2016年5月28日 上田ダム
2024年4月14日
上田(うわだ)ダムは左岸が福島県大沼郡金山町中川、右岸が同町水沼の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、本名ダムとともに1954年(昭和29年)に完成したのが上田ダムです。
ダムの完成により上田発電所で最大4万2600キロワット(のちに6万3900キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。
2023年(令和5年)に上田ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
上田ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
上田ダムは国道252号線が走る右岸側からのアプローチとなり、天端は車両通行可能です。
まずは左岸に渡りダム下流から。
右岸側に洪水吐ローラーゲート5門、左岸側に上田発電所という配置。
(2016年5月28日)
ローラーゲートはいずれも2段ゲートになっています。
(2016年5月28日)
上田発電所
完成当初は出力4万2600キロワットでしたが、のちに6万3900キロワットに増強されました。
(2016年5月28日)
発電所の放流口。
(2024年4月14日)
左岸上流側にあるコンクリートの遺構
クレーンの台座?
奥にはグリーンの作業船。
(2024年4月14日)
左岸上流から上流面
手前に発電用取水ゲート6門、奥に洪水吐ゲート5門
本名ダムと同様ピアは鉄骨トラス剥き出し。
豪雪地帯ということで被覆されています。
(2024年4月14日)
取水ゲートとピア。
(2024年4月14日)
天端からの下流の眺め
2011年(平成23年)新潟・福島豪雨の際には右手の集落があわや流出という水量だったそうです。
(2024年4月14日)
取水ゲート上流側の除塵機
右奥は分割式予備ゲート。
(2016年5月28日)
右岸から下流面
ゲート数は異なりますが、左岸に洪水吐ゲート、右岸にダム式発電所という配置は同時に建設された本名ダムと瓜二つ。
減勢工には四角いバッフルブロックが並び、左岸側(向かって右手)の1番ゲートだけ導流壁で仕切られています。
(2016年5月28日)
天端は車両通行ができますが、道路は対岸で途切れます。
たぶん山への入会権への配慮から開放されていると思われます。
手前の青いトラスは分割式予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)
右岸にはおなじみ白洲の石碑と上田発電所の説明板。
碑文は
『建設に盡力したみなさん これは諸君の熱と力の 永遠の記念碑だ
上田発電所竣功に際して 白洲次郎』
(2024年4月14日)
上流面
手前から予備ゲート運搬用クレーン、洪水吐ゲート、発電用取水ゲートという並び。
(2024年4月14日)
発電用取水ゲート上流側の除塵機。
(2024年4月14日)
選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)
上流から遠望
(2024年4月14日)
(追記)
上田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
0487 上田ダム(0409)
左岸 福島県大沼郡金山町中川
右岸 同町水沼
阿賀野川水系只見川
P
G
34メートル
283.7メートル
20500千㎥/4426千㎥
東北電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム
おはようございます
白洲次郎と福島県のダムの関わり
知らなかったことを知るのは
実に興味深く楽しいことです。
まっちさんのおかげで
2016年に訪ねた福島の旅の、
また別の面を思い出させてくれました
言葉を変えれば白洲の尽力というよりは、阿賀野川と只見川を東京電力から奪取するために招へいされたのが白洲だったということだと思います。