晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

海外通販サイト(米国)でギター検索              312

2011年08月19日 23時32分54秒 | 音楽・楽器
■本日(8/19<金>)は帰宅して新聞を見ると円高が続いて、“1ドル 76.25円”とのこと。
早速、海外通販サイトでギターを検索しました。


■海外通販サイト(米国)でギター検索
マーチンD18 1970年代のブルーケースのギターが欲しいのですが、日本の中古相場は
約18~25万円です。
海外通販(米国)では、どれくらいの価格でしょうか、検索。
エルダリー、グルーンギターズ、マンドリンブラザーズなどありますが、以前購入実績(マーチン
弦、シャーボのカポ、マーチンギター・ピンバッチ等)があるエルダリーを検索する。

○エルダリー・インストロメンツ
01:エルダリーのホームページ
英語のホームページが表示され、英語が苦手な人はここでパスするのですが、
Webの世界は進化しています。

○グーグルの翻訳を使用しましょう (知っている人は勿論ご存じですね)。
02:先ず “Google” の画面を表示
03:ツールバーの “もっと見る” を選択、プルダウンの “翻訳” を選択
04、05:Google翻訳 
英語から日本語に翻訳、ウェブサイドのアドレスをコピーして、エンターを押す
06:日本語に翻訳した 「高齢者楽器」(笑)のホームページが表示されます。
「旧式の楽器(ビンテージ&中古楽器)」の翻訳が正しいかな。
このグーグル翻訳は、他のジャンル(山用品、スポーツ用品、雑貨等)にも使用できますよ。

早速、見てみましょう。左側の部署、ギターを選択。
07:ギター部 アコースティックギター マルティンス(マーティンのこと)中古を選択。
08:マーティンギター  マーティンギターのビンテージ&中古楽器が表示。
MARTIN D-18(1976) 続きを読むをクリック
09、10、11:MARTIN D-18(1976)
コンデションはEC-(エクセレント コンデション:良好な状態 マイナス)
各部分と写真が掲載され、ケースはもちろんブルーケース。
写真をクリックするとズームイン出来ます。
▲価格は 1,475.00ドル (1,475ドル×80円/ドルで換算=約118,000円)。

※写真を見る限り、大きなキズやクラック、そして大幅な部位の交換は無いようです。
しかし、ギターは個体差があり、ネックを握った感触やブリッチの高低、そして肝心な音、
響き、サステーン等、写真だけでは分かりません。
ただ、エルダリーは長年米国で通販を行っているので、極端に悪いコンデションは信用
問題につながると認識します。皆さん冒険しますか(笑)。

12:右上の “私達に連絡して下さい” をクリックする。
メールアドレスや電話番号が表示されるので確認。
13、14::引続き右上の “助け/ポリシー” をクリックする。
送料 “国際配送” をクリックする。
15:国際配送料
日本国、大型楽器(ギター)
▲フェルデックス 185ドル(185×80=14,800円)、UPS 331ドル(331×80=26,480円)
納品は、7~10日間以上?

▲航空保険特別料金
1,475ドル/100ドル×0.70ドル=約11ドル(11ドル×80円=880円)

▲関税について、楽器・弦楽器は “無税” です。

▲通関手数料は小包1個について、200円?

▲消費税
118,000 +26,480+ 880+200円=145,560円
145,560円×0.6×5%=約 4,400円

▲118,000円+26,480円+ 880円+200円+ 4,400円=149.960円   約15万円
魅力ある金額ですね。
カートに入れ、勿論、支払いカード(ビザ、マスターカード等)となります。

※それにしても、マーチンギター D18 ブルーケースは欲しい!
  PCで画面を選択すると大きく表示されます。




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BSジャパン イルカ・ライブSP                    311

2011年08月15日 11時00分22秒 | 音楽・楽器
■本日(8/14<日>)は朝から、昨日の山道具を洗い、ブログをアップし、墓参りに行き
マッタリしていました。アミノバイタル・プロのお陰か、全く疲れもなく、筋肉痛もありません。
20:00からBSテレビの“イルカライブ”を観ました。


