あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

どっちの市長がマシか

2012-02-20 23:43:34 | 日記
まだ引きずる宜野湾市長選ネタ。
もはや政治的な視点よりも、個人的感情が勝っております。

新たに宜野湾市長に就いた佐喜真さんは、
かつては普天間基地の「県内移設」容認派でしたが
選挙終盤になり、「県内移設反対」「普天間固定化反対」を
とうとう明言するようになりました。

当選したからには公約を実現してもらうよう
精一杯がんばってもらおうと思っていました。


ところで、最近その他目立つ市長の動きがちらほら。

大阪の橋下市長が、職員に思想調査。
いくら組合がひどいからと言って(一部組合員ですが)
やり方としてはあまりにひどく、違憲行為もはなはだしい。

さらに名古屋の河村市長。
あのエセみゃーみゃー男。(←すみません。ただの悪口です)
中国の代表に向かって「南京大虐殺はなかった」と言ったらしい。
しかも根拠は自分の父が南京で優しくしてもらったから、とな。
どんなミクロ視点ですか。
歴史書を読みなおしたまえ!と言いたい。
というか読んだことがないのかもしれない。


彼らを選んだ両有権者の皆さんもそれぞれ惹かれる点があって
選ばれたのだとは思いますが、それでも言っては悪いが
佐喜真さんはこの二人よりマシ
などとつい思ってしまいます。

が、ふと思いました。
佐喜真さんが加盟していると公言してはばからない
「日本会議」なるもの。
日本会議とは のページをを見ると
伝統を守れとか何とか言っていますが、
つまり軍隊を世界に出せ、というのが大きな目的の一つみたい。
個人の思想云々でなく、非常に政治的な集団なのです。
そのメンバーである市長が、本当に住民生活を守るために
基地撤去に取り組むなど、本気でできるのだろうか。


が、またふと思ふ。
どの市長がマシか~などとは、何とも愚問だ。
それぞれの有権者が選ぶことであり、
しかしそれは国政にも関わることで
有権者以外にも大いに影響することなので
外からでも一市民(または市民運動)の立場で
意見するのみであります。

思えば今の家に引っ越して2カ月近く。
どんな政治が行われているのか、きちんと知らないのであります。
これはイカンことです。

パフームと寝言

2012-02-17 21:10:10 | 日記

そういえば、宜野湾市役所の看板はどうするんだろう。
外したりしたら本当に許せん。
(写真は2月10日撮影)

宜野湾市長選惜敗の傷はまだ癒えず。

記事作成のため、いろんな音声を聞き直したり
他紙の記事等を見直していたら
またまたイラッと来てしまった。

沖縄から帰ってきたその日、私は深夜に
「ほんとにひどい!」
と大声で叫んだらしい。
びっくりして目覚めた相方が「どうしたの」と聞くと
「だってひどいんだもん」
と答えたらしい。
どちらもまったく記憶なし。

うなされていますね。


そして気晴らしにパヒューム(パフューム??)を聞いてたら
「さっきまで」
という歌詞があり、
相手候補(当選した次の市長)は佐喜眞(さきま)さんなので
ガクーときてしまった。

しかも調べてみたらDream Fighterという曲の
「先まで」という歌詞だった。
つまり「佐喜眞で」なのか!


でも大丈夫。
多くの皆さんにも励ましていただきました。
(私が立候補したわけでもなんでもないのに)

諸先輩の長いたたかいに今こそ学ぶものであります。

宜野湾市長選結果について

2012-02-13 14:39:03 | 日記
BEGINすらむなしく聞こえる那覇空港から。

昨日行われた宜野湾市長選は、900票という僅差で、元市長のイハ洋一さんが負けました。敗因はいろいろあるのだとは思いますが、総括を期したいと思います。

あまりのショックで、私は昨夜は海に行って叫び散らしてきました。お陰で少し前向きになりつつあります。

相手側のデマだらけのネガティブキャンペーンがかなり浸透し、理論的には簡単に打破できる内容なのに、それを進めるこちら側の取り組みが足りませんでした。イハさんの実績と政策、とくに子ども医療費無料化は非常に魅力だったのですが。選挙は本当に難しいと実感しています。

