美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

ジョーの四度の泪

2014年08月30日 00時00分24秒 | マンガ

白石葉子

私は子どものころ、むさぼるようにマンガを読み、テレビでそれらが放映されるのをかじりつくようにして観た人間です。とりわけ『巨人の星』と『あしたのジョー』からは、強烈な印象を受けました。まあ、そういう世代であるということです。

今回ひょんなことから『あしたのジョー』を文庫版で読み返してみました。驚いたのは、子どものころより、五五歳になったいまのほうが、感動の度合いがはなはだしいことです。この作品が不朽の名作と言われる所以を肌身で感じた、ということになるでしょう。それで、その魅力の一端について語ってみたい気分になったのです。

この作品の主人公である矢吹丈は、擁護施設を転々とした果てに、東京のドヤ街に流れ着きます。そこで丹下段平に出会い、さらに少年院で《永遠のライバル》力石徹に出会うことで、プロ・ボクサーを目指すことになります。そのプロセスは、一見、教養小説(ビルドゥングスロマーン)のそれをなぞっているかのようですが、主人公がどこまでも不良であり続けている点や、破滅に向けて疾走している点で、その核心においては、強烈なアンチ教養小説であるといえましょう。読み手は、あしたに向かってひたむきに走り続けるジョーのどこか悲劇的なトーンを感知してしまうと、彼の一挙手一投足から目が離せなくなってしまいます。つまり、この作品のとりこになってしまいます。矢吹丈が魅力的なのは、自分のカタストロフィックな行く末をどこかで察知しながらも、男らしさとおおらかさとを失わないからです。ひとことで言えば、彼はあくまでもひたむきなのです。ひたむきな自分を愛する隙がないほどにひたむきなのです。

文庫版は一巻から一二巻までありますが、五巻までが第一部です。内容的には、主人公が、ドヤ街に流れ着いて、宿敵力石と一戦を交え、主人公のテンプルへの一撃が、力石を死に到らしめるまでです。そのなかで主人公は、四度泪を流しています。

一度目は、東光特等少年院へ向かう護送車のなかでです。矢吹丈は、暴力・窃盗・詐欺・恐喝などの悪事を重ねた末に、一年一ヶ月の刑を喰らいます。虚勢を張ってはみるものの、丈は、自分の荒ぶる心をもてあましてどうしたらよいのか皆目見当がつきません。きりきり舞いの状態なのですね。ひっそりとした薄暗い車内でうっぷしながら、そういう情けなくてみじめな自分といやでも向き合うよりほかがなくなり、思わず涙がにじんだのでしょう。暗闇に目が慣れてくると、丈は、もうひとりの囚人の存在に気がつきます。後に無二の親友となる西です。彼と丈は、鑑別所で大暴れを演じていたのではありますが。

二度目の泪は、少年院でのボクシングの試合の最中に流されます。丈は、宿敵力石を倒すために、丹下段平の指導を受けたくてしょうがないのですが、段平は、丈のそういう思いに対して知らんぷりを決めこみます。そうして、青山まもるという、見るからにひ弱そうな青年にボクシングのテクニックを伝授します。丈は、そういう段平の態度が腑に落ちなくて、焦燥感にかられます。青山に対しては逆恨み的な感情を抱きます(実は攻撃一方の丈に防禦の大切さを身にしみて分からせようという、段平の深謀遠慮なのですが)。丈はどうしようもない暴れん坊ですが、そういう女々しい感情を抱いたのは初めてです。精神的に追い詰められた状態で緒戦に臨んだ丈は、あえて自分から選んだ、六オンスの重くて大きなグローブが災いして、有効打がなかなか決められません。かえって、たいして強くもない相手から、パンチを喰らってしまいます。試合のレフェリーを担当する団平のつめたい視線に逆上した丈は、「くるったぜ、もう・・・」のセリフを吐くと、頭突き・肘鉄・蹴り・回し蹴りなどの反則を繰り出し、相手をメチャクチャに殴りつけます。そのとき、それを見ていたヒロインの白木葉子が思わず立ち上がって心のなかで次のようにつぶやきます。「だれも・・・だれも気がついていないようだけど・・・かれは打ちあいながらないているわ・・・ないているわ・・・かれ。あの負けずぎらいの矢吹丈が、相手を打ちながらないている・・・」。なぜ、深窓の令嬢である白木葉子が、少年院の囚人たちのボクシングの試合を観ているのかちょっと不思議ですが、それを説明しだすと妙に長くなるので、遠慮しておきます。この泪は、頼りにしている人から見放されても、目の前の闘いに勝って、宿敵力石となんとしても闘いたい丈の、孤独で切ない心持ちの表れでしょう。



