あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

おかげさまで1ヶ月

2018-02-26 17:11:54 | お子との暮らし

先日、アカンボとともに1ヶ月健診に行ってきた。

私は良好。子宮もほぼ元通りだそうで、今日から風呂、運動、性生活もどうぞとのことだった。
とにかくうれしいのは風呂!おふろ!古民家(というほどいいものでもない)的なわが家の風呂は冬は冬なりにしっかり寒いので、このひと月のシャワー生活は非常につらかった。

お子の方は経過観察となり、来週も病院に行くことになってしまった。理由は体重が十分に増えていなかったこと。母乳量が不十分にもかかわらず、ミルクをあまり与えなかったためだ。

第一子は十分に母乳が出ず、ミルク多めの混合だった。今回はわりと早めに母乳対策もし、前回からの遺産もあったためか、母乳量は比較的増えたように実感している。ゴクゴク飲んでいるし、特にこの数日はアカンボは飲んだらすぐ寝てくれていた。

が、足りてなかった…。ミルクを増やして1週間後に出直してこいというやつだ。

でもまあしょうがないよねと思う。
一人目のときと違うのは、母乳を出したいと強く念じつつも、こだわりすぎないようにしようと思えることだ。再健診はややショックではあるけど、たぶん一人目だったらもっとつらかったろうな。
お医者さんも助産師さんも、少ないけど出てはいるよね、と言ってくれたのも救いだった。

母乳ライフは本当に悩むし迷う。しかし子の哺乳力が付かないのも困るので、きちんと(ほどほどに)ミルクを足して、来週の再健診に臨もう。

おもらし頻発

2018-02-25 15:24:10 | お子との暮らし


このところ、3歳児のおもらしがなかなか手強い。3歳の誕生日を前後してパンツ生活に突入したが、最近とみにトイレをいやがり、ダバダバともらしがち。

怒ってはいけないと思いつつも、がっくりしてしまう。

夜はまだおむつだが、朝目覚めてから、そのまま布団の中で最後のおしっことばかりにジャバーとし、そしてもらす。

昨日は昼間、「おしっこ」と言うのでトイレに誘うと、「あ、違う違う」と撤回。しぶとくトイレに誘い、絶対出ないね、パンツを濡らしたらおむつ履いてもらうよ、と迫るも、トイレ拒否。そして少しその場から離れて戻ると、見事にカーペットにもらし、新生児の布おむつを取り出して自分で拭いていた。

このときばかりは、「さっきあれほど言ったでしょ!もうおむつにしなさい!」ときつく迫ってしまった。本人はおむつは強く拒否し、泣きはしないがすねさせてしまった。すぐにお調子者に戻ってはいたが。

冬だから寒いトイレには行きたくないのか、新生児が産まれたことによる何らかの心の変化なのか。

ひとまず子ども用のミニ便座を久しぶりに復活させた。そこに張り付いているアンパンマン便座シートをだしに、しばらくは甘くトイレに誘いたい。

〆鯖かどうか

2018-02-23 21:18:56 | お子との暮らし
産後1ヶ月を目前に相方が発熱した。風邪なのか、前夜の〆鯖が当たったのかは不明。

私は1ヶ月健診を受けるまでは外出を控えなければならないのだが、緊急事態だ。3歳児の保育園の迎えに久しぶりに出かけた。担任の先生は、〆鯖による食中毒の恐怖を教えてくれた。

相方の育休中は、私は料理しないと宣言していたが、頓挫してしまった。残念。彼が復活したら再び料理しない人になろう。

今夜は私シャワー、新生児ベビーバス、3歳児湯船の三様風呂。食事や授乳や片付けや3歳児の諸要求に応じるなど、夕方以降はなかなか激しい時間であった。
よくやった私。と言いつつ、3歳児の寝かしつけはいつものように相方が担ってくれた。

