夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

全難言協全国大会・東海四県三重大会に行ってきました。

2019-08-06 11:21:01 | 言語・難聴
 去る8月1日~2日、三重県津市で行われた、第48回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会三重大会 第47回東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会三重大会に出かけてきました。
 恐らく今年限りで言難の世界を離れざるを得ない私にとって、これが最後の言難全国大会。来年の愛知大会には、多分もう参加しないわけで…。係の仕事としてやらねばならないことを視察するためにと言うのはほぼ表向きの言い訳で、本当は、今までいろんなことを学ばせていただき、支えていただいた、全難言協のスタッフの皆さんに、お別れの挨拶を言いたくて出かけてきたと言っても過言ではありません。本当は夜の交流会に参加して、思い出話をいっぱい語り合って、とも考えたのですが、薄暗くなると極端に目が見えなくなる私。それに沢山の飲食物が入るとすぐに体調を崩すようになってからは、職場の宴会でさえ、歓送迎会以外は全休しているので、見知らぬ会場で県外の方々に囲まれて迷惑を掛けるわけにも行かず、交流会も諦めざるを得ませんでした。
 あえて自家用車で会場へ赴き、緊急事態に備えられるように準備を持って出かけました。渋滞を避けるために、かなり早めに出かけたため、受付開始時刻よりも60分以上早く着いてしまいました。昼食をとりながら30分前まで車の中にいましたが、アイドリングしっぱなしなのも気がかりだったので、30分前でしたが受付に行ってみました。でも既に準備ができあがっており、快く受け付けていただくことができました。あの炎天下で開場を待たされたらどうしよう!?と思っていたのですが、冷房の効いたホールへいち早く案内いただきました。まだほとんど客はおらず、座席も選び放題。いつもギリギリにしか行けないので、会場の前の方に陣取っていましたが、今回初めて中段より後ろの辺りから、全体を見極められるところに陣取りました。一応仕事の都合上、全体会というか、総会の辺りから雰囲気を掴んでおかなければ。
 陣取ってすぐくらいでしょうか、全難言協の理事会が終了したらしく、見知った顔が沢山ホールに現れました。いきなり隣の席にやってこられた山口県の古谷先生。既に御退職なさっていらっしゃるにもかかわらず、全難言協の個人会員としてスタッフを支え続けていらっしゃる、全難言協の鏡のような方。愛知県の事務局を初めて担当したときに、県のホームページの立ち上げについて相談に乗っていただいたときからのお付き合いです。色々なことを教えていただきました。本当にお世話になりました。私の身体を気遣ってくださり、いつも声を掛けてくださる。本当に心強かったです。今回の経緯を報告したら、流石に驚いていらっしゃったようですが、私も個人会員として支える方に廻ります。ありがとうございました。古谷先生と歓談中にいきなり後ろから現れたのは、私が一番お世話になった全難言協の元事務局長=親分こと阿部先生。事務局を離れて純粋に楽になったという言葉が印象的だった。私の言難デビューは23年前だが、阿部先生は新卒からずっとこの世界にいて、私がデビュー当時味わった「言難って何だ?」「どうやって授業するんだ!?」を克服してきた大先輩だ。彼の話を聞いたとき、「言難の一番エライ人でもこうなんだから、名古屋の一担当者が同じようなこと言っていても当たり前なのかな?」と2学期からの活力をいただいたことを忘れない。本当に、一番お世話になった先生だと思う。彼との出会いがなければ、言難の世界を好きになっていなかったかも知れない。そして現事務局長の吹野先生。初めてお目にかかったのは、私が初めてスタッフとして参加した「はじめのいっぽ全国研修会」の時の研修部長さんだった。その年に彼も初めての研修部長だったはず。前任者の長瀬先生と相談しながら一生懸命に切り盛りしていたのを忘れない。稲城長沼駅近くの向陽台小から駒沢小の櫻澤先生と入れ替わり、今の役職を担当していらっしゃる。その入れ替わった櫻澤先生は、名古屋の東山近辺で会社勤めの経歴がある先生。長沼駅に「ガンダムとシャアザク」の大型モニュメントがあることを写メして教えてくれた。おかげで昨年の夏はその2体に会いに行くことが出来ました!名古屋繋がりで唯一携帯メールアドレスを交換してある先生でもある。いつも私の病状を心配して「元気にしているか?」と気に掛けてくださっていた。ありがとうございます。何とか生きてます!私がこれを書いているときは、令和最初の「はじめのいっぽ2019」の真っ最中ですね。あれが終わらないと夏休みにならないと毎年言っておられたのを覚えています。会計の星川先生には2度も会費納入を重複させてしまってご迷惑をおかけしました。ご結婚なさって今の名字に変わられたとき、転勤のお知らせとともにお葉書までいただき、喜んだ覚えがあります。「東京の全難言協の先生からお葉書が来るなんて!」と嬉しかったことを覚えています。個人会員として続いてお世話になりますが、一応節目ですので、お別れの挨拶だけはさせてください。長野県の中澤先生には、愛知大会だけでなく、愛知の研修にも力を貸していただきました。埼玉の西田先生との強力タッグで構音分科会は何の心配もありませんでした。本当にお世話になりました。そして何よりご挨拶を忘れちゃいけないのが国立特別支援教育総合研究所の牧野先生。今回いらっしゃらなかった久保山先生とお二人で、愛知大会には欠かせない人材としていつもご協力いただきました。先生との「呑みュニケーション」はどこで呑んでも楽しかったです。特別支援教育に携わっている限り、特総研とは繋がっています。言難を卒業しても、牧野先生を頼って研究所に出かけたいです。大会後の吃音の会に行けなくてごめんなさい。会は盛況だったでしょうか?
 主立った先生方には直接お目に掛かってお話しすることができました。言難での行き場がなくなり、お別れすることになったとお話しすると、皆さん一様に驚かれたあと、「大会には来るんでしょ?」と聞いてくださった。旅行気分で出かけたいところですが、自分がどんな場所に置かれるか分からないので、場合によっては23年前と同様に、新しい分野に手探りでチャレンジしているかも知れません。またどこかの大会で顔を見かけたら、「言難に戻ってきたのか、首が繋がったのか?ただの物見遊山か?」なんて思ってください。残る7ヶ月ほど。最後までしっかりと言語障害児教育に邁進して、務めを果たしたいと思います。、三重大会の中身については、またいつか・・・。
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あと1人