■BSジャパン イルカ・ライブSP
・チャンネル:BSジャパン 
・放送日時 :2011年8月14日(日) 20:00~21:55
・イルカ・ライブSPフォークと歩んだ40年
・大自然・富士山の麓で野外ライブ

○イルカさんもデビューして40年ですか・・・、昔と変わりませんね。
ギターはマーチンD35。

○スペシャルゲストは、南こうせつ・伊勢正三 です。
○伊勢正三さんは “22歳の別れ”を歌う、ギターは何処のメーカーかな?。
でも声量が今ひとつでした。
○南こうせつさんの歌?、ギターはヤマハ・カスタム(最近造ったギターかなぁ)。
長年、ライブで鍛えているので声量は抜群。

○イルカさんのお父さん、ジャズミュージシャンのサック奏者。
○イルカさんの息子さん、冬馬君 大きくなくなりましたね。たれ目が良くに似ています。
歌は声量もあり、高音も出ています。ギターはテイラー。

○なごり雪 1975年リリース トレードマークのオーバーオールジーインズ。
○かぐや姫 三階建の詩 1974年リリース。
○イルカさんの “なごり雪”を歌う。
○海岸通り 1979年リリース。
○本家のショーヤンが歌う、ギターは勿論、マーチンD45。

○皆で、こうせつさんの“うちのお父さん”を一緒に歌う。
イルカさんは、トレードマークのオーバーオールGパン。
アンコールがあり、イルカ・ライブが終了しました。

※何時までも頑張って欲しいですね。




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目ざせ、ニッポンのてっぺん! 富士登山(2011)          310

2011年08月14日 12時11分18秒 | 山登り
■8/13(土)は「たそがれて岳登」こと“黄昏さん”と富士登山(日登り・日帰り)
御殿場コースに行って来ました。


■目ざせ、ニッポンのてっぺん! 富士登山(2011)
今回の富士登山テーマは 「私は昨年のリベンジ(高山病でヘロヘロ)、黄昏さんはリハビリ
登山(室内クライミングで故障中)、そして昨年の記録更新(登り所要時間6時間40分)」。

千葉県君津市を車で04:00出発、東京湾アクアライン経由し、静岡県御殿場口新五合目
に07:00到着、晴天、絶好の登山日和。
高度順応を兼ねて、登山準備と朝食のオニギリを食べ(アミノバイタル・プロを飲む)ウォーミング
アップ。スタート前の元気な姿、黄昏さんは“たそがれ手”のTシャツです。

案内坂を確認し、07:40スタート(標高1,440m)、今回は、ビスタリ・ビスタリ
(ネパール語で「ゆっくり」)で登って行く。歩きにくい砂れきの単調な登山道、森林限界か、
高山植物だけが咲いています。
定期的にハイドレーションによる水分補給や飴・チョコ・梅を食べウィダーインゼリーの補給。

七合五勺(標高3,090m)の山小屋 ”砂走館”で小休憩、雲海の霧の中、少し寒くなり、
長袖のレイヤード。山頂を見上げると雲がかかっています。
二人で話しながら、順調に七合九勺(標高3,290m)の山小屋 ”赤岩八合館”に到着。
雲海が広がるが、頂上を見上げると晴れて来ました。

いよいよ、ガレ場、石がゴロゴロ歩きづらい、ここからは二人それぞれのペースで頂上
を目指すことになる。黄昏さんは痛み止め薬が効いたのか先行。
私は少しペースを上げると、頭がふらっとする、やはり高山病の症状が出てくる。
休みながら、少しずつ登って行く。登り優先なので下山者が登山道を譲ってくれます。
あと、どのくらいで頂上ですかと尋ねる。
黄昏さんから携帯電話に連絡が入る。「登頂(13:00  5時間20分)、マイペースで
登って下さい」と。
やはり高山病となりましたが、やっと登頂13:35 所要時間5時間55分。
黄昏さんから握手、「やりました!」 鳥居の前で記念写真(3,730m)。

