ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大小溜池

2023-06-08 17:07:00 | 福岡県
2023年5月19日 大小溜池

大小溜池は福岡県八女市黒木町北大淵にある灌漑目的のアースフィルダムです。
八女市黒木町では9基の灌漑用溜池が堤高15メートル以上のダムとしてダム便覧に掲載されていますが、うち7基が位置未確認となっています。
大小溜池はそのうちの一つで、ダム便覧には1912年(明治45年)に黒木町の事業により竣工と記されており、当時の町営事業で建設されたと思われます。
管理は受益者で組織される大小ため池組合が行っています。
北大淵地区は平坦地がほとんどなく水田の多くは矢部川沿いや緩斜面を開墾した小規模水田です。
池は矢部川右岸標高470メートルの高所に位置し、これらの水田の開墾に合わせて建設されたと思われます。
大小溜池はダム便覧に経緯度が記載されていない『位置未確認』物件ですが、八女市が作成した『大小溜池ハザードマップ』で位置を特定できます。

池の北側を市道が通り、入り口から数十メートルで天端右岸に到達します。
天端や堤体は定期的に草が刈られているようですが、訪問した時期が悪かったのか?そこそこ草が伸びています。


池の下流は延々と杉林が続きます。
受益農地は遥か下流。


総貯水容量2万7000立米の小さな貯水池。
田植え時期を控えほぼ満水。


天端中央の池栓
手前のパイプは空気孔。


左岸に建つ築造記念碑
大淵村第一耕地整理組合の名が見えます。
耕地整理組合は地主による組織で小作は加入できません。
戦後の自虐史観では地主制度は小作の搾取制度という教えをしていますがそれは間違い。町営事業や県営事業と言っても資金の大半は地主が拠出します。
全国的に見ても多くの溜池や灌漑設備の多くは地主や庄屋たちが自前で資金を出して整備しており、没落する地主も多々ありました。


こちらの碑には『大正二年7月十六日竣工』と記されています。
大正2年は1913年でダム便覧の1912年とはずれがあります。


上流面
満水に加え草が伸び護岸等は不明。


左岸を掘り込んだだけの洪水吐
対岸に竣工当時のままと思しき苔生した丸石積みの擁壁があります


長いコンクリート製の導流部が左岸を流下します。


下から見上げると
コンクリート製の導流部は平成のどこかで改修されたものです。


注目すべきは導流部の最下部で、導流面が丸石積になっています。
洪水吐の擁壁とも合わせて、竣工当時は洪水吐や導流部全体がこのような丸石積みで作られていたと思われます。
さらに下に下りて底樋管等を確認したかったのですが、急斜面に加え悪天候もあり自重しました。


左岸から見た下流面
こちらも定期的に草は刈られているようですが、かなり草が伸びていました。

2372 大小溜池 (1986)
ため池データベース 402101038 
福岡県八女市黒木町北大淵
矢部川水系右支流(河川名不明)
15.1メートル
60メートル
27千㎥/27千㎥
大小ため池組合
1912年

森樫溜池

2023-06-06 17:10:37 | 福岡県
2023年5月19日 森樫溜池

森樫(もりかじ)溜池は福岡県八女市黒木町大淵にある灌漑目的のアースフィルダムです。
八女市黒木町では9基の灌漑用溜池が堤高15メートル以上のダムとしてダム便覧に掲載されていますが、うち7基が位置未確認となっています。
森樫溜池はそのうちの一つで、ダム便覧には1919年(大正8年)に黒木町の事業により竣工と記されており、当時の町営事業で建設されたと思われます。
管理は受益者で組織される剣持耕地整理組合が行っています。
矢部川支流剣持川流域は狭隘な谷が続き平たん地がほとんどなく水田の大半は急斜面を開拓した小規模な棚田です。
池は剣持川右岸標高500メートルの高所に位置し、これらの水田開墾に合わせて建設されたようです。
森樫溜池はダム便覧に経緯度が記載されていますが数値が誤っており、正確な位置は八女市が作成した『森樫ため池ハザードマップ』特定できます。

ダムへのアクセスですが国土地理院地形図やグーグルマップは道路の表記が不正確なので注意が必要です。
池は中央部分がくびれたひょうたん型で、白線部分が天端、オレンジ丸が取水設備、黄色丸が底樋管、洪水吐は北側のピンク丸となります。