2019-03-11 12:40:46 | 言語・難聴
 今年度も、残すところあと2時間授業となった。明日最後の1人を迎えれば、授業は終わる。更に木曜日予定の巣立ちの会が終われば、書類作りに専念する期間に突入だ。
 我が家に2人も受験生がいたため、春休みは県外への引っ越し準備やら、制服の準備やらで時間に追われる生活が続くことが予想される。だから、何としても春休みまでに全ての書類を完成させておかなければならない。
 以前、同僚だった講師の先生が、「私はいつも修了式でその学校を出られるように、指導要録の記入も他の書類も全て終えてくる。」と仰っていたことを思い出す。今の私にそこまでの能力はないが、今年に限っては、次男の引っ越しも予定されているため、剣道部の活動を終えたら春休み途中で休暇を取って、年度替わりまで出勤できない。何としても書類仕事だけは終えておかねば、自分の首を絞めることになりそう。
 先週から1人、また1人と、最終授業を迎え、通知表を配り始めている。子どもが帰るとすぐに自校通級保護者用連絡帳を記入したり、在籍学級担任宛メールを送ったりしているので、授業の次の時間はほぼ1時間パソコンの前で格闘している。昔は自分のその時間帯の言動や子どもの発音を全て録画し、見直してから文章に起こしていたが、そんなことをしなくても書けるようになってきたのは、つい14~5年前のこと。成章のにじ組担当だった頃は、毎時間やっていたから、帰りも終電が当たり前だった。少しは要領良くなったかな?その分、こうしてブログで様子をお伝えする時間を作り出したのが、小幡のつばさ教室に移ってからだ。「ゆめのつばさ」というタイトルは当時のつばさ教室便りのタイトルだ。あれからもうすぐ14年が経過する。通級指導が始まったばかり頃の生き残りとして、愛知県では昨年現役最古参になってしまった。同じ頃から一緒に長くやっている尾張部の人たちも、これから少しずつ退職していく。名古屋では私1人だけが20年以上通級を続けているが、最近やっと「人材」が育ってきた。10年選手が誕生したのだ。きっと彼女は続けてくれる。私の後も継いでくれる。私のように、教育委員会の人間さえも知らないことを、やたら細かく知っている古参は、管理職側からすれば一番職場にいてほしくない「老害」だ。剣道部のためにあと1年居残ることを選んだ以上、言難にはもう残る道はない。あと1年間、古くさいことを言い続ける最古参のオジサンとして「はびこって」、きれいさっぱり別の世界へ異動するべきではないかと、今は思っている。新しい場所を求めて最後のまとめをする1年間。来年をそのように位置づけたい。
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勉強しなくっちゃ・・・。

2018-09-30 18:02:22 | 言語・難聴
 夏休みに読む予定で、購入してあった言葉の教室経営の本を、やっと読み始めることができた。読み始めて「うんうん、よく分かるぞ、内容も今までの再確認に丁度良い!」とご機嫌な滑り出し。しかし、何ページも読み進めていくうちに、分からないことに出くわしてしまった。それは、今までに指導した経験のない音の指導法だった。
 長いことこの教育に携わるようになり、大体何でも答えられるようになり、そんな自分の自信過剰にちょっと胡座をかいていた。例えたくさんの子どもの事例をデータとして持っていても、自分の指導したことがない障害や構音があったのだ。特別支援教育の奥の深さだ。思わずそのページを何度も読み返してしまった。想像が付かなかった。これでは駄目だ。とは言え、これらの障害の子どもが、またはその構音ができない子どもが、自分の所に通級してくることがあるかどうかも分からない。出くわしたことがなければ分からないのは当然と言えば当然だが、現にそういった子が現れた時、指導の仕方が分かりませんでは通用しない。明らかに自分の勉強不足なのだ。
 本を読むことは嫌いではない。だが、好きでもないため、堅苦しい本は避けてきた。専門用語をばしばし並べて解読に時間のかかる本は避けてきたと言っても過言ではない。分かりやすく、素人向けに編纂された本を読みあさり、分からない言葉をネットで調べるくらいの方法が、私には合っている。
 それにしても、今回の本で、まだ見ぬ(私にとって未知の)障害や構音指導に、大変興味を覚えた。興味本位ではいけないと思うが、少しでも自分の知識を増やして、色々な子どもたちに還元してあげたい。修行が足らん!!勉強しなくっちゃ!
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東海四県静岡大会に行ってきました。

