本日24日、またまた靖国へ。
山梨の皆さんにガイドした。
参加者には高齢者も多くいて、おじが、父が合祀されている、という方もいた。
ガイドの合間にこちらからもいろいろ聞け、非常に有意義だった。
父が祀られているというYさんに話を聞いた。
陸軍に所属し、南方に行くため横須賀から出港してすぐ、爆撃に遭って亡くなったそうだ。戦死の公報は来たが、お骨はない。多くの人がそうだったように。白木の箱には、割りばしのようなものが入っていたという。
Yさんの兄である長男は、弟たちを「食べさせるために」自衛隊に入った。そのため、父が靖国に祀られていることについて、賛否を話し合うことはなかった。遊就館に遺影は置いていない。
そんな兄が、ベトナム戦争などで平和運動に頑張っていたYさんに対し、「おまえが戦争に反対したおかげで、自分は戦地に行かずに済んだ」とポロッと話したことがあったそうだ。
Yさんは、古くからの平和委員会の会員でもあった。
他にも戦時中の話を数人から伺うことができた。
金属供出の話を私がした後、ある人が話し出した。当時非常に貧しく、鍋釜をとられ、石鹸もなかった。だから川の泥で洗濯をした。
「恥ずかしいことだけど」と切り出した別の人の話。敗戦直後、進駐軍が数日だけやってきた。彼らはパンの耳を我々に向け拾わせるために落とす。それを拾って食べたら、翌日は手で渡してくれた。
などなど。
まだまだ埋もれたエピソードはたくさんあるだろうな。
山梨の皆さんにガイドした。
参加者には高齢者も多くいて、おじが、父が合祀されている、という方もいた。
ガイドの合間にこちらからもいろいろ聞け、非常に有意義だった。
父が祀られているというYさんに話を聞いた。
陸軍に所属し、南方に行くため横須賀から出港してすぐ、爆撃に遭って亡くなったそうだ。戦死の公報は来たが、お骨はない。多くの人がそうだったように。白木の箱には、割りばしのようなものが入っていたという。
Yさんの兄である長男は、弟たちを「食べさせるために」自衛隊に入った。そのため、父が靖国に祀られていることについて、賛否を話し合うことはなかった。遊就館に遺影は置いていない。
そんな兄が、ベトナム戦争などで平和運動に頑張っていたYさんに対し、「おまえが戦争に反対したおかげで、自分は戦地に行かずに済んだ」とポロッと話したことがあったそうだ。
Yさんは、古くからの平和委員会の会員でもあった。
他にも戦時中の話を数人から伺うことができた。
金属供出の話を私がした後、ある人が話し出した。当時非常に貧しく、鍋釜をとられ、石鹸もなかった。だから川の泥で洗濯をした。
「恥ずかしいことだけど」と切り出した別の人の話。敗戦直後、進駐軍が数日だけやってきた。彼らはパンの耳を我々に向け拾わせるために落とす。それを拾って食べたら、翌日は手で渡してくれた。
などなど。
まだまだ埋もれたエピソードはたくさんあるだろうな。