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世の中はなぜ好くならないのか(その2)

2013年10月30日 | カ行
 01、学校現場の現状

 2013年10月2日、下記のコメントをいただきました。ありがとうございます。まず、そのコメントを引きます。

  記(校長の断固とした対処が必須)(筆者・grasshopperphon。「いなごさん」とします)

 私が勤務していた中学では日常的に〔対〕教師暴力がありました。生徒間のいじめも多いこともあり、〔生徒からの〕対教師〔暴力〕に対応する時間はありませんでした。つまりやられっぱなし。益々、生徒は助長〔増長〕します。

 管理職も教育委員会にとっても、明るみにされる問題件数は少なく〔して〕、外部からの避難〔非難〕をさけたいのですから、教師が暴力を受けてもひたすら校長がもみ消しして、同僚教員さえ実情を知らされない状態でした。私も、暴力を受け、1ヶ月休みました。その件は、公務災害の適用ではなく自費で払いました。

 社会が荒むと比例して生徒も荒れるのは自然なことです。生徒を憎むのでなく、責められるべきはもみ消しばかりしてなんの策も取らない校長にあります。(引用終わり)

 感想

 辛口でも甘口でもない(と思う)、正直な感想を書きます。それが相手に対して「本当の意味で親切」だと思うからです。いなごさんは、現在は定年退職して、年金生活を送っているのだと思います。そう前提して書きます。

 「学校の問題は何よりも先ず校長の責任である」という主張には、賛成です。しかし、長い間教師をしてきて、既に60歳を超しているのに、この程度の意見しか書けないのは、少し情けないです。

 なぜかと言いますと、教員の年金は平均よりいいはずです。そして、年金生活に入れば、首の心配はなくなるはずです。従って、今こそ、こういう問題の解決に向けて戦うべきなのに、「どういう活動をしているのか」の報告がありません。現在は「説明責任の時代」ですから、報告し説明していない活動は「していないもの」と見なされても仕方ないのです。

 黒沢明監督の作品に「生きる」というのがあります。ガンで「余命半年(?)」と告げられた三無主義職員が、一念発起して、サボリ上司と掛け合って、住民のために公園を作るとかいったストーリーです。その人の葬式の後の宴会で、残った同僚は「これからは我々も死んだ○○さんのようにやろう」と誓い合います。しかし、実際に仕事に戻ると、今まで通りの三無主義職員として保身を図るのです。

 なぜか。死んだ主人公は「余命半年」と言われて、命を掛ける気になれましたが、まだ先の長い現役職員にはそれは不可能だからです。黒沢監督は映画監督としては優れていたのでしょうが、社会観は不十分だったようです。こういう根本問題が全ての観客に分かるような作りには出来なかった、自分でもそうは理解していなかった、ようです。

 しかし、いなごさんは年金生活に入ったのですから、首の心配はないはずです。実際、年金生活に入ってから、立派な活動をしている元教員も沢山います。但し、その「活動」は趣味か研究みたいな事が多く、行政のあり方を健全化する活動をしている人は少ないようです。オンブズパーソンとして県職員の裏金問題などを追及した静岡県の元県議の服部寛一郎さんは、その少ない例外の一人ですが、彼も今では体力的に続けられなくなったようです。

 いなごさんは、自宅の近くの学校のホームページの評価でもしたらどうでしょうか。市民がこういう事をするのが、学校民主化の最後の保証だと思います。議員に通信簿を付ける会などをするのも有意義でしょう。

 半世紀以上、社会運動をし、それを理論的に研究してきた私のたどり着いた結論は「修身斉家治国平天下」ということです。一時的な怒りや運動では、世の中は好くなりません。自称「社会主義」も日本の民主党政権もダメでした。修身と斉家が無かったからです。それなのに、「治国平天下」を唱えたからです。

 いなごさんも先ず、身の回りで息の長い活動をしてください。その上で、他者を批判してください。対案を出してください。

 又、いなごさんは、教師時代の活動についても著書などを残していないようです。本というものは10年間研究を続けていれば書けるものなのです。それなのに、自分の教育活動を本に纏める人が少なすぎます。研究をしている人が少ないからです。大学で研究方法を身につけないで卒業するからです。

