植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

香港の変わりようは目を覆いたくなる

2019年11月20日 | 時事
初めて出かけた海外旅行が香港でした。かれこれ35年ほど前になりましょうか。その頃はまだ、バブルが弾ける前で、景気が良く若者の生活ぶりも派手に見えました。ワタシらもいくらか余裕があって仲間と旅行が出来たのです。

最初の海外旅行は、非常にいい経験となりました。勝手がわからないので現地のツアーリストが添乗するバスツアー主体でした。交換率が悪い両替から始まり、チャーハンと焼きそばがでる「飲茶・点心」料理を食べ、得体のしれないお土産物屋をはしごして皮製品とかアクセサリーなどを買わされました。ガイドはその都度バックマージンを貰えるので提携する日本人専門の「お買い損」店に連れて行き、何か買うまで見張っていましたな。

出かけた先の観光は、年寄りばかりの村、ヴィクトリアピーク、お寺巡りなどでしたが、心に残ったのは、異国の空気、匂い、景色でしたね。
 高いアパートから突き出た物干しに干された洗濯物、チムシャーツイから乗るスターフェリーから眺める香港島、近くに見える水面などが今も鮮やかな思い出に残っています。それから、毎年のように香港には遊びに行きました。

お目当ては美味しい中華料理、そして、お買い物です。チムシャーツイを中心にハーバーシティ、ペニンシュラホテルなどのブランドショップにはだいぶつぎ込みましたなぁ。プラダ・ヴィトンはじめ世界に冠たる有名ブランドショップが軒を連ね、非課税でセールが多く、しかも最新の商品が買えるので、日本人が大挙して押しかけていました。香港島のタイムズスクエアも巨大なショッピングモールで、半日過ごしたものです。あの頃、ワタシは、アイスバーグとかハンチングワールドが好みでしたので、その専門ショップの場所まで知っていました。

 ところが、ある時を境に足が遠のくことになりました。それは、英国から中国へ返還されることになった1997年です。返還後何度か香港旅行に行きましたが、どんどんつまらなくなりました。ブランドショップは次々に撤退し、街全体のパワーや熱気が感じられなくなりました。少しづつ中国化が進んでいるのを肌で感じるようになりました。恐らく外国人旅行者はずいぶん減ったのではないでしょうか。香港人の知り合いも、中国に返還されると不動産の所有が制限されるようになるの、経営者や資産家はカナダなどに移住している、というような話をしておりました。
 
 案の定当初交わした「中英共同宣言」で明記された、香港の「高度の自治」を返還から50年間適用するという約束も、中国はあっさり反故にし、どんどん本土と一体化を進めてきました。その結果が、今の市民デモになっています。当初は、穏やかな市民デモであったものが、だんだん学生を中心に先鋭化し一部暴徒化しているように見えます。大学に立てこもっているのを、軍や警察が排除する騒乱は、あの安田講堂を想起させます。
 さらに、1980年韓国光州事件で数百人の市民が軍隊により殺されたこと、天安門事件ではさらに死者数がわからないほど犠牲者がでたことなどが頭をよぎります。
 今、香港人は、自分たちの生活や未来の為に戦っているように見えます。そうでなければ、犠牲をいとわず警察や軍に対峙しないでしょう。

大勢の市民や観光客が闊歩した、あの活気に満ちた街角に、瓦礫や燃やされた自動車が放置され荒廃しているのをみて、香港に、自由も民主制度も無い暗黒の未来が待ち受けているかもしれないと思うと、心底ぞっといたします。
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テラコッタ鉢が割れた!