世のワンオペ育児の親たちはすごすぎるなあと、しみじみ痛感する。

親子関係の証明は認知

2018-02-20 17:08:07 | お子との暮らし


出産前に遡るが、第一子と同様、第二子も腹にいる間に父(相方)と役所で胎児認知を行った。

事実婚ゆえ、父と子の親子関係を示すには認知が必要となる。胎児のうちにやっておけば、出生届に父の名を載せられる。

姓は胎、名は児。認知するのは相方で、私はそれを承諾する立場。

役所の窓口で、旦那様、奥様と呼ばれたのに少し違和感を覚えた。今回の手続きは子にとっての父母という身分が問われるのみで、夫婦かどうかは明らかにしてないんだけどな。ま、別にいいんだけども。

出産後、相方が育休を取得するにあたり、ハローワークに親子関係を示す書類の提出を求められた。具体的には指定されなかったが、戸籍謄本があたるだろう。

てことで謄本を取り寄せると、きちんと子どもの名前が入り、認知した事実が記載されていた。

そして当地は市長選で法定得票率に満たなかったための再選挙を待つ段階にあり、市長不在ゆえに副市長名で発行されていた。

二人目はあっという間(後)

2018-02-19 12:32:00 | お子との暮らし

続き。
分娩台へよぼよぼと移動する。

前回よりかなーーーり早い進行。猛烈にうれしい。分娩台では前回2時間踏ん張ったが、今回は絶対早く産んでやる!と気合を入れる。世の中には3いきみくらいで出した人もいるらしいし。

順番は忘れたけど、導尿し(これが結構痛かった)、剃毛し、子宮口は全開、破水も完了。今回は会陰切開せず。いきみたくなったらどうぞ、と言われる。先生(医師)もやってきて、さーいよいよ。

前回散々言われたのは、いきむ直前は深呼吸、いきむときは声を出さない、目は開ける、ということ。これが初めはなかなかできず、長引かせた要因でもあったと思う。
しかし今回はやったる!

と言いつつ、3いきみは無理であった。

まあ忘れたけど、時に胎児を酸素不足にしつつ、手足がしびれるので大丈夫かと助産師さんに聞くも「問題ない」とピシャリと言われ、飲み物を口に運んでもらい、寒いと訴え、で、いきんだりなんちゃらし、最後はまたまた吸引に。

この吸引の器具をつけるのがとても痛かった。お股をギュイーンと広げる感覚がよくわかり、頭にくっつけてんのかなと想像できた。前はこんなふうに感じた記憶はないのだが。

で、さーいきんでーー。
ズッポン!という感覚を味わいたかったけど、そういうのはなく、やや体が楽になり、どうやら出たらしいとわかった。
しばし空けてアカンボの泣き声。私、やりました!と一人歓喜する。

お次は胎盤を出す。
前回は助産師さんにぎゅぎゅぎゅーと押されたのだが、とても痛かった。その記憶があったのでドキドキしていた。
今回は先生がぎゅぎゅぎゅと押してきた。やはり痛くて、思わず「いてててーー」と声が出る。そして「分娩耐えた人が何言ってんだ」的なことを言われるも、「だって痛いから…」としか言いようがなかった。
会陰は少し切れたらしく、縫ってもらう。これも少しチクリと痛む。あといろいろやっていたが、あまり記憶にない。

胎盤を出す痛みはそれ自体はあまり感じないが、とにかく腹を押されるのが痛い。思えば出産後に気が抜けているところにくるので、必要以上に声が出てしまうのかも。

吸引分娩になったのは、最後にアカンボの呼吸が少しつらくなったからだそうな。へその緒のねじれが強かったともいうが、それが原因がどうかはよくわからない。

分娩台でしばしまったり。子宮の収縮が悪く、やや出血が多いらしい。ということを聞くとちょっとドキドキするが、その後の経過は順調だった。

その間に相方から電話があったようで、分娩台で寝っ転がりながら電話。無事の出産を報告する。長男を保育園に送り終えた相方は、その後病院に顔を出す。が、前の出産時と同様またカメラを忘れてきた。

フラフラしながら分娩台を降り、また隣の和室で一休み。相方が来たらアカンボを連れてきてもらい、おっぱいをあげてみたり(というフリ。まだほとんど出ないので)、撮影会をしたりした。

午後に病室に移る。夕方、相方と長男、相方の母がやってくる。アカンボの誕生を楽しみにしていた長男は、おそるおそるアカンボに手を出していた。

二人目はあっという間(前)

