あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

クリスマフとパギやん

2006-12-25 09:55:46 | 日記
クリスマフでふ!と言っているのは、私の携帯電話のくーまん。

それは本当にどうでもよくて、昨日パギやんこと趙博さん(たち)のライブに行ってきました。
大阪出身・在日コリアンのすばらしい歌手なのです。

はるまきちまき+パギワタル+みわとか何とかいう、おそらくこの日のために結成したようなユニット。2006年末・熱血3Daysとかなんとかの一日。

相当に楽しかったです。

いろいろ歌う人ですが、「piano man」を2曲目に持ってきたりなんかして、粋ですなー。
インターナショナルなんて歌ったり。
この歌って本当に盛り上がります。
なんでこんなに盛り上がっちゃうの、という感じに盛り上がりますが、やはり心が盛り上がるんだろうな。
私もこの曲が流れると立ち上がりたくなります。つい。

この3月に北海道の朱鞠内で開催された東アジアワークショップに参加しました。
強制連行されたまま亡くなった方々のお骨が放置されたままの地域です。夏には発掘作業などをしています。
そいでその企画のテーマと関連し、札幌で開催されたシンポに参加したら、このパギやんが歌っていたのでした。
ヨイトマケを歌っていましたが、いたく感激したものでした。

心に電撃。
のような体験は、これが初めてでした。

昨日のライブも本当に楽しかった。また行きたいワー
あー楽しかった!

悲しみという原動力

2006-12-17 20:50:54 | 日記
P魂s(ピーソウルズ)という、友人たちがつくっている平和サークルの合宿に本日だけ参加しました。
とってもよい企画でした。

彼らはいろんな縁あって、特に東京大空襲の問題によく取り組んでいます。
戦争体験を自分自身がどうにかして受け継ぎ、そして周りの人々に語り伝えようとする彼らの努力と苦労がひしひしと伝わりました。

東京大空襲でお母さんと弟さんを亡くした79歳の女性Tさんの証言を聞きましたが、お母さんが亡くなるときの様子を語るとき、耐え切れずに涙を流されました。
満19歳で亡くされたそうですが、ちょうど私も同じ年のときに母を病気で亡くしたので、その悲しみと響き合って涙を止められませんでした。

60年以上前に戦争で母親を亡くされたTさんと、8年前に病気で亡くした私とでは、悲しみの矛先、怒りの起こし方は違うかもしれません。でも大切な人を亡くした悲しみと、今でも生々しく感じる母への思いというのは共通しているのだと思いました。

私は戦争がなぜいけないのか、の一番の原点となるのは、こうした悲しみの感情にあると思っています。
そして戦争をなくそうとするときの、私(や人間)の原動力だと思っています。

戦争自体への評価、戦争の原因、「平和」と言える社会、等々についての認識の違いは議論する課題ですが、この感情だとかイマジネーションというものは決して軽視してはいけないし、豊かにしていくべきものだと思います。
これは泣いてしまった自分の正当化ではナイ!


写真は、死者10万人と言われる東京大空襲で亡くなった人々を写真で示すとどれほどのものになるのか、という試み。

臣民意識から抜け出す

2006-12-16 18:19:24 | 日記
先週、こおおぉぉうべえぇぇーに行っている間に(取材で)、教育基本法「改悪」法、そして「防衛省」昇格法が強行採決されました。
たまたま成立日に神戸出張だっただけですけど。

教基法は、もしかしたら今国会不成立に持ち込めるかも、と淡い期待を抱いていただけに、落ち込んでしまいました。

教基法改悪法と防衛省昇格法が同時に成立したことは、事の意味する方向をリアルに伝える気がします。でも防衛省昇格についてはあまり話題にし切れていません。去年の今頃は、私はまさか防衛省だなんて!なんて、その露骨な戦争国家化のたくらみに対して現実味を感じていませんでした。

民主主義の現場は、国会だけではないと知りつつも、平和を実現しないどころか戦争へと進むであろう重要法案が成立すると、やはりガックシとなってしまいます。

平和新聞にも載せましたが、教育学者の大田尭さんが仰っていた「私たちの中に根強くある『臣民意識』の脱却」を、私自身も努力して実践していこうと思います。
臣民意識から抜け出すには、意識して努力をしないとやり切れない。

