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フォイエルバッハ全集の目次

2018年03月15日 | ハ行

     フォイエルバッハ全集の目次

       船山信一訳、1974年、福村出版株式会社

      凡  例

① 本全集の編集は訳者が部門別に
『A・哲学篇』──第一巻から第四巻まで
『B・哲学史篇』──第五巻から第八巻まで
『C・宗教篇』──第九巻から第十五巻まで
『D・人間学篇』──第十六巻および第十七巻
『E・書簡篇』──第十八巻
にわけて、時代順をも考慮して行なったものである。
② 各巻の翻訳の台本としては主として
ボーリン(Wilhelm Bo1in, 1835~1924およびヨードル(Friedrich Jodl, 1848~1914)版『フォイエルバッハ全集』(1903~11年)を用い、
フォイエルバッハ(Ludwig Feuerbach, 1804~1872)自身が編集した『フォイエルバッハ全集』(1846~66年)──フォイエルバッハ版──および
目下未完のシュッフェンハウエル(Werner Schuffenhauer, 1930~)版『フォイエルバッハ全集』(1967年~)、
ならびにその他の単行本版を参照した。
③ ドイツ文と日本文との構造の違いのために、文章の連絡を明確にする目的をもって( )でかこんだばあいがある。また同じ方法でなかに原語・原文のもう一つの意味を表わしたり、説明的な言葉を入れたばあいがある。( )の中にさらにカツコが必要なばあいは【 】を用いた。
 また右と同じ目的をもって──を用いたばあいもある。
 さらに前の文章を「 」で繰り返えして、次の文章につづけたばあいもある。
④ 〈 〉は主として形容詞や形容句がどこにかかるかを明示するために用いたものである。






目  次

第1巻

1、理性にかんして──それの単一性・一般性・無制限性──1828年
   ──哲学博士の学位を取得するための論文
2、ヘーゲルあての書簡──アンスバッハにて・1828年11月22日
3、エルランゲン大学ハルレス教授あての書簡──1828年12月
4、論理学および形而上学にかんするエルランゲン大学講義から──1828-32年
5、断想──1834-35年
6、近世哲学史にかんするエルランゲン大学講義から──1835年
7、スピノザとヘルバルト──1836年
8、哲学とキリスト教とにかんして──1839年
   ──ヘーゲル哲学に対して加えられた非キリスト教性という非難に対する関係において
9、著書『哲学とキリスト教とにかんして』の特色づけのために──1839年
10、ヘーゲル哲学の批判のために──1839年
11、ヘーゲルに対する関係──1840年
   ──彼の諸補遺(ヘーゲルの『哲学史』のために・同一性と区別・『精神哲学』のために)と共に


  第2巻

「哲学の端初」にかんして──1841年
哲学の改革の必要──1842年
哲学の改革のための予備的提言──1842年
将来の哲学の根本命題──1843年
『将来の哲学の根本命題』に対する批判的諸注意──1848-49年
肉体と霊魂、肉と精神の二元論に抗して──1846年
私の哲学的発展行程を特色づけるための諸断片──1846年
最初の全集版への序言──1846年




  第3巻

1、自然科学と革命──1850年
2、犠牲の秘密、または人間は彼が食べるところのものである──1862年
  2-1、註解と引証句

3、唯心論と唯物論とにかんして──1863-6年                                                        
    ──とくに意志の自由に対する関係において
序 言
一、自然必然性の内部における意志
二、時間の内部における意志
三、意志と幸福欲との統一
四、道徳論の原理
五、必然性の区別
六、必然性と責任
 七、個体主義または有機体
 八、ドイツ唯物論の宗教的根源
 九、医学科と哲学科との争い
 十、唯心論の本質
十一、心理学と神学との統一
十二、デカルトおよびライブニツの心理学と神学との統一
十三、いわゆる同一哲学における唯心論、またはヘーゲル心理学の批判
十四、「肉体を支配する心の威力」
十五、観念論の批判
註解と引証句

