あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

4月2日はNoBaseのパレード(銀座)へ!

2006-03-27 16:03:50 | 日記
暖かい毎日。花見の季節。

4月2日に、基地反対のデモをやりますよーー!(東京近くの皆さまへ)
神奈川県内の実行委員会が1週間ほどかけて東京まで連日デモをしてくるというもので、2日は銀座~日比谷コースです。
テーマが大事だからこそ、きちんと人々に伝える努力をしたいところなのです。青年も楽しく参加できるよう、軽トラのサウンドカーを出します。これはいいですよ~。
時間はやや短めなのですが、たくさんの人でアピールしませう!
下記はいろんなところに流している呼びかけ文です。ぜひぜひご参加ください。

*****

先日のイラク攻撃から3年目の世界反戦行動デーでは、19日を前後して全国でたくさん行動がありました。
次は、こうした戦争を日常的に支える米軍や自衛隊の基地そのものに抗議するパレードをやります。主催は神奈川県平和委員会なども関わる、「基地返せ!市民の行進神奈川県実行委員会」です。
3月29日(水)に神奈川・相模原で始まり、連日歩き続け、4月3日(月)に国会や米大使館付近をパレードします。

■そこで!■
4月2日(日)の東京都内コースに、サウンドカーを出しちゃって、心地よい音楽に耳を傾けながら青年もたくさん歩きましょう!

●コースは、銀座水谷橋公園(有楽町線銀座一丁目駅から徒歩1分)に12時集合、12時半出発→数寄屋橋、銀座通りを行進→日航ホテル前を右折して日比谷公園に14時終結です(その後、花見を画策中)。

●共同スローガンは
 ・基地あるがゆえの苦しみはもうごめん!
 ・政府へ、国会へ、アメリカ大使館へ市民の声をとどけよう
 ・基地を市民に返せ!
 ・憲法改悪反対、九条守れ!
 ・キャンプ座間への米陸軍と自衛隊の新司令部移設反対!
 ・原子力空母の横須賀配備計画を撤回せよ!
 ・空母艦載機の爆音被害のたらい回しをやめよ!
 ・池子への米軍住宅増設をやめよ!
 ・米軍基地被害、米兵犯罪を根絶せよ!
 ・米軍基地再編強化計画を撤回せよ!

詳細を知りたい方(チラシあります)、参加できるという方はご連絡ください。

(メモ)プチ同窓会

2006-03-23 00:57:53 | 日記
今日の日記は公開型ではありません(公開してるけど)。
メモ的。でもそこにはふつふつと湧き上がる熱い感動があるのである…。

祝日は、とても楽しい時間を過ごしました。
学生時代からの仲間数人が集まってのプチ同窓会でした。
濃密スケジュールでした。すごかった。

まずー、月曜夜は(仕事を私だけ切り上げさせてもらい)新宿の29階、摩天楼の上で呑む。
そいでー、友人宅に移動してまた呑む。
3時頃に寝、翌日21日は朝7時に起床、朝食。
そいでー、浅草へ行き、仲見世を通って浅草寺へ。
昼食は柳川丼。
そいでー、一度は行ってみたかった花やしき(遊園地)へ。
絶叫マシーンというものがかなり苦手な私ですが、何とか我慢してジェットコースター的なものに乗る。かなり満喫する。
そいでー、上野へ移動してやや桜見物。
お茶してアメ横をやや散策。
ほいでもって新宿にあるうたごえ喫茶・ともしびへ。これでもかというほどに歌いまくる。
労働歌を含め、歌えてしまう歌が多い私たちってステキ。と自画自賛する。
なんとそこで、高校生のときに参加していた愛知県高校生平和ゼミナールの友人(3学年ほど下)と偶然再会する。
ほいで22時の閉店の後はショットバー的なお店で語りなおす。
そんで終電にて各自帰宅。
翌日(23日)は仕事を半日休ませてもらい、最後に帰る沖縄の仲間と新宿で昼食。
酸いも甘いも的な語らい後、一緒に浜松町へ行って見送る。
そして私は職場へ…。