 校長がだらしないからだ、と考えたとします。そうしたら、なぜそういう事態になっているのか、その原因を考えるべきです。もちろん、それでも更迭されず、給与も退職金も年金も変わらないからです。校長の給与は年収1000万円を越えています。仕事は部下に丸投げしていても、です。年金は「事務次官の年金より多い」といって、問題になったことがあります。しかし、そのままのようです。校長ほど甘い商売はないのです。

 東京都の杉並区立和田中学校で民間人校長になった藤原和博さんは「我が校には沢山の人が見学に来たけれど、校長は一人も来なかった」と言っていました。藤原さんでも「なぜそうなのか」は考えないのでしょうか。これでは、「よのなか科」をやった意味がありません。

 ついでに言っておきますと、あの「よのなか科」では「官と民の違い」は問題にしなかったようです。官の堕落を防ぐにはどうしたら好いかを考えさせなかったようです。商売のやり方などを練習させたようです。これでは「よのなか科」とは言えません。一番大切な事が抜けていますから。

 静岡県の川勝知事は、先日、学テ問題で、校長の名前を発表するとかで物議を醸しました。校長の責任を問うのはよいのですが、「学校教育は、個々の教師が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものだ」という根本命題をきちんと言わない(知らない)のは、見識がなさ過ぎます。

 又、校長の責任を問うならば、その前に教育長の責任を問うべきです。教育長が校長を評価せず、指導せず、交代させないから、校長は平然としているのです。私は10年ほど前、引佐町の或る自治会長として、教育長に、「ホームページを作っていない校長がいるがどうか?」と聞いた時、教育長は、どんな形で報告をするかは学校の「個性」だ、と答えました。サボルのも「個性」の一つだから好いのだ、という事です。

 サボリ校長をサボリ教育長(評価と指導をしない教育長)が支えているのです。それなのに、川勝知事も教育長の責任は一切、問題にしませんでした。これを言うと、教育長を任命した自分の責任問題になるからです。教師をし、学長も務めたのに、「私の授業と大学運営から学べ」とも言いませんでした。その種の本を出していないから、言えないのでしょう。

 結局、首長のリーダーシップの問題なのです。いなごさんもここまで理解してほしいものです。我が「マキペディア」を読んでいるのですから、尚更です。

 いなごさんは、首長選挙の時、こういった事を考えて、適任者を教育長にする候補者に投票しているでしょうか。ネットでそういう主張をしているでしょうか。

 02、浜松市の中学校でのイジメ自殺問題

 我が浜松市の中学校でもイジメ自殺がありました。昨年の事です。その自殺者の親が学校や市を相手取って、裁判を起こしたようです。新聞記事を引きます。

──浜松市立曳馬中学校2年の男子生徒=当時(13)=が昨年(2012年)6月、住宅屋上から転落死した問題で、死亡した片岡完太君の父道雄さん(48)ら両親が27日、いじめで精神的に追い詰められて自殺したなどとして、同級生ら11人と浜松市に約6200万円の損害賠償を求め、静岡地裁浜松支部に提訴した。

 市に対しては、片岡君の死後、学校側の配慮に欠けた対応で精神的苦痛を受けたとして、両親へそれぞれ100万円を支払うことも求めた。

 訴状によると、2012年2月からいじめが始まり、片岡君は通っていた学習塾で「死ね」などの悪口を言われたり、帰宅時にエアガンで撃たれたりした。学校では教室で首を絞められたほか、床に倒され馬乗りになって腹をたたかれた。あらゆる場面で継続的にいじめがあったが、校長や学級担任、部活顧問はいじめを放置。学校側は亡くなったあとも調査をほとんどしなかったとしている。

 市教委の高木伸三教育長は「訴状が届いておらず内容を確認できていない。今後よく検討し、誠実かつ適切に対応する」と文書でコメントした。

 片岡君は2012年6月12日夕、浜松市中区の自宅の十階建て集合住宅屋上から落ちて亡くなった。同12月、市教委が設置した第三者調査委は「いじめを背景にした自殺」との報告書を公表。道雄さんはことし5月、同級生らから暴行を受けたなどとして、浜松中央署に被害届を提出した。

 父親の片岡道雄さんは提訴後、記者会見し「完太がどれほどつらい思いをしたのかを考えると到底許すことはできない。いじめに対する厳しい判断が出ることで、安心して通わせられる学校に変わることを願っている」と提訴への思いを語った。

 明るく友達が好きだった片岡君はいじめが始まったあとも、家では笑顔でいた。父として気持ちを察することができなかったことが、今でも悔やみきれない。「家族を失った後悔を一生背負っていくしかないと思っている」と苦しみは消えない。

