すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【サッカー日本代表】ハリルは選手がクラブで培った連携力を破壊する

2017-12-16 08:31:08 | サッカー戦術論
彼は「フィロソフィ型」の監督の典型である

 スポナビ・ブログで興味をひく記事があった。「ハリルは選手たちがクラブで培った連携を一度バラバラにしてからでないと起用しない」みたいなお話だ。

 ちょうどつい先日、サッカージャーナリストの西部謙司氏も似たような記事を書いていた。それは「小林悠ら川崎フロンターレの選手を何人も呼んでるんだから、川崎勢の連携力や戦術を使えば勝てるのに」みたいな趣旨である。

 実はどっちの記事もハリルが「セレクター型」の監督であることを前提に書かれている。だがそうじゃなくハリルは「フィロソフィ型」の監督だから、彼らの論法は当てはまらない。で、議論がかみ合っていない。その食い違い方が興味深かった。

 ちなみに「フィロソフィ型」と「セレクター型」の監督のそれぞれの特徴や違いについては、この分析記事この記事あたりを参照してほしい。

 カンタンに説明すると「フィロソフィ型」の監督というのは、自分の内なるフィロソフィ(サッカー哲学)を実現するために監督をやっている人種のことだ。彼は集めた選手を手駒に使い、自分の考えるサッカースタイルを形にすることで自己実現する。達成感を得る。つまり彼にとって選手とは、自分の自己実現のための手段であるわけだ。

 このタイプの場合、自分のサッカー哲学を具現化するためのシステムや戦術がまず先にあり、それに合う選手をあとから集めるようになる。だから往々にしてこっちのタイプは、選んだ選手を自分の鋳型(システムや戦術)にハメ込むようにチームを作る。

 そして選んだ選手がもし鋳型に合わない場合も、無理やり鋳型に合わせるプレイを選手に強要する。なぜなら彼にとって自分のフィロソフィこそが唯一絶対なのだから。

 これに対し「セレクター型」の監督とは、まず能力のある選手を上から順にセレクトする(集める)ことから始める。で、選んだ彼らを生かし、彼らの特徴を引き出すシステムや戦術は何か? をあとから考えるタイプ️である。

 やわらかく言えばフィロソフィ型の監督は「オレはこういうサッカーがやりたいんだ」という自分の哲学に基づきチームを作ることで自分が満たされ、充足するタイプだ。いかにも自己主張が強いハリルらしい。

 ハリルの場合、彼のフィロソフィとは「守備からのショートカウンター」である。で、それを実現するための要素として「タテに速い攻め」があったり、「ハイプレス」があったりする。そういう自分の描くポリシーを選手に求める。わかりやすくいえば自分の理想を選手に押しつける。

 さて冒頭にあげた2本の記事が、ハリルのようなフィロソフィ型の監督には「いかに合わないか?」がわかるだろう。だってハリルにとって「川崎フロンターレの戦術を借りて勝った」としても、ちっとも自分が満たされないのだ。

 いやそれどころか逆に「他人が考えた戦術を使うなんて冗談じゃない。それじゃオレがサッカー監督やってる意味がない」って話になる。つまりハリルが集めた川崎フロンターレの選手たちがクラブで培った「連携力」をそのまま使って勝っても、ハリルはちっとも自己実現できないのだ。

 その意味で冒頭にあげたスポナビ・ブログがいう「ハリルは選手たちがクラブで培った連携を一度バラバラにしてから起用する」というのは的を射た指摘である。

 でもふつう、こういうタイプはあちこちから選んできた選手をコーディネートする代表監督というより、じっくり自分の理想を形にし育成していくクラブチーム向きだと思うのだが。まあフィロソフィ型であろうがセレクション型であろうが、勝てればいいんだけどね。

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