そいで定時に帰り、映画「ミュンヘン」を見る。
憎悪の連鎖、アメリカへの警告、などの問題を示唆する、なかなか見ごたえのある映画でした。
が、しかしやはりスピルバーグ。殺しや爆破のシーンなど、ところどころに見る者をビビらす仕掛けがあり、イヤでした。
もっと静かに見たいのです。


映画の感想は置いておいて、繰り返し述べていることでもありますが、仲間がいるって本当にありがたいことだとしみじみ感じます。
胸が締め付けられるような、言いようのないうれしさ、あたたかさがあります。

「イラク戦争」

2006-03-20 02:28:14 | 日記
現在も続くイラクへの攻撃が始まったのは、私が就職する直前の2003年3月20日。
あのとき、攻撃が始まる前から世界中で反戦運動が盛り上がった記憶があります。

みんな、忘れてないかな? どうかな?
ピースウォークなど、自分たちのアイデアで、自分たちの言葉で、いろんな方法で友人に、家族に、沿道に、マスコミに、政府に、世界中に攻撃を始めないように訴えて歩いていたように思います。

3年が過ぎ、ブッシュ大統領が攻撃の口実としたさまざまな大義名分はどこ吹く風です。
今もイラクへの攻撃は続いており、とにかくたくさんの人が毎日殺され、傷つき、安全な暮らしがまったく保障されない日々が続いているようです。

日本の自衛隊も、いまだイラクにい続けています。
何でだっけ?
もう、「戦地」に駐留すること自体が目的のような。

イラクの人々は、非日常の中で、しかし生き続けています。日々の暮らしとはそういうもの。


今日、東京の日比谷公園で「イラク開戦から3年、イラクに平和を 日本全土を侵略拠点にするな!」という名の集会があり、参加しました。
ちなみに昨日も同じ場所で、ワールドピースナウ主催の集会がありました(なななんと大寝坊のために参加できず。ショック…)。
ものすごい強風の中、集会と、その後は銀座をパレードをしました。

友人たちがセットしたサウンドカーの後ろで、レゲエやヒップホップの曲を流し、高校生が自分の言葉でしゃべりつつ、とてもよい時間を過ごせました。

イラクに目を向けてほしい。
簡単なメッセージがなかなか伝えられないものですが、少なくとも今日のパレードではものすごくたくさんの人の心に響いたのではないかと思います。本当に。みんな(沿道)の目が違った!
そして私自身が、このパレードに参加してとても楽しい思いをしました。こんな音楽があるのねーと感激したり、高校生のしどろもどろな発言、しかし確かな自分の思いを表現しているその発言に感動したり、友人の温かなMCに関心したり、…。などなど。
よい空間でした。

今日は全部で3000人くらいはいたと思います。わかんないけど。
そのうち若い人は少なかったのですが、確かなデモンストレーションをできました。

デモ申請をして道路を歩くパレードですが、それも沿道の人々にアピールするため。距離は離れていますが、気持ちを届ける努力を、つねにしたいものだと思いました。

ヨイトマケの歌

2006-03-16 21:58:47 | 日記
昨日は仕事で午後から名古屋へ行き、朝東京へ帰ってきました。
新幹線ではグースカだったので、故郷はさらりと通り過ぎてしまいました。

そして昼間、東京では今年初の桜を見ました。偶然にも。
鳩が何かをつっついているのを何気なく見たら、どうやら桜のつぼみ。ナヌ、と思って上を見やれば桜が咲いていたのでありました。感激でした。

本題は、表題の歌のことです。
先月17~18日、仕事をさぼって北海道朱鞠内であった東アジアワークショップに参加しました。
会場は笹の墓標展示館(旧光願寺)というところです。かつて朝鮮などから強制連行され、この地で果てた人々の遺骨を掘り起こす拠点にもなっているところです。
詳細は、笹の墓標ネットワークのページをご覧あれ。

