goo blog サービス終了のお知らせ 

マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

お知らせ

ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

存在、das Sein

2011年10月06日 | サ行
  参考

 01、存在は単に潜在的に概念であるにすぎない〔だから、本質を経て概念へと発展するし、そうしなければならない〕。存在の諸規定は存在している規定である。その区別は互いに他在であるということである。一層進んで規定するならば〔弁証法の形式、自己否定の形式で捉えるならば〕、それは「他在への移行」である。(小論理学第84節)

 02、考え始める時に我々が持ち合せているものは全く無規定な思考だけでしかありません。というのは、規定するためにはすでにあるもの〔そのもの〕と他のものとが必要なのに、〔考え〕始める時には〔その当の考えるということはあっても〕まだ他者がないからです。ここで言っている無規定なものとは媒介されていない〔無規定な〕ものです。それは媒介された無規定とか規定をすべて止揚して得られた無規定ではなく、無媒介の無規定であり、あらゆる規定に先んじた無規定であり、何よりも先にある無規定です。しかるに、これが我々が「存在」と呼んでいるものです。これは感覚することも直観することも表象することもできず、ただ純粋な思考によってしか捉えることのできないものです。そのような純粋な観念としての存在が〔論理学の〕始まりなのです。たしかに本質も無規定なものですが、それはすでに媒介をへてきた無規定であり、従って規定を止揚して含み持っている無規定なのです。(小論理学第86節への付録1)

 03、存在の中での関係の在り方は、我々の反省が初めて関係を与えるというようになっている。(小論理学第111節への付録)

 感想・以上はヘーゲルの論理学の冒頭の存在の説明です。

 04、存在しているということは、私1人ではなく、他の人々も、そして何よりも対象それ自身もがそれに関与している所のものである。存在しているとは、主体であるということであり、それだけで独立しているということである。(フォイエルバッハ「将来の哲学」第25節)

 感想・これは「存在」概念一般についてのフォイエルバッハの意見です。


組織

2011年10月05日 | サ行
  参考

 01、(都市でも農村でも)至る所で結合された個人の活動、互いに依存し合った過程からなる複雑な活動が個人個人の独立した活動に取って替わってきつつあるのです。しかし、結合された個人の活動ということは即ち組織ということです。しかるに、組織は権威なしにやって行けるでしょうか。(エンゲルス「権威論」、鶏鳴双書20、9頁)

 02、組織というのは複数の人間が共通の目的のために作ったものですから、その目的に合わせて組織される本性を持っているわけです。ですから、第2の命題として、「規律の中にその組織の性格が最もよく反映される」という命題が出てくるのです。(「ヘーゲルと共に」鶏鳴双書20、17頁)

 03、だいたい十人集まれば十色の考え方がある。それを1つにまとめる必要はさらさらないのであって、十色の考え方から十色の行動が出て来てもよろしい。バラバラになることによって、バラバラに行動することによる運動の弱みと、無理に1つにまとめることによる弱みと、それを1人1人が秤にかけて判断すれば、随分色々な考え方が出てくる。お互いに邪魔にならなければ、トコトンまで自分の考えた事をやる。それが現在の住民運動の到達した1つの結論であります。(宇井純「公害原論」1、亜紀書房169頁)

     関連項目

規律

カール・マルクス

2011年10月04日 | マ行
                    歴史研究家・渡辺修司

 「共産党宣言」で「万国の労働者よ、団結せよ」と叫び、「資本論」を著したカール・マルクス(1818~83)。階級闘争の思想と、資本主義の後に必然的に共産主義が到来するという歴史の発展段階論は、世界の労働者革命の支柱となった。

 ドイツ生まれのユダヤ人。2つの大学を出て博士号を得たが、保守的なプロイセン政府のもとでは教授になれず新聞の編集長に。発禁処分を受け半年で退社した後、パリなどを経てロンドンに移り住み、後半生の約40年を無国籍で過ごした。

 支えたのは妻と親友だ。幼なじみで4歳年上の妻イェニーは「(生まれ故郷)トリール1の美女」で「舞踏会の女王」。上流階級の男性との結婚話を拒み、才能を高く評価したマルクスと結ばれた。「死んだ子の棺桶を買う金もない」極貧のロンドンでは、伯爵家の紋章入りの銀食器を質入れして盗品と疑われ、警察に留置された。