2019年11月19日 | 植物
昨日は夕方から強い風が吹いていました。
今朝起きてみると、屋上は台風の後かと見まごうばかり、椅子が倒れ鉢植えも転がっておりました。油断したのですが、テーブルの上に置いた「ストロビランテス "ブルネッティー」の鉢が落下し、テラコッタ鉢が割れておりました。そろそろ根詰まりを心配していたのですが、案の定びっしりと根が回っていましたので、今度は、ダイソーで200円のプラ製の鉢に植え替えいたしました。このテラコッタ鉢が800円、気に入っていたのでちょっと痛いです。


 どこかの大物女優さん、立派な鉢を割ってしまいましたね。ワタシの鉢と違って、割れた鉢の重みや値段はけた違いに大きいのでしょう。覆水盆に返らず、こぼれたミルクは泣いてみても始まらない、みたいなことです。微量の合成麻薬を所持していて、初犯ですから罪は軽く、起訴されても執行猶予がつきます。

 しかし、そんな微罪でも、社会は甘くありません。コマーシャル契約の破棄賠償から、テレビ番組の撮り直しや様々なイベント等の仕事のキャンセルはまず間違いありません。5億円位のペナルティーになりそうという試算もあります。そこまでのリスクを承知で違法な薬に手を出したのか、いやこれまでバレなかったから、これからも平気だろう、という根拠のない希望的観測によるものでしょうね。
 この手の犯罪は三通り、バレてもやるだけの価値(刑罰と犯罪で得る経済的価値のバランス)があるか否か。もう一つは、悪事が露見しないという経験則または熟練・計算による完全性があるか、さもなければ何も考えていない、ということでしょう。この方は明らかに3番目ですね。きちんと計算して損得が計れ、ことの善悪が判断できる人は薬物なんぞに手は出しません。
 この方が、こういう事態に陥ったもう一つの要因は友人・仲間であります。もし、周りにいる親しい人が「いいか、これはバレたら大変なことになるんだぞ。わからないのか」と言って平手打ちして薬物を取り上げるべきなのです。友達は選ばなければいけません。

 テレビもあまり大騒ぎするのは、はしたないことでしょう。やはり、桜を見る会の話の方がはるかに重大であり、「国民の関心事」でなければならないと思います。さる報道関係者の座談会で「国会でとりあげられて審議するような額ではない」との論調でありました。見当外れも甚だしい、不見識な意見ですね。金額の多寡は関係ありません。ことの本質の深さ重大さを推し量ることが重要であります。この問題に、自民党政治の闇、安倍政権の持つ姑息でずるい運営手腕が見え隠れしているのです。

 失って(違法行為が表ざたになって)初めて、その罪の重さ、影響の大きさに気づいて涙することになりましょう。この方が、こののちどうなろうがさほど興味が湧きません。テラコッタ鉢植を割ったことの方がワタシにとって重要であります。

 ということで、うって変わって本日は温かい好天。ついでに「イランイランの木」も鉢増しいたしました。この木は、かのマリリンモンローが愛用した、シャネル5番の香水の原料になることで知られています。育て始めて3年経過しても開花に至りません。万一コガネムシの幼虫などが入っていたら一大事です。
幸い根には異常は無く、自家製ボカシ肥料と腐葉土・赤玉土をブレンドして土を足しました。来年には花が咲いて欲しいと思います。かなりの大株になっているので室内の冬越しに場所を取られるのです。・・・来年咲かなかったら、、いいか、その時は分かってるだろうな。・・・


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篆刻印を彫る 2

2019年11月18日 | 書道
昨日は、篆刻印のお話でありました。今日も続きであります。

 平塚では、月に一回の第4土曜日に骨董市が催され、ワタシもたまに足を運びます。お目当ては書道用品。古い硯箱に入った硯、文鎮、篆刻印、印材などでありますな。他にも墨池という墨汁をためる容器や水差などもたまに見かけます。
ワタシは骨董趣味も、余計なお金も持ち合わせていませんから、専ら実用品でお安いものしか買いません。一個500円やそこらのものです。 

