あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

アメリカ1日目-地下鉄出口ではまる

2005-04-27 14:04:59 | レポート
4月26日からアメリカへ旅立った。5月2日から始まる国連NPT(核不拡散条約)再検討会議に向けた5・1NY大行動を取材するため。日本原水協の約800人の代表団のほか、日本から約1000人が参加する。
私は平和新聞の取材のため、緊縮財政のもと原水協代表団とは別ルートで、日程的には乗っかりながら一人で旅立った。

●アメリカ1日目(4月26日)

ひとまずニューヨーク到着。
出発前から成田で1時間以上も足止めをくらった。

しかし無事にアメリカへ。
そして今晩お世話になる、Iさんと落ち合うことができた。
夜はしゃぶしゃぶを食べた。

アメリカでの核兵器廃絶の世論について印象を聞いた。
アメリカでは平和団体すらも核兵器について「廃絶」はあまりに突拍子のない課題」になっているらしい。
「縮減」はしても「廃絶」までは、まだ夢のような話だということだろうか。
しかしこのたび、ようやくある団体は「廃絶」を掲げたとか。

その変化の背景は…。

かなり適当な日記になってまった。
地下鉄の出口から出るとき、荷物が大きかったためにはまって動けなくなる場面があった。みんなが助けてくれた。あたたかいなあ。


写真は、泊めてくださったIさん。しゃぶしゃぶ店にて。

NOKIAもっていざ

2005-04-26 03:01:42 | 日記
明日はいよいよニューヨークへ。明日というかもう今日。
仕事をためる悪い癖があり、昨日はほとんど寝ていない。
そして今夜も遅くなってしまっている。このままではエコノミー症候群に簡単にかかってしまう。

道中は不安だが、5月1日のニューヨーク大行動は楽しみである。
2002年4月に日本原水協の青年代表団に加わって参加したワシントン大行動は、刺激的だった。
アメリカではよくある(トニー言うところの)“チャント”なのかもしれないが、当時日本でもシュプレヒコールがまだ主流であったため、こんな方法もあるのかと驚いた覚えがある。

そしてそのとき、今回のNPT再検討会議に向けた準備の準備のような会議を国連で傍聴した。
どこかの国が、2005年の再検討会議にはNGOも積極的に呼び、NGOだけの会議をもとうと主張した。
これに賛成する発言が続いたあと、日本だけは「NGOは各国内で活動していればいいんだ」という主旨の発言をしていた。
そして内容はよく覚えていないが(通訳を介していたのもあって)、議論がおそらくアメリカの核政策に及んだのか、アメリカは途中退席をしてしまった。
各国の立場が典型的に表れていて、とてもおもしろい場面を見ることができたと思っている。

あれから3年。
核兵器廃絶の世論と道筋が、より鮮明に見える気がしている。
情勢の変化と、私の認識の変化だろうか。
しかしここへ来て、5年前のあの「約束」を何とか崩そうとするアメリカ政府の態度は見苦しく恐ろしい。

ニューヨーク行動は、大きく成功させられるだろうか。
日本ばかりが張り切っているのでは、といらぬ懸念をしてしまう。
しかし逆にいえば日本の張り切りようが、世界を動かすこともできると期待したい。


写真はあっちで使う予定の携帯電話。同僚に借りた。
右はよく見るとアラビア文字が。イラク(だったかヨルダンだったか)でご購入したらしい。

アースデイで基地なくせ

2005-04-24 23:54:44 | 日記
アースデイに便乗し、われらもピースアクション。
沖縄・辺野古に基地をつくらせないために、本土からもできるかぎり声を集める行動。
そして、緊急には辺野古で工事を請け負う業者への抗議の声を寄せる行動を呼びかける。

アースデイ宣言2005は、「●ムダ使いをやめ、知恵を使います。 ●戦争は最大の環境破壊です。 ●ひとつの地球に無数の個性を輝かそう。」。
二つ目の「戦争は最大の環境破壊」って、宣言というよりただ言い放っているような言い回しだなとも思うが、そんな細かなことはどうでもよい。

環境をまもる、いのちをまもる、戦争はダメ、…。
スローガンで終わらせないために、私の知らないところであらゆる人が日常生活から取り組んでいるようだ。政治への関心も、少なからずあるらしい。

私たちの辺野古行動は、代々木公園に入る並木どおりでやった。
メッセージを書きこめる布と、でっかいバナー、チラシを置いた。

あの場所はよい。またやろう。

まもなくニューヨークへ

2005-04-24 02:43:42 | 日記
5月2日から、ニューヨーク・国連でNPT(核不拡散条約)再検討会議が始まる。

5年前、私は学生だった。
学内で平和サークルをつくって学習などをすすめていたが、5年前のNPT再検討会議の結果にはたいへん興奮し、みんなによく話していた。

5年前、核保有国は核兵器廃絶に向けて努力するという「明確な約束」を取り付けた。
5年目の今年、アメリカはこの約束を「なきもの」にしようと躍起になっている。
アメリカを追い詰め、NPTをいっそう核兵器廃絶の波で囲むために、5月1日にNYで大行動をする。これに日本からも1,000人近くが参加する。