池へは北側からアプローチします。
洪水吐は道路と交差し、越流の際は道路のコンクリート部分を越えてゆきます。


貯水池から見ると。


洪水吐導流部。


北側の貯水池
写真左手前が洪水吐となります。


天端を通る道路
左が貯水池、右が下流面になりますが、共に竹林になっており見た目は何が何やらわからない。


左岸から
手前のトタン屋根と奥の茶畑の間の斜面の森が堤体となります。


南側の貯水池
左手が堤体になります。
貯水容量1万6000立米の小さな溜池ですが、平地のない山間部の農地にとっては貴重な水源です。


これが上流面となり、草むらの左手を天端道路が通ります。


左岸湖畔の取水設備。
木栓を使った昔ながらの池栓


草むらをかき分け左岸池下に到着。
防獣柵があるため、下流からは到達できません。


底樋管
田植え時期を控え水が流れています。


樋管のすぐ下流に簡易な分水工があります。
今は斜面の水田に水を送るため、右手の水路に水が送られています。


地図から想像するよりも険しい山地で、文字通り猫の額程度の農地を開拓するために標高500メートルの高所に水源を求めて作られたのが森樫溜池です。
高齢化等により池の草刈り等の余裕はないのでしょうが、比較的新しい木栓が今も貴重な水源であることを示しています。
一方池の周りには茶畑が広がっています。
八女茶ブランドが確立し当地での農業の主役は茶生産のようです。

2382 森樫溜池 (1985)
ため池データベース  402101035 
福岡県八女市黒木町大淵
矢部川水系剣持川右支流
15メートル
50メートル
16千㎥/16千㎥
剣持耕地整理組合
1919年

金堀谷溜池

2023-06-04 17:10:49 | 福岡県
2023年5月19日 金堀谷溜池

金堀谷(かなほりたに)溜池は福岡県八女市黒木町今にある灌漑目的のアースフィルダムです。
八女市黒木町では9基の灌漑用溜池が堤高15メートル以上のダムとしてダム便覧に掲載されていますが、うち7基が位置未確認となっています。
金堀谷溜池もその一つで、ダム便覧には1939年(昭和14年)に黒木町の事業により竣工と記されています。
当時の町営事業で建設されたと思われ、管理は受益者で組織される金堀谷溜池水利組合が行っており、池の南方、矢部川右岸段丘上の水田に用水を補給しています。
金堀谷溜池はダム便覧に経緯度が記載されていない『位置未確認』物件ですが、八女市が作成した『若山・金堀谷溜池ハザードマップ』で位置を特定できます。

国土地理院地形図の池周辺の道路は不正確、またグーグルマップでは道路が記載されていませんが、舗装された車道が右岸を通り車でのアプローチが可能です。
天端は未舗装ですが九州電力の送電線巡視路となっており、こちらも小型車の通行なら問題ないでしょう。


天端脇だけ草が刈られており、上流面は草ぼうぼう。


右岸の洪水吐
越流部などはなく掘り込みが入っているだけ。


導流部は道路を潜って堤体右岸を流下します。


右岸湖畔の池栓。
複数の穴に木栓を差し込む昔ながらの取水設備。


上流面。


総貯水容量はダム便覧で1万4000立米、ため池データベースで2万4000立米
いずれにしても小さな溜池に違いありません。


下流面
こちらは上流面以上に草ぼうぼう
近年は受益農家の離農や高齢化で草刈りの手もままならないようです。


さらに引いて撮ります。
木も生い茂り堤体は緑の中に埋没しています。
堤高はダム便覧が15.9メートル、ため池データベースが16.9メートル
見た目は微妙な高さですが、谷を塞き止めており堤体基部はさらに下流に続きます。


下流から踏跡を辿り、池直下に到達できました。
口を開けているのは底樋管、上の水路は洪水吐導流部。


底樋管から用水路が続きますが、かなり土砂に埋まっています。
今は水路内の黒いパイプで導水しているようです。

ダム基部の石積擁壁。
高さは3メートルほどありますが、九州北部水害で被災したようでかなり崩れています。注目すべきは積まれている石が黒色片岩である点。
片岩は薄く割れやすいため石積みには不向きなんですが、この辺りは三郡変成帯で片岩が広く露頭しており、この石しか入手できなかったのでしょう。
同様に片岩が使われている溜池としては、愛媛県の渕ヶ谷溜池があります。


