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同語反復

2007年01月03日 | タ行
     同語反復は無意味か

 学研の国語大辞典は「同語反復」について次のように説明しています。

──伝統的な形式論理学で、同じ語または同じ意味の語を用いて判断を行うこと。また、その判断。「人は人である」「男とは女でない人間のことである」「雨が降れば天気が悪い」の類。意味論的には空虚であるが、論理的には虚偽ではない。──

 まあ、平凡な説明ではあると思います。しかし、実際に使われた用例を挙げるので有名な、そして私もそれ故に支持しているこの辞典がここに挙げているのは本当に使われた例なのでしょうか。出典が示されていません。

 たしかに相手の意見が無意味だとして批判する場合に「それは無意味な同語反復だ」という言い方をする場合があります。

 この場合などは、同語反復は無意味なものだという事を前提して言っているのだと思います。「同語反復にも無意味なものと有意味なものとがあり、それは無意味な方の同語反復だ」という意味ではないと思います。

 ですから、「意味論的には空虚だ」という学研の説明はこういう「公理」(と考えられているもの)を踏まえていると言えるでしょう。

 しかし、同語反復は本当に無意味でしょうか。私がこれまでに収集した用例を私なりに分類しながら考えてみましょう。

 第1の型・「規則は規則だ」型

 1、かつてワシントン大使館勤務時代、官舎に入ったところ前任者の犬と猫が汚した跡があまりにひどいので、業者に清掃してもらい、これは私費で支払うべきものだ、と書き添えて前任者に請求書を送りつけた。

 館員会議でこのことに触れ、ペットを飼うことは公務員宿舎では認められていないはずだとクギを刺したところ、「欧米ではペットを飼うことは普通でしょう」という不満が何人かから出た。

 「それはわかる。ただ、規則は規則だ。それがおかしいというのであれば、それを変えてもらう以外ない」と答えた。 (2002,01,31,朝日)

 2、ゲバラには、指導者としてのカストロの立場と選択が痛いほどよく分かる。ソ連に対して不信感を抱きながら、しかしそれを表立って口に出せない苛立ちと苦渋。国民を食わせるために、大国に身を寄せなくてはならない小国の指導者の忸怩たる想い~。しかし、だからといって自分の信念を曲げるわけにはいかない。間違いは間違いなのだ。
 (戸井十月『カストロ』新潮社)

 3、ところが「市民社会建設の掛け声を言うだけなら、ロシアでは何ら新しいことではない」と、大統領をからかったのは有力紙イズベスチヤだ。例にあげたのが、 300年前の改革者ピョートル大帝である。~後世の歴史家の厳しい評価を引用して、上からの改革で市民社会を生み出すことがロシアではいかに難しいかを指摘した。時代は違うが、ロシアはロシアだ。プーチン氏が歴史に実績を刻むには相当な覚悟が要る。
 (2004,05,31, 朝日)

   感想

 思うに、この型の同語反復が意味を持つのは、単語の意味に2種類あるからだと思います。これは私が拙稿「辞書の辞書」に書いたことです。

 1つは「信号対象」ということです。言葉は信号の1種であり、従って対象を持っています。鬼とかいった架空のものについてはどうかという議論もありますが、これもやはり(架空の)対象を持っていると思います。

 もう1つは「内容上の意味」とでも言うべきもので、「その対象についての人間の理解」です。

 この考えで今問題になっている「規則は規則だ」を敷衍して説明しますと、「規則と呼ばれているものは従わなければならない(規則の性質、本質を持ったものだ)」という意味になります。

 つまり、主語の「規則」は「信号対象」で考えられており、述語の「規則」は「内容上の意味」で理解されているのです。

 この型の同語反復は「やはり」を入れることができるという特徴があります。「規則はやはり規則だ」「間違いはやはり間違いだ」「ロシアはやはりロシアだ」と。

 さて、このように理解しますと、この第1の型にはいくつかのバリエーションのあることが分かります。それをまとめてみましょう。

 第1型の派生型、その1。「自分は自分だ」型

 4、伊之助には、良順のように気体を愉しむようなゆとりはなかった。/ (自分は自分だ)/ と思わざるをえない。
 (司馬遼太郎「胡蝶の夢」3)

 5、私は私。父とは違う。父の政策をまねるつもりはない。
 (2004,07,27, 朝日)

   感想

 この派生型は文としては基本形と同じですが、2つのもの(事柄)が別物であることを一方を主にして言う所に特徴があるのだと思います。

 第1型の派生型、その2。「やる時はやる」型

 6、〔不当な圧力をかけた政治家の名前は〕墓場まで持っていくというのが藤井氏の基本姿勢だが、自分の身を守るために止むを得ない時は止むを得ない。
 (2003,10,22, 朝日)

 7、公明の支持者も生身の人間。いくらお願いしても動かな
い時は動かない。
 (2003,10,22, 朝日)

 8、「有るところには有るもんだねえ」。あたりまえです。有る所には有る、無い所には無い。
 (関口存男「ドイツ語論集」)

   感想

 この派生型は完全な同「語」反復ではありませんが、同文(同句)反復で、しかも「時は」とか「所には」といった仮定の入っている点に特徴があると思います。

 第1型の派生型、その3。「専門家の専門家たる所以」型

 9、本来ならば~とでもやった方が合理的なのですが、そうしない所が只今述べている例外現象の例外現象たる所以なのです。(関口存男「ドイツ語論集」)

   感想

 この派生型も基本形と同じ構造を持っていると思いますが、同語をつなぐ助詞が「の」であることと、「~たる所以」と続く所に特徴があるのだと思います。

 第1型の派生型、その4。「デタラメならデタラメだ」型

 10、ドイツ語と出鱈目との区別がわからんでどうする。ドイツ語なら何か意味があるし、出鱈目なら~出鱈目じゃないか。
 (関口存男「ドイツ語論集」)

