時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

大谷翔平選手 ①

2021-09-29 12:38:58 | スポーツ
メジャーリーグの大谷翔平選手のホームランが45本塁打、投手として9勝2敗156奪三振を奪っている。「同一シーズン2桁勝利&2桁本塁打」(21/09/27現在)大記録にあと1勝だがラストチャンスがあるので頑張って欲しい。ホームラン争いも1本差でホームラン王も夢ではない。日本中の誰もが思いつかない夢のような記録に大谷選手は挑んでいる。子供の頃に読んだマンガの主人公を超えているが、大谷選手が多くの人たちに愛され親しまれているのはプレーだけでなく日頃の行動にもある。ファンの子供たちに接する行動、相手選手を敬う態度、グランドのゴミを拾う仕草など豊かな人間性を感じさせる。
この大谷選手の活躍は本人の努力だけでばく、ご両親と巡り合った多くの人たちの助けがあった。

大谷家では、ご両親とも家庭内で大谷選手を叱ることはほとんどなく、重視したのは子供が安らげる空間を作ることでした。食事中に両親が「もっと食べろ」「好き嫌いをするな」とうるさく注意することはなかった。両親の唯一の決めごとは『子供の前で夫婦げんかはしない』だったそうです。その居心地のよさからか、大谷選手が子供部屋を使うことはほとんどなかった。勉強するのもテレビを観るのも、家での時間はずっと家族とリビングで過ごしました。
メジャーリーガーになった大谷選手に、今の自分を作る上でもっとも大事だった時期はいつだと思うか訊ねた。すると、すぐに「小学校の頃です」という答えが返ってきた。

大谷選手が野球を始めたのは、小学2年のとき。社会人野球でもプレーしていた父の徹さんに連れられて、リトルリーグの門を叩いた。当時、岩手県の水沢リトルリーグで事務局長を務めていた浅利昭治さんがこう話す。
「翔平はヒョロッとした子で、背もみんなより少し大きいくらいでした。小学校に軟式のスポーツ少年団があるのに、一人で硬式のリトルリーグに来るなんて勇気ある子だなと思いました。足が速くて肩が強くて、マイペースで無口で、そのくせわんぱくでね。私たち、春に福島の相馬で合宿してたんですけど、あるとき、一人、海に落ちたって報告があって、私、すぐに翔平かって聞きました。そしたら、そうですって(苦笑)。牛若丸みたいにポンポンとテトラポッドを飛んでいるうちに、滑って海へジャッボーンと落ちたらしい。危ないから行くなって言っても行くんですよ、あの子は……」

◇甘やかしているようにみえるが、ご両親は夢中になって野球に取り組む姿を通して翔平少年を見ていたのだろう。目的を持っている子供ならば問題はないと生活では制約をしないで見守っていたのではないだろうか!
子供部屋でゲーム、おもちゃで遊ぶ楽しさよりも、笑い声の絶えない居心地のいい空間のやすらぎの中で生活をしていたのがおおらかな性格になるに繋がった。

ウィキペディア(Wikipedia)参照
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