翌19日は札幌で行われた「強制連行、強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」に参加しました。
すべてを通し、学んだことなどをいつか…!まとめなくては、と思って早1ヵ月。
さぼっているうちに、参加したある方のHPに詳しいレポートが書かれてあるのを発見。勝手にリンクしてしまいます。

フォーラムの後、超豪華な、とてもよいコンサートがありました。
そのなかで非常に・猛烈に感動したのは、趙 博 さんという在日2世の方が歌った「ヨイトマケの歌」。
ヨイトマケとは、「建築の地固めをする際に、大きなつちの綱を引くときのかけ声。転じて、これに従事する人足。多くは女性」(広辞林)らしいです。
いわゆる「土方」に従事した母親に感謝する歌です。
なんとなく耳にしたことのある歌詞でしたが、きちんと聞いたのは初めてでした。

これを、趙さんは子どもの頃に馬鹿にされたハングルなまりを出しながら、太鼓(プク?)一つでとても静かに、そして熱く歌っていました。
イヤ、すごかったです。

しかもこの歌の作詞作曲者の丸山明宏って、美輪明宏の改名前ですと。知りませんでした。
美輪明宏ってたまにオカルトチックだけど、なかなかの人なのだろうとは思っていましたが、ますます見直してしまいました。

ヨイトマケの歌
勝手にリンク。長い歌詞なのですが、一番と六番だけ載せちゃいます。

【作詞】丸山明宏
【作曲】丸山明宏

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

6.何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一


写真は、笹の墓標展示館で見せていただいた、掘り出されたご遺骨。
ある人は、掘る前は骨というと不気味な怖いイメージだったが、実際に掘り出して大事に抱えているとだんだんと愛着がわいてきた、と話していました。

「海にすわる」を見て、嘉陽のじいちゃんを思い出す

2006-03-15 01:59:18 | 日記
昨日深夜にテレビ朝日で放映された、「海にすわる~沖縄・辺野古反基地600日の闘い~」を見ました。
あまりの深夜のため、録画(してもらって)ビデオで見ました。
しかも3回も見てしまった。ネムーです。

同県内宜野湾市にある米軍普天間基地の移設を名目に、沖縄県名護市の辺野古沖に巨大な新基地建設をしようとの計画が96年に浮上。これに対する地元の反対運動がずっと続いてきました。
一昨年9月に、防衛施設局はいよいよ工事が強行。これに対し、地元住民や地元外からも船やカヌーを出して文字通り体と命を張って止めてきました。

たたかいの中心は、なんと言っても地元のオジー・オバーです。番組では彼らの思いをよく追っていました。
さらに施設局が建設した海上のやぐらで、工事を止めるために一時は24時間の座り込みが続けられましたが、その過酷な、異常とも言える阻止行動を続けることの思いも丁寧に描かれていました。

工事に協力するある漁民がコメントをしていました。
普天間のヘリ墜落(一昨年8月)のような事故がこれ以上あってはならない、だからどこかで(辺野古で)受け入れなくてはならないのだ、と。
普天間から辺野古へ、厚木から岩国へ、沖縄から本土へ…。
各地の住民対住民の構図。誰かが我慢しなくてはならない。
米軍のことで、日本の各地の住民がいちいち翻弄され、筋違いの対立軸がもたらされているのです。
そしてそんな地元の苦しみはどこ吹く風の、日本政府の姿もありありと描かれていました。

番組中に登場した嘉陽宗義さんというじいちゃんがいます。1997年1月に、辺野古に基地を作らせないと、地元のじいちゃんばあちゃんが結成した「いのちを守る会」の命名者でもあります。
私は去年末に辺野古を訪れた際、この「嘉陽のオジー」に話を聞くことができました。
番組内で嘉陽のじいちゃんが登場するたびに、言いようのないキュンとした気持ちにさせられます。

去年末、嘉陽のじいちゃんには本当にいろんな話を聞きました。

辺野古はもともと貧しい土地だった。そもそもなぜ辺野古にキャンプシュワブ(米軍の基地)を誘致したのか。
当時はみんな反対したのだが、結局はお金で買収されてしまった。そのときから、辺野古はお金さえわたせば何でも言うことを聞くと見られるようになってしまった。基地ができたために、「ゆいまある」(助け合い)という美しい心が散ってしまった…。
我々の土地を返してくれ、と主張している。基地を撤去したら、観光で必ず成功するよ。笑いが止まらん、という地域を作れたらいい。これからは平和産業だ。