4、遺された箴言
一、認識の問題
二、法(権利)と国家
三、哲学史
四、宗教哲学のために
五、自分自身の活動




  第4巻

ヘーゲルの『哲学史』(第一巻および第二巻)──1835年
バッハマン著『反ヘーゲル』の批判──1835年
クーン著『ヤコービと彼の時代の哲学』──1835年
「キリスト教的」法学および国家学の批判──1835年
   ──シュタール著『歴史的見解にしたがっての法曹学』
     第一巻『現代の法哲学の生成』
第二巻『キリスト教的法学おび国家学』
デカルトにかんする二つの著書──1836年
  ──⑴ エルドマン博士著『近世哲学史』(第一巻第一部)
    ⑵ ホック博士著『デカルトと彼の敵手たち』
エルドマン博士著『近世哲学史』(第一巻第二部)──1838年
バイエル博士著『自由の理念と思想の概念』──1838年
ドルグート著『観念論の批判』──1838年
キリスト教的哲学または「積極」哲学の批判──1938年
──哲学正教授ゼングラー博士著『現在の時代における思弁哲学および神学の本質と意義とにかんして』
『クリスティアン・カップと彼の学術上の諸業績』──1939年
バイエル博士著『道徳的精神の概念と徳の本質とにかんする考察』─1840年キリスト教的医学の批判──1841年
  ──バイエルン王の上級医学参事官・バイエルン王冠の文官勲章の騎士リングサイズ著『医学の体系』
ダウマ一書『新時代の宗教』──1850年
クナップ著『法哲学の体系』──1858年
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ハイデンライヒ博士──1858年


  第5巻  近世哲学史、上

近世哲学史、上──1833年
緒 論
1 古代の世界観とキリスト教的世界観
 2 宗教と科学
 3 神学と哲学
 4 中世の学問としてのスコラ哲学
 5 中世の芸術
 6 プロテスタソト教の本質
 7 古代の教養への復帰
 8 自然に対する新しい科学的関心
 
一、ヴェルラムのフランシス・ベーコン
 9 ヴェルラムのフランシス・ベーコンの生涯
 10 ベーコンの生活と性格とにかんする反省
  11 ベーコンの哲学的意義
 特殊的なものにおけるベーコンの諸思想
  ──べーコン自身によって叙述されたる──
  12 諸科学の従来の悲惨さ
  13 諸科学の従来の悲惨さの諸原因
  14 諸科学の全体的改革の必要性と諸条件
 15 自然科学の方法
  16 自然科学の客体
  17 科学の分類
  18 若干の一般的な自然諸対象にかんするべーコンの諸思想
19 科学とくに自然科学の目的
20 科学一般の本質・科学の栄光および人間に対する科学の諸作用
21 科学の分類
22 哲  学
23 キリスト教に対するベーコンの関係

二 トーマス・ホッブス
  24 ベーコンからのホッブスへの移行
25 ホッブスの生涯
26 哲学、それの質料・形相・分類にかんするホッブスの諸思想
27 ホッブスの自然観にかんする批判的眺望
28 ホッブスの「第一哲学」
29 ホッブスの物理学
30 ホッブスの道徳論と政治学とにかんする眺望と批判
31 ホッブスの道徳論
32 ホッブスの政治学
33 ホッブスの国法論に対する批判的回顧
34 宗教に対するホッブスの関係

三、ピエール・ガッサンディ
35 ガッサンディの生涯と、哲学史における彼の意義
36 ガッサンディの論理学
37 認識の根源についてのガッサンディの理論にかんする批判的注意
38 ガッサンディの物理学または原子論
39 ガッサンディの原子論に対する批判
40 ガッサンディの精神論
41 ガッサンディに対する批判的回顧

