関西人のつぶやき

ジャズピアノプレイヤーmatsucofの音楽と日常

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今日は母の誕生日

2013年05月16日 15時34分10秒 | Weblog
何と今日で80歳を迎えました。さっき電話をしたら、ものすごく元気におしゃべりしてました。昭和8年生まれ、まだ第二次世界大戦前のことです。どんなことがあった年なのか調べてみました。
1933年は天皇陛下のお生まれになった年でした。そういえばずっと同じ学年なんだと自慢してたっけ(笑)
ビスコが10銭で発売になりました。今も現役の人気お菓子。そう考えると80年ってわりと最近な気がしてきました。あ、食べたくなって来た。
松坂屋の女性店員の服装が和装から洋装になったそうです。昭和の初め頃は、洋装と和装が入り交じる感じだったんでしょうね。私が子供の頃(昭和40年代)でも、冬になると両親は着物を着ていました。

私の母は小柄で生まれつき股関節が弱く、骨盤も小さかったことから出産は帝王切開と決まっていました。子供の数も2人まで、と医者から決められていたそうです。当時としては遅い28歳での第1子出産。姉はやはり股関節脱臼で、2歳頃までギブスをしていたらしい。この子が少し大きくなるまでは2番目は産まない、ということもあり、色んな事情で結局4回目の妊娠で私が生まれ、ドクターストップとなりました。相当ギリギリの確率で私という人間がこの世に出てきたわけです。

中学生の時、私を出産した時の手当てが悪かったようで、腸閉塞になり手術しました。まだ12歳くらいだったので、母の入院は寂しかったんだと思う。もう歩けるようになった母が、1回5円の病院のガスコンロで作ってくれた、サッポロ一番みそラーメンの思い出が忘れられません。
何年も経って父から、あの時お医者さんに「もしかしたらがんかもしれない」と告げられていた、ということを聞きました。あの時もし母がそのまま亡くなっていたら・・・そう考えると涙が止まらなくなりました。生きててくれて本当によかった。大人になってからは色々と言い合ったりもするし、がんこなお年寄りのぐちを姉と話したりもするけれど、それは元気でいてくれるから言えること。股関節の手術で結局、合計5回も体にメスを入れた母ですが、足が治ってからはすこぶる元気で、大きな病気はしたことがありません。

どうでもいい事にくよくよする母だけど、実は超楽観主義なのかもしれません。きっとそれが今まで色んなことがあっても、結果いい方向に行くようになっていた。うーん、やっぱり母はすごいお誕生日おめでとう。