 よく買うのが、印材と既に彫ってある篆刻印です。ほとんどがタダ同然で無造作に置かれております。書道を長くやっているとおぼしい篆刻印は、名前であったり雅号であったり趣のある文字が残っています。
 思うに、これらの持ち主の多くは既に他界し、家族が遺品整理で処分したものでしょうね。現役で書道をやっている人は、自分のアイデンティティーである印章を売ったり捨てたりはいたしません。ましてや、心を込めて彫ったものには思い入れがあるに違いないでしょう。
 彫っては削りを繰り返して半分ほどに短くなった印材を見つけて手にすると、名前しかわからない見知らぬどなたかが、長年書道に打ち込んできたであろうと想像して感慨を覚えます。こうした印は、少しづつ削っては再利用いたします。もとの印影は跡形もなくなりますが、それが宿命であり泡沫のごとき人生と重なりますね。それをどこかで見ている元の持ち主が居たとしても、きっと喜ぶに違いありません。そう思いながら、少しずつ削れて浮いていく印石の粉を払っております。

 それはそれとして、よく手元が見えません。若い時分遠視だったのが災いしてか、老眼が早く、ぼやけて見えるのです。さらに老化によるカスミ目、メガネは曇っとるし。

ここはひとつ「ハヅキルーペ」の出番です。ワイフから貰ったこれでどうやら刃先が見えます。┐(´∀`)┌ヤレヤレ

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篆刻印を彫る

2019年11月17日 | 書道
書道に本格的に取り組むようになって3年以上経過しました。小学校三年生の時にお習字教室に半年通って以来、自己流で字を書いていました。会社勤めの頃から、一度きちんと基礎から学びたいと思っており、退職を機に先生に付くことにしたのです。

古来から名筆といわれる古典を摸書する「臨書」を、ほぼ毎日継続して練習しております。


例えばこれは、空海の手になる「風信帖」という書簡の臨書したものです。(へたっぴーですが)
 行草書に分類されますが、オリジナルは国宝で、空海が最澄に宛てた手紙で、日本の書の最高傑作ともいわれる超有名なものです。本当は5通あったのが、盗難やら何かで2通が失われ3通が現存しているとのことです。
 ワタシの臨書は、通算では1年近く取り組んでいるのですが、未熟なため正直その凄さはよくわかっておりません(汗)
 
 この書簡を、縦書きの半切(条幅)に書いて、作品作りをいたしておるさ中であります。よく考えると大それた選択なのですが、まぁいいでしょう。

何十枚かあるいは100枚以上書いて、一番良さそうなものを先生に選んでもらいます。自分ではどれが良く書けているのかあまり区別がつかないのです。そしてそれに、自分の名前をサインして押印します。これを「落款」と言いますね。

このハンコ、これが大事であります。先生に言わせると最後の署名捺印が決め手になるのだそうです。ハンコは、実はほとんど自作、自分で彫るのです。一般に「篆刻印」と呼ばれますが、別に「篆書」でデザインする決まりはなく、絵でも字でも自由に彫って差し支えありません。ただ、このハンコのデザイン・書体は書道のジャンルの一つなので、きちんとした書画を下書きし、古いテイストの印影を醸し出すのが技術であり、作品の評価対象ともなります。名のある書家や画家さんが自署・自作であることの証明にもなっていますね。ワタシ達レベルでは関係ありませんが、それでも朱色の押印があるだけで「らしく」なりますよ。

そのハンコの材料、これを印材といいますが、ほとんどが中国産の青田石・寿山石などとされ、きめが細かく柔らかい(彫り易い)のが基本です。中には非常に希少な黄色い半透明の田黄石というのがあるそうですが見たこともありません。
この印材の持ち手側に飾り彫りをしたものを鈕(ちゅう)と呼びます。これは勿論、書の評価にはなんら関係ありません。単なる趣味です。

これに、逆さ文字を書いて彫りますが、篆刻用印刀を用います。以前、細い箇所を彫るために、ニードルみたいな小道具を使っていたら、「それは邪道よ」と叱られました。印刀一本を自在に駆使して彫るのが本道らしいです。(´・ω・`)

作品作りには欠かせない篆刻印作り、最初は手元が狂って失敗しますが、その時は紙やすりにかけると簡単に削れ、平らになります。しかしあまり何度もやり直すと、だんだん「チビ」て来ますし、時間の無駄ですからやはり細心の注意を払って慎重に掘り進めます。本来はここで、自前の篆刻印を披露するところなのですが、それがどこかに行ってしまって見つからないのです。