じいちゃんは、辺野古の苦しい歴史を話してくれました。「こんなことを話すのは初めて」と言いながら。

そして、私の頭と顔をグリグリグリグリと撫でてくれました。
「本当はね、こんなことするのは失礼だと思う。でもかわいくて仕方ない。あなた方のような年の子を見ると、あなた方を守るには平和しかない、と思う」

27歳の私、83歳の嘉陽のじいちゃんに「いい子いい子」され、猛烈にうれしく思いました。


番組の感想に戻しますが、一つだけ気になったのは、辺野古の登場人物が限られていたことです。辺野古の陸の拠点・テント村村長の一人、大西さんや、海上で活躍した「平和丸」船長の具志堅さんなどが一切登場していません。二人とも平和委員会のメンバーですが、現地でははじめから運動に加わる中心人物です。でも番組HPに、「こういう番組をもっと!」との感想を送っておこうと思います。

写真は嘉陽のオジー。

岩国住民投票→開票、そして…!

2006-03-13 01:52:19 | 日記
土日は北海道へ行ってきました。
北海道平和委員会の仲間がやった企画と、そして平和委員会の青年の会議に参加するためです。企画はとてもよかったので、また報告をしたいと思います。

その前に。最近の日記はこればかりですが。
岩国の住民投票が本日いよいよ結果が出ました…!

岩国市のHPを見たら

投票率58.68%
賛成11.0%、反対89.0%

でした。
おおーーー。

同僚や平和委員会の仲間たちが岩国へお手伝いに行っていました。
現地から届いた速報では、期日前投票だけで10%を超えていたそうです。そして「投票に行くな」の棄権運動を起こした市議会議長の地盤の島は田舎のため昨日が投票日だったらしいのですが、昨日の時点で投票率が72%だったそうです。

だってねー。さすがに棄権運動には市民も怒っていました。
私も先月末に岩国へ手伝いに出かけ、市主催の住民説明会へ行きました。
参加者の一人に取材をしたのですが、たまたま声をかけたその方は「私の周りはみんなこれ以上の米軍の受け入れには反対ですよ」と言っていました。棄権運動なんてもっての他、と。

つい先日も、ミクシイで日記に「岩国 住民投票」と検索をかけてみたら、岩国市民の方がよく書いていて、ほとんどが投票に行った、あるいは行く、というものでした。
なかなかおもろいです。

政府は住民投票の結果は関係ないとしているし、投票自体が市長のパフォーマンスとの声も。
住民投票の結果は明確に出ました。これぞ民意です。
ひとまず今日までは、岩国市民に特化した問題でした。
けれど開票が済んだ今(もちろんその前からずっとですけど)、日本全体の問題であることは明白だと思います。

沖縄の名護では、住民投票の結果をことごとく無視しようとする(実際は無視しきれないのですが)政府の横暴ぶりに、市民は「あきらめ」さえ感じるようになっていました。
そこに住む人の意思を無視して政治をしていいのだろうか?
それが国政というもの?
米軍再編問題云々だけでなく、民主主義の問題だと思います。


前述した、住民投票で私がお話を聞いた方に平和新聞の掲載紙を送ったら、ステキな贈り物とお手紙をいただきました。
話をして、自分の考えをまとめることができた。ずっと温めていた絵本構想を、ようやく形にしたのでもらってほしい、と。
びっくりです。猛烈にうれしかったです。
いただいたものをで載せてしまいます。

 

 