2018-08-23 10:50:18 | 言語・難聴
 昨日、静岡県の浜北で行われた、東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会静岡大会に参加してきました。講演会では品川裕香氏の貴重なお話を拝聴させていただくことができました。話の一つ一つに一々頷いて聞き入っていましたが、氏のお話のスピードが速すぎるのと、パワーポイントの文字情報が多すぎるのとで、内容について行くのが精一杯。あっという間の1時間半?でした。あの調子なら、彼女の話だけで1日中講義を受けても、時間が足らなかったでしょう。それほど内容が充実しすぎていました。情報量が多すぎてここには書き表せませんけど、大会のHPに記録がUPされるのを待ちましょう。一言でいえば、日頃から私が今どきの保護者の皆さんに対して危惧していることを、実例と膨大なデータを元に、ズバッと解説!していただいたような気分です。今のままでは、子どもたちの未来が危ぶまれる、そんなことをひしひしと感じた講演会でした。
 午後は「つながり」部会に参加してきました。愛知県の仲間が提案と司会で参加しておられたので、私も県内ではこの分野の仕事をライフワークにしている関係もあり、研究協議に参加させていただきました。ただ、満席だったところへ当日の飛び入り参加だったため、あまり目立たぬように一番後ろで小さくなっているつもりでした。しかし、司会者の先生は最後に名指しで私に意見を求めてきてしまった。私は求められると喋りまくってしまう癖がある。適当なところで辞めておけば良いのに、あれもこれもと、これまでの22年間を洗いざらい報告してしまうので、事例に事欠かない。案の定やってしまった。まだ未発表の実践まで。出し惜しみをしていたわけではないけれど、次の県言聴研で話すつもりだった内容までここで披露してしまった・・・。まぁ、話し出したらいくらでも事例を持っているし、全ての授業が報告できるように「まとめ」てある。いつでもどこへでも出せるよう、写真に動画も撮ってあるのだ。話が止まらないわけである。結局司会者の残り時間を全て奪い、時間を浪費してしまった。ごめんなさい。
 松阪の校長先生だった方と久しぶりにお話ししました。大学時代の友人がお世話になった先生で、元難聴教室の担当だったそうです。私が事務局兼理事をしていた頃、三重県の副会長だった先生です。大学の友人K君(今や松阪市教委の指導主事)を肴に盛り上がってしまいました。来年は三重県で全国大会です。津で行われるそうですから、是非とも参加したいところです。
 せっかく浜松近くにいるので、当然のように「鰻」と「浜松餃子」を堪能して帰りました。美味しかった!!
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久しぶりの県外出張が認められた!

2018-07-06 19:38:05 | 言語・難聴
 この学校へ来てからと言うもの、ずっと夏季休業中の県外出張は「若くてやる気のある人」にしか声も掛からず、認めてもらえなかった。自分が病気を繰り返していたこともあって、なかなか許可も下りなかったが、市教委が我々玄人向けの研修を打ち切ってしまい、完全に自力で研修を探さねばならなくなってしまった。そこで、久しぶりに日言研に参加することにした。こんな遅がけになってから申し込んでも間に合うのか心配だったが、研修は確保できた。長いこと東京の研修には顔を出していない。都難言協や全難言協の関東の人たちが「最近、愛知の夢野翼を見かけない。」と心配してくださっているのか、メールで「生死」を確認されることも・・・。そういえば、片目が見えなくなってから全国大会にも出かけていない。東海四県大会も、自分が発表しない時はお休みを戴いている。そりゃぁ、行方不明扱いも受けるわなぁ・・・。そんなわけで、金銭的に苦しい現状の中で、何とか生存のアピールをするために、東京へ出かけてこようと画策したのである。
 しかし、神は、真面目に研修をしている私を見捨てなかった!何と、今年、久しぶりに、この研修に「県外出張」が認められたのである!!やっぱ、事務さんと仲良くしておくのは大事だね!!これで旅費と宿泊費を心配しなくても済む!研修承認簿も出張命令簿と復命書に変わる!!何年ぶりだろう?確り研修してきますね!東京や全難言協の皆さんにも会えるかな?何より、特別支援総合研究所の先生方に、生存確認してもらえるのが嬉しいかも!?8月5日(日)に東京入りして、お台場のUCGにも会いに行って、できることなら都内のどこかの駅にあるという白い奴と赤い奴の並んでいる前で写真撮って・・・。いえ、研修に行くんです。ガンダムさんに会いに行くわけじゃありません。決してそれがメインじゃありません・・・。ちょっと自信ないけど・・・。行ってやる!行ってやるぞ!お台場のモビルスーツが何だ!!見せてもらおうか!お台場のモビルスーツの性能とやらを!!有意義な東京見物、いや、もとい、東京研修になりますように。8/5(日)~7(火)、夢野翼、東京上陸!予告編でした。
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親分の授業

2016-08-26 22:12:49 | 言語・難聴

昨日、愛知県言語・聴覚障害児教育研究会の講演会がありました。午前中から研修をして、午後から講演会でした。私は午前中の研修の部長の1人として取り回しがあったにもかかわらず、家庭の事情で遅刻することになってしまうアクシデントに見舞われてしまいました。でも午後からの講演会には何としても参加したかったのです。今回は私が「親分」と仰ぐ御方が講師だったからです。全難言協で長年事務局長を務めた、あの御方のお話。何度聞いても元気をもらえるお話。自分が落ち込んだときや、悩んだときに、初心に帰ることができるお話。「親分」のお話は、私にとって、言語のお仕事を続けていくためのカンフル剤?アンプル?栄養ドリンク?みたいな位置付けなのです。全て良くわかっているつもりで、私自身も名古屋の若い先生達に同じことを語ってきたつもりです。でも、オリジナルはやっぱり説得力が違う。午前中までの疲れがどこへやら。心が癒される「授業」を堪能したあとは、名古屋飯でもてなしながら、全国のいろんな情報を聞きました。来年度からの税源委譲で出張が制限される中、愛知県としてどう変わって行くべきか、発達障害の教室を加えるのか、加えないのか、後継者問題、世代交代問題、会の持ち方、いろいろな課題が山積していることも伝えておきました。果たしてどうなるか。東京都でさえ、事務局を存続させるのに苦労しているようです。後を託せる人材を育てられれば、解決することもたくさんありますが、全国の同じような問題を中央で聞いている「親分」には、愛知県の様子をどうとらえて戴けたのでしょう?
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愛知県言聴研

