あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

ソマリア海賊に太刀打ちするのがいいのか

2009-01-21 22:56:28 | 日記
自衛隊を、アフリカのソマリア沖の海賊対策のために派遣するとな?

年末に突如国会や麻生首相なんかが派遣の検討を進め出し、新法制定にも急ぎ出したこの問題。

ソマリア沖ってどこ?
海賊っていったい…

とよくわからなかったのですが、本日学習会がありましたので行ってみました。


ひとまずソマリア沖というのはスエズ運河の手前くらい。
海賊と言ってもマンガのように手がイカリ(?)みたいになってて、通り行く船を直接襲って金銀財宝をせしめる。
というのではなかった。やはり。
ソマリア沖に出る海賊は、主に人質をとって身代金を要求するものらしいです。
去年は111件、今年に入っても未遂含め11件起き、現時点で204人が人質になっているらしい。


こもごも知ることができて本当に勉強になったのですが、結論的には日本政府が自衛隊を送るのはとにかく海外派遣という実績をつくりたいためで、海賊問題の根本解決を見通しているわけではない、ということがわかりました。

前提としては海賊は犯罪であって戦争ではないので、警察力による取締りが有効であります。
しかし日本の海上保安庁がソマリア沖まで行く力はないし、そもそも国境付近の取締りのみを想定している。
じゃあ日本は何もしないのか、ではないのだ。


例えば、近年アジアでは海賊が激減しているそうですが、それには日本の海上保安庁が、海賊が出る周辺国に対して巡視船の提供や共同訓練などで支援した実績があるそうです。
と、朝日や産経でも報道されていたらしい。

今回、同じやり方が有効かどうか。
わからないが、その検討もまったくせぬままに自衛隊を送るのはナンセーンス。


さらに、当のイエメン沿岸警備隊局長なる人が、自衛隊派遣について
「高い効果は期待できず、必要ない。むしろ我々の警備活動強化に支援をしてほしい」
と述べたそうです。 ←朝日新聞報道。
自衛隊を送って無駄なお金使うより、もっと有効な使い道がある、と。


海賊への対応って、決して単純ではない。
海賊自身も、自分たちは海軍ではなく軍隊の代わりとして取り締まっているのだ、と言ってたりする。


背景にはソマリア内での混乱がある。
この根本原因に対処することが必要、と国連だけでなくアメリカのライスも言ったらしい。

日本が、アメリカの要請でもなく、深い検討なしに急いで自衛隊を送るその理由…。
マジメに解決を目指そうという姿勢には見えない。


海外派兵の地ならしが目的では、と思えるのだ。



それにしても、アフリカについて本当に無知であることを改めて自認しました。

今年の初梅

2009-01-13 21:07:59 | 日記
初梅は、東京は小石川、植物園で見ました!

ワホーイワホーイ

季節の花を見るとウキウキする体質です。
梅って、満開になると団子のようです。
まだ団子にはなっていませんでしたが、白・赤・桃色の梅がけっこう咲いていました。


ちなみに去年の思い出深い梅は、山口県岩国市長選で米軍艦載機受け入れ反対派の候補者がまさかの敗退をし、1週間ほど支援に入っていた私はあまりのショックで、岩国帰りの途中で尾道に傷心旅行をし、そこで出会ったものでした。
そこで探し当てた一輪の梅…
フー泣けてくる。

めでたいめでたい

2009-01-12 20:41:30 | 日記
ごく身内の話ではありますが、このたび親せきが結婚しました。
めでたいっす。

ここだけの話ですが(うそだけど)、50歳の初婚なのです。
両親は健在。
でもかなりの高齢で、足腰弱く、いろんな病気を抱えている。

やーーー
ここだけの話ですが、

結婚ってなんだろう!
入籍ってなんだろう!
同居ってなんだろう!
家族による介護ってなんだろう!

という、普段から頭で思い考えていたテーマが、ちょっと生々しくというか現れたちゅうか。


めでたいし、私もウキウキしちゃったりするんですけど。
しかし不思議な気持ちにもなったりするのであります。

お食事会のお食事はかなりしっかり食べました。
引き出物は相当重かったです。

靖国詣で

2009-01-11 23:59:44 | 日記
10日は、品川やら阿佐ヶ谷やら三鷹やらの若い方々16人の靖国ガイドをしました。
いいお天気でした。
今年初ガイド。

境内ではフリーマーケットをしてました。
いかにも、魅力的な品物はなかった…。

境内の能楽堂では、何か芸ごとを発表していました。

まったり。


「やすくに大百科」という、靖国神社が出している冊子があります。
その英語バージョンが、以前は「ください」と言ってもなかなかもらえなかったのですが、先日は遊就館の入り口に誰でも持っていけるようにごっそりと置かれていました。
しかもハングルと中国語と英語の併記版リーフ。
資料館の説明文は、英語と日本語とニュアンスの違いがあったりしますが、これらの言語もどう書かれているか興味深いところ。
今度、読める人に解説してもらいたいものです。


その日の夜は、大学時代の友人と新年会。
やーーええもんです。
人生いろいろですが、それぞれ信念を持ったり持たなかったりして、がんばっている。

派遣村の人々とともに歩く

2009-01-07 01:42:37 | 日記
今年もよろしくお願いします。
新年くらい、心からお祝いし合いたいものです。
戦争の泥沼化で、ここ数年は「おめでとう」と言うのがはばかられます。

そんなドキドキの2009年。
年明けは東京で迎えました。

池袋のサンシャインビルの屋上で、カウントダウンをやってました。
そんなヤングなイベントにちょっと参入。

しかしその影で、サンシャインから追い出されたという家のない人々が、
日比谷の「年越し派遣村」へと追いやられていました。

年越しのサンシャインには、職員総動員か?と思うほどにたくさんの労働者が動員されていました。
スーツを着た人も。
そしてキレイに飾られていたのであった。


仕事始めの5日(月)昼には、国会開会に合わせ、
私たち生活者のさまざまな要求を議員に伝える「デモ」が予定されていました。
私も仕事始めだし、ここは張り切って行こう!と思って意気揚々と参加しました。
日比谷公園を出発して国会議員面会所まで行く、恒例のコース。

ちょうど「派遣村」の引越し日。
年末から知人らも支援に関わるなどしていた「村」ですが、
実家で過ごしていた3日、厚労省が「村民」らに施設を開放したと
ニュースに流れてびっくり仰天していました。

マスコミにも注目され、そして予想以上の「村民」やボランティアが集っていました。
その「村」の人々も一緒にデモすることに。

いつも以上の大人数。
きっと初めてデモに参加した人もたくさんいたと思います。

デモに出る前、ある人が「これは政治による災害だ。人災だ」と言っていました。

大企業が儲け最優先にした人使い・雇用形態、規制緩和でこれを支えてきた政治、
そして犠牲になる労働者、引きずられる中小零細業者。
やーーとんでもねえ政治だ。

私の記憶にあるうちでも、学生時代からすでに派遣労働の規制緩和が進んでいた。
あのころ、何となく「将来がコワイ」「ヒドイ」と思っていたことが、
こんな形で人の暮らしを壊し、本当に人を殺し得る状況になっている。

賃金が支払われる労働をしないと生きていけないこの日本で、
その労働の場がここまで保障されないって、どゆことでしょうか