しかしイハさんは、開票後の挨拶で「県民の総意は変わっていない」、「私たちが目指しているものは間違っていない」とおっしゃいました。相手候補が最終盤になって、基地固定化を許さず、県内移設にも反対と明言するようになったのです。

統一連事務所で沖縄の皆さんは、誰もがかつての復帰闘争や基地闘争に触れていました。
「障害はこれからもあるだろうが、県民のたたかいはこれを何度も乗り越えてきた。確信を持って頑張ろう」
「復帰協のたたかいは、核も基地もない平和な沖縄を取り戻すたたかいであったし、安保を廃棄しなければならないというところまで発展した。政権は返還したが、核も基地も残っているのだから、戦後の我々のたたかいも終わっていない。選挙もその一つと位置付け、頑張っていきたい」
「かつてのたたかいは、負けてもなお、勝つための準備をしてきた。なお大きくしないといけないという使命を持つ」
などなど。

悔し涙はまだにじみますが、信念と確信を持ち、大きな市民運動を担っていきたいと思います。


宜野湾市長選で施策に感心した

2012-02-08 23:37:19 | 日記
昨日から沖縄県は宜野湾市におります。
予想以上にビュービューで寒い。
しかしちらほら咲いている桜がきれい。

現在行われている宜野湾市長選について紹介を。
11日投開票です。

元市長のイハ洋一さんは、米軍普天間基地の閉鎖・返還を訴えている。
市長時代もそのことを求めて訪米したこともある。
(日本政府にももちろん訴え続けた)

イハさんのエライところは、県内だけでなく県外も
断固だめだと主張しているところ。
断固たる姿勢が、今の「オール沖縄」を築く土台になったのだ。

宜野湾に来て実感したのは、
イハさんが基地撤去を推進するのは
市民生活の向上のためだということ。
まー当たり前なのですが。
でも現役時代の実績など見ると、そう実感するのだ。

今日、一定長めに演説を聞く機会がありました。

イハ市政で前進したひとつは、子ども医療費の問題。
4歳までは通院無料、中学生までは入院無料、
自動償還払い方式で実現したそうです。
今回これを、中学まで完全無料化を公約に掲げました。

なるへそと思ったのは、こうした政策を宜野湾で実施することで
市外に波及し、さらに県全体に波及するのだという主張。
このたび県予算に、中学生以下の医療費無料化が計上されたそう。

さらに財源も重要。
基地交付金は大した割合ではなく、実は市税が大きく占める。
市長時代はこれを市民に還元することを目指した、という。
その税収自体も、企業誘致で雇用を多く生みだした結果なのだ。
基地雇用はわずかだし生産性はないので、こうはいかない。

そんな暮らしに関わる施策にフムフムと思ったわけなのであった。


今日は米軍機がたくさん飛んでいました。
車に乗っているときに真上を低空で飛ぶのにびびったり、
夜10時過ぎても重低音で飛ぶのにびびったりしました。

立春、常夏の宜野湾へ

2012-02-04 19:10:19 | 日記


今日は立春だそうです。
うれしい気持ちになりながらも、
まだまだ寒い日が続くことはよくわかっているのだ。
もうだまされない。

年々寒さに耐えられない体になり、
今年は「ズボン下」が欠かせなくなってしまった。
あったかタイツとか履いてるねん。
靴下も二重履きの上、職場ではスリッパ二重履き。
つまり多いときは四重履き。

先月末、岩国へ出張した際は、東京より暖かでした。

そして来週からは沖縄へ出張することに。
これも調子に乗って薄着で行くと
痛い目を見ることは
もうよくよくわかっているのだ。

寒さに耐えられる体をつくるには、
やはりスポーツだろうか。
マラソンなんだろうか…!

山本五十六と靖国

2012-02-01 18:15:29 | 日記
久しぶりに靖国神社へ。
朝から山梨の皆さんにガイドしました。




見どころの大きな燈篭が、
修理中で紹介できなかったのが残念です。

映画効果か、遊就館には山本五十六の展示がありました。
彼は父が56歳のときにできた子どもだから、
「五十六」と名付けられたそうな。
初めて知りました。

今回は寒かったので、外のFWはそこそこに
遊就館に時間を多めに割きました。
解説すべき私なりのポイントが、より整理されてきたもよう。

それにしても、靖国ガイドの依頼がめっきり減った昨今であります。