夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

青い鳥

2008-12-14 19:30:53 | Weblog
 重松清さん原作の映画『青い鳥』を見てきました。主演の阿部寛の「吃音」の演技はともかくとして、作品の持つ強烈なメッセージは伝わってきました。私は原作を読んでいないので、細かいニュアンスは違うのかもしれませんが、深い内容で、映画の進行と一緒に「自分ならどうするだろう?」と考えながら鑑賞していました。『本気の言葉は本気で聞け』という主人公・村内先生の台詞がズシッと心に響きます。果たして自分は子どもたちが本気の言葉を発していることを気づいてあげられているのだろうか?ひょっとして気づかないままいることがあるのではないだろうか?村内先生の態度や言葉で、2年1組の生徒たちが変わっていくシーン、しかも『全員』が変わるわけではないところが現実味を帯びている。安っぽい学園ドラマならば恐らくあの場面で『全員』が変わっていき、先生と感動の別れを描いたりするのだろうが、実際の現場ではそんなことはあり得ない。あの映画のように、先生の『本気の言葉』が心に響いた生徒だけが変わっていくものだと思う。しかもラストで本郷君演じる園部真一が最初に勇気を出して変わるのではなく、太賀君演じる井上武志が実は一番先生の心の声が聞こえていたと観客に分からせる演出。本来はこうあるべきなんだよな!と思いながら見ていました。職員である島崎先生にも『本気の言葉』が届いていたのも嬉しい場面でした。『教師は子どもに教えてあげられることなんか無いのかもしれない。』『寄り添ってあげることが出来れば・・・。』村内先生の言葉が更に響きます。私は子どもたちにとってどんな『教師』なのだろう?初めて気になりました。ただひとつ言えることは、映画全体を見て村内先生の思惑というか、子どもへの接し方が自分の思いと重なる部分がたくさんありました。通級の場面では『いじめ』を目の当たりにすることはあり得ないけれど、実際に通級児からは「いじめられた」という言葉を耳にすることもあります。そんなとき、在籍学級とどんな風に連携していくと良いのかが課題です。担任ではない自分の考え方を実際の担任の先生に100%理解してもらえることは難しいです。しかし、諦めずに自分の考えを啓発していくことが私の仕事なのだと思いながら日々過ごしています。いつか我が子にも見せたい深い話でした。
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仰げば尊し

2008-12-10 09:39:24 | 教育・躾全般
昨日,名古屋市の就学指導委員会の言語・聴覚専門部会に出席させていただいたときのことです。会議資料を配ろうとしていた私に,校長先生が一言。『上着を脱ぎなさい』この場合の上着とはいわゆるコート(外套)のことですが,渋滞に巻き込まれてギリギリにしか会議場に入れなかった私は慌てていたので,コートを羽織ったまま建物の中にいることを忘れておりました。お陰様で一呼吸置いて落ち着いてから資料を配ることが出来たわけです。そのとき私の脳裏に大学時代の恩師の言葉が蘇りました。とても寒い3月の講義で,しかもその日はその先生の大学での最終講義でした。4年の私は本来受けるはずのない講義でしたが,3年の最後にテストで大失敗をして先生に『来年も私の講義を受け直せ!』と研究室を追い出されたという苦々しい記憶があります。そんな先生の,大學退職前の最終講義という記念の花道を,しかも先生にその場にいた全員で『ありがとうございました,お疲れ様でした。』と御礼の言葉を述べた直後に,私は今回と同じことをして怒鳴られました。『建物の中で外套を羽織るとは何事か!よそ様のお宅へ伺ったときに玄関の前で外套は脱ぐのが礼儀だ!外へ出てから着よ!』それはもうすごい剣幕で叱られました。一生忘れられないことです。その先生は大學の名物先生で,ジーパンを嫌い,彼がいたからうちの大學はスーツ&ネクタイ着用でなければいけなかったといっても過言ではありません。この先生にはジャージ姿でピアノの練習に励んでいるところを見つかり,着替えを命じられたこともあります。国語の先生なのにピアノ練習室の前に研究室があるため,よくのぞきに来られていたのは知っていましたが,とにかく礼儀作法と敬語法についてをやたらと厳しく指導される先生でした。まだ21歳の頃の私には,その先生が話す礼儀作法や敬語法が,正直とても鬱陶しく感じられたものです。しかし,卒業して就職してみるとその話の一つ一つが常に思い出されるのです。礼儀作法については特に感じます。そして若い人を見るたびに,おそらくその当時の恩師と同じ目線で相手を見ていることに気づきます。大東亜戦争(第2次世界大戦のことを彼はこう呼ぶ)時代に満州で中隊長代理として自動車部隊を率いて戦った少尉だった彼は,国語科の講義の時にいつも胸ポケットから『軍務手帳』を取り出して礼儀作法の講義から入りました。今の時代に軍務なんて古くさいことを,と思われるのが普通ですが,彼もその中から今の時代に必要な部分を抜き出して講義していたわけです。古い時代の話であっても,今の時代に受け継いでいかなければならない大切なものはたくさん存在しています。礼儀作法もその一つ。もちろん敬語法も。12月8日を過ぎ,戦争の恐ろしさを語る2度目の機会を得て,子どもたちにそんな話をしながら,ふと,恩師の言葉に思いを馳せる今日この頃でした。大學退職後に1年ほどですぐにお亡くなりになられた,と書くと二重敬語であると叱られた記憶もあるので,亡くなられたと敢えて書き直して,岡部直裕教授に合掌。
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あと1時間で師走・・・になっちゃった。