というわけで、いくら探しても見つからず仕方なくまた新たに作ることにいたしました。これも書道の練習、やりましょうよ。
どうせ暇だから。
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老醜をさらすことのあさましさ

2019年11月16日 | 時事
政財界でトップレベルに達した人たちは、総じて60歳を超え70歳になっても80になってもその座を降りない方が結構大勢居らっしゃるようです。

ワタシのちっぽけな会社では、セブンイレブンに店舗を貸しているのでなにかとセブンイレブンの動向が気になるところではあります。この創業者は言わずと知れた鈴木会長でありますが、元はイトーヨーカ堂出身で、伊藤一族の影響下にもあります。功労者であり、高い経営手腕を発揮していた井坂社長はお家騒動に巻き込まれて解任されるような事態に発展しました。結局は、鈴木さんが外されて井坂さんが残ることになったようですが。鈴木商店と揶揄され、古い体質から抜け出せないままでいたようです。以前は、月に一回全国の店長(オーナーと呼びます)を本社に集めて、鈴木会長自ら檄を飛ばすなんてことをやっていたと聞きました。徹底した拡大路線のために不採算店舗が増え、雇用確保が難しくなり、不満を持つオーナーとの対立なども表面化しました。

 鈴木体制が終わりを迎え、ここのところ随分経営方針が転向してきたようです。やはり、古い経営者が上にいるとひずみが徐々に大きくなるようで、鈴木さんは晩節を汚したなどという評価もされていますね。

 池袋で大勢の方を死傷させた元院長などは、老醜どころか老害としか言えません。「高齢者が安心して乗れる車を開発して」などと、人をはねて死なせた責任を車のせいにするなど、言語道断です。こういう人物は即刻交通刑務所に収監すべきなのに司法は「容疑者」扱いしませんね。

 歌手やタレントさんがいつの間にやら歳を取り、見る影もなく衰えた姿を見かけます。歌手では、サブちゃんはじめ和田あっこさん、沢田研二など外見で幻滅するような姿になった方はきりがありません。のみならず、声が出なくなって人に聞かせるようなレベルでなくなった歌手も平気でテレビで歌っています。加藤登紀子さんや内藤やすこさんなどは全く声が出なくなりました。森昌子さんや岩崎宏美さんものびやかな高音が美しかった歌唱力が衰え、聴いているのがだんだん苦痛になって来ます。

 コマドリ姉妹とか整形を繰り返した弘田三枝子さんなどはもはや論外でありますが、どうして容姿が衰え老化が目立ち、聴くに堪えないほど劣化した歌唱をテレビの前にさらすのか理解が出来ませんね。若いころから喉を鍛えボイストレーニングをしているでしょうに。芸能人たるもの外見に気を使い、肌の老化や体形の変化に最も気を使うはずが、どうしてこれほどまでに老いさらばえ醜く肥満するのでしょう。

昔有名な女優さん「原節子」さんは40歳を過ぎてすっぱりと隠遁しました。山口百恵さんも芸能界に戻ってくることはありませんでしたね。好きな歌手「ちあきなおみ」さんも惜しまれながら若くして身を引きました。この人達のその後の半生はけっして惨めではなかった、むしろ豊かな人生ではないかと想像します。

そもそも、その容姿の変化や歌唱力の劣化が本人が一番わかっているはずですのに、それでも人前に出てくるはお金の問題なのでしょうか。若いころ十分すぎるほどの収入を得て資産を形成し、長年印税等の収入もあるでしょうから老後の生活が不自由とも思えません。
 わずかな出演料を貰って、若き時代に醸成した素敵で華やかな美貌や歌の印象を台無しにしてまでのことがあるのでしょうか。老醜をさらしているとしか思えないのですがね。

思うに、人の人生は平坦な一本の道でつながっているのではないということでしょう。若いころに極めた道を外れ、脇道や階段に逸れて全く違う生活や余生を楽しむということも一粒で二度おいしいような気がします。
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