四、ヤコブ・べーメ
42 哲学史に対するヤコブ・べーメの意義
 43 ヤコブ・ペーメの生涯
ヤコブ・べーメにかんする叙述
44 純粋な統一体
45 自分を自分のなかで区別する統一体
46 先行の諸章にかんする説明
47 対立物の必要性
48 ヤコブ・ベーメにしたがっての神と自然とへの分裂過程に関する説明
49 永遠な自然の本質と諸特性
50 七つの特性にかんして
51 眼に見える自然とそれの特殊な諸形態におけるそれの根源
52 ヤコブ・べーメにしたがっての悪(邪悪)の根源にかんする叙述
53 ヤコブ・べーメの人間学


  第6巻  近世哲学史、下

近世哲学史(下)──1833年──

五 ルネ・デカルト
 54 デカルトの生涯と著書
デカルトの哲学
55 デカルトの哲学の端初としての懐疑
56 懐疑のいっそう詳しい規定と説明
57 「私は思惟する、故に私は存在する」というデカルトの命題の展開
58 精神の一般的規定といっそう詳しい規定
59 デカルトの精神哲学の其の意味および内実
60 客観的な認識原理への移行
61 無限な実体の観念
62 神の現存在にかんするデカルトの諸証明について
63 客観的確実性と認識との原理
64 デカルトの自然哲学への移行
65 デカルトの自然哲学の諸原理
66 デカルトの自然哲学の原理に対する批判
67 精神と自然との諸対立の廃棄とその廃棄に対する批判
68 デカルトの哲学にかんする結論的諸注意──1847年──

六 アルノルド・ゲーリンクス
 69 アルノルド・ゲーリソクスによるデカルト哲学の発達

七 ニコラス・マルブランシュ
 70 緒論およびデカルトからのマルプラソシュへの移行
 71 マルブランシュの生涯と性格
マルブランシュの哲学にかんする叙述
72 精神と観念との本質
73 諸観念の起源にかんするさまざまな諸見解
74 あらゆる認識の原理としての神
75 精神の認識のさまざまな諸様式
76 神のなかでの諸事物の直観様式
77 一般的理性
78 意志の原理および真の客観とLての神
79 自然におけるあらゆる活動および運動の原理としての神
80 マルブラソシュの哲学の真の意味

Ⅶ ベネディクトクス・デ・スピノザ
81 マルブランシュからのスピノザへの移行
82 緒論およぴデカルトからのスピノザへの移行
83 スピノザの生涯と知的性格

スピノザの哲学にかんする叙述
84 スピノザの哲学の一般的原理
85 実体の観念における本質と実存との統一にかんする概念の説明
86 唯一の実体の必然的実存と諸属性
87 神の一属性としての延長の概念にかんする説明
88 諸属性にかんするスピノザの教説に対する批判
89 諸属性の詩情動と神の作用様式
90 実体の作用様式にかんするいっそう詳しい規定
91 実体の原因性と有限者の根源とにかんするスピノザの概念の展開
92 精神と身体(物体)との統一への移行
93 精神と身体(物体)との統一、ならびに一般に観念的な諸客観と
物質的な客観との統一
94 意志について
95 精神の自由と徳、または認識について
96 認識のさまざまな諸原
97 認識の真の方法
98 精神の目標
99 一八三三年の批判的な結論的諸注意
100 一八四七年の批判的な結論的諸注意
 

