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聖火リレー

2008年05月06日 | サ行
     聖火リレー

 聖火リレーが近代五輪に登場したのは1936年開催のベルリン大会だった。その8年前のアムステルダム大会で「聖火」が初めて使われ、ベルリン大会で「リレー」が加わった。

 なぜ、聖火リレーになったのか。

 国威発揚を狙ったということは容易に想像がつく。1933年01月に政権を握ったヒトラーは、オリンピックを国家プロジェクトと考えていた。国民の結束を強め、ドイツの発展を誇示する。聖火リレーはそのために不可欠な仕掛けだった。

 驚かされるのは、ギリシャが特別な意味をもっていたことだ。

 ヒトラーは「ドイツ人は古代ギリシャ人の直系子孫である」と唱えていた。ギリシャとドイツとを結びつける聖火リレーは、この妄想を真実と思いこませるための手段でもあった。

 暗黒の時代はすでに始まっていた。ユダヤ人への迫害が始まり、ドイツ選手団からユダヤ人を排除しようとした。

 1936年07月20日、オリンピアの丘で採火された聖火を掲げた走者が北方へと走り出した。伴走するラジオ記者の中継に、ドイツ国民は熱狂した。

 13日目、スタジアムで最後の走者を迎えた観衆は「ハイル・ヒトラー」と独裁者をたたえた。(ダフ・ハート・デイビス著「ヒトラーへの聖火」)

 なにも、北京五輪の聖火リレーに異議を唱えようというのではない。ただ、聖火リレー誕生の秘話を知っておくことも無駄ではなかろう。

  (朝日、2008年05月01日。脇阪紀行)

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