荒れ気味ではありますが、いまだ現役の溜池であることが確認できました。

2346 金堀谷溜池 (1984)
ため池データベース 402101002 
福岡県八女市黒木町今
矢部川水系右支流(河川名不明)
15.9メートル(ため池データベース 16.9メートル)
38.4メートル(ため池データベース 41メートル)
14千㎥/14千㎥(ため池データベース24千㎥/)
金堀谷溜池水利組合
1939年

片田貯水池見学

2023-06-02 18:09:55 | ダム見学会
2023年4月24日 片田貯水池見学

4月は4泊5日で岐阜から紀伊半島のダムを回りましたが、お目当ての一つが津市の上水用水源である片田貯水池でした。
戦前の貴重な水道施設として『近代水道百選』や近代土木遺産に選ばれており、ダム下は園地で水道資料館が開設される一方、貯水池構内への立ち入りは禁止になっています。
今回、管理する津市上下水道事業局のご厚意により片田浄水場長さまの案内で見学が叶いましたので、ここでその詳細を紹介したいと思います。
なお、ダム便覧では『片田ダム』となっていますが、津市上下水道事業局では『片田貯水池』の名称を使っており、ここでもそれに従うことにします。

ダム便覧にも掲載されている定番スポットから
堤体にはもこもこのツツジが植えられ、片田貯水池の売りとなっています。
できればツツジが満開の折に訪問したかったのですが・・・。


門柱は竣工当時のもので表札には『津市水道水源地』の文字。
奥は水道資料館ですが、月曜日が休館日ということでこの日は見学できず。

職員さん到着前に左岸の田んぼ沿いを散策
ツツジが満開になると鮮やかだろうなあ!


職員さんが到着し園地内へ
この木造建屋は旧管理事務所で竣工当時のもの
Cランクの近代土木遺産です。


かつては取水設備や洪水吐操作のため、職員さんが24時間常駐していたそうです。

園地内のモニュメント。


園地は月曜以外の昼間開放されていますが、貯水池構内は立ち入り禁止。


職員さんに開錠していただきます。


堤体直下の水路
ドレーン水路で石積みの擁壁は竣工当時のまま。


堤体中央に階段が設けられています。
堤体自身はBランクの近代土木遺産。


振り返ると。


園地には桜が植えられ、桜の時期はそこそこ賑わうそうです。
園地左手を岩田川が流れます。


階段最上部。


堤頂部の階段。
等間隔に5基並んでおり装飾として設けられたようです。


貯水池側がさらに高くなっており、コンクリートの擁壁が設けられています。


貯水池は有効貯水容量129万立米で、集水はすべて雲津川水系長野川からの導水によります。


右岸から
対岸に取水塔があります。


このコンクリートの壁は竣工当時のものではなく、後付けされたとのこと。


取水塔とトラスの管理橋。


今度は左岸に移動。
手前の鉄パイプは流木引き揚げのために組まれています。


上流面はコンクリートブロックで護岸。
河道外貯留ですが、流木がすごい。




取水塔と鋼トラスの管理橋
こちらもCランクの近代土木遺産。
設計は片田貯水池建設を指揮した上水道の父中島鋭治


管理橋入口の親柱は六角形
こういう細かい意匠も手が込んでいます。


円筒部はRC造
右手の縦管は空気抜き
この当時の取水塔だと屋根が円蓋になっていることが多いのですが、ここは平面。






取水塔からさらに上流に進むと洪水吐が現れます。
手前は木製のゲートリーフが嵌め込まれ、奥は自由越流。
ゲート部分にはかつては巻き上げ式の起伏ゲートが設置されていました。
近年は雲津川水系から導水した水が別水系の岩田川に溢れるのは宜しくないという国交省の指導もあり、洪水吐からの溢流は極力避けるよう運用されています。


扶壁に円形の起伏ゲートのガイドがあります。


上の滑車でゲートの開閉を行っていました。


導流部はトンネル
トンネルの先で岩田川に流下します。
擁壁は石積み、流路は石敷きでいずれも竣工当時のもの。


トンネル入り口は立派なポータル。

今回はダムを管理する津市上下水道事業局のご厚意によりダムの見学が叶いました。
これまで学校単位の社会見学等はあったそうですが、いわゆるダム愛好家個人での見学依頼は例がなかったとのこと。
上下水道事業は限られた人員で運用されており、今後同様の要望をする際はできるだけ人数をまとめてお願いしたいとのことでした。
いずれにしても多忙の中対応厚く御礼申し上げます。
今回は資料館があいにくの休館日、折角なのでツツジが見ごろに時期にぜひ再訪したいと思います。