私は、取材でこの行動に参加する。
日本原水協代表団にこっそり混ざる形で。
非常なる貧乏旅行。
ホームステイ、ユースホステル、そして最後はもぐり。

不安だが、それなりに楽しみだ。

会議が始まる前に帰ってくるのではあるが、NYで大きなアクションを起こし、そして国連での動きに弾みを。
この日本でできることも考えよう。


写真は、今日整えた旅支度。いろいろ買い揃えた。お金がなくなってゆく。

マンガみたいな矛盾

2005-04-23 01:05:40 | 日記
ヤフーニュースを見ていたら、ポール牧が自殺をしていて、なんとなくショックだった。

そしてもう一つのニュースにべっくらこいた。
小泉純一郎首相が、歴史認識について「反省とおわび」を述べたそうな。

ここまで、自らが発することばに重みを抱かない人間がいるだろうか。
人は、自分が発することばに、それなりの意味を持たせるだろう。当たり前のことだが。

自分の思索と、その結果を表出する営み。
そこに矛盾がないかどうか、この世に生きる若い者たちは大いに悩むだろう。
それが青春。

そんな経験がないのだろうか。
軽口も過ぎる。

自分がやっている政治と、今回の発言とのギャップ。
省みないのだろうか。
本当にびっくらこいた。
ここまで「話す」ことに無頓着とは。
「とりあえず反省したって言っとこー」なんて、マンガみたいな矛盾をやってのけた。
そこまで浅はかなのか?

それでも、これによって、胸に響く日本の人々がいるということなのか?


個人的なことだが、今日一日の最後にべっくらこいたこと。
道路の真ん中で、思い切り転んだ。
車がいない間にさささと渡ろうとしたら、分離帯のようなところでけつまづいて転んだ。
大声をあげて泣きたくなったが、小さな声をあげるにとどめた。
こんなに思い切り転ぶなんてしばらくなかったので、とても驚いた。

お知らせなり。

2005-04-22 11:40:33 | 日記
この日記をどれほどの方が見るかはわかりませぬが宣伝。

あさって(日曜)に、沖縄・辺野古での「掘削」強行を許さないための、宣伝行動をします。
★24日(日)午後1時から、東京・代々木公園ケヤキ並木通りにて。★
アースディ東京(http://www.earthday-tokyo.org/)に便乗し、にぎやかにピースフルに沖縄・基地・平和について考えられる空間を作りたいと思います。
持ち込み・手ぶら・ふらりとお立ち寄りともに歓迎です。
当日連絡先=08032097844(布施)、09091742146(meetang-simantoeyuku.55@c.vodafone.ne.jp)(西村)。

そしてこの準備を、今夜7時から、東京・浜松町は日本平和委員会事務所にて作業をします。
写真パネル、メッセージ布、チラシ、記念撮影ボード、etcいろいろ用意したいと思っていますので、皆さんのお力をぜひ貸してください。

当日手伝える人、準備一緒にできるという人、
なんかよく分からんけど情報が欲しいという人、
連絡ください 03-3451-6377(日本平和委員会)。


しょしんひょうめい

2005-04-22 02:22:12 | 日記
ホームページを作りたい、と思ったのは、去年イラクで香田さんが殺されたとき。
知らない人だったが、ひどくショックを受けた。ものすごい不安と恐怖が襲った。

誰にも望まれない戦争を押し付けるおこがましさ。強さ。
「殴る側」の強さ。冷血ぶり。

おごってはいけないが、しかしせめて自分の国が参戦していると、イラクを攻撃する国の一つだと、
なぜ悪びれもせず日々を送るのか。
もっと自覚をしないのか。申し訳ないと思わないのか。

私は、一つの「命」を奪い続けていることに、もっと敏感になりたいと思う。
そんな遠くの国の出来事を気にする余裕はない とか
自分の生活で手いっぱい とか
すべてが思うツボにはまっている。

しかしふと、私は私のことばで、どれほど人々に訴えただろうと問うてみる。どうだ。
今着実に戦争が起こっていること、今着実にこの国が参戦しある地域を攻撃していること。

何か象徴的な事件があったときだけ、震え、奮い立つのか。
この目で見ることができるものは限られているが、あらゆる媒体を活用して知見を広げたい。
なし崩し的に、いろんなものに慣れつつあるこの状況、ゆえに解決すべき根本の問題の提起が、まるで突拍子もないことのように見えるこの状況。

語り方ばかりを考えてしまう自分はやめたい。
かってに発信するホームページを、友人に見せよう。
これが出発。しかしいつのまにやらブログへと転身。

私の生き方、拠り所、私の正義なるものを確立するためにも。
後ろ向きになることもあるかもしれないが、しかし常に結果として前進に向かうための日記にしよう。