それでは侵略の事実をいかに知るかという課題がありますが、かつての戦争における直接の侵略者・被侵略者としての話を、思えば直に聞くことはほとんどありませんでした。

私にとって、この夏に中国で平頂山事件の数少ない生存者である楊さんの話を聞けたこと、中帰連の雑誌を取り寄せたこと、本多勝一の「中国の旅」を読んだことなどは、非常に有意義でした。

私は熊谷さんの著書を読んで、かつて中国で非道を尽くした兵士が自らの罪を証言することがどれほど苦しいことなのか、少し理解した気がします(本当の気持ちは理解し尽くせるものではないのは当然ですが)。
私は、60年前の戦争に加担した人には、罪を自覚し反省を求める、という気持ちが少なからずあります。
それは今も基本的には変わりませんが、しかしかつての戦争をまったく知らない私が、そうした言葉だけを無邪気に発するのは少し道理に合わないとも思えてきました。

金子安次さんは、自らの加害体験を証言し続けている人です。
彼の「誰が私を極悪人にしたんですか」という言葉にこそ、戦争の責任を問う上で、問題にすべきその本質が凝縮されているように思います。

「金子さんの戦争」は、金子さんの「加害」証言を綴っているものですが、読んでいて実につらいです。
けれど熊谷さんは、金子さんの活動の意味を、同じ著書で次のように述べています。(以下、引用)

 生きている限り戦場の真実を語る、と安次さんは言う。
 それにしても、どうしてそこまで、という気持ちはぬぐえなかった。
 その疑問は、後日、主催者の一人の西野瑠美子さんから伝えられた言葉を耳にした時、消えた。安次さんたちの証言を聞いた、ある元「慰安婦」の女性は次のように言ったという。
「これで私は日本兵を許すことができた。やっと自分の人生を生きられる」

ブッシュが来日したので衣替え

2005-11-16 02:18:20 | 日記
アメリカ合衆国のブッシュ大統領が、日米首脳会談IN京都のために来日しました。
この2人が話し合いをするとロクな結果を生まないのですが、今回の目的は在日米軍再編や自衛隊のイラク派兵延長、米国産牛肉輸入再開などの約束を取り付けることが主な目的のようです。

私が勤める日本平和委員会は、身勝手な世界占領を図ろうとするアメリカ合衆国による米軍基地再編強化、これに伴う自衛隊増強にも反対しています。

京都はかなりの厳戒態勢が敷かれているようです。
東京にいる私たちは、遠巻きではありますがブッシュ大統領と小泉首相の思惑に抗議すべく、今日一日いろんな場所で行動をしました。

午前11時にはアメリカ大使館(赤坂)にて、大使館の代表者に抗議文を手渡しました。
いろんな団体が来ていましたが、私たち日本平和委員会は「ブッシュ大統領の来日を歓迎しません」とのタイトルにて、米軍再編強化への抗議をしました。
私は急いでいたので、タクシーでアメリカ大使館へ向かいました。到着したときは大使館横につけたのですが、その後なぜか100メートルくらい離れたところへ警察に移動させられました。抗議文を渡すときだけ、3人ずつ近づくことを許されるのです。
日本の私たちの道路・土地ですが、大使館横でたむろしてはいけないそうなのです。私たちは決して暴れるわけではありません。警察もそれはわかっているとは思うのですが、わざわざものものしくさせるのでしょうか。
あー馬鹿馬鹿しいワネ。なんて話しながら、しかし怒りを覚えました。
ちなみにアメリカ大使館は、家賃も何も払ってはいないそうです。

その後、12時から午後1時まで、銀座にて街頭を通る人へのアピールをしました。
ここにもいろんな団体や人々が集まっていて、マイクやチラシでお昼休みのサラリーマンたちに宣伝をしました。
また農家で作る農民連という団体は、牛肉輸入再開のカラクリを告発していました。

夕方は、JR山手線の大塚駅にて、毎月恒例の沖縄連帯・13日行動をしました。
去年8月13日に、米軍機が沖縄国際大学に墜落した事件を受け、毎月13日に在日米軍の実態を知らせる宣伝行動をしています。
今月はブッシュ大統領の来日にあわせ、15日におこなったのでした。