三度目の泪は、少年院を退院し約一年ぶりにドヤ街に戻ってきた真夜中、蒲団のなかで流されます。出所した丈を驚かしたのは、泪橋のたもとの「丹下拳闘クラブ」の看板でした。その看板を一緒に見ながら、団平は、丈に次のように語りかけます。「プロの拳闘界に生きようとすることはつらいこともあれば苦しいこともある。なみだはやっぱりつきものさ。だが、これは負け犬が流すくそなみだじゃねえ。きびしい精進のために流すりっぱな汗のなみだだ!なあジョーよ・・・。ふたりで苦しみふたりでくいしばってこのなみだ橋を逆にわたっていこう」。そこに、丈を親分として慕う子供たち、つまり、サチや太郎やきのこやひょろ松らが集まってきます。西も丹下ジム所属のボクサーとして顔を出します(ボクサー名はマンモス西です)。そうして、ドヤ街の住人たちもそれぞれに酒びんや肴やお菓子などを持ち寄って、丈の出所と丹下ジムの立ち上げを心から祝して夜遅くまで酒盛りをします。みなが引き上げて行き、屋根裏の寝床にもぐりこんだ丈は、酔いつぶれた段平や西に気づかれないようにボロ蒲団の端をかみしめてひとり泣きます。「ジョーが人間の愛になみだを流したのは今夜がはじめてのことであった」とナレーションは語ります。丈は、自分を精神的に支えてくれるものの所在をはじめて認識したのです。




四度目の泪は、宿敵力石の死をめぐって流されます。力石は、丈との死闘を制します。しかしながら、テンプルに喰らった丈の左の一撃が原因で、力石はほどなく死にます。むろん丈は、深甚な衝撃を受けるのですが、力石の葬式に顔を出しません。出せなかったのでしょう。力石の死という現実を受け入れるには、彼のショックはあまりにも大きすぎた、ということだと思います。それをいぶかしく思ったマスコミ連中は、ドヤ街に行きます。彼らは、ドヤ街の子どもたちと遊び戯れる丈を目撃し、軽蔑の念さえ抱きます。場面は、真夜中の公園でひとりぽつんと佇む丈のしおれた姿を映し出します。こらえていたものがどっと溢れてくるかのように、丈は、地べたにはいつくばります。そうして、力石の名を呻くようにつぶやいて小刻みに震えながら崩折れます。なんと、その一部始終を、白石葉子が木陰から見ているのです。彼女は、ありのままの丈の心を理解しているのです。なんとなく自分を凝める視線を感じて丈が背後を振り返りますが、そこには木の葉が揺れているだけ。そういうドラマティックな場面です。


力石徹

丈は、負けずぎらいで、向こう気が強くて、思ったことをズバズバ言う青年です。しかし、多感で血も泪もある青年でもあるのです。また、段平から「ひいき」された青山を逆恨みした自分を恥じて、率直に謝る潔さも兼ね備えています。梶原一騎とちばてつやは、それぞれの個性を活かした共同作業によって、丈のそういう多面的で人間味のある姿を魅力的に描くことに成功しています。

それにしても、歳のせいでしょうか、オシャマなサチのことが可愛くてしょうがありません。


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