結局、どんな法律をつくるか、どんな国会構成にするか、どんな政治にするか、というのは私たちの選択の問題です。
教育基本法然り、日本国憲法然り、多くの人々が願うであろう「平和」とそれを実現する人間の主体性を生かすためにはどのような政治、行政、体制を築くべきなのかを理想とともに思考と議論を進めなくては。

平和大会青年分科会で、おじいちゃんが輝く

2006-12-12 21:43:45 | レポート
77歳のおじいちゃんが、88歳のおじいちゃんに励まされる。
そんな場面を目の当たりにできた私は、本当に幸運だと思いました。

9日に岩国市で日本平和大会の青年分科会を開催しました。プログラム詳細は過去の日記より。

「歴史認識の共有をとおして未来をひらく」をテーマに開催しました。

■□■
本名で書きます。
中国戦線に参加した鹿田正夫さんは現在88歳。
中国帰還者連絡会山陰支部の会員です。

中国で、人間から鬼になる過程を話してくれました。
やはり刺突訓練。生きた人間を直に刺し殺すことが、人間の何かを超えさせるようです。もちろんそれまでに土台は作られていました。

数々の蛮行の中で、時間の都合上、一つだけ話してくれました。
明らかに病人を分かる娘を、父親が見る目の前で銃殺したこと。
身振り手振りを混ぜながら、苦しそうに、でも私たちに伝えようと必死で話してくれました。

帰国してから初めて自らの行いを話そうとしたのは、自分の娘の結婚式直前。
迷ったそうです。
でも自分が殺した中国の娘を思い出し、自問し、ためらってはいけないと決意をしました。

■□■
在日朝鮮人二世、李実根さんは現在77歳。
山口で生まれ、広島で入市被爆しました。
この人の人生はまたとにかく壮絶。逮捕やら裁判所奪還事件やら。この人の人生から、当時の時代というものを学べます。

日本が「唯一の被爆国」はありうるが、日本人が「唯一の被爆者」というのは間違っている、と。
置き去りにされた被爆者ですが、その権利回復のために奮闘されてきました。

戦争が民族を分断し、また恣意的な民族意識を作り出すのだと思いました。
迫害を受けてきた者にとっての「民族」概念は、私の想像をはるかに超えるものなのだろうと思います。

■□■
もうお一人は山口県内の日本史の教員・山根さん。近現代史の基礎的な講義を受けました。
案の定、参加者はほとんど近現代について学んでいません。
歴史認識の共有と言う前に、まずは自国でどう教えているかも知らないのです。
日中韓の三国共同の歴史教科書作りを参考に話してくださいました。

そいでいろんな話を聞き、小グループで議論をしました。
私は議論に加わっていませんが、歴史認識ってそもそも何? 誰が共有するのか? 加害と被害の経験は一致するのか?などなどの意見が出たようです。

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冒頭に述べたこと。
77歳の李さんが、88歳の鹿田さんが自らの蛮行を語る姿に、「私も鹿田さんの年になっても証言を続けていたい、そしてその後も…」。

じゃあ28歳の私は!?と思わざるをえません。きっと参加者は、このおじいちゃんたちの姿に感激するとともに自らの歩み方を考えたことと思います。きっと!

最後に李さんが述べたことをここに記します。
参加した皆さんへお願い、と前置きして。

 ・今、日本は次に戦争する国にしようとしている。それを若者で阻止するのだと、一人ひとりが決意してほしい。
 ・マスコミの垂れ流しに流されないこと。主見を持つこと。考える力、見る力、知る力を身につけること。
 ・この会を機に、交流をもっと深めてほしい。その際、相手との違いを認めてほしい。自分の尺度で測らず、相手の苦しみ・喜びを分かち合う、それが共生への道へつながる。


写真は「認罪」の過程について語る鹿田さん(手前)。奥へ李さん、山根さん。

平和大会開会

2006-12-09 00:43:32 | レポート
本日は日本平和大会開会集会。
昨日から始まった国際シンポジウムには、結局まったく足を運べず残念でした。
でも開会集会は相当よいものでした。

参加者全員が一堂に会す全体集会がこんなに魅力的に思えたのは、実は初めて。

平和大会は就職してから参加したので、今回が4回目。
こんなんでおもろいのか…と、いつも舞台袖から不安を感じていました。

思い出せばいい場面もたくさんあるんだけど、今回は全部がいい雰囲気だった!