さらにトップの写真は、しんぶん赤旗の12日号。私の作画したものが活用されている様子がかろうじて写っています。これも猛烈にうれしいです。やはり傑作ですな…。

なお今年12月にこの岩国市で、日本平和大会を開催します。いよいよ楽しみです。

岩国住民投票へ傑作をささげる

2006-03-09 14:56:39 | 日記
今週末、岩国へ行きたいところですが北海道へ行かなくてはなりません。
いや、北海道もとても楽しみなのです。

というわけで、岩国へ行きたくても行けないこの思いを絵にしてみました。
実は同僚に、(宣伝用に)「描いてみたら」と言われたのですが。



イヤー。
傑作の域に入っているのではないかと思います。

でも同僚の反応はイマイチでした。「シンプルだね…」と。

そしてこの絵は、現地でずっと手伝いをしている友人の元へと送られます。
しかし使われるかどうかは不明。
傑作なのに。

岩国住民投票はまもなくですぞ!

2006-03-07 21:06:55 | 日記
たった今、事務所の階段で転びました。
あーーびっくらこいた。
スリッパが大きすぎるのでしょうか。
足の指とモモと手を打ち、痛すぎてしばらく悶絶していました。
誰にも見られなくてよかったです。

岩国市の住民投票はすでに不在者投票は始まっており、次の日曜(12日)が開票の予定です。
「予定」というのは、投票が過半数を満たない場合、投票箱を開けずに燃やされてしまうためです。

私は先日岩国を訪れ市主催の住民説明会を見学しましたが、そのときの市民の熱気を見て過半数は満たすだろうと思っていました。
けれど説明会に参加する人は当然関心を持っている人ですが、その他の人は関心はあるとは思いますが投票行動にどれほど移るかは未知数です。

住民投票は、神奈川・厚木基地の米空母艦載機の岩国基地への移転の是非を問うものです。
岩国市長も言っていましたが、神奈川の人が迷惑しているものを、他の人口の少ない町にたらい回しして解決する問題ではありません。

3月末に、日本全土を巻き込んだ「米軍再編」計画の更なる文書が出されると言います。
日米政府間の問題として地域の住民や地方自治体の訴えを一蹴し、日本列島を台に基地機能をまるでコマのように動かしています。
国の横暴ぶりは今に始まったことではありません。だからこそ、「国が決めたことなんだから何を言っても変わらない」とあきらめる住民も少なくないのです。
イヤー、久々にかなり腹が立ちます。
「政府だからっていい気になるなよ!地方をなめんなよ!」の心を力にして突きつける、よい機会だと思います。


写真は、岩国市錦帯橋近くの白ヘビ。


そして以下、平和委員会プリゼンツ・岩国発の住民投票支援ニュース(要約)です。「艦載機受け入れ反対に○をする会」が呼びかけた4、5日を統一行動日に、全国の平和委員会の皆さんが応援に駆けつけたのでした。

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岩国発! 米空母艦載機移転反対!“岩国住民投票支援ニュース③

●平和委員会は、宣伝カー2台をまわすのと、南岩国の国道188号線沿いに立っての定点宣伝、そしてその周辺でのハンドマイク宣伝&対話を終日行いました。

●「○をする会」全体では、4日300人、5日150人が大行動に参加。2号ビラ4万2000枚をいっきに全戸配布し、8台の宣伝カーとハンドマイクで市内各所で音を出して目に見える宣伝をやった。
 それが浸透してきたのか、平和委員会の定点宣伝でもだんだんと車の中から手を振ってくれる人が増えてきた。2日間連続での定点宣伝で、目の前のガソリンスタンドで働く若い店員も「ごくろうさまです。僕も投票にいって反対に○をします。がんばってください」と声をかけてくれた。
“住民投票に行ってもムダなんじゃないか”という人と対話し、“行かんとあかんね”に変化 ・・・1人1人の対話が決定的に大事だ。