本日は、同僚のF氏作成の派手色横断幕やチラシ、各種デコレーションを置いて米軍再編強化に反対する署名を集めました。
うたごえ協議会で働く友人も、いつもどおりの美声でBGMを流してくれました。

そして東京平和委員会の若き会員のOさんは、この寒空の下、1時間に渡りダイ・イン。
ダイ・インとは、路上に死んだふりをして倒れこむパフォーマンスです。
戦争により無惨に亡くなっていく多くの人々の姿を思い起こさせたり、自ら倒れることで亡くなっていく人々に思いを馳せるなど、その目的はさまざまです。

今日のOさんのダイ・インは、時に通行人をギョッとさせ、「救急車を呼ぼうかと思ったよ」なんて怒られながらも、しかし確実に注目を集めていました。
じっと見る人は、たいていチラシを受け取って丁寧に読んでくれるのです。

アスファルトの路上にうつぶせになっているOさんは、背中に「2+2=?」(だったかな?)のメモを貼り付け、行動の目的を示していました。
「2+2」とはツー・プラス・ツーのことですが、Oさんは「普通に計算したら答えは4だけど、私には0(ゼロ)としか思えない」といった内容を手書きで模造紙に書き、少し離れた場所に貼り付けてアピールしていました。

なかなかやるな、と思いました。

今日は1日中とても寒く、しかも外にいる時間が長かったのでなかなかキツイ日でした。立って動いていても寒いのに、ダイ・インなんてとんでもねぇです。
Oさんの頑張りに感服します。

というわけで、今日は帰ってから念願の(冬物への)衣替えをしました。

写真は、ピースしながらダイインするOさんと、それをじっと見る通行サラリーマン。

平和憲法の威力を知る分科会…内藤功さんの話

2005-11-14 01:01:50 | 日記
今月の25日から27日まで、神奈川県で日本平和大会を開催します(国際シンポは24日から)。
平和大会は、私が勤める日本平和委員会はもちろん、その他のたくさんの団体で実行委員会をつくり、在日米軍基地がある地域で毎年開催しているものです。

在日米軍基地は、たとえばイラクへの攻撃に大きな力を果たしました。基地は、戦争をする上でなくてはならない存在です。
米軍は、世界中に置く基地を、より合理的で高性能なものに改編しようとしています。その重要な拠点のひとつが、神奈川県の厚木、座間、横須賀です。

その神奈川県で開催する今年の平和大会。
いろんな企画を準備中ですが、その中で私が担当している企画が27日午前中の分科会です。いくつかの分科会の中で、青年向けを2つ用意しています。

1つは「安保・基地入門講座~憲法のチカラを知ろう」。
もう1つは「戦争の傷を直視し、語り継ぐ~日本はアジアで何をしてきたか」。

「安保・基地入門講座」のメイン講師は、日本平和委員会代表理事で弁護士の内藤功さんです。
この方を、私はとても尊敬しています。
内藤さんの話は、特に若い人には一度は聞いてほしいと思っていたので、今回実現できてうれしく思っています。

自衛隊違憲訴訟というのが、かつていくつか起こりました。
長沼(北海道)、恵庭(北海道)、砂川(東京)、百里(茨城)などです。
訴訟のきっかけはさまざまですが、裁判のなかで自衛隊が憲法に違反するのかどうかの判断が求められたのです。
若き日の内藤さんはこの裁判に加わり、まさに日本国憲法をタテに法廷でたたかったのでした。
判決としては負けた裁判もありますが、しかし裁判を巡る運動により、大きな成果を勝ち取っているのも事実です。
特に長沼裁判では、自衛隊は日本国憲法第9条違反であるとの判決を勝ち得ました。

現代の若い世代の私たちには、自衛隊の存在が自明のことのように思われがちです。憲法条文を読めば自衛隊は憲法違反であることは明白ですが、まるで憲法9条とは別のところに自衛隊があるように見られるのです。

この裁判闘争の歴史を学び、改めて憲法の力を知ってほしいと思います。
今はそのころの運動の力がなくなったというわけではなく、かつての運動の上に、これまで憲法条文が維持され自衛隊も一応の「自衛隊」として維持されてきたのです。

