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中井浩一著『ヘーゲル哲学の読み方』の出版

2020年05月04日 | ハ行
  中井浩一著『ヘーゲル哲学の読み方』の出版

 友人の中井さんが、上記の本を出しました。社会評論社刊、2300円+税、です。
 その後書きを引用します。

あとがき
 本書は私にとって初めての、哲学者としての本である。
 三〇歳の時、在野の哲学者・牧野紀之の下でヘーゲル哲学を学び始め、それから三〇年以上が過ぎた。あまりに遅いデビューである。
 ヘーゲルは巨大であり、牧野紀之は大きな存在だった。最初は牧野のヘーゲル理解を媒介として、ヘーゲルを読んでいた。次第に、自分で直接にヘーゲルと対峙するようになった。現実の諸問題をそこで考え続けた。ヘーゲル哲学が、この世界の現実とともに、私の中で動き始めるようになった。そうなるまでに、長い時間がかかった。
 二〇代の私は、一九七〇年代の反文化(カウンター・カルチャー) の立場での活動をしていた。身体性(体と心を開く)、反原発などのエコロジー運動、共同体運動などに関わっていた。
 しかし、それらに失敗し、その失敗を克服するべくいくつかの模索をしたが、それにも失敗し行き詰まった。その時、牧野紀之を思い出していた。
大学を卒業してから二年ほどサラリーマン生活をした。その時期、私は某氏の主催する哲学塾に通っていた。そこで社会主義関係の本を読む中で牧野紀之の考えを知った。その時の衝撃は今も体の中に刻まれている。それまで私が知っていたどのレベルよりも、圧倒的に上の人がここにいる、そう思った。しかし、その内容が、当時の私とは結び付かなかった。その内容が
私自身とどう関係するかがわからなかった。
 その時点では、私はサラリーマン生活をやめ、エコロジー運動を本腰を入れて再開する準備をしていて、それに燃えていたからだ。
 ただし、それに失敗した時、私は牧野を思い出していた。もしかしたら、今の私の挫折は、牧野が述べていたことと関係があるのではないか。初めてそう思えたのだ。
 当時、牧野も私塾を主宰し、そこでヘーゲル哲学を教え、自前の出版社からヘーゲルの翻訳や自分の哲学書を多数出版していた。私は牧野に連絡し、三、四冊を購入した。
 読んだ。私の考え方の浅さ、低さが、きちんと示されていた。ここに、私の可能性がある。ここにだけ、その可能性がある。そう思った。「終わった」と私は思った。私の「反文化」の時代はここで終わった。ここから次の段階を始めなければならない。
 そして、牧野紀之の下での修行が始まった。ほぼ一〇年間、牧野の下で学んだ。自分が壊され、作り直してはまた壊される、といった苦しい時期の後、自分が一回り大きくなったと感じた。ヘーゲルが少し読めるようになったと感じた。
 牧野は一九六〇年の安保世代である。その政治闘争に敗れた後、都立大学の寺沢恒信のもとでヘーゲル哲学の研究に没頭した。その研究仲間が許万元である。二人はまさに切瑳琢磨し、日本のヘーゲル研究のレベルを大きく高めたと思う。
 牧野は七〇年代に入ると 「生活のなかの哲学」を標模し、「講壇哲学者」である許とはたもとを分かつが、私にとって、この二人は、闇の中で進むべき方向を指し示す明かりの役割をしてくれた。

 私は三〇代(一九八〇年代)には高校生対象の国語専門塾を設立し、そこで指導をするようになる。四〇代(九〇年代)には、教育のルポや教育評論を執筆するようになる。九〇年代には教育改革の嵐が吹き荒れていた。今もその延長にある。
 高校や大学の改革の嵐の中で、教育についてずっと考えてきた。国語教育についても、読解や表現指導の研究会を組織し、その成果を出してきた。
 しかし、その後ろでは、常に、ヘーゲル哲学の学習、研究があった。二一世紀に入ってから塾の卒塾生を中心として、大学生、社会人対象の哲学の学習会を始めた。中井ゼミの始まりである。そこでは、牧野紀之の打ち出した原則にしたがって、師弟契約を結んだ数人と、徹底的な研鑽をしあうことになつた。
 ヘーゲル哲学を読んだ。マルクス、エンゲルスを読んだ。もちろん牧野紀之と許万元の著作を読んだ。それは基礎であり大前提となつている。また、メンバー各自の活動報告と意見交換を「現実と闘う時間」(牧野のネーミング)として実行している。私は「生活のなかの哲学」である牧野哲学を継承し、ヘーゲル哲学をさらに発展させたいと思ってきた。
 二〇〇五年から、中井ゼミでの成果をメルマガで発表し始めた。ヘーゲル哲学について、牧野や許万元について、マルクス、エンゲルスについて、私見を発表し、それを積み重ねてきた。
 そろそろ、哲学者しての出版を開始するべきだと思うようになった。特に、この三年ほどはずっと、「今年こそ出版する」と音喜一口してきた。これでは「出す出す詐欺」である。それが詐欺に終わらずにすんでほっとしている。


 本書の刊行を引き受けていただいた、社会評論社の松田健二社長のおかげである。

 私にとって本書は、これからの仕事の総論として、基礎部分としてどうしても必要なものであった。これからは、本書を基礎編として、それを政治、経済、文化の様々な分野の具体的な諸問題に展開したいと思っている。
 本書は、私がこれから哲学者として発言していくにあたっての「始まり」となる。この土台の上に、自分の考えを展開していき、「終わり」に再度ここに戻り、この始まりを全面的に書き直したい。
 本書の執筆では、自分の全力を傾けた。正直なところ、今の私の力以上の仕事をした。しかし、始まりは終わりであり、終わりが始まりに帰るのであるならば、始まりで妥協することはどうしても許されなかった。

 
 私はほぼ三年間、牧野の下で徹底的に学んだ。牧野紀之の哲学、思想は、私の前提なのでぁる。それは私の体にしみこんでいる。したがって、意識している部分はもちろんだが、無意識に牧野の考え方を自分のものにしていることもたくさんあると思う。
 本書を書くにあたつては、大切な論点に関しては、その出自を明らかにするようにした。それが牧野紀之の考えである場合はそれを明記したつもりである。
 本当は、どこからどこまでが牧野の考えで、どこからが私の考えか、その違いは何で、その違いは何を意味しているか、そうしたことをも明らかにするべきだと思うが、本書ではそれはできない。本書の後に刊行していく予定の本の中で、そうしたことを明らかにしていきたい。

 さて、最後だ。
 本書の背後には、私のこれまでの人生がある。これまで多くの人々との出会いがあり、そこで学んだことが私の今を作っている。「反文化」の運動の中で関わった方々。かつて牧野紀之のもとでともに学んだ仲間たち。その一つ一つの思い出が、私の大切な契機である。ありがとう。
 そして今、私にとっては何よりも中井ゼミが重要である。本書が可能になったのは、中井ゼミでともに学んできた仲間がいるからだ。彼ら一人一人が私を支えてくれた。今時、ヘーゲル哲学をひたすら読み続けて一五年。互いの生き方を批判し続けて一五年。そんなところが他にあるだろうか。なお、ゼミの仲間であり私塾の同僚の松永奏吾は、原稿の校正や内容の検討に
協力してくれた。
 もちろん、すべては牧野紀之とヘーゲルのおかげだ。生きること、真剣に本気で生きることを教えてくれ、それに向けて常に叱咤激励してくれたのは、ヘーゲルであり、牧野紀之である。
 そして最後の最後。いつも裏方に徹して私を支えてくれた、妻敏子。ありがとう。






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