マキペディア(発行人・牧野紀之)

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一条堤の構想(06、宮城県の動き)

2012年10月07日 | ハ行
 「広域処理に頼るのはやめたらどうか」──。そんな声は宮城県議会からも出はじめた。

 今年6月28日の県議会定例会。質問に立った自民党県議の相沢光哉(みつや、73)は指摘した。「広域処理が誘発した放射能汚染をめぐる住民感情のあつれきと風評被害の拡大などを考えると、今回のがれきの処理方式が本当に正しかったのか、大いに疑問である」。
 大量のがれきの処理を広域処理にゆだねる方法が「唯一、正当かつ有効な選択肢であるとは思えない」と相沢はいった。

 それに対し県は、がれきの量が減ったとしても、114万トンの県外処理が必要だと答えた。
 理由として、①仮設焼却炉29基がすべて稼働しても3年以内では処理が終わらない、②リサイクルできる木材などの利用先が県内では限られる、③埋め立て処分場の容量に余裕がない、を挙げている。

 しかし相沢には、その問題を解決できるアイデアがあった。「いのちを守る森の防潮堤」構想だ。がれきの中からコンクリートや木の無害なものを選ぶ。放射能濃度や化学物質が安全基準内のものだ。それを土と混ぜ、高さ20~30㍍の丘を築く。その丘に、タブノキや山桜など、それぞれの土地に根ざした広葉樹を植えて防潮林をつくる計画だ。

 この防潮林を被災した沿岸部のあちこちにつくっていけば、かなりの量のがれきを処理できる。がれきの丘に木が育ってしっかり根を張れば、いつかまた津波が来てもそのエネルギーをそいでくれる。人々の避難所にもなる。「燃やせば何も残らない。だが防潮堤にすれば、人々の生活の一部であったがれきが、津波の教訓とともに、千年先まで生かされる」。

 相沢は県議会の各会派に説いて回った。すべての会派が賛成した。今年3月、59人の県議全員が参加して推進議員連盟が発足した。連盟は国会や環境省、国土交通省、林野庁などに働きかける。

 6月、環境省は「ゆっくり腐るので、メタンガスなどの発生のおそれが小さい」として、丸太状の流木などの埋め立ては認める「考え方」を示した。だが、木くずや建築資材はガスの発生や地盤沈下、有害物質を含む可能性を理由に認めなかった。

 これに対し、「検討が不十分だ」と怒る植物生態学者がいる。「森の防潮堤」のそもそもの提唱者、宮脇昭(みやわき・あきら、84)だ。 

 植物生態学者の宮脇昭は、がれきを埋めて防潮林をつくるアイデアを昨年4月、首相の諮問機関である国の復興構想会議に提案した。
 宮脇は横浜国立大名誉教授で、40年ほど前から国内やブラジルのアマゾン、中国など世界各地で植林活動を続けている。理想は「その土地に古来根付く多様な木々での森づくり」だ。日本ではタブノキやシロダモ、ヤツデなど。これらの木々が茂る森林は、杉など1種類の針葉樹が中心の人工林に比べて災害に強く、防災林にもなると説明する。

 宮脇は震災から1ヵ月後の昨年4月、三陸沿岸の被災地を回る。津波でどんな木が被害を受け、どんな木が無事だったのかを調べた。タブノキやシイなど、三陸沿岸にもともと生えていた種類の樹木が残っていた。人工林の松林は多くが根ごと流された。

 がれきを埋め、その上に土地古来の木々を植えた丘をつくる。それはがれきを処理すると同時に、津波を柔らかく受け止める防潮堤になるはずだ──。

 木材などを含むがれきで丘をつくると、腐敗して土地の強度が落ちるのではないか。そんな意見もあった。それに対し宮脇はいう。「がれきをおおまかに砕いて土や砂と混ぜ、ほっこりと盛れば通気性が維持される。木片はゆっくり分解されて、木の養分になる。地面は10~20年間で5~10%沈下して安定し、強度は確保できます」。

 宮脇は環境省にも昨年5月、この構想を伝えた。しかし、環境省はそれを1年間、なおざりにしてきた。提言をどのように検討してきたのか。こちらの質問に対し、環境省広報室は明確な経緯を示さずにいる。

 だが、「構想」は宮城県議会で盛り上がった。さらに、元首相の細川護煕(もりひろ)らが市民の寄付を募る財団をつくり支援に動き出した。環境省は放置しておくわけにいかなくなった。

 今年6月、環境省は丸太状の流木などの埋め立ては認める「考え方」を示した。ただし「木くずや建設廃材は認めない」。汚水や腐敗してガスを発生させるし、有害物質を含む可能性があるからだとした。宮脇は「世界各地で30年以上、合板の端材などを土に混ぜて埋め、植林している。通気性を保つのでガスなど発生したことはない」という。
 「がれきは1年以上雨ざらしで、有害物質が流されたものもある。調査し再検討して欲しい」。

 環境省のもたつきをよそに、独力で「がれき防潮林」づくりを進めてきた自治体がある。石巻市から約6,0㌔南西の宮城県岩沼市だ。
 岩沼市は185人の犠牲者を出し、2342世帯が全半壊した。発生したがれきは推計32万トン。昨年5月、復興構想を話し合う会議が始まった。そこで議論になったのは、同じ被災地でも松島町は津波の被害が軽かったことだった。沖合に小さな島が点在している。それが津波の力をそいだのではないか。

 津波対策に巨大堤防を築くより、沿岸部の陸上に小高い防潮林を点在させてはどうだろう。土台にはがれきを埋め、津波被害を後世に伝える鎮魂の丘にしよう。
 「千年希望の丘」と名付け、8月にまとめた市復興計画のグランドデザインに取り入れた。植物生態学者の宮脇昭はこの構想を知り、協力を申し出た。

 今年5月、試験的に小さな丘をつくった。流木やコンクリート片など80トンのがれきを埋め、3000本を植樹した。約800万円かかった。それは市民からの寄付でまかなった。
 環境省は「ごみ処分場の届け出を出せ」と渋ったが、「市の責任で試験的にやるのなら」と了解した。今後、がれき32万トンのうち4万トン以上を防潮林用に使う予定だ。

 岩沼市長の井口経明(つねあき、66)は「この構想をぜひ実現したい理由があるのです」という。震災のとき、3人の市民が、海岸沿いの公園の築山に避難して津波から助かったのだ。

 昨年3月11日午後、公園の管理事務所の副所長だった茶谷仁一郎(63)は、園内の遊具の修理を終えたとき、揺れに襲われた。揺れがおさまった。茶谷は園内に人が残っていないか確認し、高さ10㍍ほどの築山に避難した。

 公園を管理する団体の臨時職員だった後藤ひろみ(35)は管理棟を飛び出した。公園の近くに住む菊池節子(77)が逃げてくるのを見て駆け寄った。後藤は菊地に寄り添い、築山に向かうスロープを登り始めた。その頃、茶谷は海の方から「バキバキバキバキ」とものすごい音がするのを聞いた。津波が松林を襲い、木が折れた音だった。

 スロープを駆け下り、菊地をおぶった。3人が築山を登りきってすぐ、津波が周囲をのみ込んだ。家も車も流れていった。3人は築山で一夜を過ごし、翌日、消防団に救助された。

     (朝日、2012年09月16-8日。プロメテウスの罠。吉田啓)

 感想・宮脇昭さんには文化勲章を授与すべきだと思います。図書館で氏の「日本植生誌」を拝んでみて下さるよう、希望します。これぞ学問、という印象を持つと思います。
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