 学校側は度重なるいじめ行為を気づかなかったとしているが、「それこそが異常事態ではないか」と強い調子で指摘した。(中日新聞、2013年06月28日)

 参考・浜松市教育委員会は6日、いじめ問題の早期解決を図るための専門家チームを設置し、同市中区で第1回検討会議を開いた。市教委によると、外部専門家で構成するチームの常設は県内初。学校や市教委では対応しきれない問題が発生した場合、チームの委員が助言と支援を行う。

 チームの設置は、同市立曳馬中(中区)の男子生徒が昨年6月に自宅マンション屋上から転落死した問題で、背景にいじめがあったとした第三者調査委員会の報告を踏まえた。臨床心理士と元警察官、精神科医、弁護士、2人の学識経験者を加えた計6人で構成する。任期は来年3月末まで。

 市教委はこの日の会合で、いじめ問題を程度に応じて6段階に分けて対応に当たる方針を示した。学校と保護者らで解決できる問題を「レベル1」、曳馬中の問題のように、第三者調査委員会設置の必要がある最も重大なケースを「レベル6」と位置付けた。専門家チームは、学校だけでは解決できず、市教委指導課が中心になって対応する「レベル4」以上で問題に関わる。

 委員の1人に任命された原拓也弁護士は「現場ではさまざまな問題が起こっている。委員それぞれが、専門性を発揮して問題解決に当たりたい」と話した。(静岡新聞、2013年06月07日)

 感想

 この親御さん(父親の片岡道雄さん)は「学校や教育委員会の誠意のない態度に怒っている」とどこかで読んだ記憶があります。当然でしょう。実際、校長や教育長の態度はひどいものです。浜松市や静岡県では何十年も前から、イジメや教員不祥事が続いています。それなのに、全然改まりません。それなのに、教育長は交代させられず、給与の一部返還もありません。発覚されたり、教員が逮捕されると、記者会見をして頭を下げて「謝罪」し、臨時校長会を開いて、「再発防止に万全を期すように」と話して終わりです。十年一日の如く、毎回毎回、これを繰り返しています。

 これを改めさせられるのは首長しかいません。それなのに、市長も知事も何もしないのです。それに対して、市民からは何の抗議もないのです。万事休す、です。ここでも「辛口でも甘口でもない」感想を書きます。

 父親の片岡道雄さんは「学校と教育長の不誠意」は指摘しましたが、市長の責任は問題にしていないのでしょうか。少なくとも、新聞では読んだ記憶がありません。大津市でも同じ事件がありましたが、こちらは大分違った経過をたどりつつあるようです。なぜか。市長のやる気が浜松市とは違うからです。

 市長まで視野に入れなければ、本当のことは分かりませんし、解決もしません。敢えて言いますが、2011年の浜松市長選で片岡さんはどういう行動を取ったのでしょうか。あの時、私は「仮」立候補しました。ほとんど反響がなく、正式立候補は出来ませんでした。片岡さんは私の「仮」立候補を知っていたのでしょうか。もし私が市長になっていれば、このイジメ自殺は起きていなかったかもしれないのです。少なくとも、起きていない確率の方が起きた確率より高いです。なぜなら、私が市長になったら、先ず教育改革を始めるからです。しかも、現在の予算枠内で可能で、かつ効果的な改革をする案を持っているからです。

 ここまで考察を深めてほしいものです。そうしないと教育改革は行われないからです。「国民は自分に相応しい政府しか持つ事が出来ない」と言われています。市民と市政(市長)の関係でも同じです。どこかの車屋の会長に「改革」してもらおう、などという他人頼みの態度では市政は好くなっていません。当たり前です。市政を改革出来るのは主権者たる市民だけです。他者を責めるのは結構ですが、自己反省を伴わない他者批判では何も変わらないでしょう。

 03、3つ目として朝日新聞の社説を取り上げます。朝日紙の9月26日の社説は2つありましたが、その内の1つは次の通りです。

──題・私たちの目で育てよう

 地方分権が叫ばれて久しい。自治体が独自の施策を競う時代とも言われる。だが、議員のレベルは向上しているだろうか。各地で相次ぐ不祥事に、市民はあきれている。とくに、政務調査費と呼ばれる支給金をめぐる問題は、地方自治のあり方の根幹を考えさせる。