2008-12-01 06:03:31 | 教育・躾全般
まもなく師走に入ります。よく「先生も廊下を走るほど忙しい」と解説されることもあるようですが、この場合の「師」とはお坊さんのことだと聞いたことがあります。私も詳しく知らないので、どこかで調べてみようと思います。でも本当に忙しいからそんな暇はしばらくありません。誰か調べたら教えて・・・ん?とか言いながらブログ更新している暇はあるのか?これも立派な逃避行動ですね。
 今日までの1ヶ月間、本当に忙しかったんです。本校も含めた各学校の学芸会や展覧会、懇談会や暖房器具の設置(これは職場の校務分掌)、市教委の頼まれ仕事に、土日は子どもたちの試合等々。気がつけば年末の成績処理の締め切りが目の前。まだ何もやってないのに。明後日の就学指導資料も白紙だぞ!!・・・ってだったら早く仕事しろ!!という声が聞こえてきそうですが、書き始めてしまったものは最後まで書きたいというもの。
 先日、保護者会のテーマを「言葉の遅れと発達の遅れの違いについて」としてお母さん方のご意見を拝聴いたしました。皆さん流石に勉強していらっしゃる方ばかりで、私がどうこう言うまでもなく、それぞれが答えをつかんでいらっしゃったようで安心しました。まるで模範解答のような意見あり、しっかりしたご自分の論をもっていらっしゃる方もあり、でもどのお母さんも子育ての経験の中から学び取った考え方であり、母親として悩み、苦しみ抜いた中から導き出された考え方でもあるように思えました。私自身も親として、教師として、悩みながら成長しているつもりの毎日ですが、我が子も含め、子どもたちを叱っているときに「これは障害のある弟を持つ兄としての長年の経験が生きている」と感じることもよくあります。いや、「障害者の兄」という自分の経験よりも、「弟を育て躾けてきた母の姿を横から見ながら感じたこと」と言った方がいいでしょう。母は偉大だと思う反面、他者からはそういった見方をしてもらえないぞ!という厳しい見方も自分なりに身につけて来ました。それが今の仕事にも生かされていると思います。
 いろいろなお母さんがいます。我が子の成長に悩む人も、お子さんが成長したことで悩む内容が変わってしまった人も、それが自分自身の成長だと思って悩みの記憶を大切な宝としてください。いつかその宝が他の人の役に立つときが来るでしょう。その時、過去を紐解いて「昔はこうだったよ」「あのときはこんな感じに悩んでいました」と、若いお母さん方に語って聞かせてあげるだけでも、とても役に立つものです。時には苦い記憶もあるでしょうが、それさえも肥やしにして生きるたくましさが、お母さんには必要です。頑張ってください!でも、たまには集まって愚痴のひとつもこぼしてください。そうすることで精神的なバランスをとっていくのですから。抱え込んでしまうのは一番健康に悪い。お母さんの健康が崩れると、家族がみんな不健康になります。辛いときは甘えや愚痴をぶつけることが出来る相手をもってください。もちろん私でも結構です。一緒に「子育て」しましょう。
 これを書き始めたときはまだ11月だったのに、一眠りしたらすでに12月。タイトルちょっと付け足して。
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