平和新聞11月15日号に、自民党の憲法草案に対して内藤さんに手記を寄せてもらいました。
内藤さんはまず、「自民党憲法草案は、戦争憲法」と規定しています。憲法草案の狙いを端的に示す言葉だと思います。
その上で、「平和憲法の威力を忘れないでください。日本平和運動の成果と到達点でもあります」とし、砂川裁判と長沼裁判の判決文を紹介しています。

この分科会では、沖縄県・名護平和委員会の具志堅徹さんからもミニ講演をお願いしようと思っています。
日米安保条約と日本国憲法の狭間にある、沖縄県名護市辺野古(へのこ)。新たな米軍基地建設計画を巡り紛糾する現場から、安保の実態を示すものとして発言をお願いできたら、私たちが持つべき憲法の姿も見えてくるのでは、と期待しています。

平和大会へ、多くの皆さんの参加をお待ちしています。
ヤー、準備がなかなか…と言いつつ気づけばあと1週間ほど。会場の下見に行かねばなりませんのに…。

写真は本文とはまったく関係ありません。土曜に出席した、学生時代からの友人の結婚式の様子。ステキな式でした。みんなに会えるのもうれしくて仕方ありません。

四万十を去る~世は情け

2005-11-10 01:15:39 | 日記
高知7日目(11月7日)朝、宿毛(すくも)を出発して中村(今は四万十市)へ行きました。
土佐の小京都とも言われる(または言ってるだけかよくわかりませんが)中村は、四万十川下流を囲む地域です。
愛知県の犬山城を模したという建物の中にある、四万十市立郷土資料館を見学しました。縄文時代から近代までの歴史が詳しく解説してあり、意外におもしろくて勉強になりました。
そして天守閣は展望台になっており、そこから見える四万十川は雄大でした。


中村から、旅の最終地点・高知市へ。
高知市には高知県平和委員会があり、ここには若い専従スタッフがいます。スタッフのEちゃんとは夜ごはんを一緒にしようと約束していました。

Eちゃんに会う前に、「平和資料館・草の家」へお邪魔しました。私は去年高知へ来たときにはここの存在を知りませんでしたが、ここはいろんな平和団体をつなげる役割も果たしているようです。
たくさんの資料や、会議ができるスペースもあります。
そしてここの専従スタッフであり、草の家事務局長のKさんはとても気さくに私を迎え入れてくださいました。
数年前に韓国から移り住んでいるKさんですが、日本のこともよく勉強していてステキな方だなあと思いました。
高知を訪れた際には、必ず草の家を訪れるとよいですよ!(と、まだ見ぬ読者の皆さんに訴える。) 駅から路面電車ですぐに行けるし、行けばきっとお茶を出して温かく迎えてくださいます。

そしてこの日の夜はKさんが誘ってくださり、Eちゃんや他の方々も交えて「ひろめ市場」というところで楽しくお食事をしました。
カツオのたたきin塩味がおいしかったです。
なんだか素晴らしい出会いをできた気がしました。

夏休みin高知の最終日、前日知り合ったAさんとそのお友だち、そしてEちゃんと桂浜に連れて行ってもらいました。
ここにはでかい坂本龍馬がいます。
龍馬祭が近いらしく、龍馬の視点までやぐらで登ることができました。
ヤーいい眺めです。
龍馬はこんなにでかいのです。
その後、桂浜の国民宿舎の温泉へ4人で行きました。
炭シャンプーは、初めに出すときは黒いのですが、あわ立てると白くなることがわかりました。

そしてここでもAさんたちに甘えて空港まで送っていただくことに。
3人にお別れをし、楽しい夏休みは終わりへと近づくのであります。

7泊8日のたっぷりの夏休みは大盛況の下に幕を閉じました。
旅の恥は掻き捨て
でなくて、それはその通りですが、
旅は道づれ世は情け
多くの方に助けられ、迎えられ、素晴らしい旅をすることができました。

高知の皆さんはそこで日常生活を送っていますが、私はそこではただの客人。
だからこそおいしいこともあり、さびしいこともあります。
こういうみんなとこういう土地で平和運動をできたらなあ、とも思うのですが、しかし私の今の基盤はとりあえず東京であり、日本平和委員会です。
後ろ髪を引かれながらも、いざ仕事を再開したらそれなりにやる気になるものでした。
ためてしまった仕事もあるので、次の休みを楽しみにしながら頑張ろうと思います。