鳥居前で休み、黄昏さんからテルモスの氷入り水を頂く「冷たくて本当に美味しい」。
昼食を採るが、お稲荷さんが少ししか食べられない、ウィダーインゼリーを飲むと吐く
のでグミを食べる。
頂上でトイレ(有料200円)を済ませ、山小屋でカルピス(500ml)を500円で購入
美味しい。
今回も体調が良くなく、時間の兼ね合いがあるので、「剣ヶ峰(3,776m昨年登頂)」
と「お鉢巡り」はパス。
来年の楽しみに残し、下山することにしました。

大砂走り用のスパッツをセットし、14:30下山開始。
慎重にガレ場を下って行く、荒涼たる風景が続く、高山病が回復する。

急に雨が降り出し、七合五勺(標高3,090m)の山小屋 ”砂走館”に駆け込む。
登山者、下山者がカッパに着替えるが、黄昏さんの判断でカッパを着ず、そのまま下山
虹が見えて、雨は直ぐに止むが、ガスってくる。

大砂走り(下山道)、ダブルストックを使って下って行く。
黄昏さんが「踵を踏み入れながら走ると良い」とのアドバイスを受け、快調に下る。
振り返ると、富士山を一気に下りました。

御殿場口新五合目17:00 所要時間2時間30分ゴール。
二人ともゴール後も元気な姿。
17:30出発し、渋滞・食事・ロスタイムもあり、千葉県君津市に21:30到着。
黄昏さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

やはり富士登山は面白い!。
そこに立つ! 富士登山(2010)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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東京人  フォークの季節 を読んで                 309

2011年08月12日 16時33分54秒 | 音楽・楽器

■本日(8/12<金>)は盆休み、先日購入した東京人を読みました。


■東京人  フォークの季節 を読んで
○表紙
1971年、第3回中津川フォークジャンボリーに「六文銭」として参加した小室等
※左側の人は “山本コータロー”かな?

○特集フォークの季節 あの頃の熱をもう一度
歌は世界を変えると信じていたあの頃、若者はフォークに何を求めていたのか。

○第3回中津川フォークジャンボリーの会場風景
※若者が集結、熱気の高まり

○小室  等
Q:あの時代のフォークソングとはなんだったのか。
A:ファッションだった。
目の前で自分の歌を聴いてくれる人がいる。それを僕はフォークソングによって手に入れた
わけです。
※「キングサーモンのいる島」は六文銭のベストアルバムと思います。
そういえば、以前ランナーズ誌に“及川恒平”テニス・インストラクターの記事が。

○高石 ともや
「日本のフォークソングの始祖」と言われ、かって「プロテスタント・フォーク旗手」と
して若者たちの中心にいた。高石事務所そして、URCを立ち上げる。

音楽活動を停止、アメリカでジョギングとの出会い、コツコツと自分のペースで続けて
行くことを学ぶ。ジョギングからトライアスロンに挑戦。
※補足説明すると、30歳でジョギング開始、ホノルルマラソン連続出場やアイアンマン
レースの完走。さらに、ウルトラマラソンである アメリカ大陸を2カ月間かけて横断する
トランスアメリカ・フットレース(4,700km)を93年に日本人として初めて完走しています。
ウルトラマラソンのパイオニア的存在。

自分のペースを崩さず、フォークシンガーとして歌い続ける。
「誰かと競うのでなく、自分の限界の中でやるということを、ジョギングを通じて学び
ました。自分の速さで楽しくやればいいんだと」
歌の魂を聞く人に手渡すのが僕の役目です。
※ザ・ナターシャーセブン時代に山口県と千葉県でコンサートに行きましたが、常に
笑顔で歌っていました。

○森山 良子
父は米国サンフランシスコ生まれの日系二世、日本人ジャズバンドのトランペッター
として、日本に来日し、日本人女性と結婚。
偶然だが母の姉も、ロサンゼルス生まれの二世のジャズミュージャン、ティヴ釜萢
(かまやつ)さんと結婚。釜萢家も森山家の二、三軒先にあった(渋谷区)。
Q:「フォーク」と何だったのだろう。
A:私の育った時代に生まれるべくして生まれた音楽でした。
フォークはその出発点でした。人と人との出会い、長い関係が紡がれるように、
これからの歌に寄り添っていきたいと思います。
※以前、渋谷公会堂のコンサートに行きましたが、透き通るような声がホールに響いて
いました。ギタリストは石川鷹彦さんでした(カレッジ・フォーク)。