   感想

 これは「デタラメはデタラメとしか言いようがない」、つまり他の言葉で説明のしようがない、ということではないでしょうか。これについては関口さん自身が次のような言葉を残しています。

 「啖呵というものはすべて『当たり前なこと』をいうものだ、という点に注目して頂きたい。一見わざわざ云う必要もない、あんまり当然すぎて却って論理を成さない事を口に出して云うのが、これが『居直った捨て台詞』である。いったい強烈な意志を表現するには、内容的には馬鹿馬鹿しい啖呵や捨て台詞が最も適当で、戯曲の台詞には殊にこれが多いと云えるであろう。不貞腐れた女が、『女はどうせ女ですよ』と云うのなどもそうである。とにかくこうした同語反復によってのみ表現し得る或る種の強烈な真理があることは事実である。『食えなくなったらどうする?』と云ったのに対して、『食えなくなったら死んだら好いじゃないか』と答える場合には、論理の進展はちっともないが、其処には或る種の意気が含まれているのである。
 (関口存男「ファオスト抄」)

   感想

 これはひょっとすると第1の型の派生型ではなくて、独立した第3の型にするべきかもしれません。ご意見を求めます。

 第2の型。「事が事だから」型

 11、ただの不勉強なのか、憲法9条改正に道を開こうとする確信犯としての行動なのか。小泉首相の言葉が短絡的で粗雑なことには慣れっこだが、これは事が事だけに、黙っているわけにはいかない。
 (2004,06,30, 朝日社説)

 12、〔河島みどり『リヒテルと私』を読んでみたらとても面白かったという話の中で〕ことに旅の話などはお伽話みたいで実に楽しい。これだけでもこの本を読む価値があるといっていいくらいである。それは話の主人公が主人公だからでもあるが、著者の筆のせいでもある。
 (2003,10,20, 朝日。吉田秀和)

 13、〔良也は、石楠花園の〕所長が〔良也の父親を〕心配して病状を聞くのを「大したことはないらしいが、何分年齢が年齢だから」と言葉を濁した。
 (辻井喬「終わりからの旅」)

   感想

 この型の特徴は、「が」を使うことと、同語反復の後に「だから」とつながっていくことだと思います。このほかに「物が物だから」、「金額が金額だからね」などもすぐに思い浮かびます。

 さて、この型の同語反復の2つの語のそれぞれは第1の型と同じ意味でしょうか。違うと思います。主語の「事」は「今問題になっているその事」という意味だと思います。そして、述語の「事」は「(好い方にせよ悪い方にせよ、とにかく)ひどい事」という意味だと思います。

 用例11ならば、「ここで念頭に置かれている事がきわめて重大な事だけに」、12ならば、「話の主人公が音楽ファンなら誰にでも関心のあるすごい主人公(大ピアニストたるリヒテル)だから」、13なら、「何分父の年齢が相当の年齢だから」、となると思います。

 第2の型にも派生型があると思います。それは「親も親だ」型とでも名付けられるものです。

 14、あの骨董屋の但馬(たじま)さんが、父の会社へ画を売りに来て、れいのお喋りを、さんざんした揚句の果に、この画の作者は、いまにきっと、ものになります。どうです、お嬢さんを等と不謹慎な冗談を言い出して、父は、いい加減に聞き流し、とにかく画だけは買って会社の応接室の壁に掛けて置いたら、二、三日して、また但馬さんがやって来て、こんどは本気に申し込んだというじゃありませんか。乱暴だわ。お使者の但馬さんも但馬さんなら、その但馬さんにそんな事を頼む男も男だ、と父も母も呆(あき)れていました。
 (太宰治「きりぎりす」)

 15、昨年4月から実施されている学習指導要領が、文部科学省の諮問機関「中央教育審議会」の答申を受けて、1年余りで改められることになった。(略)学校の完全週5日制の実施に伴って教育内容を大幅に削減し、「ゆとり教育」を打ち出したのがいまの指導要領だ。

 しかし、それが学力低下を招くとの批判が相次ぐと、文部科学省は学力重視の方針に転換した。そうなると、指導要領が「ゆとり教育」のままでは整合性がとれなくなる。そこで〔指導要領の中にある〕歯止め規定を外して、取りつくろうというわけだ。

 中教審を使えばもっともらしくなるとでも思ったのだろうか。あやつり人形を演じた審議会も審議会だ。
 (2003,10,9,朝日社説)

   感想

 この派生型は「も」を使っている所に特徴があるのだと思います。つまり、2つの物事を比較して同じように断罪する場合に使う表現だと思います。

 これを第2の型の派生型とする理由は、その「も」を取り除いて、1つの文だけにして、「親が親だから」と言っても、その事だけとしては同じ意味になると思うからです。

 「但馬さんも但馬さんだ」は少し難しいですが、「但馬さんがひどい人だから」と理解できないでしょうか。

 例文15は、表面的には「審議会も審議会だ」と言うだけですが、裏に「文部科学省も文部科学省だ」というのが前提されていると思います。

 因みに、これは朝日新聞の社説でしたので、こういう時に英語ではどう言うのかなと思って、「ヘラルド・アサヒ」の英訳を見てみました。

The ministry apparently used the council to impose an air of legitimacy to its policy shift. The panel shouldbe ashamed of having served as a puppet for its own ends. (Herald-Asahi)

 英語には同じような言い回しがないのでしょうか。意味を取って訳しています。

 以上は私のドイツ文法研究の途中経過を披露して、皆さんのご教示を受けたいということですから、ご意見をどしどしお寄せください。