●外にあまり人がいないこともあって数は少ないが、地域でハンドマイク宣伝をやっていると対話になった人もいた。予想以上に「もう決まっていることだから住民投票行っても無駄なんじゃないの」という人が多い。しかもその人だけがそう思っているのではなく「みんなそう言っているよ」と話す人が多い。ボイコット派の活動が想像以上に浸透している印象。
 しかし、名護での経験などを紹介し住民投票には力があることと、「投票権のない子供たちや孫たちの分まで投票で意見を表明する責任が大人にはあるのでは」「不成立に終わったら、岩国市民は基地問題に関心がないと見なされ、艦載機57機にとどまらずこれからもっと強化される恐れがある」などと丁寧に話すと、「それだったら(投票に)いかんとあかんね 」と約束してくれるおばあちゃんもいた。
 やはり一人ひとりとの対話がとても大事だし決定的。こちらが語らなければいけないことは複雑ではないので、対話すれば状況は十分変えていける。

●岩国駅前のアーケード商店街などでハンドマイク宣伝をやっていると、9割以上の人がチラシを受け取ってくれる。「がんばってください」「ごくろうさま」「投票いって反対に○をしますよ」と声をかけてくれる人も少なくない。しかし、通行人の層としては、50歳以上の女性が圧倒的に多い印象。現役の中年世代や青年の意識状況は不明。(以下略)

【次のような行動にご協力ください!!】
●平日も含めて、参加できる方は大いに参加してください。
●特に、11,12日の土日一斉行動は、今回の倍の規模で成功させることをめざします。
●住民投票成功めざす支援募金活動にご協力ください。

豊島区長も抗議していました

2006-03-06 04:00:36 | 日記
またまた日記書きをさぼりました。さぼり癖…。

本日(5日)は、私の第二のふるさとを抱える県の県庁所在地(紛らわしい)=甲府へ歌いに行ってきました。
「うたう会」というものを友人らが催したので、プチ同窓会の気分で出かけました。
古い歌から都留大の仲間が作った歌などをみんなで歌い、すっきりしました。

そいで東京へ戻って別の友人と会ったら帰りが深夜に。

私の現在の居住地・豊島区の広報としまを読んでいたら、
「高野区長が、
 アメリカ合衆国と英国の
 臨界前核実験強行に
 厳重に抗議しました」
の記事が載っていました。
2月23日に米英が核実験を強行したことに対し、両国宛てに抗議文を出したようです。

お恥ずかしいのですが、実はあまり居住地の政治がどうなっているのかよく知りません。
区長がどんなことをしているのかもあまり知りませんでした。

ほんの少し調べたら、過去に米英が核実験を強行した際には、おそらく必ず抗議声明を出しているようです。
そして豊島区は、東京23区内で初めて「非核都市宣言」を行った区のようです。

核実験に対して抗議声明を出した自治体首長はそれなりにはいるとは思いますが、決して多くはないのではないかな? あまり知りませんが。

おそらく「平和」の問題に限っても、他の課題では私と意見が異なることが多いのではないかとも思いますが、しかし核兵器の問題に敏感であることは、日本の反核の運動が大きな役割を果たしたことの表れだと思います。
ほんの少し感心しました。


写真は、先日訪れた岩国。12日開票の住民投票が取り組まれていますが(詳細は前回の日記)、多くの方に関心を持っていただきたいです。
岩国はじめ、全国の地域で怒りを呼んでいるのが米軍再編問題です。
今日は沖縄で県民集会がありました。
超党派での枠組みにはなれなかったと聞いたのでどれほど人が集まるかと危惧していましたが、どうやらとてもたくさんの人が集まったようです。
以下、ヤフーに載っていたニュースより転載。
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 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移設(沿岸案)に反対する「沖縄県民総決起大会」が5日、宜野湾市海浜公園で開かれ、目標の3万人を超える3万5000人(実行委発表)が集まった。米兵の少女暴行事件に抗議して8万5000人が参加した95年10月の総決起大会以降、最大規模の集会となった。
 県議会は全会一致で沿岸案の反対決議をしているが、県政与党の自民、公明両党は参加せず、稲嶺恵一知事も「超党派の大会ではない」を理由に参加しなかった。
 実行委の山内徳信共同代表は「沿岸案拒否は県民の総意。沿岸案が撤回されるまで闘い抜く。政府はマグマ(県民の怒り)が大きく動いたことを知るべきだ」とあいさつした。(以下略)