  第7巻 ライプニッツの哲学

ライプニッの哲学──それの叙述・発展および批判──1837年
緒 論
第1章 近世哲学の発展行程
第2章 ライブニッの特色づけ
 第3章 スピノザ哲学との区別におけるライブニッ哲学の原理
第4章 デカルト哲学との区別におけるライブ:ツ哲学の原理
第5章 心またはモナド(単子)──ライブニッ哲学の原理
第6章 モナドの規定──表象
第7章 表象の諸区別
第8章 錯雑した表象の意義
第9章 物質の意義と生成
 第10章 表象の客観としての物質、並びに物質の本質的な諸規定
 第11章 物質それ自身の非実体性、並びに一つの肉体への諸モナドの結合
 第12章 宇宙の一般的連関、ならびに有機的生命の無限性と差異性
第13章 諸モナドの交互的連関と交通との様式
第14章 予定された調和の意義
第15章 派生的な諸モナドの制限、ならびに根源的な第一モナドに対する派生的な諸モナドの関係
第16章 ライブニッの『神義論』に対する緒論としての神学的立場の批判
第17章 『神義論』の最も本質的な諸思想
 第18章 ライブニッの心霊学に対する緒論──経験論に対する批判
第19章 ライブニッの心霊学の叙述
第20章 ライブニッ哲学の特色づけと批判
第21章 ライブニッの心霊学に対する批判──1847年
第22章 ライブニッの神学および神義論にかんする諸注意──1847年


  第8巻

ピエール・ベール──哲学史および人類史への一寄与──1938年
序 言
第一章 精神と肉との対立としてのカトリック教
第二章 信仰と理性との対立としてのプロテスタント教
第三章 神学と科学
第四章 宗教と道徳 - 無神論にかんするべールの諸思想
第五章 倫理学の独立性
第六章 諸教義と理性との矛盾
第七章 ベールにおける信仰と理性との間の矛盾の意識
第八章 論争家としてのベールの意義
第九章 ベールの性格、および哲学史にとっての彼の意義


  第9~10巻 ── キリスト教の本質


  第11~12巻 ── 宗教の本質


  第13~14巻 ── 神統記


神統記──1857年
  ──古典的・ヘブライ的およびキリスト教的古代の諸文献にしたがって
 第一章 アキレウスの怒りとゼウスの意志
第二章 『イーリアス』の対象
第三章 ホメロスにおけるもろもろの〈祈蒔の聴きとどけ〉
第四章 『オデュッセイア』の対象
第五章 言語上の諸注意
第六章 宗教の原初的な現象
第七章 端初的な願望
第八章 信仰の本質
第九章 神統記的な願望
第十章 神統記的な請願望の諸事例
第十一章 困窮と愛との請願望
第十二章 幸福に対する願望
第十三章 恐怖と希望
第十四章 芸術と宗教
第十五章 呪 詛
第十六章 誓 約
第十七章 「摂理的な」呪詛
第十八章 人間の運命
第十九章 良心と法
第二十章 侮辱された神性の諸刑罰
第二十一章 願わしい運命と呪われた運命
第二十二章 死と不死
第二十三章 倫理的な運命
第二十四章 非人間的な運命 (以上、第十三巻)

第二十五章 中間の注意
第二十六章 神と人間
第二十七章 奇 跡
第二十八章 夢の神性
第二十九章 神義論
第三十章 啓 示
第三十一章 キリスト教の本質
第三十二章 無からの創造
第三十三章 『モーゼ第一書』〔『創世記』〕第一章
第三十四章 「キリスト教的」自然科学
第三十五章 創造と詩
第三十六章 有神論の理論的基礎
第三十七章 有神論と神人同性同形説
第三十八章 祭 儀
第三十九章 象 徴
第四十章 神々の区別
第四十一章 浄 福
第四十二章 自己愛

神統記のために──1866年
 ──または神々の根源・本質および運命は人間たちの諸願望および諸欲求であるということにかんする諸証明(ラテンの著述家たちに従って)
⑴ 天上のユビテルまたほ自然的なユビテル
⑵ 地上のユピテルまたは市民的なエビテル
 ⑶ ユ ノ
 ⑷ ミネルヴァ
 ⑸ 特殊的な神々
 ⑹ 最後の神々 
 註解と引証句
結  語──1866年

  第15巻──宗教小論集

奇跡にかんして──1839年
聖書批判のためのリユッツェルベルゲルの諸著書──1840年
マリア崇拝にかんして──1842年
──エウセビウス・エンメランによる『聖処女マリアのグロリア
──物語と詩』
ルターの意味での信仰の本質──1844年
異教における人間の神化とキリスト教における人間の神化との区別
──1844年
ルターの注目に値する諸言明ならびに諸註解──1844年
ツィンツェンドルフとヘルンフート派の人々──1866年
ツィンツェンドルフおよび一般にヘルンフート派の人々
にかんする諸判断──1866年