四万十を南下する~宿毛でだるま見えず

2005-11-10 00:31:26 | 日記
6日午前の四万十川源流めぐりを終え、せいらんの里へ帰りつきました。
宿の方(この地区のお母さん)がバス停まで送ってくださると言うので、近くにある道の駅・布施が丘までお願いしてしまいました。
前日の宿泊客は私一人だったのですが、宿のお母さんお2人が本当に良くしてくれたのですごく温かい気持ちになれました。

お母さんとお別れをし、道の駅で本日の昼食を買いました。

川エビの天ぷら(野菜入り)と山イモまんじゅう、ゆずジュース。

バスで須崎へ行き、そこから電車で宿毛(すくも)へ向かいます。雨が上がりつつありました。
宿毛は高知県のいちばん西の突端です。

駅の観光案内所で宿を決め、テクテクと20分程度歩きました。
ここは「だるま夕日」が見えるところ。寒い時期に沈む夕日の下の部分が海とつながり、だるまのように見える現象です。
これを見たかったのですが、あいにくここ数日は少し暖かいのと、雨の後の雲によりまったく見ることができませんでした。残念無念。

四万十へゆく~こここここここが源流!

2005-11-10 00:14:45 | 日記
高知の旅5日目(11月5日)のお昼、梼原でずっとお世話になった農家民宿・イチョウの樹のご家族、そしてお母さんたちが昼間営んでいる太郎川公園にある草ぶきの家という食事処で皆さんにお別れをしました。
本当に楽しい町&宿でした。サービスしまくっていただきました。
そして、とてもよい経験ができました。

今日は、去年から念願だった四万十川源流(津野町)へ行きます。
宿で一緒になった常連ファミリーにまたまた甘え、本日の宿まで送っていただくことになりました。
何から何までお世話になりっぱなしのステキなご家族を、本日の宿の横で記念撮影。
ご家族とはここでお別れ。本当にありがとうございます。

本日のお宿は、「四万十川源流センター・せいらんの里」です。
津野町船戸地区にありますが、この船戸のお母さんが3人ほどで交代して食事などの用意をしてくださっているところです。
ここのごはんがとてもおいしくて、感激しました。お母さん2人が作ってくださりましたが、田舎のものよ…などと言いながら、その田舎のものがすごく手が込んでいておいしくてうれしかったです。なんだか料理に人柄を感じるような、そんなお料理でした。特に鮎を甘く炊いたもの。頭からガブリしました。

翌日(6日)は、ナントあいにくの雨。どころか豪雨。
源流へ行くべきか悩みましたが、昨年来の念願なので奮起して行くことに。宿の方に白い長靴を借り、200円のカッパを着て臨みました。

源流の碑までは車で行けるのですが、私は徒歩です。碑まで約1時間、そしてそれからは徒歩でしか行けない道を約15分。
日曜なのに、豪雨&午前中のためか、車も人もまったく出会うことはありません。山崩れが起きるのでは、という不安を抱えながら、一人テクテク歩きました。
そしてたどり着いた碑。
記帳できるノートが入っている小さな箱。
ここからの道がたいへんですが、途中で沢ガニやでっかいカエル、でっかいミミズさんと出会いながらもようやく四万十川源流と言われる地点へたどり着きました。フー。
こんな道を登ってきました。

下り、少し道に迷いながら(たぶん普通は迷いませんが、ひどい方向音痴のためでしょうか)、しかし何とかもと来たキレイな道に出ることができました。紅葉が美しいです。


四万十へゆく~初体験in梼原

2005-11-09 23:43:16 | 日記
楽しい夏休みin高知は、昨日で終了しました。とても楽しかったので、その後の高知の旅をまとめ書きします。

梼原(ゆすはら)2日目に編んだわら草履はこんなできばえ。
じいちゃん、ありがとう。

4日、梼原3日目は四国カルストへ行きました。
私は足がないので自転車ででも行こうかと一瞬思ってはいたのですが、同じ宿に泊まっている常連ファミリーが一緒に乗せてくださるとのこと。図々しく家族旅行に混ざりました。