 都道府県議や政令指定市の市議は調査活動の費用として、月50万~60万円をもらっている。だが、飲食や遊興などへの流用があとを絶たず、「第二報酬」とも揶揄(やゆ)されている。名古屋市では、議員の高額報酬を批判し、議会リコールを実現させた地域政党、減税日本の議員たちも不正が発覚した。

 政調費が制度化されたのは2001年。全国的に住民訴訟が相次いでおり、これまで50件超の返還判決が出ている。

 第三者チェックなどを強めるベきなのは言うまでもない。だが、もっと重要なのは、どうしたら地方議員の質を高められるか考えることだろう。この問題を長年追及してきた仙台市や名古屋市、京都市などの市民オンブズマンは最近、議員通信簿の活動を始めた。

 議事録から質問を項目ごとに分析し、点数化する。現場を調べたか、他都市と比較したか、改善策を提案したか。道徳論を延々述べて「教育長いかがですか」と聞く京都市議の質問は0点。民間資金を活用する手法を実地研究し、学校への空調設置の知恵を出した仙台市議は高得点という具合だ。福岡市議会では、一般質問94件のうち48件は事前調査がなかった。名古屋市議会では、1年間、本会議で一度も質問しない議員が75人中19人もいた。

 成績の悪い議員からは「議会外の要望活動も仕事だ」と反論も出たが、そんな論争が生まれること自体が前進だろう。市民が議員活動への関心を高めることが何よりの薬になる。

 もっとも、壁になるのが議会の情報公開度だ。早稲田大の調査などによると、75%の地方議会が本会議の議事録をネット公開しているが、常任委員会については25%にとどまる。 大阪市議会は議案ごとの会派別の賛否を公開している。だが市民研究者らの「議会改革白書」(2011年)によると、全国の議会の65%はそんな情報を出していない。これでどうやって市民の信頼を得るのだろう。

 みなさんも一度、自分の街の議会をのぞいてみてはいかがでしょうか。議員は自分たちの代表です。私たちメディアとともに、もっと間近に注視し、議員を育てていきましょう。(引用終わり)

 感想

 「どうしたら地方議員の質を高められるか」が重要問題だとしながら、「市民オンブズマンは最近、議員通信簿の活動を始めた」などと寝言を言っているようでは、論説委員の「質の向上」が先だなと言わざるを得ません。

 議員通信簿を付ける運動は神奈川県相模原市で随分前から始まり、様々な経験を積んでいるはずです。我が静岡県にはそういう活動が一つもないようですが。

 しかし、議員の質を高める方法としては、国会議員を含めて、松下政経塾の失敗を踏まえて、私は「本当のシンクタンク」を提案しています。そして、その活動の中心は「行政機関のカウンター・ホームページを作る事」だとしています。朝日紙も「情報公開」を念仏のように唱えていますが、「カウンター・ホームページ」という発想はないようです。

 最大の問題は、朝日紙のOB、OGの内、何人の人がこういう「行政を監視する活動」をしているかと言うことです。東北で漁業の活性化に協力しているとか言った話は聞いています。そういう活動なら行政にも歓迎されるでしょう。しかし、日本社会の根本的変革にはならないでしょう。朝日新聞社にも「修身斉家治国平天下」という言葉を贈りたいです。

 04、では、このような低レベルの事態の原因はどこにあるのでしょうか。大学と大学教員にあると思います。「一国の文化のレベルは大学と大学教員で決まる」というのが私の考えです。

 5月18日、朝日新聞に桜美林大学の芳沢光雄教授の文章が載りました。まず、それを引きます。

   記(論理的に考え、書く力を。芳沢光雄)

 大学受験資格にTOEFL〔トーフル、と読むようです〕の基準を設けるなど、大学入試改革に向けた与党案などが論じられている。いうまでもなく、大学入試が教育全般に与える影響は大きく、また、教育そのもののあり方とも深く関わらざるを得ない。まず、そこから考える必要がある。

 今や、人や情報が国境を越えて活発に行き来する時代であり、経済、環境など解決すべきグローバルな課題が山積している。こうした課題に取り組むには、論理的に考え、文化の異なる他者が納得できるように、自らの立場を筋道を立てて説明する力がきわめて重要だ。