2016-02-10 20:01:11 | 言語・難聴
今年度最後の愛知県言聴研が終わりました。この会に所属して19年が経過しました。いよいよ来年度は20周年という節目の年になります。言聴研の中でも最長老になります。それなのに大会の発表者をやらせていただけるこの幸せ!まだまだご指導を仰ぐ立場を戴けるなんて、実はもう無かろうと高をくくっていた訳です。まさかの再登板、いえ、4回目の登板です。長く同じ世界に留まると、確固たる自分というものが出来上がってしまい、顧みることを忘れてしまいます。今回の提案は、そんな私への警告というか、ネジの締め直しを神が下されたものかと思うことにしています。今まで自分が培ってきた理解啓発と連携を、東海四県で紹介して是非を問う訳です。ワクワクしますね!!どんな答えが返って来るのでしょう?
また、今日は3月一杯で引退するベテランの先生との最後の晩餐をしてきました。次の世代の若者に言聴研を託すために、先達の貴重な話をたっぷり聴いてきました!春の総会にはもうお目にかかることはないのかと思うと、寂しくてなりません。19年間本当に声を掛けて可愛がっていただきました。次は私が、若い人たちを見守る番です。その前に、マンネリ化している自分の指導を見直す機会を与えてくださった事務局長に感謝します。倒れて迷惑をかけないように頑張ります。
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言聴研漬けの4日間

2015-08-23 11:13:04 | 言語・難聴
先週19日、この夏休み中最大の目玉行事、第43回東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会 愛知大会が行われました。前日の準備会といい、翌日にあわせて行った言聴研初心者研修会「愛知版はじめのいっぽ」、更に翌々日は市教委の言語・難聴通級担当者研修会まで行われ、家族より付き合いの濃い4日間を過ごした我々言聴研の面々です。中川信子先生に「子どもの心とことばの育ち」というテーマでご講演戴き、通級初心者の先生方に「大変分かりやすいお話だった」と大好評でした!元々、中川先生のお話を愛知大会でみんなに聴かせたいという願望を持ったのは私が通級担当者になったばかりの頃に、当時久里浜の特総研を会場に行われていた全国版はじめのいっぽで、先生のお話に感銘を受けたことがきっかけです。担当者の立場で聴きながら、このお話は通常の学級担任の方々にも是非聞いてもらいたい!という思いが強くなり、こういった機会ができるのを期待していました。しかし、人に期待しても何も変わらないことを数年で理解したので、自分が実行
する立場になればいいという考え方に変えました。事務局長になった時にその機会が訪れたはずだったのですが、残念ながら近隣の県に先を越されて実現しませんでした。それからは全国の兆候も調べながら色々と策を考えて、全国版はじめのいっぽで講師をされている先生に直接話を付けるべく、スタッフとして参加して、約束を成立させました。やっと愛知でお話を聴けるという当日、先生が体調を崩され、講演会が中止に!その時の埋め合わせをしたいからと先生からのお話を受けて、今回の愛知大会での講演会に漕ぎ着けることができました。足掛け19年の思いが実現して、感無量です。講演会のお話もさることながら、昼食時や移動中の雑談の中からも先生のお人柄に触れることができて、それだけで充実した気持ちになることができました。先生のネームバリューのおかげで、参加希望者が後を絶たず、当日受付が大騒ぎになるとは予想外の嬉しい悲鳴でした。各分科会も大盛況で、我々一部のスタッフは会場内に入りきれなかったくらいです。
何日もかけて準備してきた愛知大会が大盛況の内に終了したのは良いのですが、私は会計を預かる身ですので、これから先の残務整理が半端じゃないです。しかも、大会翌日には愛知版はじめのいっぽが控えていました。気を張っているとは言え、流石に体には堪えます。結局、資料は昔作ったものをPDFにして披露するのが精一杯です。話した内容も、疲れすぎて気分がハイになり、ひたすらしゃべり続けただけで終わってしまい、何も覚えていません。2日間も講師を務めてくださった構音の専門家・中澤先生にも、私の困り事まで思う存分事例検討していただけて、有意義な時間を過ごすことができました。
帰りが遅くなり、なかなか家族と顔を合わせることがなかったところへ、最後の金曜日は出勤後にセンター研修会。これも言語・難聴の研修会なので、顔を合わせるメンバーは同じです。各自の事例検討をするなか、若い人たちの悩みがたくさん報告されて、自分の若い頃を思い出しながら、なるべく討論に口を挟まずに聴いていました。数年前までは一番古株の私に聴けば何でも答える風潮だったので、若い人たちが自分で考えようとするのを止めて、すぐ聞くような状態でした。私もこのままでは若い人たちが育たないと思い、自分たちで考えて検討するように仕向けました。最後に意見を言わせていただくように関わり方を変えました。講師の先生も大学の先生ですが、私の職歴に意見することがはばかられるのか、桜のような質問事項には答えてくださらず、今時の専門家集団から見た問題点を話してくださいました。
長い4日間が終わりました。家に帰ると娘が一人で留守番していました。娘の顔を見たのは2日ぶり。それほど忙しく動き回っていました。久しぶりの娘を思い切り抱きしめながら、二人で「エースを狙え!」を視ながら眠りました。まるで恋人と過ごすような幸せな週末でした。
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全難言協全国大会in東京