○遠藤 賢司
当時から、そして今もずっと思ってるのは、時代やジャンルを問わず音楽や歌は個人の
ものだとということ。
「♪~我々は~」と一段上から説教するのは、実は一番簡単なんだよ。俺はイヤだったし、
そういう歌も嫌いだった。
※あの時代やムーブメントがあったと思います。

○南 こうせつ
第一次かぐや姫を解散して、第二次かぐや姫を結成、自分の意志で音楽活動をする、
アーティストでありたかった。
それまでの主流だったプロテスト・ソングと異なり、社会に背を向けてアパートに閉じ
こもる、「四畳半フォーク」。
自分たちの手で社会を変えるのだという若者たちの思いは、急速にしぼんでいった。
「舞台と客席の一体感は、ぼくたちのフォーク世代から本当のものになったと思います。」
※我が家には“かぐや姫サード(LP)”が2枚あります(山の神も持っていました)。

○空飛ぶ中央線と葛飾のバッタ
伝説的ライブハウス 高円寺 ぐゎらん堂
友部正人のライブ、サングラスの高田渡や長髪の中川五郎。

○ボブ・ディランから始まる。
「歌いたいものを持っている者が、自分で作った歌を歌う」
ボブ・ディランの影響だろう、日本でも「われらの時代」を歌う歌手が次々と登場した。
あの時代の空気を共有し、共通の音楽を持つ幸せ。

○「神田川」そして「旅の宿」語りに曲がついてくる。
詩と曲と生ギターによって構成される季節感、暮らし感、若いころの日々が昨日の
ことのように思い出されます。

○拓郎に恋をしていた。
ある世代において石原裕次郎が比類なきスターであるように、私達世代にとって
「拓郎」はゆるぎなきスーパースターなのです。
初期の代表作「イメージの詩」、十四歳の私のハートは、まさに、打ち抜かれました。
毎日毎日聞き続け、その言葉は四十年たっても私の体の芯の部分に残っていて、
今でもふとした瞬間に立ち上ってくることがあります。

○ギターを片手に、浅川マキ
全日本フォーク・ジャンボリーが切り拓いた道は、その後の野外コンサートの大きな
礎となっている。

「ジャンル:ジャズ、ブルース、職業:歌手、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー」
彼女もまた「浅川マキ」という唯一無比のジャンルを歌い続けたのだ。

○今宵は、このフォーク酒場で。
仕事帰り、ちょっとネクタイをゆるめて、青春時代に奏でた
ギターを手にとり、懐かしいあの曲を口ずさむ。
・荻窪「落葉」
・FOLK酒場 昭和
・ANOKORO
・風街ろまん
・風に吹かれて

○戦うオヤジの応援団
※「ギター好き、フォーク好きたち必見」と紹介されていました。


●さて、明日(8/13)は、富士登山、荷物の最終確認をしよう。




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東京人  フォークの季節                  308

2011年08月09日 23時41分36秒 | 音楽・楽器
■本日(8/8<火>)は朝刊を見ると「フォーク雑誌」の紹介記事があり早速購入しました。


■東京人  フォークの季節
○東京人 2011年8月 No.300号  平成23年9月3日発行  A4サイズ 
定価900円(本体857円)
特集 あの頃の熱をもう一度  フォークの季節   145ページ中(12~90ページ)

○目次

※別途、記事の内容を紹介しますが、今回はページのみ。

▲フォークの季節
歌は世界を変えると信じていたあの頃、若者はフォークに何を求めていたのか。

▲小室  等
幼稚だったあの頃からの「復興」。

▲高石 ともや
僕の役目は、歌の魂を聞く人に手渡しをすること。

▲森山 良子
あまりにも強かった、フォークブームの波。

▲遠藤 賢司
自分の言葉で、自分の歌をうたうこと。

▲南 こうせつ
「神田川」のメロディに、吐き出したかった 思いを込めたんです。

▲高田 蓮    山口 隆
フォーク・ロックの遺伝子







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