 親友エンゲルスも援助を続けた。マンチェスターの紡績工場主の息子で、与えた経済的援助は優に一財産を超える。マルクス存命中に出た「資本論」は第1巻だけ。残りは悪筆で暗号のような草稿をエンゲルスがまとめた。

 ロンドンに住み続けたのは、思想的・政治的弾圧を受けなくて済んだから。プロイセン政府が彼を追放するよう求めた時も、自由主義の英国は「たとえ王殺しでも、議論の段階にとどまる限り大英帝国のいかなる法律にも抵触しない」と拒んだ。膨大な蔵書を誇る大英博物館を無料で使えたのも大きい。毎日10時間以上の研究を続けて「資本論」を完成させた。その意味で、共産主義思想は自由主義社会の恩恵のしずくともいえる。

 (朝日、2011年09月15日)

    感想

 自分が独自に調査・研究をしていない人について他人から教えられると「ふーん、そうなのか」と思うだけで終わってしまいますが、或る程度以上自分でも調べている人について他人の説明を聞くと、教わる事ももちろんありますが、「こういう面は知らないのかな」と思う事とがあります。誰でもそうでしょうし、そうでしかあり得ないでしょう。

 マルクスについて「普通の歴史家」が記述するとこうなるのだな、と思いました。

 最後の「共産主義思想は自由主義社会の恩恵のしずく」という言葉を少し考えて見ましょう。この批評は、社会主義運動などをしている人に向かって、資本主義を肯定している人が、「資本主義社会に生きている事をおかしいと思わないか?」と言うことがありますが、それと同じでしょう。

 はっきり何が問題なのかを言わない点が狡いと思いますが、言いたい事は「君の言動は矛盾しているのではないか」ということでしょう。

 小さくは、会社の中で会社の不正を批判している人に、「それなら会社を辞めたら」と言うのも同じでしょう。大きくなると、国の在り方を批判する人に「非国民」などと言って軽蔑し迫害する人もいます。

 いずれも間違っていると思います。言論の自由を理解していないからです。又、考え方としても、現象面への批判を本質面への批判とすり替えています。本質を尊重するからこそ、その本質と一致しない現象を批判しているのです。もちろん、人間のする事ですから、客観的には批判者の方が間違っている場合もあります。だから、そういう事は議論で解決するべきであって、「排除」で解決してはならないのです。

 渡辺さんの言っている「自由主義(資本主義)」と「共産主義」の関係について言うならば、「弁証法とは、現存するものの肯定的理解の中にそれの没落の必然性を見抜くもの」だということを知らないから出て来た誤解です。

 まあ、社会主義や共産主義が必然的に出てくるという考えは間違っていましたが、それはともかく、どんな新しい社会も思想も古い社会の中から生まれてくるもので、資本主義社会も封建社会の中から出て来たのです。歴史家ならこれくらいの事は知っていてもいいと思いますが。

トロツキー

2011年10月03日 | タ行
                 河合塾講師・青木裕司

 レーニンとともにロシア革命を主導したトロッキー(1879~1940)。投獄・流刑、逃亡、亡命を繰り返した後、労働者、兵士、農民が形成した協議会ソビエトに集う人々を指導して1917年10月の武装蜂起を決行、革命を成し遂げた。

 実は「トロツキー」は服役した監獄の看守の名で、偽造パスポートなどに使う変名が終生の通り名になった。レーニンもスターリンも変名だ。

 革命後のロシアは内戦と外国の干渉戦争、それに伴う飢餓で数百万人の犠牲者が出た。この状況の中でトロッキーは赤軍を創設した。カリスマ性と弁論の才に優れ、革命を指導した共産党の同士たちの大反対にあいながら、皇帝のもとにいた将校を採用。革命時、武装兵は1万人に満たなかったが、2年半後には500万人を超える軍隊を組織した。装甲列車に乗って戦線を回り、将兵を鼓舞して内戦を勝利に導いた。

 革命後の危機を乗り切るという口実で共産党は独裁体制を強めた。1924年のレーニン死後、スターリンが党書記長(日本の主要政党でいえば幹事長)として君臨、労働者・農民の意思を政治に反映する組織になるはずだったソビエトは党の命令伝達機関と化した。官僚主義とスターリンヘの権力集中を批判したトロッキーは、党を掌握したスターリンに追放され、最後はメキシコに亡命した。

 批判を続けるトロッキーは、スターリンが放った秘密警察の要員に暗殺された。死を予期し、虐殺の半年前に口述筆記した遺書は、絶望的な状況を嘆きつつ、「人生は美しい」と結ばれた。これが1999年にアカデミー賞の主演男優賞を得たライフ・イズ・ビューティフル」の表題となった。