今日はプロジェクター担当として、客席から終始見ることができ、岩国基地をとり囲む岩国市や広島県西部、近隣自治体の運動がよく伝わってきました。
とにかく趣向をこらし、おらが町を愛し、運動の経験が自信になり、そして今回の参加者を歓迎しようとの気持ちがひしひしと伝わってきました。

全体としてすべてがよかったけど、やはりアメリカから参加したオリンピア市市議のTJジョンソンさんのトークは冴え渡りました。
地元でのイラク戦争反対の運動を丁寧に報告、アメリカ政府は核兵器をなくすべきだ、ときっぱり。
こんなアメリカ人、しかも市議会議員、いるんだね!
しかーも40歳そこそこ。
ワイフも息子も一緒に連れてきちゃう。

もうお一人。
今年の1月、横須賀で米兵に妻を殺された山崎さんの訴え。
米兵がお金ほしさに山崎さんの妻を暴行、殺害。
防犯ビデオから、そのときの様子が想定できたそうです。
殴る、蹴る、踏みつける。
「やめて」と泣き叫ぶ妻を、10分にわたって殴り続けた。
山崎さんは、一言一言、無念そうに発していました。

10月末に民事訴訟を起こした山崎さんは、こうした米軍を置く日本の施策の是正を訴えます。
そして訴訟への支援を呼びかけました。

そして山崎さんを支える一人、自らも1977年に横浜の米軍機墜落事故の被害者である椎葉さん(絵本「パパ、ママ、バイバイ」の事件)の話も胸に迫りました。

お二人が「泣き寝入りしない」と奮起するまで、どれほどの力が要ったろうとは、想像しきれません。
山崎さんの一言、一呼吸はあまりに重く感じました。

などなど。

日米安保条約に対する運動って、一番は基地問題が中心になっていますが、でも私の中でも基地や軍事問題についていまだに苦手意識があったりします。
米軍再編についても、今回のいろんな計画の中では住民・自治体ぐるみの運動が全国で起きていますが、それでも後追い的な印象がありました。

とにかく自分も勉強しないといけないし、安保についてどう多くの人の認識を深め合えるか、まだまだ検討が必要ですが、でも確実に運動が実っていることは実感できました。

これ以上の爆音には耐えられない。
嫌なものは嫌。

この単純な出発点から、連帯が広がり、さらに日米戦略やイラク戦争にまで発想が及ぶ。

その可能性を垣間見た気がしました。
走り書き文ですみまそん。書かずにいられんかったです。

ほいで明日は青年分科会。
主催者あいさつ(チックなもの)を考えなきゃー。
とっても楽しみです。

岩国へ来たどー

2006-12-06 18:33:41 | 日記
本日、岩国へやってきました。
岩国って山口県です。たまに広島だと思ってる方がいるようです。

明日から日本平和大会の国際シンポが始まるのであります。
去年の平和大会は神奈川で行いました。米軍再編計画の中で、神奈川県にある厚木基地の米空母艦載機部隊を岩国基地に移転しようという案があります。この計画に対し、地元ではさらなる基地強化は勘弁してーと反対運動を起こしています。岩国市だけでなく、基地の影響を受ける周辺住民もともに。
さらに厚木基地周辺の大和市などの住民もともに。

そんな岩国で平和大会なるものを開催するのです!

今日から地元の中小零細業者団体の事務所で間借りをして大会本部を設けています。

事務所に岩国に艦載機来るな、のポスターがいろんなデザインでありました。オシャレですねー

やり残したことがまだ山程あるので、焦りつつ呆然としてます。