ドイツの哲学者G・W.・ヘーゲルの翻訳を続けている長谷宏氏が、主著『精神現象学』を訳し終え、作品社から刊行した。「即自」「止揚」などの哲学用語を排した訳文は、これまで訳した『哲学史講義』『美学講義』などと同じように、日本語として読みやすい仕上がりになっている。だが、今回のテキストは講義録ではなくへ-ゲル本人が書いた超難解なドイツ語。さすがの長谷川氏も苦労の連続だったという。
『精神現象学』の邦訳を読了できなかった日本人は、おそらく万の単位になるだろう。現在、簡単に入手できる日本語訳はいずれもかなり難しい。ところどこるに現れる理解可
能な部分をつなぎ、言わんとするとこるを想像して進まざるをえない。まるで伏せ字を読んでいるようなもので、一般の読者は挫折するしかなかった。
「もともとヘーゲルの著作の中でも、飛び抜けて難しいドイツ語なんですね。何にでも興味をもっていた三十代のヘーゲルが、無我夢中で書いた本ですから、文章のことまで気遣う余裕がなかったのでしょう。そのぶん、翻訳は本当に重労働でした」。
難文、悪文、拙文、不文、その他、何とでも悪口をいいたくなるような代物──と、長谷川氏は「訳者あとがき」で記す。それこそ弁証法的に、対立することがらを次々にのみ込みながら、くねくねと続く文章。「そのまま日本語にしたら、何を言いたいのか全く分からない。ヘーゲルが肯定的に見ているのか否定的なのか、できるだけはっきりするように心がけて訳しました」。
長谷川氏が訳文で重視するのは、リズムだという。「最後まで読んでもらうには、リズムが大切です。今回は校正の方からも、分かりにくい表現をいちいち指摘してもらい、大変助かりました。しかし、内容が難しいのはいかんともしがたく、だれでも寝転がって読める、とまでは言いません」。
これまで評判になった訳語の工夫は、今回も徹底している。たとえばSubstanz。長谷川氏はこれに「実体」だけでなく、「神」「共同体」「秩序」「時代精神」「土台」「地球」「自然」などという言葉を当てた。
「へーゲルはこの言葉を、極めて多様な意味で使っていると理解せざるをえない。ただ、どんな訳語が適切なのかは、その文章を読んだだけではわからない。全体の文脈を押さえたうえで、9割以上の確信がもてる訳語を採用しました」。
ドイツやフランスの哲学書は、邦訳より英訳のほうが分かりやすいことがある。長谷川氏も『精神現象学』の英訳と仏訳には一応目を通した。しかし、あまり参考にならなかったという。
「やっばり難しかった。ドイツ語とと英語、フランス語の間では、似たつづりの言葉であれば、意味が通じなくてもどんどん翻訳してしまうからなんです。『Substanz』は、英訳ではみな『Substance』。時々、丸カッコで(Dod)などと付記している時がありますが、それだけでは意味を汲み取れない時がある。だから、口はばったい言い方ですが、私の訳は英訳、仏訳よりも、ヘーゲルが言わんとしたことが分かりやすくなっていると思います」。
そこまでかみ砕くと、原意かろ離れてしまう恐れはないのだろうか。
「読み違いは常に警戒して、慎重にやったつもりです。ただ、今までの翻訳に異議申し立てをしているわけですから、恣意的になることを恐れるより、不明な点は残さないようにしよう、と考えました。
もちろんこの翻訳は私の解釈、理解の産物です。翻訳は時代の中で生きるものですから、しばらくすればまた新しい人が、別の角度から訳を試みるでしょう」。
ヘーゲルをドイツ語読みの専有物にしておくのはもったいない。それが長谷川氏がここまで翻訳を続けてきた動機だ。「近代を一番がっちりとした骨格で思想化したのがヘーゲルです。ごく普通の人たちが、翻訳を読むことで自由自在に使えればいい。この程度の思想は、ちゃんと定着しでほしいと思うんですよ」。
(朝日、1998年04月13日。村山 正司)
長谷川の訳業の批評の目次