2015-07-30 23:30:10 | 言語・難聴
 先週剣道の全国大会でやってきたばかりの東京に、今日もまたやってきました。今回は勉強するために。何年ぶりかで訪れた国立オリンピック記念青少年総合センター。はじめの一歩を最後に手伝ったのはいつだったでしょう。中川先生に講演依頼をしに行った4年前以来かな?この4年間は健康状態がすぐれず、全国大会から遠ざかっていたので、全難言協の先生方とも久しぶりに出会う人が多かったです。それでも覚えていてくださった方ばかりで、うれしい限りです。病状も知れ渡っているので何とも言えませんが…。
 久しぶりに全国版の「連携」部会に参加してきました。部会の運営係の中に、私の理解啓発の師匠ともいうべき豊田先生がいらっしゃいました。これまた何年ぶりの再会でしょうか?彼が前任の全難言協事務局長だったころに、特総研の久保山先生と取り組んで発表されたものが、今の私の原点ですから、師匠と呼ばずして何とお呼びするのでしょう!もうご退職されたと聞きましたが、引き続きこの世界でお勤めを続けていてくださっているとは心強いです。
今回発表された事例は吃音の理解啓発指導と発達性ディスレクシアに関する報告でした。吃音の事例はよくある話でしたが、いろいろなエピソードが盛り込まれていてとても参考になる話でした。やはり吃音はグループでの指導が必要だなという結論に至りました。吃音児童の多い本校でも十分参考にできる実践です。ディスレクシアについては、本格的な実践の報告を聞くのは初めてで、今まで興味はあったのですが、名古屋のように発達障害と言語障害の教室がそれぞれ分業体制が整っていると、自分で症例を持つことはあまりないと思われます。そのため、とても新鮮な気持ちで発表を聞くことができました。それと同時に、発達障害系の話ももっと勉強しないと、時代のニーズに合わなくなってくるのだろうということもわかりました。ただ、発達障害のことを難しく考える必要もないことは事実です。専門用語をいっぱい並べ立てていらっしゃったのですが、発表の先生も講師の先生もおっしゃることは同じで、自閉症すペクトラムの延長線上で、子供の躓きがなんなのかをしっかりと見極めて取り組めば、間違いはないということは分かります。もう少し詳しく勉強して、こだまの実践の中にも取り入れていこうと思います。
明日はパネルディスカッションに参加してきます。
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5度目の愛知大会に向けて

2015-07-09 00:11:23 | 言語・難聴
 8月19日の愛知大会に向けた準備がクライマックスを迎えている。毎日少しずつ届けられる参加票を1つの大きな名簿にしていく作業が毎日続く。分かっているだけで参加者は352名だ。まだ私が事務局長だったときには人数的に及ばないが、それでも参加費用だけで、何とか赤字を免れることとなった。ありがたいことです。今回は渉外係と会計係の大仕事が掛け持ちで、結構厳しい。渉外の仕事は大体終わり、あとはコーディネーターや講師の先生の宿泊の手配くらい。それより会計が大変だ。こんな大きな会の会計をするのは初めてで、会計報告が11月に完成するまで、ずっと仕事が続く。最後までかかる仕事を引き受けることになってしまったが、なかなか経験できない仕事だから、今やっておいて良かったかも。
 今までに5回の愛知大会に関わってきたけれど、上位陣が変わればやり方も考え方も違う。時代も違うから同じニーズではない。前回はこれでまかり通っても、今回は否定されるものもある。新しい考え方を聞き、納得させられながら進めるのだが、運営スタッフも総変わりしているため、感じ方も進め方も皆違う。若い人たちのやり方を見て学びながら、今の自分にはない感性を吸収するのも勉強だ。そして足らないところを伝えていくのも自分の立ち位置での仕事。人が減っている割に規模が大きくなりすぎて苦しさも出てきた。身体が毎日悲鳴を上げているが、休む間もない。あと少しの辛抱だが…。今回のこの忙しさは尋常じゃない。きっと、取りかかりが遅かったためだと思うが、もっと自分を追い込んで早め早めに動くべきだったかも知れない。
 この同じ時期に大会・剣道・教室経営・はじめのいっぽ研修会などが集中したことも原因の1つか。でも忙しすぎて逆に爽やかな疲れが残っている感じでランナーズハイみたいな現象になっていることも事実。今週から剣道の試合が始まり毎週末が忙しい。果たして身体が言うことを聞いてくれるのか?若い子とふれあう機会が終わってしまったので少し寂しいが、自分のお尻にも火がついているので、そうとばかりも言っていられない。あれが息抜きになっていたことは事実だが、現実逃避していたのは確かだ。あと一息でまな板の上の鯉になる。それまでラストスパートだ。こんどは言難の若者たちを守らねば…。次は何をしなければならないのか、頭をフル回転させないと分からなくなりそうだ。頑張ろう。
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石の上にも三年!?