片田貯水池(片田ダム)

2023-06-01 18:25:55 | 三重県
2023年4月21日 片田貯水池(片田ダム)

片田貯水池は三重県津市片田薬王寺町の岩田川源流部にある津市上下水道事業局が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
津市では1925年(大正14年)に近代水道事業が認可され、その貯水池として1929年(昭和4年)に竣工、翌年から運用が開始されたのが片田貯水池です。
雲津川支流長野川で取水された水が約2キロの導水トンネルで当貯水池に貯留され、さらに併せて建設された片田浄水場を経て市内に給水されます。
戦後の人口増加や水道需要増を受け新たに君ヶ野ダムからの補給が開始されますが、片田貯水池は現在でも旧津市向け水道の約4割を担う主力貯水池となっています。
一連の水道施設は『近代上水道の父』と呼ばれる中島鋭治の設計、指揮のもとに建設され戦前の貴重な水道施設として『近代水道100選』に選ばれているほか、堰堤がBランク、旧管理事務所及び取水塔がCランクの近代土木遺産に選定されています。

片田貯水池は敷地内に水道資料館が開設される一方、貯水池構内への立ち入りは制限されています。
今回は事前に見学申請を行い片田浄水場長自らの案内で貯水池の見学が叶いました。
見学の詳細については『片田貯水池見学』をご覧ください。
またダム便覧には『片田ダム』として掲載されていますが、津市上下水道事業局及び管理局では『片田貯水池』の名称を使っておりここでも片田貯水池と記すことにします。

下流から遠望 
堤高26.6メートル、堤頂長131.6メートル 
犬走を挟んだ3段構成で、堤体に植えられたもこもこツツジがシンボルとなっています。 
本当ならばツツジが満開の時期に来訪したかったのですが… 


左岸から。


貯水池正門
門扉は石積みで竣工当時のもの。
表札には『津市水道貯水池』
正面は水道記念館ですが、訪問した月曜日は休館日。
ダムの中は見れますが、資料館が見れないという・・・。


木造の旧管理事務所
こちらも竣工当時のもので、Cランクの近代土木遺産。


堤体から見下ろすと
ダム下は園地になっており、水道資料館開館時は開放されます。
桜の時期には程々賑わうようです。


堤頂部の階段。
特に機能はなく、堤頂に等間隔に5基並んでおり装飾として設けられたようです。


貯水池
有効貯水容量129万立米で、そのすべてが長野川からの導水に依る河道外貯留ダムです。


堤頂部にはコンクリ―壁
職員さんのお話では後付けのようです。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


左岸の取水塔とトラスの管理橋。
共にCランクの近代土木遺産です。
設計した中島鋭治はもともとは橋梁建築を目指していたそうですが、政府の意向で留学先では水道や衛生学を学び帰国後その大家となりました。
職員さん曰く『このトラス橋は橋梁に憧れた彼の思いが込められているのかも』

上流から。


左岸の洪水吐
手前には木製のゲートリーフが嵌め込まれ、奥は自由越流となっています。
ゲート部分にはかつては巻き上げ式の起伏ゲートが設置されていました。
近年は雲津川水系から導水した水が別水系の岩田川に溢れるのは宜しくないという国交省の指導もあり、洪水吐からの溢流は極力避けるよう運用されているそうです。


導流部は隧道で流路や側面の擁壁も竣工当時のもの。
トンネル入り口には立派なポータル。
隧道の先から貯水池左岸側を流れる岩田川に流下します。

今回は津市上下水道事業局のご厚意により、貴重な貯水池内の見学が叶いました。
関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。
ただ訪問日が資料館休館日だったことが惜しまれます。
機会があれば、堤体のもこもこツツジが満開の時期に是非とも再訪したいものです。
 
1320 片田貯水池(1983)
三重県津市片田薬王寺町 
岩田川水系岩田川(雲津川水系長野川より導水) 
 
 
26.6メートル 
131.6メートル 
1478千㎥/1293千㎥ 
津市上下水道管理局 
1929年