  第16巻 ── 死と不死

死の思想──1830年
 緒 論
死の倫理学的意義
死の思弁的または形而上学的根拠
 死の自然学的根拠
 死の精神的または心理学的根拠
 死と不死との虚無性
 付録 諷刺的神学的二行詩──1830年

人間学の立場からの不死問題──1846年
 一般的な不死信仰
不死信仰の主観的必然性
 批判的な不死信仰
 合理主義的な不死信仰または不信心な不死信仰
私の『死および不死にかんする諸思想』にかんして──1847年
追加的注意および引証──1847年
リヒテンペルグからの引証旬──1847年
不死にかんするとくに民族的且つ古代的な表象にかんする普通の説明の批判──1866年


  第17巻──幸福論

著作家と人間──1834年
 ──1系列の諷刺的哲学的箴言
幸福主義──1867~1869年
 一、意志と幸福衝動との不可分性
二、自殺と幸福衝動との外見的矛盾
三、頭と頭をもたないこととの間の区別
四、仏教と幸福衝動との一致
五、幸福衝動との普通の矛盾
六、自然の害悪と時間
七、道徳的な幸福衝動
八、幸福と自己愛との本質的な区別
九、幸福衝動と他の人々に対する諸義務
十、良心と幸福衝動との調和
十一、徳と幸福衝動

死に対する脚韻詩──1830年

説明
 なぜこういうものを作り、発表するのかと言いますと、その理由は以下の通りです。

 1、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』を訳そうとして少しずつ読んでいます。マルクス主義の理論と社会主義(共産主義)運動とについての総括的な見解をまとめておこうと思ったからです。

 2、まずこの小冊子ではエンゲルスはフォイエルバッハ主義者に成った青年時代の1時期を懐かしく回顧しますが、後年は軽蔑した、で悪ければ問題にしなかったと思います。しかし、現在のドイツ語のウィキペディアで「Feuerbach」の項を読みますと、「随分評価しているなあ」という感想を持ちますし、実際、「最近は評価が変わってきている」とも書いています。

 思うに、私を含めて、フォエイエルバッハについては、岩波文庫で出ている(出ていた?)いくつかの小さな箴言集のようなもの以外は読みもしないで、エンゲルスの説明を鵜呑みにしてきたと思います。これは「エンゲルス盲従」であって、決して学問的に正しいものではないと思います。

 3、こういう態度を反省した私は、「まず全集を見てみよう」と思いました。まだ、内容までは入っていませんが、その準備として、「全集」の目次を見やすくしておく必要を感じました。「彼のこれこれの論文はどこに載っているのかな?」と思った時、その巻を借りられるようにしておくためです。

 4、しかるに、これは静岡県内の図書館にあることは分かったのですが、それが、各巻の「詳細内容」(そこにはどういう名の論文が入っているか)のデータは載っていないからです。CDならば、そこに入っている楽曲名がたいてい載っていると思いますが、書籍の「全集」の1つ1つの巻ではああいう風に成っていないのです。

 5、そこで全18巻から成る全集を何回かに分けて借り出し、その場で「目次」だけコピーしてもらって、それをここにアップすることになったのです。第18巻は書簡集ですので、省きました。

 6、その後考えたのですが、我が静岡県の図書館とは違って、書籍の「全集物」についても1巻ごとの「詳細内容」をホームページに掲載している親切な県がありましたら、教えてくれませんか。

 他県から借りることはできなくても、自分の必要とする論文が何巻に入っているかが分かればいいわけで、それなら他県の人間でもネットで調べられると思います。

 今、私は、次の仕事として「高山岩男著作集」の目次を作ろうとしています。どの県でも皆、「自分の県の全ての公立図書館を横断的に調べられる」ように成っていると思いますので、これの「1巻ごとの内容」を掲載している県がありましたら、教えて下さいませんか。