 (朝日、2011年09月29日)

即自、an sich

2011年10月01日 | サ行
 ドイツ語では an sichという言葉は普通に使われている。「~自体」「~自身」という意味で、「~をそれだけとして見れば」ということである。例えば Die Idee an sich ist nicht schlecht, nur laesst sie sich kaum reaslisieren(その考え自体は悪くないが実現の可能性がほとんどない」という風に使われる。従って、カントが Ding an sich(物自体)という言葉を作ったのは言葉としては特別な事ではなかった。

 しかしこの意味では für sichも、また an und für sich も使われうる。つまりこの3つには違いがないのである。

 ヘーゲルはしかしこの3者を区別した。an sichだけをその本来の意味を強めて使い、für sich は「~自体」ということではなく、「自己に対面している」という意味に特化した。そこから、「自己だけに対面している」=独立している、孤立している、という意味が出てくる。又、自己に対面していることは意識の特徴だから「自覚している」という意味も出てくるし、「顕在している」という意味も出てくる。

 an sich はそれとの対で「自体的」「本来的」「潜在的」といった意味になる。

 an und für sichは元々「絶対的」という意味も持っているが、「顕在化したものが本来の姿になっている」という意味で「絶対的」という意味にもなる。

 一般にはヘーゲルの翻訳では、an sichは「即自的」「自体的」、für sich は「対自的」「向自的」、an und für sichは「即かつ向自的」などと訳されることが多いが感心しない。その場の一番近い意味を出して訳した方がいいと思う。

 なお、「精神現象学」でも「論理学」でもヘーゲルは an sichと区別して an einem という表現を使っている。an sich がむしろ「潜在的」を意味するのに対して、an einem は「表面に出て身につけている」状態を意味すると思う。etwas an einem habenという言い回しを金子武蔵さんは「自分で具えている」と訳しているが、私はたいていの所で「身につけて持っている」と訳した。寺沢恒信さんもこの違いに気づいていてその訳書『大論理学』1の388頁以下で詳しく論じている。その結論は、後者の場合は「それ自身のもとに」という直訳の下に「〔顕在的に〕と入れる」というものでした。これも間違いではないと思います。

  参考

 01、名詞の後に付いて、例えば der Begriff an sichとなると、der Begriff als solcher と同じで、「概念そのもの」の意。つまり、「概念を厳密に考えると」という際に使う。(大講座中巻 S.190)

 02、etwas an sich haben = ある事柄を性質として持つ。(初等 S.463)

 03、即自an sichというのは「Aはアン・ジッヒにBである」という命題におけるアン・ジッヒである。この命題がAがBであるのは、なにか他のものに対し、他のものとの関係においてのことではなく、A自体において客観的に成立していることを意味しているかぎり、即自は自体的、客観的というのと同じである。

 しかし、この命題がAはBではあっても、これはA自身に対することではなく、即ちAの自覚するところではないことを意味するかぎり、即自は自覚的を意味するフュール・   ジッヒ(対自)に対立する。〔つまり無自覚的である〕

 そうして自覚的となることがまた現実的となることを意味するかぎり、即自的は可能的、含蓄的と同じであり、したがって即自が目的を意味することもある。

 そうして自覚的となり、現実的となるには媒介が必要であるところからしては即自的は直接的、無媒介的と同じである。

 またAはBではあっても、Bたることを自覚するのはより高次の立場、そうして究極的には絶対知の立湯にある哲学的考案者としての「我々」に対してのみ成立しているところからする と、即自的は「我々に対して」für unsと同じである。(金子武蔵訳「精神現象学」岩波書店上巻467頁)

 04、即自の下では抽象より何か好いものが理解されている。即ち、その概念における或るものが。(大論理学第1巻108頁)

 05、即自、即ち神の中で(大論理学第1巻152頁)

 06、即自的に、可能性から見て(大論理学第1巻192頁)

 07、これらの対象(人間、国家)の即自という言葉ではそれらの義なるもの、本来的なものが理解されている。(小論理学124節への付録)

 08、ヘーゲルにあっては、即自の中にあるものは、1つの物、1つの経過、1つの概念の中に隠れている未発展の対立物の根源的同一性である。対自においてこれらの隠れた要素の区別と分離が生じて抗争が始まるのである。(マルエン全集第20巻54頁)