2015-05-27 17:25:39 | 言語・難聴
 毎年5年生を対象に行っている「通級指導教室ってなぁに?」という理解啓発授業も、この学校で4年目を迎えました。私がここへ赴任する前は、「ことばの教室」というイメージからはほど遠く、どちらかというと「生活指導部屋」とか、「学習遅滞児のための勉強部屋」だと思われている教室でした。一部の担任の先生からもそう思われていたくらい、この教室は「看板」とは全く違う営業内容だったのです。私が着任してから、それまでの間違ったイメージを払拭すべく、前任校で取り組んできたことを全てつぎ込んで、3年計画で変えていこうと頑張ってきました。
 5年生を対象にしているので、難しい言葉の解説をしながら本格的な理解啓発をしようと試行錯誤して行ってきたのですが、その言葉(専門用語)が持つ独特の雰囲気から、新たな誤解を生んだり、補足で話した他の障害についての話が強烈な印象を残したりと、なかなか「会心の一撃」にならずに悩んでいたのでした。ところが、今年の対象学年の5年生は、私がここに赴任したときの2年生だった子どもたち。あのとき通級の隣の教室で学んでいた子どもたちなのです。別の言い方をすれば、私がこの学校に啓発の種をまき始めたときに、いつも隣の教室で、毎日の掃除や放課に廊下で、顔を見て、声をかけ、掲示物を展示し、啓発授業以外で唯一、教室を開放して中を見せてあげた学年の子どもたちだったのです。その子たちが大きくなって、再びこの教室に、今度は理解啓発授業の対象者となってやってきたのです。その時はまだ2年生でしたから、難しい話はしたことはありませんでしたが、今度は本格的に説明をしてあげるべき年になったのです。どんな風に話すと効果的か、それを調べるために、いつも事前アンケートを採っています。今までの事前アンケートは「何をする教室だと思うか?どんな子が来ると思うか?どんな授業をしていると思うか?」という問いかけに対して「分からない・知らない」とか、全くちんぷんかんぷんな答えを書いてくる子がほとんどだったのです。ところが、今年は明らかに違いました。同じ質問に対して「言葉の勉強をする教室」だと正しい予想をしている子どもがかなりたくさんいたのです。しかも、「どんな子が?」の問いに対しても、今までのほとんどが「身体障害者や生活態度の悪い子」という回答だったのに対し、今年は「言語障害のある人・言葉を喋りにくい子」といった回答が半数以上あったのです。授業を受ける前の事前アンケートでこれだけの結果が出ているということは、3年前からの理解啓発活動がようやく実を結び始めているのかな?と捉えても良いのではないでしょうか?まだ早計かも知れませんが、来年以降もこの様な結果が出てきたら、この成果を認めてもいいのかな!と少しだけ嬉しく思いました。見事に3年かかりました。石の上にも3年。正にその通り。
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特総研

2014-11-09 10:41:25 | 言語・難聴
昨日、10年ぶりに久里浜にある、国立特別支援教育総合研究所の公開に参加して来ました。10年経っても、あの海岸の景色は全く変わっておらず、安心しました。
今回は発達障害に関する疑似体験や肢体不自由介助に関する体験がメインでした。教材の展示や3Dプリンターを使った視覚障害教育のデモンストレーションはとても参考になりました。言語班のお世話になった先生方にもお目にかかり、現況報告してきました!いろいろ相談できて良かったです。2時前に終わったので、中途半端な時間に昼食を求めて横浜中華街へ足を延ばしたら、同じように蛍光色の特総研バッグを手にした人たちと、行く先々で出くわしました。考えることは皆さん同じようで。豚まん食べて、お土産買って、新横浜のラーメン博物館で夕食食べて、1日を満喫してきました。ちょっとした一人旅でした。
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東海四県岐阜大会に行ってきました!

2013-08-20 10:30:02 | 言語・難聴
昨日は岐阜大会でした。暑い中、冷房の効いた会議場で、しかも駅の真正面。立地条件はよかったです!岐阜大会準備委員会の皆様には感謝致したいと思います!内容も素晴らしい大会でした。私は、第6分科会 「つながり」に参加して参りました。四県の代表がそれぞれの取り組みを紹介しておりました。以下にその概要を少しだけ紹介します。詳細は岐阜大会HPにUPされるのをお待ちください。
岐阜 山県市障害者自立支援推進協議会 子ども支援部会
山県市におけるサポートファイル「ききょう」の活用状況
~情報の受け渡しと共有化をめざして~
 サポートファイルを作ったのは市・行政
 それを利用している障害者自立支援推進協議会
 21年度子ども支援部会を立ち上げる
 22年度はピッコロ療育センター通所児童の保護者に利用してもらい、意見をいただいた。26名が使用
 制作当初の保護者の感想は
 ・情報が記入できて変化が分かりやすい
 ・生まれてからのすべてが記入できる。
 ・一つにまとまっていて便利
 ・福祉ファイルが便利
 ●自由に書けるページがほしい
 ●ポケットを増やしてほしい
 ●幼児期に詳しく書けるようにしたい
この意見を元に改良を重ね、実際に使ってみた保護者の感想は
 ☆サポートファイルのおかげで説明がしやすい。
 ☆管理職にも理解してもらえる
 ☆子どもの家でのリズムがわかり対処しやすい。
という提案でした。岐阜県山県市のサポートファイル=個別支援計画の1つの形が提示されたと思います。
興味のある方は、岐阜県山県市・障害者自立支援推進協議会子ども支援部にお問い合わせください。

静岡 三島市立北小学校
三島市立北小学校LD等通級指導教室
~大きな連携の中で~
 発達障害通級22年度開設
 廊下側の掲示板によって自校に啓発掲示
 出前授業、サポートファイルの作成
 サポート会議の実施
 月曜日と水曜日の午後は授業を入れず、在籍校へ出向く
 声のボリューム表の設置
たくさんの他校通級を抱える同校では、各学校の特別支援教育には温度差があることを痛感していらっしゃるそうです。それは私も同感です。全ての人々に同じ思いを持ってもらうことは、はっきり言って不可能。だからこそ、「諦めない」「焦らない」「次へつなぐ」啓発活動が必要なのだと、私は転勤してみて再認識しました。