 そのために欠かせない1つに、「比の概念」がある。通貨危機への対処には、対国内総生産(GDP)比の債務残高を国際比較する必要があるし、国内の企業価値を測るときも、社員1人当たりの利益が基準になりつつある。環境問題ではたとえば、PM2・5の濃度を国際基準値と比較して対応しなければならない。

 ところが、現在の若い世代は、比の概念の理解が大変苦手だ。まず、「何々の何々に対する割合」という表現にあるような2つの量を定める必要があるが、マークシート問題の答えを当てるテクニックだけに慣れた学生は自ら考えることをせず、暗記に頼って答えを当てようとして間違えてしまう。

 昨年の全国学力テストの中学3年理科で、10%の食塩水1000gを作るのに必要な食塩と水の質量を求める問題が出題され、正解率は52・0%だった。1983年の同様の問題では、正解率は69・8%だった。

 最近の大学生の就職適性検査では、この程度の算数の問題ができない者が少なくなく、「替え玉受験」が横行している実態がネット上に氾濫している。

 また、数学の証明文を書く教育は、筋道を立てて説明する力を育む上で欠かせない。ところが、1970年と2002年の中学数学教科書にある証明問題数を比戟したところ、全学年合計で約200題から約60題に減っていた。

 その結果、2004年1月に文部科学省が発表した全国の高校3年生10万人を対象にした学力調査結果では、ヒント付きの簡単な証明問題でも6割以上が無回答だった。

 日本数学会が昨年2月に発表した数学教育への提言も、「証明問題を解かせるなどの方法で、論理的な文章を書く訓練をする」「数学の入試問題はできる限り記述式に」の2点を強調している。入試を通して、多くの大学が、論理的に考えて説明する力を大切にする姿勢を打ち出してほしいと思う。(朝日、2013年05月18日)

   感想

 芳沢光雄という方は数学者としても業績を挙げているようですし、特に数学教育者としてはとても評判の高い方のようですが、このご意見には疑問を感じます。

 第1に、「論理的思考能力」が大切とした後で、全体を見る事無く、「その中の1つである比の概念」に持って行って、自分の専門である数学教育の話に全体を矮小化してしまった点です。我田引水の見本です。

 第2に、高校までで不十分な教育を受けてきたとしても、最後の砦である大学教育がしっかりしていればかなりの所まで挽回できるはずです。金沢工業大学は、中学レベルの数学も出来ない学生を大卒時にはしかるべき水準まで引き上げる事に成功して、評判になったはずです。他者に「入試改革」を要望する前に、自分の大学の教育改革を学内で提唱し、実行したらどうでしょうか。

 そもそも芳沢氏はどういう理由で桜美林大学に呼ばれたのでしょうか。私の記憶では、数年前に数人の「優秀な教授」と共に他の大学から特別に招かれた(スカウトされた)のだと思います。桜美林大学の掲げる「リベラル・アーツ」とやらの看板として、です。つまり、現有教授のあり方を変えるのではなく、少数の看板教授を使って、見かけだけを好くしようとしたのだと思います。金沢工業大学は学長のリーダーシップの下に、「現有教授の意識改革」を通して、教育体制を一新したのだと聞いています。芳沢氏は桜美林大学のこういうやり方をどう考えているのでしょうか。ぜひとも「論理的な説明」をしてほしいものです。

 桜美林大学については、私は大学院時代に関係のあった永瀬順弘教授(既に退職)を見ていたのですが、アメリカに留学して「意見と主張の言える人間教育」とやらを掲げていました。その「具体的内容」の説明を求めても、回答はありませんでした。大学にもメールで質問しましたが、返事はありませんでした。説明しないのですから、「やっていない」と見なすしかありません。最近、ホテルなどでの「メニュー偽装」が大問題になっていますが、桜美林大学のこれは「シラバス(広義)の偽装」ではないでしょうか。初年度納付金が126万円にもなる大学での「シラバス偽装」です。

 芳沢氏自身は立派な方のようですが、自分の属する大学の「偽装」を是正していない、あるいは学長にその是正を提言していない以上、「修身」は出来ていても「斉家」が出来ていないと言わざるを得ません。従って、「治国平天下」は無理ですし、それを言う資格もないと言わざるを得ません。これでは「世の中は好く」ならないわけです。

     関連項目

世の中はなぜ好くならないのか(その1)

教員人事の真実

議員の通信簿

民間のシンクタンクのあるべき姿(官僚主導を考える)

浜松市長選(2011年)関係の目次

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