2018-02-18 21:27:00 | お子との暮らし

3年ぶりの更新ー

1月に第二子を出産した。
1人目と全く同じように、予定日より8日早かった。早くお腹の子に会いたかったし、それなりの覚悟をしていたので、ビンゴーという感じであった。

前と違ったのは、出産にかかる時間が短かかったこと。
前は前駆陣痛をまる1日体験し、翌日未明に入院、その日の午後に出産となった。分娩時間は16時間33分。

今回は前駆なしのいきなりの本陣痛。未明に入院、その日の朝には産まれた。7時間であった。

記録的な大雪となった1月のさる日、上の子は保育園を休ませ、一緒に庭の雪かきをした。騒動はその夜から始まった。

妊娠中は前回と違ってほとんど便秘もなく、毎日快調だったにもかかわらず、この日は不調。なんとなく気持ちが悪いし、もういつ出産となるかもわからないので、産科でもらった下剤を夕方飲んだ。

その夜23時ごろ、腹が痛い。これはお通じの予兆か…? あまり痛がるので、相方は陣痛を疑うが、私は便通の前兆だと主張する。が、出ない。

仕方がないので就寝モードへ。0時過ぎに布団に入ると、腹はどんどん痛くなる。
これはお通じじゃない!陣痛だ!とすぐに確信する。トイレのハライタとはレベルの違う、あの痛み。ちょっと懐かしい。

痛みの間隔はいきなり10分ごと。経産婦は15分間隔の陣痛が来たら入院、と教わっていたのに、予兆なしに来てしまったのか。

陣痛アプリとにらめっこしながら、これはもう行くタイミングなのだろうかと、病院に電話する。2時半ごろ。すると「来てください」とのこと。つい、「前駆陣痛もなく、陣痛が始まって間もないのですが」と言うも、それはよくあることとあっさり返され、ですよね〜となった。

相方に見送られ、陣痛110番登録してあったタクシーで病院に向かった。3時過ぎに病院に着き、入院となる。子宮口は3センチほど開いているとのこと。

分娩室に近い2階の個室は4つ全て埋まっていたため、ひとまず1階の相部屋に入る。そのまま陣痛乗り越えグッズを持ち、分娩室隣の小さな和室へ。分娩台で1時間ほど検査等々した後、この和室で一人陣痛と向き合う。

分娩台は3年前からリニューアルされていた。前回の分娩台は固く、それによって尾てい骨の痛みを悪化させたように思うが、今回はフカフカで腰付近によくフィットする。これはありがたかった。

前回は入院から分娩まで16時間以上かかった。その間担当してくださった助産師さんの支えが、今回も大いに生きた。落ち着いて寄り添ってくれ、一緒に呼吸を促してくれた。思い返すと無我夢中の前回だったが、今回は当時の記憶をしっかり活かすことができた。

和室に移り、一人陣痛とたたかう。一人目のときは相方が付き添い、腰をさするなどしてくれた。今回は孤独なたたかいだが、たたかい方がわかっている。むやみに叫び転げていた前回とは違う。リズムよく大きく呼吸して、痛みを散らすのだ。

とはいえ痛い。2人目の妊娠が発覚した瞬間は、なぜか3人持つのもいいかもなあなんて思ったが、このときはもう無理だと思った。陣痛ってこんなにつらかったんだーと、ようやく身を持って思い出した。

助産師さんが顔を出す。子宮口はまだ全開ならず。「いきみたくなった?」と聞かれたが、そういえばまだ達してないなと気付く。

10分ごとだった痛みが、6時を過ぎて5分置きになる。陣痛アプリはとても便利。前回は手書きで、相方に記録してもらったものだ。

助産師さんを呼ぶタイミングがよくわならない。どれくらい耐えたらいいんだろう…。前回の教訓は、そう簡単には産まれないということではあるが。

しかしいよいよ痛みが強く、忘れていた「いきみたい」感覚が出てきた。「これよこれー」と思い、ナースコール。そして分娩台へ。

ちなみに陣痛乗り越えグッズとして持参したおいしいクッキーには手を付けず、ウィダーinゼリーは少し飲んだ。100均で買ったペットボトルに装着するストローは大いに役立った。

続く。