三重 菰野町立鵜川原小学校
聴覚障害児が地元の小学校で学ぶ
~つながりの中で自己の課題に向き合う~
 22年度入学A児
 難聴学級の新設を希望するも叶ったのは2年後
 特別支援学級で介助員とともに過ごしていた。
 介助員に頼りきっていたので、交流学級の子どもたちに担任が話しかけながら、自分から分からないことを伝えられるように声をかけさせる。交流学級の副担任のような役割で周囲の子どもたちに働きかけることで、A児のためだけにいる先生ではなく、配慮の必要な子どもたちに関わることができた。
 A児は当初、聞こえについて周りの子どもと違うことを受け入れられなかったが、少しずつ受け入れたり、違いをどう克服するかを考えるようになってきた。
特別支援学級(難聴学級)の開設から今日に至るまでの、担任の先生の奮闘と、A児の成長がよく分かる発表でした。私も新卒当時、知的障害特別支援学級(当時は「精神薄弱特殊学級」と言いました)担任でしたが、交流教育にも力を入れていました。交流先の学級で、自分の学級の子どもを取り巻く周りの子どもたちを見た時、理解啓発活動が必要だと痛感しました。思えばその頃からずっと理解啓発活動にのめり込んでいった自分がいました。いえ、としごの弟のことも考えると、私の人生引く一年分、つまり、物心ついた時から、私の、障害者に対する理解啓発活動は始まっていたのです。45年。まだまだ続きます。

愛知 一宮聾学校
地域の小・中学校との連携
~聴覚障害児教育の理解推進、充実に向けて~
 地域支援部所属
 13年度から聾学校の巡回がスタート
 尾張地区、知多地区を担当
 増えることはあっても減ることはない
 情報補償、理解啓発、担任への支援
 本人が聞こえないことを自覚しにくい障害=自分にとって元々聞こえていないので、自分からは聞こえないことが分からない。
 小学校の間はトラブルも表面化しないが、中学へ行くと子どもだけで解決しなければならない時間が増えるため、「聞こえないフリをした」「無視した」などトラブルを起こす場合が多い。発音の矯正が上手にできて、見た目だけでは聴覚障害者であることは分からない。そのため、みんなが障害への配慮を忘れてしまう。
 子ども自身が聞こえにくさを自覚して、本人の口から聞こえにくさが周りへ伝えられるということが、これからの課題。親や担任はとかく、語彙力を高めることに興味関心がいきがちだが、ものの名前よりも、体験をすることで「思い」を育て、伝えることが重要。気持ちを育てる教育を大切にしたい。
 中学校の進路指導が変わらない。「この子は聞こえないけれど、こんなにがんばっている」という進路指導をされているが、そうではなく、「この子はこういった配慮があれば、こんなことができる」という伝え方にしていかないといけない、という報告でした。この件に関しては、以前、進路指導の側からすると、「配慮が必要」だとか「障害がある」ことを前面に押し出すと、進路の受け入れ側(高校)が受け入れてくれなくなるケースがあるという悲しい話も聞きました。
一宮聾学校の報告は、先日の県言聴研で「特別支援部会」の話し合いの中に出てきた名古屋聾学校のお話とほとんど同じ。ということは、愛知県は全県的にこういった傾向にあるのか?この話の中でも言われていたように、聴覚障害の子どもは、一生懸命に聞き取ろうとして、集中している子や、発言に対して控えめな子が多い。だから当然、授業中に離席する子や、無駄話をして授業の妨害になるような子は、ほとんどいないのが現実。授業者からしてみれば、「困らない」「お利口さん」な子どもなのだ。しかも、言葉の指導を受けて発音が綺麗になってしまうと、見た目では障害があることは分からなくなってしまう。だから成長してから先でのトラブルが多くなってしまうのだろう。最後の「課題」として話があったように、子ども自身が、状況が分かりづらいことを伝える術を持たなければならないだろう。そして、中学の進路指導で「配慮」を優先させてもらえるように、こちらからの啓発もしっかりと続けなければならないし、市教委・県教委を通した、義務教育から高等学校教育への橋渡しを、しっかりとつなげられるようにしていくことが、全県共通の課題なのだと痛感しました。

助言
 どうつなげていくと子どもたちがよくなるのか?
 支援の引継が大切。
 保護者の記録を読んでもらう。支援の引継を入れていくことが岐阜の課題。保護者抜きには連携はあり得ない。保護者が自分の子どもをどう理解しているかが、支援者に伝わっていかないと継続していかない。
 静岡:子どもの実態把握をして、チャレンジカードをどのように活かしていくのかを、スモールステップで記述して、先生の思いを次へつなげていくことが大切。通級で教えられることと、家庭で教えられることは別であり、ともに大切なこと。どちらでも生きていくように。
 三重・愛知:自分の課題への気づきが大切である。聞こえないことを自覚して、自分から伝えられることができると、周りの手助けを得やすい。当事者は聞こえるフリをしていることが多いので、聞こえないことはしっかりと伝えたい。義務教育から高等学校教育へのつなぎを大切にしたい。困り感を把握する方法を考えるのは我々のつとめ。家族が自分の子どもをどうとらえているか、本人が自分の困り感に気づいているか、困ったところをどう助けていくのか、常に関わりながら、支援のバトンタッチをしてつないでいかなければならない。

以上のようなお話でまとめていただきました。充実した分科会でした。これからも私の「つながり」への挑戦は続きます。
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理解啓発活動を如何に広めるか?