しかしカルストに行く前に、まず柿もぎ。&イモ掘り。&魚釣り。
柿をもいだのは生まれて初めてです。燃えました。楽しかった!
魚釣りはミミズさんをエサにしました。恥ずかしい話ですが、私は虫が苦手です。
切っても、水に浸けても、それでもなお動き続けるミミズさんの生命力に感嘆しつつ、しかしまともに見詰め合うことはできませんでした。釣り針へのエサ付けは、常連さんファミリーのお父さんに頼りっぱなしでした。

カルストでは、馬牧場で馬やらヤギやらイノシシやらと触れ合い、ソフトクリームを食べたりして楽しみました。
昨日までの曇天がウソのように晴れ渡り、とても気分のよい午後です。

この日の夕食はBBQ。サンマも豪快に焼いたりして、おいしくいただきました。

5日、梼原4日目は梼原出発の日です。
朝から野菜摘みをしました。私にとって、ナス、ピーマン、レタス、…などもぎるのは初めての経験です。はさみでどこを切ったらよいのか、採り頃はどんなものか、など常連ファミリーの小学生の子に教えてもらいながら作業しました。

この野菜は東京の我が家へ送りました。旅を終えて家へ帰った夜、同居人と喜んでこの野菜で宴をしました。

四万十へゆく~梼原の神楽

2005-11-04 01:14:50 | 日記
梼原(ゆすはら)2日目です。
今日はしっかり寝ようと思ったのですが、なんと12時過ぎまでみんなで呑んでいました。宿の方も、宿泊客も、外来もみんな一緒に。
こんな宿は初めてです。
笑いすぎて、頬の筋肉が痛いです。

今日は午前中、わらぞうりを編みました。
同じ宿泊客の小学生姉妹もやると聞いていましたが、結局柿採りへ行ってしまい、私と昨日会ったIターンで来ている方の息子さんと二人でやりました。
宿のおじいちゃんに教えてもらいながら、なんとか1足が完成しました。
感動です。美しい。
大事なところはおじいちゃんにほとんどやってもらいましたが、でも(一応)自分で作ったものです。職場で履きたいと思います。オシャレぞうり。

午後はお神楽を見ました。
梼原町はいくつかの集落で、それぞれ毎年お神楽をやるそうです。
つい先月末にはこの宿がある地区でやったようですが、今日は別の地区へ。宿のお父さんが踊るのです。神様役です。とてもステキでした。
神楽にもストーリーがあり、見ていておもしろかったです。すべては理解できませんが。
太鼓には若い人も加わっており、幅広い世代が一緒になって祭を作っている姿に感激しました。
ちなみに先月末に宿のあるこの地区でやったときは、お父さんが主役だったそうです。主役は鬼(牛鬼)ですが、人気者なのです。今日もたくさんの赤ちゃんが抱かれ、泣かされ、笑われていました。

田舎ならではの行事かもしれません。
一つの町内で、さらに地区ごとに毎年神楽をやり、しかもお客がたくさん来る。4,500人程度の町だそうですが、とても活気を感じました。

その後、お風呂に入り、今晩の夕食は囲炉裏焼き。
アメゴやシイタケ、きじ飯、山菜、……。どれもすごくありがたく、おいしくいただきました。

さらにご飯をひとしきりいただいた後、神祭(=じんさい。と書くのだと思います)へ行きました。これは、お祭りの後にその地区の人が家々で行なう宴会で、だれでもお邪魔してよいというものです。
だれでもいいと言っても…とは思ったのですが、宿の方が「見たいでしょ?」と誘ってくれたので、ひょこひょことお邪魔させていただくことにしました。2軒とも家がものすごくでかい。
今日は2軒を回りましたが、どこへ行っても温かく歓迎してくれ、いろんなお話をすることができました。みんなが「また梼原へおいで」と言ってくださるのですが、言われなくともまたぜひ来たいな、という気にさせられます。

その後、再び宿へ戻り、留守番組と合流して宴を再開。
なんだかよくわからないけど、詩吟も聞けたしとにかく笑った一夜でした。

土佐っ子はお酒が強い。
うわさに聞いていた話ですが、今日は土佐っ子の姿を目の当たりにしました。
私も久しぶりに、ついつい呑みすぎてしまいました。