 それとも、国会図書館ならできるのでしょうか。私はまだ国会図書館のホームペジを使ったことはありません。


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2 コメント

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「全集物」の「詳細内容」について (AZUMA)
2018-03-15 20:49:12
牧野紀之先生、こんばんは

私はこの春から大学生になる者で、高等学校の頃から抱いていたマルクスへの興味が高じてヘーゲルへ行き着き、この『マキペディア』に出会うことが出来ました。先生の著作を何冊か手に取り(まだ流読に過ぎませんが)読ませていただき、大きな影響を受けています。今回初コメントをするにあたり、最後にそのこと簡単に記させて頂きたく思います。


その前に先生のご依頼に対する返答を以下に。

まず私は「国立国会図書館」のホームページにおける「国立国会図書館サーチ」にアクセスし、『フォイエルバッハ全集』で検索してみました。すると、検索結果一覧として(配列順は適当なものではありましたが)全18巻のタイトルが表示されます。その各々についてクリックして詳細情報をみたところ、第1巻では注記として「 *内容:初期哲学論集」、第2巻では同じく注記として
「*内容:中期哲学論集 「哲学の端初」にかんして 1841年,哲学の改革の必要 1842年,哲学の改革のための予備的提言 1842年,将来の哲学の根本命題 1843年,『将来の哲学の根本命題』に対する批判的諸注意 1848〜49年,肉体と霊魂,肉と精神の二元論に抗して 1846年,私の哲学的発展行程を特色づけるための諸断片 1846年,最初の全集版への序言 1846年」
と表されています。
先生の編集されたものと比較してみると、どうやらホームページ作成者の都合により、詳細な目次一覧を注記として書いているものと大まかな内容のみを書くものが並存していて統一はされていないようです。他の巻についても同様でした。

なお、『高山岩男著作集』に関しては同じように検索した結果、「詳細情報」の「部分タイトル」という項目で、全六巻すべてにおいて目次一覧が示されていました。

以上をまとめまして、「国立国会図書館」のホームページでは、「国立国会図書館サーチ」という機能を用いて任意の『◯◯全集』及び『◯◯著作集』で検索し次に詳細情報へアクセスすることで目次一覧を調べることができますが、そのすべてで目次が書かれているとは限らない、というのが(それほど大げさではありませんが)調査結果です。
先生のお仕事のお役にたてれば幸いです。



それでは最後に、先生の『マキペディア』や著述を読み抱いた意見(と言いましても現段階では自分で思索し哲学を展開できていない段階ゆえ、単に「感想」にとどまります)を僭越ながら書かせていただきます。

私は、高校2年の夏に徹底して日本の「教育」の現状について調査したことが契機となり(長くなりますのでここではその内容は略します)、将来は学者として今の極めて危機的な構造的問題の解決に取り組みたいと考えていました。そんななか漠然とした日本の大学教育や学生の学問に対する意識の低さ及び学会への不安等々を抱きながらも(社会をより良いものにしようと奮闘した”最高峰の知性=マルクス”の論理を学ぶことを目的に)マルクスの著作と格闘をし始めた頃、先生の存在を知り、何点かの貴重な示唆を得ました。以下にそのうちの2つを挙げると、

第一に、いまの日本の大学ではほとんどが「哲学史」しか行われていない・学会に迎合しては本当の意味での「哲学者」になれない、ということです。ここに巷に溢れる「哲学入門」の類の本を読んでもなにか腑に落ちなかった原因があるのかもしれないと、そう思いました。

第二に、マルクスの哲学を理解する、すなわち真のマルクス主義哲学者になるには、ヘーゲルの真の理解が不可欠である・ヘーゲルを理解するためには高度なドイツ語運用能力、文法的読解能力が必要である、ということです。とりわけ、日本で名声を得ているマルクス主義者やヘーゲル研究者のそれには多くの欠陥があるのだなと先生の論理的な証明を読み確信出来ました。