2013-06-23 01:20:23 | 言語・難聴
 先々週から再開した啓発授業は、今まであまり人様にご覧に入れることはなく、私一人の独断と偏見の塊のような授業展開をしてきました。今回、この授業を、専門家たる市言聴研の会員の先生方に見て戴くことで、多少なりともご意見を戴こうとの目論見から、大げさに公開授業にするために、わざわざ教育センター主催の新任通級担当者研修に当てさせて戴くこととなり、徹底的に自分の授業を見直すところから始めました。新しい方式になった指導案を細案にして書き直し、アンケートも取り方を工夫し、特総研の先生にご助言戴いた内容を取り入れて、今までの内容から進化したものにしてみました。以前の指導案はおおよそ1ヶ月前に配付してあったので、授業の大筋は理解されているものと思いました。当日に新たな細案を配り直し、いよいよ大々的に授業研究会の開催。
 しかしながら、私の考えていた通りにはならず、先々週の元気な子どもたちとは、少し違う表情を見せる子どもたち。主任の先生のクラスだからか、センターの大切な授業研究だと思っているからか、子どもが堅い。まじめすぎる。元々のノリは同じようなはずだが、勝手が違うのが分かるのです。予想していたことだから、何も気にならなかったのですが、こちらが話しかけることがストレートに入っていく子どもたちでした。アンケートの結果を見ても、事前では殆ど変わらない反応だったのに、事後は模範回答のようなアンケート結果でした。話を聞いていてくれたのはよく伝わってきましたから、きっといいことが書かれているのだろうと思いましたが、予想以上の出来でした。
 ここまではいつもと変わらないのです。問題なのは、専門家集団がこの授業をどう見るのか、ということです。専門家でも理解啓発授業は避けて通る人が多い、生涯の課題です。私がライフワークにしている理由も、やればやるほど奥が深く、毎年対象とする人が変わるので、終わりがないのが理由です。だからこそ、みんなが「やらなければいけないなぁ」とは思いつつも、条件が揃わず、やれないままでいる人が多いのです。案の定、今回の授業研究の事後検討会では、「自分もこれを参考にして、取り組んでみたいとは思っている。」といった消極的な感想しか出てこなかった。若い人ばかりだから仕方がないのか?45を過ぎたおじさんの授業に、意見を言う若者なんていないのか?褒めまくる人ばかりでつまらない。これでは検討してもらう意味がない。唯一の救いは、昨年新任通級担当研修会を受講してくれた11年目の若者で、今や特別支援教育研究会で名をはせている先生が、私が授業内容を一部飛ばしたり順序を変更したりと、臨機応変に流れを変えていたことに気がついて、後からこっそり聞きに来てくれました。よく流れをみていたなと思うし、指導案の流れよりも、実際の流れの方がスムースで良かったことも見抜いてくれていたのです。意見が出たことはありがたいが、それを後から言ってくるのではなく、検討会の場で発言すれば盛り上がったのに…。
 週の初めにやった授業だったけど、週末には事後アンケートも全て回収できたので、これをアンケート結果としてまとめて、最終報告書を作らねばならない。まだまだ授業は完了していないのです。アンケート結果を見てから確実にまとめておきたいです。そして、まとまったら、DVDと共に、特総研や全難言事務局の先生方に見て戴くことができればいいのかな?と考えますが、どこまで行けるでしょうか?土曜日には他校通級児童の学級が授業参観会を開催してくれたので、早速「小さな一歩」から、お隣の子どもに自己紹介を兼ねてご挨拶をしてきました。できることから着実にやらないと、守山の時のように一朝一夕にはできないことは承知済みです。草の根活動で頑張りますよ!!
コメント (7)
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聴覚障害児教育のプロ

2012-09-13 09:20:24 | 言語・難聴
 昨日、聴覚障害児教育のプロフェッショナルである、聾学校巡回通級指導の先生のご指導を拝見させていただく機会を得ました。私自身、今までの通級指導教室で10数年間、1度も「難聴教室」の担当をしたことはないのですが、何故か必ず一人は「聴覚障害」のあるお子さんを担当してきました。はじめのいっぽ研修会や全難言協の大会で、何度か「聴覚障害児教育」の分科会に参加して学習してきたつもりでした。しかし、あくまでもその経験は「つもり」の域を出ていないんだということを実感した次第です。今までの自分の指導は、聴覚的なフィードバックが出来ない子どもたちである以上、理論的に正しい音の出し方を学ばせて、正しい音を出せるように訓練することが至上主義でした。それは確かに大事なことであるには替わらないのですが、今一歩、詰めが甘かった。聴覚に問題を抱える子どもたちには、どんなに補聴器が発達しても、耳に聞こえてくるのは殆どの場合、歪んだままの音。ボリュームを大きくすることは出来るけれど、歪み音は本来の正しい音として聞こえてこない。だから、今までに覚えた単語を綺麗に正しく発音することは出来ても、これからの人生で新たに出会う単語を、正確な音で拾うことは出来ないのだということを忘れていた。だから、今のうちに間違った音を全て修正してしまって、通級指導を卒業する頃には完璧な発音が出来るようになってしまっていると、ひょっとすると新たな環境に飛び込んだときに、本人が「聴覚障害者」だと思われなくなってしまうかも知れない。つまり、「聞こえている」「理解できている」と周りの人に思われて、配慮が全くなくなってしまうかも知れない。そんな問題を抱えていることすら、忘れ去られてしまうかも知れない。この点に関して、私の配慮は浅はかだった。しかし、聾学校で常に聴覚障害児と共に歩んでいる先生は、私には考えも及ばない配慮事項を当たり前のように語っておられた。凄い!の一言。やはり、身近に接しながらでなければ得られないものがあるんだ、ということを感じた授業参観だった。とても勉強になりました。ありがとうございました。写真はその学校の隣にある八幡社のご神木です。平安時代からある社殿とご神木だそうです。このご神木のように、しっかりと根を張り、大きく枝葉を広げて、自分の周囲に集まる人々を守り支えていくことが出来るような仕事が出来るように、お祈りをしてから帰りました。
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