他にも参考になる部分は大変多く、今後もより先生の哲学を勉強したいという気持ちです。

このように先生の影響を多く受けたことで、先生の本や関口存男氏のドイツ語教本をフルに活用して語学勉強に没頭し、2〜3年後を目処にドイツの大学へ正規留学することを当面の目標に掲げるに至りました。(ドイツでは日本と違った教育を受けられるのか現時点でまだ不透明ですが日本よりはヘーゲル研究の環境が充実していると思っております...)

私はまだまだ哲学の初学者であり、未熟極まりないですが、本ブログのコメント欄などを通じて、少しずつ演習を重ねていつかは立派な論文をかける研究者になれればと思っています。つきましては、先生が一日でも多く元気に暮らしていただき、一つでも多く先生の精神や意思を勉強・継承していきたいと思っている次第であります。お体には十分気をつけてお過ごし下さい。


取るに足らない私事などをはさみダラダラとまとまりのない駄文を書き連ねてしまいました。
ご海容下さい。
高野岩男著作集の件 (namaste)
2018-03-15 21:59:43
「高山岩男著作集 第1巻 西田哲学」
西田哲学 7-285
続西田哲学 287-489
西田先生と哲学的概念 491-500
呼応的同一の論理 501-545
西田先生の思い出 547-562
田辺哲学の史的意義と特色 563
田辺元「社会存在の論理」581
田辺先生の想い出 597
愛の本質 605
個性の問題と反省的判断力 617
『高山岩男著作集』第一巻 解題
『西田哲学』他 藤田正勝 655
「高山岩男著作集 第2巻 哲学的人間学 ヘーゲル」
哲学的人間学 7-378
ヘーゲル 379-616
弁証法入門 617-668
弁証法の歴史 669-687
『高山岩男著作集』第2巻 解題
『哲学的人間学』 福井一光 691
『ヘーゲル』『弁証法入門』「弁証法の歴史」 中岡成文 712
「高山岩男著作集 第3巻 文化類型学」
文化類型学 7-185
文化類型学研究 187-442
世界観の問題 443-646
哲学の歴史と世界観の類型 ヘーゲルの哲学史の理念とディルタイの世界観説の理念647-690
「高山岩男著作集 第4巻 世界史の哲学」
世界史の哲学 7-377
世界史の動学 379-417
文化国家の理念 419-536
協同社会の理念 537-602
世界史の理念 603-626
世界史の転換と現代日本 627-692
高山岩男著作集 第5巻 理性・精神・実存」
理性・精神・実存・理想主義・汎神論・実存主義の内面的連関 7-184
哲学と哲学的実存 185-545
歴史的実存と実存的歴史 歴史主義に克服の道ありや 547-569
哲学的実存とニヒリズム 571-599
宇宙に於ける人間の地位 601-623
『高山岩男著作集』第五巻解題
『理性・精神・実存―理想主義・汎神論・実存主義の内面的連関』他
高山岩男著作集 第6巻
「場所的論理と呼応の原理
教育哲学
『高山岩男著作集』第六巻解題
『場所的論理と呼応の原理』
『教育哲学』
高山岩男年譜
高山岩男著作目録」
以上が判明した部分。
国立国会図書館サーチ:
http://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&any=%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%B2%A9%E7%94%B7%E8%91%97%E4%BD%9C%E9%9B%86&op_id=1&display=
署名をクリックし,「部分タイトル」欄が目次にあたるようです。
右側コラムにある「登録図書館」をクリックすると「内容細目」の記載のある図書館が一部あります(ほとんど図書館には細目の記載なし)。例「大阪府立図書館」「広島市立中央図書館」
さらにアマゾンで検索すると「なか身!検索」のある本では直接目次が閲覧できました(第1,2巻のみ)。

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